2017年1月28日土曜日

ギヴァー 記憶を注ぐ者(2014)

ギヴァー 記憶を注ぐ者

~平和~

〇はじめに
 リンゴってところがわかりやすく、アダムとイヴがモデルとしてあるよね。


〇想起する作品
 「リベリオン」(2002)
 「イーオン・フラックス」(2005)
 「アイランド」(2005)
 「ダイバージェント」(2014)
 
 「ウェイワード・パインズ」


〇こんな話
 平和とは何だろうか・・・



〇平和を築く
 平和という概念をどう定義するのか・・・

 平和でない状態とはどういったことを指すのか・・・

 平和を築くのはナニモノなのか・・・


 間違ったことを選択させないために情報を制限する。過ちを犯させない程度の記憶しか与えていない。

・・・としているが、これは言い換えれば、そもそも過ちという認識を与えなければいい、ということになる。つまり過ちだという認識を加害者及び被害者の両方が認識しなければそれ以上何にも発展しないということになる。

 ここに至る上でどのような思考を植え付けるのかというと、「〇〇してはいけません」という境界を設けさせないことである。つまり罪悪感を覚えなくさせることで、憎しみ等の感情を排除できるという事だ。

 厳格な規則があるとしているが、これは禁止事項を設けているというよりも、禁止されていることを侵すことの想像力を与えないためのもの。この規則というところを上限と定めているわけである。ここを大きくは長老絶対主義で見せている。厳格な通過儀礼もそうだ。道を逸れないためである。



 このコミュニティという世界は人間にとっての究極的な悪をひたすらに排除した結果できあがったもの。正確には究極悪に繋がるものを全て排除した。

 ソリというもので説明していた。ソリは雪が無ければ意味が無い。しかし雪は作物をダメにする。故に人間にとって害である。排除決定。


 包丁 → 調理に幅をもたらしたが、刃物は人を殺す(傷つける)恐れがある
  ・・・料理しているシーンが無い。宇宙食みたいなものを食べてる。

 自動車 → 輸送手段としては便利だが、事故が起きないとは限らない
  ・・・自転車あるけどね。段階的な通過儀礼のアイテムだったようだがもう少し
    足は欲しかったな。

 恋愛感情 → 家族という繋がりの形成に由来する
  ・・・劇中での2人。できるものができるし、男と女という根本的な違いが明確化
    する。そして繋がりの連鎖。ここを形式的なものにすれば(形式的なものに
     しても)問題無いだろうとの判断。むしろ都合が良い。
 

 象(ヒポー)が足5本としているのはおもしろかったな。そして5本あるから足が速いのだと。


 果たしてそれが平和と言えるのかどうなのか。平和という名目で争いを排除するためとして感情を究極に抑え込み、表面的なただ種を存続させるための生活を築いている。人間の定義によるが、人間である意味があるのかどうなのか。

 争いという概念が無いコミュニティの人間に今が平和であるという認識がそもそもあるはずがない。つまりこの状態を維持するには、平和であるという認識を誰かが抱いていることが必要になる。統治者の存在である。長老たち。この権力構造が1つ疑問点として沸き起こるのと、我々が今住んでいる世界における混沌を知っているからこそ見えてくるこのコミュニティの違和感。ここを何かしら感じられればおもしろいんじゃないかな。

 青年期に抱えるだろう社会への不満なんかと照らし合わせてよくできてるのではないだろうか。





 人間は良いモノを選択できる。これは歴史ありきの考え方。数々の過ちを犯して尚繰り返される過ち。これは人間の欠点であるのかそれとも判断基準としての歴史の積み重ねが足りないのか、いやそれこそが人間の良いところなのか・・・






〇最後に
 この子の色合いの変化がすごく良い。





































 Odeya Rush


 ではでは・・・



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