2014年7月28日月曜日

GODZILLA ゴジラ(2014)

~主体と客体~ 

〇はじめに 
 ゴジラ(というより怪獣対決)を自然災害として扱ったディザスターパニック映画に仕上がっている。 

〇想起する作品
 「モンスターズ/地球外生命体」  監督の前作品

 「クローバー・フィールド」 
 「インデペンデンス・デイ」 
 「サラマンダー」 
 「宇宙戦争」 
 ・・・などなど 

〇演出 
・POV 
 POV方式を主人公視点や全容解明のための主体としてのものではなく、客体として観せられる報道関係に使用するという演出。最前線の映像はもちろん迫力満点に描かれる。これにより当事者且つ傍観者としてゴジラという現象を観せられることになる。 

 これは実際の震災や災害という事象や現象に直面する我々そのものではないか。現象に直面する者たちは生を求め逃げまどい、助け合い、戦いを強いられる。一方TVに映し出されるその事象や現象は現実に起こっていることだが、それがいかに非日常であろうと、被害が傍観者に対して直接的にしろ間接的にしろ結び付くことが無い限り普段の生活は続く。TVの前とTVの中(向こう側)では絶対的な壁がある。しかしそれは時として容易に崩れ去ることもある。明日、いや次の瞬間は我が身かもしれない。教訓として学ぶべきことは過去にあった。しかしそれを人間は忘れてしまうのである。故に同じかそれ以上の過ちを犯してしまう。 

 この映画事態のシチュエーションが要因としては大きいのだが、昨今起きた震災が頭をよぎった。それを狙っていたのかもしれない。実際の現象をカメラを通してではあるが、リアルタイムで観せられているにしても何か夢見心地や映画感覚。被害を被っている人がいるにも関わらず、映画のような世界と興奮する自分もいるという始末。行方不明者、死亡者が多かろうが心配している余所でどこか他人事。9・11の時もそんな感覚だった。日々報道される事件や事故に対してもだ。見聞きしている当初は怒りや憤りを覚えるが、時間が経てばそれも薄れ、いつも通りの生活に戻っていく。そんな日常を見事に味わわされた。結局ゴジラも人類にとってはそんな記録や記憶を呼び覚ますための(呼び覚ますべき)定期イベントでしかない。しかしそれが人類にとって過ちを犯さない、繰り返さないための大きなものである。


 POVの話のまとめに入ると、怪獣対決において最前線の映像と傍観者視点となる報道・TVによる映像が使い分けられることで、リアルタイムで全容を知り得る人物がいないという現実感を見事に演出している。TV・報道を通しての事後・結果報告。その時に何が起きたのかという断片的な映像にとどまる怪獣対決は見事。危機に陥ってもどうやって助かったのかなど描かれないことも含めて。さあ、はじまるぞ、はじめようかぁってなところでTVによる事後報告なんてことがこの映画には存在する。あれれ、コマ飛んじゃったのかな。「HUNTER×HUNTER」のヒソカVSカストロ戦(アニメver)を思い出した方も多いのではないだろうか(コアすぎるか?)。結局全容なんてものはリアルタイムでは把握できない。事後になってあらゆる出来事を検証して初めて導き出せるもので、それが正しいとは限らないってのがまたやっかいなのではあるが・・・。この辺の演出が先ほどから書いているように、実際に非日常に見舞われる我々の視点を見事に再現しており、しかし日本人が望むようなゴジラゴジラしないという不満にも繋がることだろう。演出により中々に見られない怪獣対決。焦らされながらも最終的には大迫力の怪獣対決が見られる。それを最前線(主体)と傍観者(客体)の演出を踏まえて・慣らされて、どのように見え・感じるかでこの映画の評価は分かれるのではなかろうか。


・人間VS怪獣 
 怪獣たちと人間との対比(主に大きさ)の演出に話をうまく持って行く。 

 怪獣(ムートー)に電磁パルスという電子機器を使用不能にする攻撃を付加させるだけで、科学技術に包まれた人間を一気に丸裸にする。これがすばらしい。人間の強みは知恵を身につけたことであり、人間が地球上で頂点に君臨していると錯覚してしまうのは、科学技術による後付け・外付けオプションの力が大きい。つまりそれらを否が応にもはがされることで丸裸の人間(歩兵部隊)と怪獣という対比を演出することができる。裸の付き合いってやつですかね。 

・ゴジラ 
 歴史的に行われてきた核実験と称されたゴジラ殺害計画。この歴史が「ゴジラ=悪」であるという軍人さんの思考に結び付くのであろうが、なにか甘く・物足りなく感じてしまう。劇中のゴジラの行動を見ていれば、ゴジラを擁護する気持ちが(必ず?)湧くはずであるので、ゴジラの立ち位置を(人類視点から考えて)曖昧にしたかったのであれば、「ゴジラ=悪」というのをもっと決定的に印象付けても良かったのではなかろうか。 


〇GODZILLA 
 ゴジラが生態系維持における調整者として描かれる。ゴジラ=地球ってな感じか。 

ゴジラ(の自覚行動)による人類への被害はほぼ皆無。基本的な被害は人類がゴジラを悪と認定し攻撃を加えたことによる弊害が大きい。人類の行動が生態系に異常を来たし、それを調整しようとする人類自らの策がさらなる悪影響を及ぼす。これにより人類は自己破壊的に進むということが言えるのかもしれない・・・。 

神としてのゴジラ。 
「GODZILLA」に含まれる「GOD」の文字。これは誰に対する神なのか。ゴジラによる生態系維持のためとされる調整で利益を得るのは何を隠そう人類である。故にゴジラは人類に対する神と言える。そこがまた神に攻撃するのだから人類は被害を被って当たり前と皮肉っているのだろうか。 

〇余談 
 「ARMS」実写化してくれないかなぁ~。 

〇最後に 
 ゴジラさん観せるところ(アピールポイント)わかってるなぁ。猪突猛進具合だったり、本能や欲求に忠実だったりと、いくら体が大きく・強くても習性が抜けきらないというか・・・。 
 相手の怪獣は二対であり、二対一を強いられるゴジラ。ゴジラときたら一人に集中するとすぐにもう一匹の存在を忘れてしまう。周りが見えなくなっちゃうんですね。叫びたかったですよ「ゴジラ~、後ろ~!!」と。 
 戦い終わったら終わったで、「疲れたから寝るわ」といったような自由奔放ぶり。猫か、お前は・・・。そして起きたい時に起きる。からのゴジラ凱旋。その後ろからの画がまたおしりをフリフリさせてかわいいんですわ。 
 まとめますと、ゴジラならではの茶目っ気(本人にその自覚は無いだろうが醸し出てしまう)が見事な映画でした。

2014年7月25日金曜日

アナと雪の女王(2013)

アナと雪の女王[DVD]
〇はじめに 
 アナは雪の女王ではございません。

 個人的に字幕推奨映画。アナの楽観的、おちゃらけ具合、世間知らず(要は馬鹿)だけど芯が通っている。表裏が無いが故に、咄嗟に悪態をつく。雰囲気に流されるなどなど。総じて無知が故の純粋さ、詰まる所の現代語で言う「うざさ」ですかね(うざかわいい?)。そういった性格は日本人には出せない気がする。アメリカンコメディに出てくる雰囲気なんですよ。「フルハウス」を思い出します。日本でも一応浸透してはいるんだろうけど、どうも何か違う気がするんですよね。  

 歌の収録の関係上? DVDでは映像再生中に音声切り替えができません。 切り替える際はメニューに戻ってください。
(注、私は映画に対して字幕派、吹替派など一切偏見はございません)

〇こんな話 
エルサ、アナを傷つける 
アナ、エルサの能力の記憶を消されるとともに関係途絶 
 ~時が経過~ 
エルサ、戴冠式のためアナと再会且つ能力がバレ逃亡・・・「レリゴ~」 
アナ、エルサを追う 
 ~なんやかんや~ 
アナとエルサ、真実の愛に目覚める 
エルサ、なぜか国民の信頼回復 
→愛が氷を溶かす、国民のエルサに対する氷の心も溶かします
アナ、もうひとつの愛にもご執心 
めでたしめでたし
・・・終わり

〇真実の愛 
 少しはひねってるのかな。一目惚れ、運命、王子(権力者)との繋がり、要は勝ち組ロードを歩むことになる茶番劇に対しての皮肉。まぁ最初からアナは権力者組に属しているわけで、ここでどっかの王子とくっついったって物語上おもしろくも何ともない(今の時代誰が観たがるんですか? 金持ち権力者美女とイケメンの恋物語など)。貧乏男と真実の愛を築くんだろうなというのは容易に想像がつく(既定路線)。しかし氷を溶かすとされる真実の愛に関してはそうではなかった。が故にしっくりこないものがある。まぁ、姉妹愛(家族愛)の方に重点を置いているという事実は、同性愛という方にも目を向けさせたかったのかと想像してみる。愛にはいろんな形があります、はい。

〇余談 
 真実の愛に目覚めると、門は二度と閉ざされることは無いのだとか。
な、いったいナニを言っているんだ? ナニを暗示しているんだ・・・??。ナ~ニ~、犯っちまったな!!

〇最後に 
 吹替えと字幕と両方で観たが、エンディングを日本独自のものにする必要があったのだろうか(字幕で観ても同じ状況に陥るわけであるが、そこは・・・)。吹替えで観せるのであれば、松たか子の「ありのままで」を聴かされているわけで、また日本語で「ありのままで」を聴く意味があるのだろうかと。 

 エルサの感情として「ありのままで」を聴くのと、「ありのままで」という歌として聴くのとで印象の違いを感じてほしかったのだろうか。しかし鑑賞者からしたらこの映画(の内容)にそんなものは求めていないのでは・・・。映画の楽しみ方は人それぞれであるのであまり言及はしたくはないのだが、評判を聞きつけて(流行に乗ろうとして)映画を見に来る人たちにしたら、エンドロールなどどうでもいいんですよ。皆席を立ち帰路につきます。DVDだってすぐ停止しますし。歌っている人は違えど、同じ歌を聴かせる行為はそれを助長するだけではないのか。そんな人たちを映画に浸らせる、余韻を味あわせるのであれば、印象の違いを決定づけるインパクトが必要なのでないだろうか。それを一番に示せるのが言語の違いだ。つまり、大衆受けするように映画の内容として単純明快に且つ性善説を全面におっぴろげて作っているのだから、最後は「ありのままで」ではなく「レット・イット・ゴー」を聴かせてもよかったのではないだろうかと。

 よくよく考えてみると二回「ありのままで」を聴かせることで鑑賞者にしてみればフレーズは残りやすいか。記憶にフレーズを刻み込ませるのであれば(宣伝効果といった点に焦点を当てるのであれば)、商売としてはこっちの方がうまいと言えるか。う~む、難しいな。個人的には松たか子の「ありのままで」も十分にすばらしいとは思うのだが、「レット・イット・ゴー」で(も)聴いてほしいな。DVDやBDだと操作が面倒くさいけど・・・。

2014年7月24日木曜日

インデペンデンス・デイ2014(2013)

インデペンデンス・デイ2014


~先遣隊~

〇はじめに 
 「バトルシップ」のアイツが地球を侵略に来ます。

 コイツです。 

 注、以下は「バトルシップ」のコロコロする奴。




























〇想起する作品
 「インデペンデンス・デイ」(1996)
 「宇宙戦争」(2005)
 「バトルシップ」(2012)

〇こんな話
 ある時地球外からの信号をキャッチ。と同時に侵略が開始されていた。侵略者の情報に長けている人物が特効武器を開発。それを元手に抵抗を試みる。
はてさて・・・。  

〇侵略 
 宇宙人たちは球側の私物を何かしら持ち帰っていく。何してんのこいつら、と思う方は多いだろう。人間側ではひたすらに騒がれる、宇宙人の情報が何も無いという混乱。彼らも同じであった。はるか昔に宇宙人たちは地球に来ており、地中に身を潜めていた。来るべき侵略の時まで。そして行われているのはテラフォーミングだと能書きを垂れているが、実際のところただの調査であった(としか思えない)。飛び回っているコロコロは無人機で、母船からの信号により操作されている。実地テストだったんですよ。要はプレ侵略です。先遣隊が出来るところまでやっちゃうみたいな。最悪・最低次の人たちのために環境整えておきましょうというぐらいの気持ち・姿勢だったわけで。しかしそれだけでも十二分に人類に通用した。それを悟るや宇宙人は・・・。

 地球に新たに向かってくる艦隊を描いてのラスト。もしかしたら侵略はただの定期イベントということを位置付けていたのかもしれない。人間社会における革命や戦争といったものと同じであると。異種間においても争いは絶えないのか・・・。


 一番最悪な捉え方をするのであれば、この侵略と言うイベントは独立記念日を盛大に祝い且つ大統領の力を堅持するための演出であったというところだろう。犠牲の上に人類は成り立つ。犠牲が人類を引き立たせるってな感じか。  

〇余談 
 車での移動の際に若者たちが大統領を助席に乗せる。状況としては助席に若者女子が乗ろうとした際にそれを制止して、大統領がそこは乗るべきだろとの判断を下す。あれ、本当にこれでいいのだろうか?
・・・へぇ~、運転手つきの車でなく、同行者が運転する場合は助席が上座になるんですね~。タクシーとかの場合は運転手の後ろが上座と。勉強になりました。

〇最後に
 最初の地球外からの信号キャッチにはじまり、唯一侵略者に対しての情報に富む者、そして侵略者に対してとりあえず戦闘機で突っ込む且つレーダーでの戦況確認、母船内部破壊、母船花火などなど、「インデペンデンス・デイ」のオマージュ目白押し。戦闘機はF―22が描かれております。戦闘機としては今のところ最新鋭?の。

 侵略者が自らに適した惑星にするために、大気組成をいじくってるどうのとも言われていまして、仮にそんなことが可能だったら侵略する対象にバレないようにやると思うのですよ。「わざわざ侵略しますよ~」という宣言(行動で示しているわけだが)をして開始するということは・・・SAMURAIが持つという武士道(精神?)に則ってるのかな。
・・・とふと思う。今日温暖化、異常気象などと騒がれており、いやでも耳にすることだろう。それの原因として人間活動が挙げられているが、この映画のように地球を侵略対象にしている種(地球外生命体)が、密かに人類を排除しようとしているとも考えられるのではないだろうか。そんな事実は無いと一蹴するのは簡単。その事実を知った者は排除されたり、記憶を消されているのかもしれませんし(適当)。要は責任転嫁ってことになりますかね。現実を見つめ、自然と共存・共生できる道を模索しましょう。

2014年7月21日月曜日

ジャッジ・ドレッド(2012)

ジャッジ・ドレッド[DVD]


~正義~

〇はじめに 
 シルベスター・スタローン主演の「ジャッジ・ドレッド」のリブート作品。 

〇想起する作品 
 「ザ・レイド」(2011) 
 タワー制圧ものとして 

〇こんな話 
 あるタワーで起きる麻薬組織とジャッジとの戦いを描く。 思考を読める超能力者(ミュータント)の存在が新しい。

 残虐な描写を過剰に為すことで、暴力による正義・法の執行を正当化しているようにしか見えないというのが率直な感想。バイオレンス感が半端ない。

〇演出など 
 新入りを迎え、ドレッドが指導者という形で事件にアプローチし、ジャッジという仕事と事件の捜査に関することをうまく解説してくれる。とともにドレッドの有能さアピール。余念がない。 

 体感時間を究極に引き延ばす麻薬。これをスローモーションを使う理由にして、銃撃戦やらを綺麗に観せるのか。なるほど。

〇未来というギャップ 
 ジャッジにも腐敗はある。汚職ジャッジ。未来世界において、現代の警官ものと同じことを描くのはやはり皮肉めいていておもしろい。未来において現在と変化しているもの、していないものを描いてくれると、とてもその世界に共感できるというか、SFに入りづらい人にはとてもいいのではないか。しかもその変化というのが全て人類に対してプラスになっているとは限らないところがまた堪らない。世界観からして荒廃してるんですけどね・・・。

〇正義 
 今回のドレッドは仮面、制服を一切脱がない。これは私がジャッジ、正義と言う絶対的基準であり続けることを示しているのか、それとも素顔だとスタローンよりも正義と言う基準が曖昧になるからなのか。前者であってほしい。悪がいる限り正義に休息はない。休んでいる、迷っている暇はない。基本的なヒーローものと違って日常パートが描かれないから単純な比較はできないのだが、ある種完成されたヒーローといってもいいのでないだろうか。法律=ヒーローという設定をうまく活かしているよな。ヒーローというのは基本アナーキーというか、権力的なものに属さない。それを絶対的基準である法律と結び付けてしまうとは。

 相棒が人の心を読めるという能力を有していることが、悪を裁くために執行される絶対的正義と称した暴力をうまく緩和している。実際のところそこまで緩和しきれていないが。悪の側にも仕方なく従っていたり、洗脳されていたりがあるわけで・・・。能力を通しての正当性だったり、感情移入だったりをうまく描いているとは思う。

〇最後に 
 最後自爆しようとする敵に対しての銃弾を通す壁と、電波を通さない壁。今までは人の命を奪うのに簡単に通過していた薄いはずの壁が、自らの命を救おうとする際には打って変わって分厚い壁と化す。皮肉なのだろうか。お前(悪)の思い通りにはなるものばかりではないという。 

 この映画における正義とされるものを正当化したくはないが、この映画における悪の描き方を見ると、ジャッジという存在をかっこよく思ってしまう自分もいるわけで。正義や悪なんて基準は「時・場・人物・事件設定」で変わるわけで、そんな曖昧なものを我々はどう現実世界において判断していくのかということが大きな問題となる。熟考されたし。

ジャッジ・ドレッド(1995)

ジャッジ・ドレッド[DVD]

~シルベスター・スタローン=正義~ 

〇世界観 
 裁きと処罰の両方の権限を持ったジャッジという存在が無法者を統治する社会。法で管理しきれない悪を暴力によって鎮圧する。

〇SFとスタローン 
 私の勝手な感想だが、「デモリションマン」といいスタローンはSF的世界観に妙に合う。 おそらく科学技術(デジタル)が進歩した世界観において、肉体派(アナログ)であるということのギャップがあるからだと勝手に解釈する。この映画でいえば、未来における(科学技術が進歩したであろう)荒廃した社会で、(それとは正反対の原始的な)暴力が支配する世界観だからというのが大きい。動かない機械に対して、ゲンコツを食らわせて動くようにするといった今ではクスりと来る場面も。今じゃ精密機械叩くなんてほとんどあり得ないですからね。

〇法の危険性 
・主観
 ジャッジが「私が法だ」ということで起こりうる合法的殺人の危険性を、ドレッドが殺人を犯したとされる冤罪事件で露呈させる。この世界ではジャッジという一人の人間が法を解釈し裁きを執行している。ジャッジという一人の人間の主観で動いているわけです。まあこれは最悪、お前気に入らないから死刑ね、みたいなことになるわけで・・・。警官とかで勝手に俺は権力を持っている、みたいに勘違いした人がドラマとかで描かれるではないですか。それと同じ現象がいずれはこの世界にも見られるという、そんな危険性を描いた作品なわけです・・・多分。

・対策
 ジャッジというシステムを作ったはいいものの暴動は年々増えており、このままではジャッジが足りなくなるという問題がある、と最初に言われている。それを解消しようと対策を講じたのが悪用されるという設定。 ジャッジの存続のための優秀なジャッジのクローンを作り、新秩序による秩序ある社会を作ろうとしていた。

 冤罪事件でスタローンが罪を犯したとされる証拠となったのが、DNA認証で撃てる銃。抜け穴の可能性として浮かび上がるのが一卵性双生児かクローンの存在。最終的にその計画は上層部は知っていたわけで(知らなかったけ?)、抜け穴があるシステムを採用している時点で未来にしては危機管理がおろそかでは? という疑問がぬぐえない。 


・問題点 
 この世界で起こる事件、裁き切れる事件は劇中で起こるドレッドの犯行とされる事件以外は現行犯に限る。計画殺人、誘拐事件、などの迷宮入りしそうな事件は皆無。その場で事件が起きていることを確認して、ジャッジを行う。この世界における犯罪を犯す者に対して、そんな頭が無いってことを皮肉っているのか。ドレッドの冤罪事件では裁判が為されていた。 監視カメラによる映像、そしてDNA検査なども行われている。罪に対して論議する場やシステムはあるにはある。しかし現行犯、捜査においてはジャッジの如何様な裁きと処罰を与えるかという判断が優先される。ジャッジという絶対的信頼のおける存在であるからこそ構築できるシステム。そんな絶対的信頼を揺るがすジャッジというシステムの穴が、ドレッド冤罪事件より明らかになる。

 現行犯に限ると言ったのは、ジャッジのシステム上直面した犯罪のみで量刑が決められるからだ。例えば過去に100人の命を救った者が、悪に奔り10人を殺したとしたら、10人を殺した罪(現行犯)だけで処罰されることになるだろう。そこにどんな理由があろうと。100人を救った聖人が、10人を殺す極悪人になる経歴を一切考慮しない。世間的に明らかにされないと言った方が良いか。となると犯罪社会を作り出してしまっている根本原因を絞り切れず、なんら社会にとっての解決策になっていない。ジャッジというシステムの利点は裁きと執行の効率化だけであって、防犯といった犯罪に対する抑止力にまるでなっていないのである。ジャッジという暴力による恐怖で犯罪者が抑圧されているではないかという人もいるだろう。しかし、ジャッジを超える暴力が出現したら。それを誰が抑え込むのだろう。正義が勝てばいい話ではあるのだが。そんな世界では決してないわけで・・・。ジャッジという正義の象徴であり、最後の砦でもあるものが屈したら、その先の世界に待つものとは何なのだろうか?

 まぁ、この映画の場合描かれる犯罪者が全員ドぎついから、そんなことを考える余地は生まれてはこないのではあるが。ジャッジと言うシステムは、世界を正義と悪という顕著な分け方をすることで、そこに暴力という単純なものを付け加えるヒーローものならではの描き方と言っていいだろう。現実にこんな世界は御免です。


(主観と関連して)
 仮面の存在。おそらくジャッジの中の人ではなく、ジャッジという存在であることを強調したいのだと思う。ジャッジが法であるので、それが個人の良心によって左右されてはならない。常に法に則って的確な判断を下し、ジャッジという任務を全うしなけらばならない。しかし、そこに危険性も潜む。中の人の慢心や油断、勘違いなどによって如何様にも法は解釈されてしまう。「私が法だ」という誤った解釈。法に則った解釈・判断ではなく、判断を下すのは人間だという、法の代行人ではなく、そのジャッジという中の人間が法になりうるという問題点がある。つまり「法 = ジャッジ」ではなく「ジャッジ = 法」ということになる。イコールで結んでしまったために混乱するかもしれないが、ここで言いたいのはどちらが先に定義されるのかということ。法ありきでジャッジがある、というのがこの世界の前提。しかし、ジャッジありきで法がある、という解釈もできてしまうということ。

 人間が絡む以上、主観が混じることは不可避。今日でも一般人と権力を有する者とで、量刑等異なる場合が見られたりする。その事実は確かに苛立ちを覚えるものであるが、主観の介入は何も悪いことばかりではない。先ほど書いたなぜ犯行に及ぶまでに至ったかという経緯を考慮に入れてもらえるからだ。まぁ全てが全て明らかになるとは限らないというのもまた問題で。全体と部分とを見比べた場合に異なる真実に辿りついてしまう場合というものがありまして、そこがまた面倒くさい。だからといって全てを監視する社会を作ればいいのかというと・・・、また違う問題が発生すると思うんですよ。どうしていくべきなんでしょうかねぇ・・・。

〇正義 
 ぐだぐだ書いてしまいましたが、この映画の放映当時はわからないが、シルベスター・スタローンという人物を知っている今の時代にこの作品を観ると、スタローン=正義が成立し、設定にあまり深入りせず(正義という)基準をはっきりさせる必要がないため、単純に悪を倒すという構図を楽しめる。 

〇余談 
 一昔前の時代を感じながらの近未来性があってこその世界観。その時代足る表現であるからウケルのであって、今の時代にリメイクとなるとちょっと違うのかなあ・・・と思ってみたり。 

 悪を暴力で鎮圧するというのがテーマではあるが、しっかりと反対派が上層部にいるからそこは感心した。 

 ロブ・シュナイダーとポール・ジアマッティ間違える。

〇最後に
 法とは人間社会においてどのようにあるべきなのだろうか。人間を裁くべき絶対的な存在がいない中、いくら公平を装おうが、人間は人間を人間視点で裁くことしかできない。人間間の問題であれば、関与しているのは人間であるために、加害者・被害者・第三者とそれぞれの立場に立って考えることが可能となるだろう。そしてその話し合いを深める場が真実を明らかにする場とされている?裁判というところだ。 そういった経緯を全て排除し、ジャッジという存在を絶対的正義として位置付け、それを基準にできるならば、今日の社会と比較して、悪とされるものに割かなければならない人員や費用、被害の規模等格段に抑えられるであろう。しかし前科や過去の経歴などを考慮できない。単純にその場で悪とされる者を排除していくシステム。現行犯であれば罪を犯したことは事実で、その場だけで言ったら悪と定義されて然りであろう。しかし・・・、というところを先ほどから書いているのでここではもう良しとしよう。

 つまり、正義や悪の位置づけなんてのは人によって、時によって、場合によって異なってくる。それを悪に奔った瞬間に排除するというシステムが浸透したとしたら、正義のみが存在する世界となり得るのか。ならないですよね・・・。

 さらには人外のものが関わってきたら・・・? 主には自然(地球)VS人間といった関係を見た場合ですかね。ん、これだと人間を特別視していることになるのか? この映画においてその事象は考えるべきところではないかもしれないが気になるところではあるな。これはまた次の機会にしよう。終わる。

2014年7月20日日曜日

CO₂(2010)

CO₂[DVD]


~利己犠牲~

〇想起する作品 
 「サンクタム」(2010) 
 ボンベ争い

〇原因と対策 
・原因 
 二酸化炭素を地中深くに埋める(貯留する)炭素隔離ができる地帯を探っていた、且つすでに埋めていた。一回水に溶かすとか何とか。玄武岩が炭素を吸収するスポンジの役割をするらしい。しかしそこは地震多発地帯でいろいろと問題が・・・。 

 A地区が貯留地、B地区震源地と分けられていた。 B地区で起きた地震により、A地区の地盤に影響を与え貯留していた炭素(水)が漏れ出し、B地区の活断層に侵入。地震を誘発してしまう. さらには地中からCO₂が漏れ出し気候変動を抑えるがための炭素隔離という対策が無意味と化す。悪循環?に陥る。 二酸化炭素の濃度が上がることで人体に影響が出始め、そこからがこの映画の見どころ。 最終的に二酸化硫黄も発生。爆発するから硫化水素か。まぁ硫黄に関係してます。  

・対策 
 酸素ボンベを担いで高台に徒歩遠足。二酸化炭素は空気より重いから滞留する。二酸化炭素の沈殿して無い高いところへレッツゴー。ドライアイスの煙は下に向かうじゃないですか。まぁ冷たいってこともあるんですけど・・・。 
 5人で助かる予定で計算したのに、どんどん仲間が増えていく。きび団子?しもふり肉?あげすぎなんだよ(それらの代わりを担うのが酸素なわけです)。サファリパークだったのかもしれない。ケンタロスなかなか捕まえられないんだよな~。ガルーラなかなか出てこないし。 求めてない奴らが寄ってくると。

〇犠牲 
 助かるためであれば、見捨てる覚悟も必要と。 酸素量に限りがあるわけで、行く先々で助けてたらとてもじゃないが生き残れない。まぁ助けようとしてボンベを強奪にあったりするのだが・・・。 なぜ見捨てられないのかと。そこに罪を感じるからか、自分の優位性を堅持するためなのか。罪と考えた場合はおそらく生き残った時のことを考えてだろう。あの時助けられたのではないかという後悔を背負って生きていくのが苦という。優位性の堅持はただの自己満足。偽善とも呼ばれてしまうような行為。乞食に対してその時だけ救うような行為は根本的な解決にならないということと関連するのか。今(個人の関与できる間)だけ生かすことができ、その後は知らんスタイル。先の見通しが無いまま、その場の判断で決断を下すという行為。企業の隠ぺい体質とも照らし合わせているのだろうか。何の根拠も無く問題無いだろうという軽視や無視で、バレなければ大丈夫とたかをくくる。同じなんですかね。見事にその今を助けようとした女性は酸素ボンベを奪われ助からない。

 酸素の量が限られるとわかってはいるものの見捨てられないという行為は、助けられるという根拠の無い自信により行動に移せるわけで。 酸素に限りがあるから、道中で助けを求める者に対して助けられない、仲間にも見捨てろと言っていた女が、最後恋人だかを撃った男に対して(男は自分と息子だけが助かろうと試みる)、生き延びても心の安らぎは得られないなどとほざく。は? おもっきしブーメランなんですが。リーダー格の女でして、そいつのこの責任のまるで無い発言にイライラする。つまり、自分(たち)が助かるためであれば、他人を簡単に見捨てる。しかし、自分が見捨てられる側になると、同情や何か諭すようなことを言って、最悪相手を非難し助かろうとする。さらに男爆死させますからね。自業自得だと言わんばかりに。これぞ利己主義か。これは排除です。独裁です。私が助かりたいがために他人を利用するという。この女の手の平だったわけですね、全部。 
 仮に彼女を擁護するならば、犠牲を払うという立場と、犠牲になるという立場は全くの別物で、犠牲を払う判断を下す者が、犠牲者の立場に立つことは無い。故に如何様にも物を言える。詰まる所、苦渋の決断なんてのはただ犠牲を払うという行為を正当化するための言い訳にすぎないのである。 しかし自分が助かろうとして何が悪いのかと。誰かを助けるが故に自分が倒れる、共倒れするなんて事態になったら元も子も無いではないか。死ぬのが怖くない人なんていないそうそういないだろう。であるならば生き残る可能性が一番高い方法をとって然りではないかと。後々の彼女の言動がそうさせてくれないところがミソである。

〇余談 
 地震を初めて経験した者(カップル女)の地面の揺れの形容が 「余震かな(Aftershocks may be)?」 その後に地震という言葉が出てくるのだが。Afterってついている時点で本震の後に来るものってのは明白ではないのだろうか。最初から地震と言うべきでは? 地震に関してただの知ったかぶりをしたかっただけなのか。 

 空気の綺麗なはずの森・山(自然)の中で二酸化炭素(毒ガス)により死亡するというのは何かの皮肉なのかな。火山とかの硫黄ではあるけど。

〇最後に
 CO₂の問題は温暖化だけではないぞといった警鐘映画。これからは地上でも酸素ボンベが必要になる。えら呼吸を身につけて海で生活できるようにでもしときますか。とか言ってないで現実を見ましょう。皆さん今のうちに何かしらの対策を。

ブラックホール 地球吸引(2006)

ブラックホール 地球吸引[DVD]


~Impossible

〇こんな話 
 粒子加速器による衝突実験によりブラックホールが発生。どこかの空間と繋がってしまい、エイリアンが現れ、あわてふためく。はてさて・・・。 

〇原因と対策 
・原因 
 原因はもちろん衝突実験。ブラックホールが出現したことによる、異空間との接続。穴がパックリ開いてしまったわけです。ひとつ気になるのはブラックホールという表現だが、ブラックホールは光も抜け出せないほどの吸引力。ダイソンもお手上げなほどだ。それを地球で観測できるという? 発光している。発光というか電気関連のものを破壊していく際に出る何かだったり、プラズマみたいなものなのだが。まぁ言いたいのは人間の目に捉えられる、カメラに映るというのは光がその目やレンズにまで届いているわけで、まあ矛盾しているわけです。まぁ世間の言葉を代弁するのであれば、真っ黒な穴を見せられるよりも、綺麗な穴を見せられた方がいい・・・(意味深)。失礼しました。気分を害した方すみません。何も感じなかった方、そのままで結構です。 どこかに排出先があってそれは同時に地球に現れるのだとか? ホワイトホールですか。つまりブラックホールを爆撃しようと、そのエネルギーは吸収されてしまい地球のどこかで排出される。そんなところからエイリアンがひょこっと現れるわけです。笑えます、ツボです。

・対策 
 エイリアンのエネルギー吸収率とブラックホールの膨張率のエネルギーが一致する。エイリアンはブラックホールに向けてエネルギーを供給している。つまりエイリアンとブラックホールは繋がっている。故に二つをぶつければ宇宙に放りだせる。エイリアンをブラックホールまで誘導だ。捕獲してからぶつけるそうな(見事に失敗)。ブラックホール特攻作戦へ。 
 ぶつけたときの反応として、作用反作用って言ってるんだけど・・・、二つは正反対の物質というかエネルギー体だから、それが衝突することで莫大なエネルギーが発生し、空間にねじれが発生するということか。どっかの空間と繋がるわけですね。出ました、空間における最短距離は「NO,直線 YES,点」  これは是非とも「空間を繋げる最短距離は直線ではなく、点だ」といった映画「イベント・ホライゾン」を観ていただきたい。 

〇疑念 
 ブラックホールとエイリアンの両者をぶつけることでできるはずの空間のつながり(ワームホールとしよう)。気になるのはワームホールによって移動するものが、エイリアンとブラックホールに限られるというところだ。そもそも両者をぶつけた時点で二つの存在は消滅するのではないだろうか。消滅とは言わないのか、エネルギーが発生しているから。空間のつながりができたことで移動してしまうのはむしろ地球の方ではないのだろうか。
[ブラックホール + エイリアン = ワームホール?]
ぶつけるから足し算ではなく、掛け算か? まぁもっと複雑な現象なんでしょうが、この式を考えたときに、ワームホールの素材となったブラックホールとエイリアンはどうなるのかということ。よく合成や合体と言った表現を使う場合は素材が残らないではないですか。可逆・不可逆とかにも関係するのかな。まぁ現実に生物における新たな生命を生み出す行為は異なりますが・・・。両者の衝突により生み出されたはずのワームホールに、エイリアンとブラックホールが巻き込まれるというのは有り得るのかと。有り得るとして、なぜ地球は呑みこまれないのかと。 提案として、最後は地球が太陽系ではなく別の宇宙空間に移動し、全て真っ暗で太陽はどこだと探したりして終わればよかったのだ。 全てスッキリ終わってこそのこういった映画なんですけどね・・・。

〇最後に 
起こり得ない(impossible)という表現について
 最初に粒子加速装置による衝突実験における危険性の示唆みたいな説明が入る。そこで使用される「起こり得ない」という表現が気になる。科学者があらゆる問題に関してあらゆる可能性を調査するのはわかる。しかし、科学者がその調査の末に「起こり得ない」という表現を使用してほしくない。調査において観測されない事例もあることだろう。条件設定の段階で見落としている可能性すらあるわけで。この映画の場合はブラックホールが出現するか否かでというところが論点であった。最初の説明文も演出なんでしょうけどね。実際にもいるじゃないですか、絶対(に大丈夫)とか軽く使う人。 どうも科学者や研究家ってのは都合の良いデータだけを摘み取って、都合の良い解釈をしているだけに思えてならない(メディア露出の多い科学者においてだけかもしれないが)。その分野における常識とするところの大筋や本筋を決めることは重要であるのはわかる。しかし研究の目的が世のため人のためのものではなく自己満足になっている印象を受けてしまうのは確かでなかろうか。別にそれを否定するつもりはない。その自己満足という探求心こそが人類の発展を促したのは事実だからだ。しかし、それを自己満足というところの自己の利益に固執するところが許せない。所詮金が全てか・・・。お金が無ければ研究が出来ないという状況だから致し方がないのか。本来の研究とは個人の好きな、興味のあるといったような、研究者の意思が反映されて然りであると思う。しかしそれら全部にお金は回していられない。お金になる研究を、となるのは必然でしょう。そこで研究者に問われるべき問題として、研究のためにお金が必要なのか、お金のために研究をするのかといったことがある。このお金ありき研究ありきという根本的な考え方の違いで、研究過程、結果、取り組む姿勢に精度の違いが現れることは確実であろう。そんな今日の状況を打破できないものだろうか。切に願う。

2014年7月18日金曜日

CARGO(2009)



~東亜重工~


〇世界観
 人類は地球に住めなくなり、ある者(富欲層)はレア星という人類が生存可能な地球型惑星へ、またある者(貧困層)は宇宙ステーションへ避難している。レア星とステーション及び貨物船では通信ができ連絡を取り合っている。 

 主人公は医者である女性で、仕事上ある貨物船に乗り込むことになる。ある時異常事態が起き、船内を調査することに。そこから起きる不可思議な現象にあたふたしながら、謎解きを開始する。そこから明らかになる真実とは・・・。

〇仮想現実 (レア星)
 レア星への居住計画は失敗しており、救急措置としてレア星とされる仮想現実で、レア星は無いという事実を人類に対して隠していた。人類の唯一の希望を無くしたくないというのと、様々な利権が絡んだが故だろう。レア星に囚われるあまり目を背けていたものがあった。失われたとされていた地球は回復していたのだ。


 貨物船の積荷は冷凍されている人間だった。貨物船はレア星とされる座標に向かっていた。積荷になっている時点でレア星という夢を見ていることになる。いや積荷として届けた時点で夢を見始めるのか(まぁ、どっちでもいいのだが)。夢というところに着目する。そして現実と交信ができるところに。交信の様子から、距離の関係上リアルタイムで会話は成立させることはできないものの、レア星の人たちが見ている夢(仮想現実)は現実世界と同じ時間の流れである。 

 より話を広げるために、この設定に関して勝手な要望を挙げるのであれば、レア星と現実世界とでの時間差を取り扱って欲しかった(レア星と船との通信の速度の違いにより目的地の見当をつけるというのはあったが・・・)。夢を見ている対象の意識は、現実(一年は365日で、一日は24時間・・・というような常識)と錯覚して作られる世界であると思われるが、夢の中の世界ではやはり現実と時間の進む速度が違うのではないだろうか。皆さんは無いだろうか。たった数時間しか寝ていないのに、壮大なRPGを実際に体験するような夢を見たり見なかったり。劇中では通信距離の関係上、夢と現実世界の交信において、現実世界が違和感を示した。できれば現実世界に夢の世界が疑問を投げかけるという逆の状況も欲しかった。現実世界にしてみたら定期的である交信が、夢の世界では偏りを見せる。現実世界では1カ月ぶりが、夢では1時間ぶりとか。 逆かもしれない。

 この設定にした際に起こりうる会話を妄想してみる。
(注、距離の関係上通信には時間がかかり、リアルタイムで会話が成立することはないのだが、おもしろおかしくするためにわざと成立させています)
妄想会話 パターン1 
 現実世界(妹):「姉さん、久しぶりね。1カ月ぶりくらいかしら?」 
   夢      (姉):「え? さっきまで話してたじゃない。」
           (何とち狂ったこと言ってるのかしらこの子?)

妄想会話 パターン2 
 現実世界(妹)「姉さん、さっき(何かしらのイベントの話)の事なんだけど・・・」 
       夢     (姉)「まったく、ずっと連絡しないで。何様のつもりよ!! もう予定の日           過ぎちゃったじゃない。」 
 現実世界(妹)「え? 予定の日、明日なんですけど・・・」
    夢     (姉)「え?」
 現実世界(妹)「え? (ピンポーン) おっと誰か来たようだ。」

 夢ならではの時間と現実の時間の進む速さの違い。あれ、歳とってね? みたいな容姿の変化でそれを取り扱ってもらってもよかった。急速に進む姉妹の歳の差など。何かしらのギャップがな~、欲しかったなぁ。

 仮想現実を見せる上で為されるコールドスリープも完成されたシステムでなく、夢の中ではウハウハ体験をしている一方で、実体の方はどんどん腐っていっている。他にも杜撰なシステムが目立つが、これが世界観をより深めている気もする。

〇ジャパニーズ
 最初のタイトルに書いた東亜重工というのは、弐瓶勉という漫画家の作品に出てくる架空の企業でして、この方の描くSF的世界観のスケール(人間と建造物の大きさの対比だったり、重厚感だったり)に似た感じがしたので勝手に使わせていただいたとただそれだけです。 そしてちょくちょくわかるようでわからない日本語が使われています。そんなところからも弐瓶勉さんかはわかりませんが、なにかしら日本の文化の影響を受けているととってもいいのではないでしょうか。 読み・聞き取れる部分だけでも書き出してみたいと思います。 

宇宙ステーション内にて
・「COME 来 TO RHEA」
  →「レア星へ来たれ」みたいな感じでしょう。「来」という漢字だけを使うという、何か命令めいた感じも受ける。
・「安全を確認してご案内ください。」
  →何か危険なものがあるのでしょう、見当たりませんが。
・「歩行者信号が赤になります、横断は止めてください。」
  →何のことやら、ステーション内に横断歩道があるようで。道路、いや車すら無いのですが。
・「~です、こちら側のドアが開きます。」
  →両側に扉がある乗り物があるのでしょう。しかし、流れているのは待合室的な場所です。乗り物の欠片は一切ございません。

貨物船の扉にて
・「乗員組」
  →おそらく乗組員のことでしょう。しかし入口的なところに書いてあるので、搭乗口とかにしたかったのではないでしょうか。
・「高度安」
  →貨物室の入口にデカデカと書いてある。高度というところから気圧関係なのか、寒そうな描写があるから気温関係なのか。文字の大きさから何かしらを注意させたいのは確かです。 
テレビ放送にて
・「FOR YOUR SECURITY, PEACE AND PROTECTION」 
  = 「和平保全安全」
・「ALERT LEVEL Ⅲ FROM ~ BREAKING NEWS・NEW ATTACK ON STATION 27・RAIDS CONTINUE」
  =「警戒レベルからの最高~ニュース速報・新しい攻撃を駅 の襲撃を続行・・・」
・「新たな攻撃の危険性の警告レベルの高いセキュリティ」
  →相当に危険なんでしょう、警戒してください。
・「REVOLUTION」 
  = 「波脳波」
  →なんかもうサイコメトリックでわけがわかりません。 ん?、と待てよ、脳波? 
   もうこの映画の革新に迫りそうではないか。この文字が出たのは序盤も序盤。貨物船に乗ってすぐのテロリストの存在を周知した時点。仮想現実というのがこの映画のキーワード。この時点でレア星=仮想現実と少しながら結び付けられる人がいたら、その予想はこの文字で確信に変わるのではないだろうか・・・。
・「重要新聞」
  →浸透している語で言うなら、重大ニュースとかでしょうか。 

 などなど他にもあるかもしれないので探してみてください。 

〇最後に 
 実際に苦しい現実(だと認識している)世界を生きるのと、この映画のように夢とは知らずに幸せであろう生活を送るのと、人類にとってどちらを選択することが正しき道なのだろう(正しいという言葉は適当ではない気もするな)。この映画の場合、地球は回復していたという希望が見え、選択肢が残されているからこそ彼女の最後の行動は正当化される。もし地球が回復していなかったら? 彼女は人類に対して絶望を突き付けることになる事実を公表したのだろうか。

 レア星は人類にとって最後の希望であった。仮想現実であってもだ。仮想現実と知って尚、レア星へ行こうとする(行った)者たちもいた。苦しい現実から目を背け、レア星への逃避行を選択する。現実で苦しんで死ぬよりも、現実の実体が苦しんでると知らずに楽しい夢を見ながら死ぬ方が誰だって良いだろう。何を好んで苦行に奔る。目の前に楽で幸せな生活が待っているというのに。
彼女は最終的にレア星との交信を断つだけであって、レア星という夢を終わらせたわけではない(多分)。そこに慈悲が見てとれる。レア星を目指した人たちは何の罪も無く、ただ騙されていただけなのだから。レア星で幸せに死にゆく者たちに対して、わざわざ現実を知らせる必要もないだろう。しかし、現実世界にはこれからを生きる者たちがいる。その者たちがありもしないレア星という希望を夢見ている。地球という回復に向かっている故郷を捨ててまでだ。手を伸ばせば届く希望が幸せな夢なのか苦しい現実なのかの違いだ。そこが大きい。だからこそそれを見て見ぬフリはできない。たとえ絶望を与えることになってもだ。ありもしない幻想よりも、伝えるべき厳しい現実を優先すべき、という彼女の選択は正しいようにも見える。

 しかし、結局は人類にとっての希望を、レア星という夢物語から、地球は回復している(これから人類の手によって復興していかねばならない)という厳しい現実に置き換えただけ、ということになる。先ほども言ったが、この置き換えるべき希望が無かったらどのような選択をとればいいのだろうか。「レア星はありません。希望もありません。人類は滅亡します。」と公表するのだろうか。彼女の至る選択は、夢と現実という違いが一番に大きな要因なのであるが、選択するものが無かったらという考えに私は囚われてならないのである。

黙示録2009 合衆国大炎上(2009)

黙示録2009 合衆国大炎上[DVD]


~炎上商法~

〇はじめに 
 タイトルは内容と何も関係ありません。炎上という言葉に反応しただけです。
 アメリカの観測史上最高の気温は摂氏56.7度(華氏134度)だそうな。

〇こんな話
 ある時空気中のメタン濃度が急上昇。急速な気温の上昇が止まらない。このままでは人類が焼け死んでしまう。どうしたものか・・・。 ユニコープ社という企業の掘削作業が原因らしい。問題を起こしているユニコープ社は研究所の出資者という関係と、政治問題や何やら絡むことで問題の解決が困難になる。 

〇原因と対策 
・原因
 山火事(燃焼)による二酸化炭素の増加と、ユニコープ社のメタンガスのガス溜まりを掘り当てる目的で為される掘削作業により放出されるメタンにより、空気中の温室効果ガスの濃度が急上昇したことによる。
 気温の上昇が続けばその分温室効果ガスの濃度も高まるとのことで、それは摂氏60度になるとその作用が自動更新でもう気温は下がることはなく、上がり続けるという悪循環に陥るらしい。

・対策
 人工降雨で気温を下げよう。それで万事解決する。
ヨウ化銀を空気中にばらまこう。あと念を押すためにドライアイスもついでに積んでおきますね。ヨウ化銀もドライアイスも雨を降らせるための核(氷晶核)としてはたらくのだが、ヨウ化銀は成長のしやすさにおいて、ドライアイスは雲自体の温度を下げることにおいて効果的とのこと。

〇余談 
 最初に爆死する人がいるのだが、ある小屋にて自らガスが充満してると言っているのに、火花が散るかもしれない電球をつけるものだろうか。自殺願望があったのかな・・・。 

 予算削減のためだろうが、主要人物の部屋の中から出ようとしない、出そうとしない感じがすさまじい。「外は暑いから危険だ、死ぬぞ。絶対室内から出ちゃダメだ。」

 あれ、DVDのジャケットにcase.2って書いてある。1って何だろう・・・。

〇最後に
 四季や季節の変化がある場合、夏であれば暑いと文句を言い、冬になれば寒いと文句を言い、面倒くさい生き物ですね、人間って。暑すぎる環境・寒すぎる環境で生存できるように、様々な技術を駆使して人間は地球を開拓していったわけです。それもあってか環境は乱れ始め、またまた文句の言われるような事態に陥っているわけで・・・。環境の変化は我々人類の性では無いかもしれないし、ただの自業自得かもしれない。自業自得であった場合には結局長年の活動が環境に左右されているのであって、そんな変化した環境に対して、たった一回の画期的な解決方法で異常気象を解決してしまうというのはいかがなものかと思ってみたりするわけです。ただのその場しのぎといったような演出がされている映画はよくある。この映画は違うが・・・。そんなもんなんですよ、実際。その時は事態を収拾したように思えても、また次の問題が発生する。そしてその発生する場所は別のところだったりする。誰かが利益を得ている分、不利益を被る人がいるといった状況が起きるわけです。
 別の考え方をしてみる。長年地球を破壊してきたとして、それを罪深き行為としましょう。それがたった一回の償い(環境を元に戻す)で許されるのです。壊したら元に戻せばいい、それで罪は消えると。年月、回数は関係ない。量より質だ。そんな思考回路が出来上がる。そりゃいくらでも罪を犯しますね、人間は。罪は許されることはあっても、消えはしないんですよ(時間の流れが一方通行である限り)。まぁ、タイムスリップやパラレルワールドの存在をもってしても罪は自分の中に残り続けるでしょう、気にするかしないかだけで・・・。
 生命活動が地球に害を及ぼさないといったことは不可能といっていい。しかし度合いがあるでしょ、と近年騒がれるようになった異常気象云々で、地球はおそらく我々に訴えかけている(適当)。なぜなら地球で生息している生命は人類だけではない。人類以外の生命がいることで生態系はうまい均衡具合を保っている。その中で一番に地球(関係性)を乱しているであろう存在は人類だ。それを我々はどのように受け止めるべきなのだろうか。・・・終わる。


2014年7月15日火曜日

エイリアン・トルネード(2012)

エイリアン・トルネード[DVD]


~天才アピール

〇想起する作品 
 「ブラックホール 地球吸引」 (2006)

〇こんな話 
 竜巻により家畜が全滅し牧場を失うことになった父娘。金銭面の問題があり、娘の大学資金を払ってやれないことがこの竜巻事件で露呈し、娘との関係が悪化。これがメインストリーム。 

 竜巻がまるで意思があるかのように追ってくる。なんだなんだ、(エネルギー体で存在している)エイリアンだ。はてさて・・・。

〇原因と対策 
 竜巻が出現すると通信が不能になる。携帯が繋がらなくなる。そんな中牧場娘は怪電波をキャッチする。 と時を同じくして Wowシグナルと一致するアルファケンタウリから発信されたとされる信号をキャッチする。竜巻を急速に発生発達させて、さらには抑える、引き上げることができる。 どうやって制御しているんだ。この信号だ。 解析してみると怪電波にはあるパターンがあり、それが指令内容だった・・・

 暗号化されている信号を解読する。解読した者曰く、いろんなパターンを比較分析しているうちにわかったと。つまり発信された信号と、竜巻の行動パターンを比較していたと。そこから傾向がわかったが故に暗号が解読できたと。これで竜巻が止められる。万事解決だ。解読した者は牧場で生まれ育った少女で、牧場で生活するなんてまっぴらと言っているような秀才である。
・・・おっと待てよ。彼女は暗号を解読しなくとも信号を竜巻に発信し、竜巻の方向を変えていた。暗号の解読など全く必要無く信号は操ることができる。つまりはこういうことだ。無理矢理彼女が難しく考え勝手に暗号を解読し「私ってすご~い」という自己満足を得ているだけ。おそらく天才アピールをしたかったんでしょう。より簡単な方法があるにも関わらず、わざわざ難しい方法を選択する。ミソとなるのは専門家的な者は自分以外いないことを良いことに、簡単な方法は教えないといったことだろう。難しい方法が唯一の道だと錯覚させる。うん、ありがち。
結果として彼女は大学へ行けることになり、牧場ともおさらば。費用も国が払ってくれると経済面の問題も解決。天才アピール、大・成・功~!!

 少し真面目に考えよう。暗号を解くことでアルファベットや使われている言語特有のパターンを理解するに至る。竜巻を止める信号が過去に発信されていない場合も考えられる。その際に暗号の解読が有効となり、信号の傾向から止めるという指令を自ら作り出すことができる。ここに暗号解読という大きな利点が存在する。そんなところか。まぁ竜巻を止める信号が過去に発信されていたら、暗号解読は必要無かったことになる!? のではないだろうか・・・。

〇余談
 結局エイリアンは何処へ?
 牛って有蹄動物と言うのかぁ。

〇最後に
 地球を侵略するに際して、竜巻という気象現象を操るという方法は理にかなっているのだろうか。エイリアンはエネルギー体であるために、操れる現象は他にもあったことだろう。操るにしても人類を絶滅させるのであれば、主要施設を襲うなど別の方法も選択できたはずだ。全世界にある原子力発電所を同時に破壊すれば、その後の侵略など容易に行えることだろう。人類と同じく放射能汚染には耐えられない種なのだろうか。襲ってるのは農村ということから、まずは食料の供給源を根絶させることから取り組もうとしていたのかもしれない。指令内容が単純だったこともあり、座標指定等の複雑な操作はできなかったのかもしれないが・・・。だとしたらまた暗号解読に疑問が湧くんだよなぁ。侵略するにしてもいろいろ杜撰だなぁ。そんなもんなのかなぁ。いや、竜巻は人を呑み込んでいた。呑み込まれた人たちは竜巻により死んだのではなく、エイリアンに連れ去られたのだとしたら。エイリアンは人類という種を、これからの侵略のために調査に来ていただけなのかもしれない。つまり、まだ侵略は終わっていない。というより始まってない。俺たちの戦いは、これからだ~!!

レッド・ドーン(2012)

レッド・ドーン[DVD]


~軍事力~

〇はじめに 
やろうと思えば一国を占領するなんて簡単さ。ただそんな無謀な事は誰もやろうとしないだけ。ってな皮肉かな。 後先考えようぜ。

〇こんな話
 ヨーロッパ諸国が財政危機に陥り、それに振り回されたアメリカを中心とする同盟国が、テロ活動に翻弄され各国に軍を配備する中、自国の警備が手薄になりその隙に北朝鮮がアメリカを占領。占領された地で若者たちがウルヴァリンズと名乗りゲリラ戦を繰り広げる。果たしてアメリカを取り戻すことができるのか・・・。 

〇国土占領 
自国の警備が手薄になるという説明は最初にされるのだが、「エンド・オブ・ホワイトハウス」という作品といい、領空における警備システムはどうなっているのか? 空を埋め尽くすほどの軍用機が領空を侵犯しているわけで、それまでの対処が杜撰すぎやしないか。「特攻野郎Aチーム」なんて領空侵犯した途端にミサイルぶち込んでたぞと。いや、サイバーテロも問題になっていたから、軍事・警備システムをやられていたとも取れるのか。仮にハッキングできているとしても、侵略の具合がアナログなんだよなぁ~。と不満を漏らしてみる。 
サージ電流が原因とか言ってたな。電子機器が全部使用不能になり、軍が全く機能しなくなってしまったのだとか。

〇ゲリラ戦 
北朝鮮に領土を占領される中、かろうじて逃げ切った若者たちは軍人の兄貴を中心にウルヴァリンズというゲリラ部隊を編成する。歴史的に見る今までの対戦国、死んでいった戦士たちへの敬意を表し、彼らに学ぶものがあると、自分たちを正義の味方ではなく、悪と定義している。しかし自分たちを悪と定義しながらも、家族を殺されることで復讐の動機付けが為される。やられたらやり返せという心理がはたらく。そんな中ゲリラ戦のための訓練と情報収集、及び仲間・物資の確保。 物資が無ければ持ってる奴らから奪えばいい。 黒幕の存在などなど、彼らの活動を見せられると、必然的に侵略者が悪だという風に持って行かれる。この辺が何かしらを守る戦いにおいての必要悪とかと関係してくるのかなぁ・・・。

ウルヴァリンズのリーダーだった兄貴が死亡する。兄貴(リーダー)にとって代わる弟。個人プレーに奔りがちだった男が国のため、仲間のために立ちあがる。ウルヴァリンズの活動と共に精神的成長を遂げる。この最後はこれからも戦いは続いていくという暗示と、時代の変遷があろうと受け継がれる意志というものがあることを描きたかったのだろう。アメリカという国への忠誠心や愛国心、アメリカのテロや敵国には決して屈しないという姿勢が見てとれる。 

若者が一端の兵士になっていくとともに、元軍人がその若者に負けまいと行動し翻弄されるところも見もの。軍人がとろうとする最善策・安全策ではなく、若さゆえの少しリスキーだが最適とも言える行動に困惑してしまう。

〇軍事力 
やろうと思えば、どこの国も対象とする国への侵略行為は可能だが、それをしないということを言いたいのか。各国との関係に重点を置きその均衡をやぶらない。強大なる力も操れなければ意味がない。力を持て余すとはこういうことだ、という全力の皮肉。軍事力を戦争ではなく戦争の抑止力に使え。そんな感じか。

〇最後に
国のために戦うということで侵略者を倒すことを正当化する。先ほども書いたが、ウルヴァリンズの位置づけを一応は悪として定義し、これがおそらくは今までにアメリカが侵略した国や者たちへの少なからずの敬意を示している。台詞でも言ってるし。そして戦おうと立ちあがるのが若者たちというのも、あからさまなアメリカ=正義というのを軽減しているようにも感じる。いやただ単にアメリカという国は愛国心がここまで浸透しているという演出をしたかっただけなのだろうか。軍人だけが愛国心と表して国のために戦うわけではない。アメリカという国はアメリカに住む者全員が全力で抵抗する。アメリカの総力や底力はこんなもんだと。
結局はアメリカ大正義となる。そんな映画。

グランド・クロス ジャッジメント・デイ(2012)

グランド・クロス ジャッジメント・デイ[DVD]


~ゲスの極み~

〇こんな話 
 12の災いが起こり、地球は滅亡する。マヤ歴の終わりが世界の終焉を暗示していると言う科学者。そしてそれを防ぐには選ばれし者が指輪を5つ集めて何かしらをするしかない。さあ指輪探しの始まりだ。 

〇災い 
 マヤ人は災いを「クリスマスの12日」という歌にして残したのだとか。 
歌詞と当てはまる現象の比較

・梨の木の中のヤマウズラ  = 熱波 
・二羽のキジバト         = 鳥の大量死 
・三羽のフランスのめんどり  = 赤い水 (1~3は台詞順)
・四羽の囀る小鳥         = 氷の槍(4番目と科学者が言っている)
・五つの金の指環        = 竜巻 兼 5つの指輪集め(世界を救う方法) 
・六羽の卵を生むがちょう       = アンダーザドーム(6番目と明言) 
・七羽の泳ぐ白鳥         = 寒波(この時点で7つ起きたと) 
・八人の乳搾りの娘      = 赤いガス 
・九人の踊る貴婦人       = ? 
・十人の飛び跳ねる領主    = ? 
・十一人の笛吹き          = ? 9~11番目の災いが描かれていない 
・十二人の鼓手           = 火山の噴火 

世界を終焉へと向かわせる12人の太鼓たたきが意味するのは、12の火山が噴火することと結び付けられていた。これが最大の災いとすると、地球にとって火山の噴火とは人間にとって太鼓を叩く程度のことと結び付けることができる。人間にとってバチを振り下ろす程度の労力(太鼓たたきに全力を注がれている方、すみません)。その程度で人間など滅びる。弱者を仕留めるのに本気を出す必要など無いといった余裕ぶり。上には上がいる。人類よお前らは決して頂点などではない。私(地球)の力加減でどうにでもなるんだよ、と諭しているかのよう。何と残酷な世界か・・・。人類の皆さんいろいろと自粛しましょう。

〇自己犠牲精神 
 ある者が自分が犠牲になることで世界が救われるのならば、自ら自分に火をつける。望んで犠牲になるとほざく。そりゃ口では何とでも言えますよね。実際は自分が犠牲になるわけでは無いんですから。所詮犠牲になるべきとしているのは他人なんですから。
 そんな奴の特徴として挙げられるのが、自己の利益の追求に勤しみ、他人の事など知ったことかと吐き捨てる。緊急時にはそれっぽいことを言い、同情している風に見せて内心シメシメ。最終局面では見事な裏切りを見せ、騙される方が悪いんだよと開き直るゲス具合。そんな人が世の中では勝ち組と呼ばれます(私の偏見です)。皆さんは勝ち組に属するがため、ゲスになる覚悟はおありですか。

〇最後に
 描かれない災いがあるのがやはり気になる。自然現象だけではないということを言いたかったのか。執拗に生贄にこだわる輩がいた。自己犠牲精神を勝手に説いていた男だ。そんな人々の混乱と自己中心的人間の暴走。これが災いだったのだろうか。
 そうするとマヤ人が残した文書や歌により、人々は混乱に陥ったということになる。自然現象に関する災いは言い当てられて然りとしよう。人々の混乱も予測していたのか。いや予測できていたのではなく、わざわざ人々による混乱を起こさせたということになる。そこまで予測されていたのなら災いの伝承を残さなければよかったのではないか。さすれば人々が勝手に巻き起こす災いは防げたはずだ。世界が滅びるよりかはマシか。仮に伝承を残すのであれば「クリスマスの9日間」で良かったのだ。わざわざ人々に災いを起こさせる必要など無い。世界の滅亡を食い止めさせるために、より簡単な方法を選択させるべきであった。「クリスマスの12日間」ありきで作られたことは明白だが、であればこそ12の災いの関連付けはしっかりしてほしかった。
 
 まとめますと、つながりや暗示がよくわからない映画です。

悪女 AKUJO(2017)

~アクションは爽快~ 〇はじめに  韓国ではこの方はイケメンの部類なの? 〇想起する作品  「ニキータ」  「アンダーワールド」(2003)  「KITE」(2014)  「ハードコア」(2016)  「レッド・スパロー」(2018)...