2016年9月30日金曜日

インシディアス(2010)

インシディアス


~胡散臭さ~


〇はじめに
 なんかもうコントの域だよな。よくこうも観せ方工夫できるよ。めちゃんこおもろいわこれ。




〇想起する作品
 「エコーズ」(1999)
 「ダークスカイズ」(2013)
 「残穢 住んではいけない部屋」(2015)

 「ユウタイノヴァ」押見修造


〇こんな話
 ザ・タッチどこ行ったんだろう?



〇胡散臭さ
 こいつらウケる。スペックスとタッカー。


 真面目なのかふざけてるのかの判断がつきにくい狭間な感じが堪らない。よくトイレだの水道だのシロアリがどうのとインチキ業者に騙される被害があるが、素人目では専門家のそれと、ただそれっぽいという判断がつかない場合がある。ここを突いてきている。



 こんな大層な機械を持ち出されていろいろ言われりゃ何かしらやばいんだろうなと不安を煽られること必至。





 これが何かフィルターらしくて紫外線の変化を測定できるそうな。



 水道水にDPD試薬混ぜてピンク色になって真面目な顔してやばいですよなんて言われたらね~・・・ これとおんなじなんですよ。


ここからがまたおもしろくて・・・

 こんな自作なハイテク機器を見せびらかしたにも関わらず肝心なところがアナログなのである。一番に心霊現象を決定づける工程がだ。ここに至るまでに科学という裏付けを持ってきている意味が無い。



 エリーズだけが見えているものをスケッチブックに描いていく作業。見えていない者が彼女の表現からそれを理解・判断・解釈し再現しようと試みているに過ぎない。エリーズ自身が見ているものと、言葉における表現と、スペックスが解釈したものと、描いているものとのギャップがあるわけである。つまり信憑性というものが皆無なのである。




 これもおそらく狙っているのだろう。エリーズがひたすらに何とか頑張って言葉を絞り出して様々な表現で伝えようとしているのに、ほぼ黒塗りwwwwwwwwwww わかんねえところはぐちゃぐちゃ~ 顔が赤いのわかればいいっしょ~



 これ子どもの絵ね。



 父親が子供のころに何やらあったようなのだが、ここで極め付けは写真があることである。写真にバッチリ写り込んでいるのである。


















 スケッチどこ行ってん・・・

 何で云十年前から後退してるねん。昔は写真でやってましたが、今はスケッチでやってます。はぁ~そうですか。とはならんよ。


 しかも最後写真撮ってるし・・・




 婆さんは写って、悪魔は写らないんかな。婆さんは写りたがりで、悪魔はシャイなのかな。



 もうこっからはさすがとしか言いようがない域に達する。



 シュコ~、シュコ~


 これ何なんだよ・・・


 エリーズの声はダース・ベイダーの呼吸音にしか聴こえない。



 あ~これがダース・モールなのか・・・

 その声をスペックスが唱え文字に書き起こす。何か昔「奇跡の詩人」なんてのが一世を風靡したな。

 この工程って必要なのか? 録音すれば良くね??

 それこそ聴く者と書く者が別工程でもおもしろいと思うがな。でもそれはよくあるか。




 これも何なんだよ・・・





 終始どうでもいいところをひたすらに細かく分析して肝心なところがお粗末なのが本当に堪らない。根拠を出すがその根拠とするところがわからない。内輪で納得して外の連中は理解できなくてもいいんだよというスタンス。専門家が言ってるんだから正しいんだ、素人は黙ってろ。科学が対応できない事象はやはりどうしてもアナログになってしまう、人間が補わなければならないが故の胡散臭さ。これがあってこそ心霊現象。作品としての説得力は凄まじい。





〇最後に
 ほんとにおもろかった。大いに笑った。劇場で観てたら涙出てたと思うけど笑う方じゃなく・・・

 ではでは・・・

2016年9月29日木曜日

彼岸島(2009)

彼岸島


~元がネタ漫画~


〇はじめに
 無難にまとめちゃったな。もっと吹っ切れて(ぶっ飛んで)くれて構わんのだがな・・・


〇想起する作品
 「Zアイランド」(2014)
  ・・・こちらは題材がゾンビだが離島という同じ系統で魅せる(楽しませる)ことに特化した作品なので比較対象として挙げておく。





〇こんな
 彼岸島へGO!


〇ネタ漫画
 彼岸島へ向かうまでの件。弟という立場から見る兄貴の存在ってなところはうまかったとは思う。慕っている反面のコンプレックス。しかし兄からの弟という逆のところをあまり感じない。弟の想いとは裏腹にどこか能天気に弟を想う様を入れたらもっと良くなると思うのだが・・・

 まぁうろ覚えではあるが大体原作通りだろう。この辺りの原作の準え方は評価したいところだが、彼岸島は別段ストーリーラインはウリにはしていない。最近よくネットでネタ漫画として取り上げられているのを見る限りは、作者ももう開き直っていると言っても良いだろう。だからこそ単にストーリーを準えて例えうまくまとめたとしても何とも平凡な作品に見えてしまう。どこかで開き直らないと、吹っ切れないと。


 ひとつに明の能力の描き方だろう。彼の潜在能力は妄想力というところにある。思春期特有の無駄な想像力。単純に性欲と言っても構わないか。それが戦闘に活かされていくカタチが確かあった・・・はず・・・ いやそれよりなによりエロ要素に活かされるんだよ。

 何が言いたいかって~と、水川あさみは好きだし瀧本美織もかわいいから言いにくいのだが、ユキかレイが脱がなきゃいけないんだよこの作品は・・・ レイとラブホに行く場面はあるし、レイと雅のベッドシーンはあるにはあるが、挿れればええってもんちゃうねん。




腕ほっそ 



 明は女を知らない。故に妄想力をそちらの方面に使う。身近に存在するおなごが好きだが、そのおなごは別の男が好き。そんなところに色香のある女性というものなのだよ・・・ そしてラブホという件で女というモノを見せれば一発やらなくても一発なんだよ。キャラが立つんだよそれぞれ。対立させられるんだよ。友情や恋愛の中に信頼や裏切りや嫉妬に妬みに・・・




これに色香を感じるかよね・・・ 



 吸血鬼に人間の血を調達・提供しているというところで、人間を釣るのにお金ではなく体で見せたってよかった。雅に血を吸わせるためのベッドシーンを挿れるがためにやらなかったのかはわからないが、レイの女(強さ)というところをもっと体を張って見せてくれないとそれぞれのドラマが活きてこなくなる。

 では瀧本美織がやるべきだったのかどうなのか。まぁ、無理だろう。


 でもこの辺りでエロ、いや女性の「恥」という部分、正確には「恥」を感じている様(う~ん下品さっていうのかな?)を見せていかないと、吸血鬼という怖さを引き立たせる下衆さというか汚さというか、その辺りも見えてこないのよね。何より雅、ベッドの上で優しすぎるだろ。逆に淡白で水川あさみも飽きちゃってる感じ? 変に熱い男の友情だけを描いてもらってもさ。いやストレートで良いんだけどそれじゃ特に違いは見せられないわけで。これは「彼岸島」なんだよ。

 吸血の際の快楽と梨汁ぷしゃあああああああが見たいのよ!!




〇最後に

 かわいい






















 ではでは・・・


2016年9月28日水曜日

青空エール(2016)



~世代間ギャップ~


〇はじめに
 夢見ていることがある人、今何かに夢中になっていることがある人。そんな人たちがこの作品を観て「よし、頑張るぞ」と思えればいいんじゃないかな。その時代を過ぎてしまった人が、何かをあきらめた、どこか世界に妥協している人がこの作品に振り向くかどうかは難しいところ。

 土屋太鳳にこういう役は向いとらんと思うのだがな~・・・  このわざとらしさを突く場面はあるのだけれども、これが図星であってはダメなのよね・・・

〇想起する作品
 「タッチ」

 「ボーイ・ソプラノ ただひとつの歌声」(2014)
 「心が叫びたがってるんだ」(2015)
 「桜ノ雨」(2015)
 
世代間ギャップがうまいのが以下2作品

 「ダイヤのA」
 「ハイキュー!!」




〇こんな話
 吹奏楽部の女の子と野球部の男の子のお話。


〇世代間ギャップ
 先輩後輩という世代間による懸ける想いのギャップを描こうとしている分ダイジェストで済ますところとフォーカスを当てるところとのバランスが非常に悪いと感じる。結局常に2人が主人公という冷めた目でしか観られない。明確には結果の描かれ方ってなところだが、主人公2人とモブキャラの境界線はもっと曖昧にしないとこの描き方はいただけない。

 誰もが主人公であるってな考え方は割と好きだ。しかし常に主人公かどうなのかってなところは分かれるところで。時に引き立て役に、モブキャラに徹しなければならないときがあったりなかったり。

 これの補完として1年次と3年次が対比して描かれるわけであるが、2年次を素っ飛ばしておりここの補完が一切無い。いや一応はあるがOG訪問だけでは弱い。志田未来はかわいい。初々しい先輩の後ろ盾ありきの1年生というプレッシャーと、頼りがいのあるベテランの貫禄すら見え始める3年生ならではの苦悩というところを比較させたいのはわかる。しかしここで描かれるべきは(というより個人的に描いて欲しいのは)、あの1年生がどうして1年生の頃に憧れた3年生になれたのかという成長譚の部分なのである。

ざっくりと・・・

主人公目線で・・・

 ・1年が視点 1年 → 3年 憧れ

 ・3年が視点 3年 → 1年 苦悩 / 元3年(先輩) → 3年 フォロー

 ・3年が視点 1年 → 3年 憧れ
  →この部分をもう少し頑張って描いて欲しい


 この描かれ方でやっと補完されるのである。先輩後輩という関係性が。誰もが辿ってきたであろう道が。平祐奈も可愛いし頑張ってるんだけどね、弱いんだよね・・・ 憧れってところを恋愛要素とダブらせてるのも少々気にかかる。ここの複雑な感情を鮮明に描けるとグンと良くなるんだけどな~。

 土屋太鳳の方で後輩メンバー入りの件があるにはあるのだが、そのあとその子メンバー落ちしてるんだよな~確か。この辺りが雑というか、責めてフォローを入れないと。先輩と後輩どちらのアプローチでも構わない。先輩にお礼を言いに来た件があったのだから、先輩に逆に激励に言ったって良い。潔さと言えば聞こえは良いが、綺麗事ととられることを気にしたのか、それとも一切考えなかったのか。私はこの辺のフォローが為されないと意図がくみ取れないほどの馬鹿であるので困る。あの1年だった3年が憧れられているという実感が欲しいのよ(切実)。


 2年次の苦悩が描かれないだけに3年次の悩みを観せられたところで今さらそれ言ってるのかよとしか思えない節がある。違いを見せたいのはわかる。移り変わりを見せたいのはわかる。しかしこれはただの間違い探しであってはいけない。一連の工程を、1年~3年という段階を踏まえた上で初めてギャップを見せなければ。私たちも最初は1年だったんだよねというものを感じさせないと。


 映画という尺でどうやってまとめるのかといった意気込みは買える作りだとは思う。しかし何とも勿体無い作品だった。


  


〇最後に
 「小野ならヤレると思った」
 「私はスタンド・・・、大輔君は立ってる」

 ・・・この辺の台詞を下心(下ネタ)として捉えてしまう人には厳しいよ。

 まぁしかし青春ものとしては実に清々しい作品ではあった。


 ではでは・・・


2016年9月27日火曜日

インデペンデンス・デイ2016(2016)

インデペンデンス・デイ2016


~侵略してくれるかな?~


はじめに
 あ~これ「インデペンデンス・デイ」だわ。






〇想起する作品
 「エイリアン2」(1986)
 「インデペンデンス・デイ」(1996)
 「宇宙戦争」(2005)
 「地球が制止する日」(2008)
 「ノウイング」(2009)
 「宇宙人王さんとの遭遇」(2011)
 
 「V」

 「幼年期の終わり」


〇こんな話
 エイリアンがコミュ障だった場合の思考実験。



〇侵略する気ある?

 侵略の方法が人間側の対策ありきで考えられたものばかりなのよね・・・


 彼らの工程をまとめると

いきなりお舟登場 → 無言 → 偵察機出動 → 偵察機撃墜 → アメリカおこ 核だ! → 主要施設及び都市破壊 → 和平交渉に来た

 は?

 インパクトが薄いんだよ。この流れは「インデペンデンス・デイ」でやってるし判断の速さは好感が持てるわけだが。

 まず地球まで来られたってことで技術力云々の説得力はあるわけさ。人類は未だに有人では月が最高記録。それがオリオンから来たなんて言われたらそりゃさぞかしってな思考に陥るはずである。が・・・

 あとさ~、実はオリオンから来てないってなことになるのだが、ここでエイリアンが嘘をつく必要無いのよね・・・ 人類をナメてる要素と疑心暗鬼要素なんだろうけどさ・・・

 で、そんな技術を有する連中がわざわざこんなところまで何しに来たんだよってところが「インデペンデンス・デイ」ではネタになったりしてるのだが、この作品はすげえよ。人間が考える暇なくエイリアンが示してくれるんだから。わざわざ和平交渉に来ましたってさ。それで人間側がまたすごいのよ。安全を保障したいからお前らの技術力見せろよと・・・

 あのね、ここで何がすごいかってエイリアンたちはわざわざ地球という惑星とそこに住む人類という種をどうやら1人1人個人情報に至るまで調査していたようなのさ。最初のUFOの墜落が2003年。少なくとも13年は人類を見張っていたわけだよ。新大統領就任もすぐに嗅ぎつけたくらいの情報収集及び調査能力。何より対応力だよ。まずこれに頭が回るべき。

 次にね。わざわざ地球の言語を話しているわけさ。最初は暗号だか信号を解読としていたはずなんだが、女王自身が大統領と向き合って地球の言語を操っていた。これって相当よね。

 少々話が逸れるが、「100,000年後の安全」という作品がある。放射性廃棄物を処分するためのオンカロという施設が紹介されるのだが、今までに出現した言語でここは危険な場所であるということを記しているらしいのだ。今までに同じ言語(正確には文字?)は出現したことがないということを考慮しているらしい。何かしら危険だということを察してもらうために。

 そんな移り変わりのある言語というものを彼らはたった13年でコミュニケーションがとれるまでに発展を遂げたのである。やべえだろ。絶対勝てんわ。

 となるはずが、医療技術を見せつけられてやっとこさこれすげえなとなるわけさ・・・ う~む・・・


 しかしエイリアンらは地球人が鈍感だということを13年以上の調査で結論付けていたようだ。そのための主要都市施設の破壊というオーバーキルだったのである。さすがである。


 でもね、所々エイリアンもバカなんだよ。

 まず実力差を見せたいのならば、先制攻撃よりも攻撃を全て受けきった方が有効ではないのか。主要施設及び都市の把握は完璧だったわけだろ? ならその攻撃手段に対する防衛手段ってのは対策できたはずなんだよ。それほどの技術を有していると観せたのだから。

 仮にそれができないのならば、偵察機をも攻撃の意志と見る小心具合を観せるのならば、戦艦を視認される前に主要施設を破壊しておくべきであるわけさ。それか事前に何かしらの信号(メッセージ)を送っておく。警告でもそれこそ和平交渉の内容でもいい。それで相手にされなかったからと実力行使で人類の攻撃手段を排除すればいい。それから姿を現せ。まぁ逆でも良いが。彼らの慎重さが伺えるではないか。

 輸送船のセンサーの位置はどうよ。乗船してから検査を開始する。侵入を簡単に許す警備システム。杜撰も杜撰よ。エイリアンの思考と動機と目的と、ひたすらに矛盾するでしょうよ・・・


 何が言いたいかって~と、和平交渉が本当の目的であるにしろ無いにしろ、肝心なのは人間を信用させることで。彼らから考えたら油断させることで。こちらが真に一番に優先されるべき事なのである。しかしエイリアンらはわざわざ人間を疑心暗鬼させるように動いている。

 へ?


 真の目的としては地球の植民地化と人間の体内からのエネルギー摂取があったわけだが。これは彼らにとっての種の存続を掲げた一大プロジェクトではなかったのか? 自然淘汰だとかなんとかほざいていたわけだが、徹底的にできないならやめろ。遊びじゃねえんだよ。地球人との交戦によるダメージと、お前らが地球人を排除するための地球への攻撃と、後々の効率を考えろ。そこら辺の勘定はやってくれ。

 それでだ。言語を習得したのにも関わらず、握手の存在を知らない。それで和平交渉? 外交馬鹿にすんじゃねえよ。人間の指揮系統(政治外交)を見て学んだんだろ? 優先的にトップの連中を指定して連絡取ってただろ? 13年以上何を見て判断した結果のアプローチなんだよ・・・  


 あと挙げるのならね、

 人間仕様に作られた再生装置よ・・・ これも特に意味が無かったという・・・



 地球を侵略しに来るような輩は地球と同等条件を飲める者たちで、大きくは重力が影響し人間と同等の体長(体格)の者たちだってな話がSF的にあるにはあるのだが・・・

 エイリアンたちの姿(体格)はというと・・・



 どうなんでしょうねこういうの。



 これに入るか? 女王であることを考慮してもだ。あの体格が入り切るか?



 2種類いるとかも言ってたけど。



 これを仮に侵略のためのエイリアンらの用意周到さと見せたかったとする。人類を信用させるための。ならば人間の反応をもっと考慮すべき作戦があっただろう。コミュニケーション方法がいくらでもあっただろ。またエンドレスになるからこの辺りで止めておく。




〇最後に
 変に話を捻ろうとしすぎ。だから支離滅裂になる。そっちに開き直っちゃダメだ・・・ 久しぶりにこの手の作品でイライラしたな。

 ではでは・・・


2016年9月26日月曜日

マインド・エスケープ(2014)

マインド・エスケープ


~意思疎通


〇はじめに
 最初の寺院までの道のりで虎を映し出してるのよね。これは単にその国を言い表したかったのか、他に意味合いがあるのか? 虎関連の諺か言い伝えか・・・



〇想起する作品
 「ザ・セル」(2000)
 「クロニクル」(2012)
 「トランセンデンス」(2014)
 「チャッピー」(2015)

 「FRINGE」



〇こんな話
 情報共有の英知を展望する。



〇意思疎通
 言葉でのやり取り(会話)と、頭を繋いだやり取り(テレパシー)の狭間に、言葉を介さないやり取りの数々が見て取れる。

 実験の事も家の事も妻には何も告げていないデビットにはじまる夫婦間のギクシャク。そこに至るまでの背景を見せられればただ妻が夫を睨み付けるだけでその意思は汲み取れる。



 家族のために嫌な思いまでして働いてるのに帰ったら夫が酒飲んでてパーティしてるとか言われたらね・・・


 父に甘えたい娘も口ではわかったとは言うものの100%了承したわけではない。




 雰囲気や空気感というものである。映画館でのひとときもこれだ。





 ライアンの祖母の介護。祖母は孫に何も言わずに夕食を切り分ける。もう食べたというライアンだが、祖母の目を見ると何かを感じ取り御相伴する。




 時に親しい間柄、特に血縁者なんかは死ぬときには虫の知らせ(風の便り)があるという話があるが、そんな関係を観せられたにも関わらず彼らにはそれが一切無い。死に目に会えなかったわけだ。


 言葉を介さなくても繋がる様、繋がらない様が映し出されている。




 思考は現実世界よりも現実的。

 言葉を介するやり取り、介さないやり取り、そしてテレパスを比較することでこれを観せている。

 デビットの妻が職場でオーダーミスをしている。それ相応のお互い理解できるだろう形式的な言葉のやり取りにおいても意思の疎通が図れていない場合があることを示す。

 反面、夫婦間でその場を取り繕うためだけのデビットの言葉が虚しく響くが、妻も理解というよりあきらめているようで、多くを語らずとも現状を把握する(察する)。

 警察の介入や契約交渉の場面も比較対象なのだろう。そして言葉でのやり取りの限界に殴り合いも見せた。親友であろう2人のだ。


 思考がそのまま伝わるという事象。テレパスにおけるやり取りはその事実の客観性が皆無であるとしている。言葉を介するやり取り介さないやり取りにおいては飽くまでも解釈がその発信者と受信者それぞれに委ねられる。それぞれの解釈に幅がある状態を共有しているとでも言おうか。それ故に妥協点を見つける、折り合いをつけるといったことで解消しているわけである。それがテレパスにおいては無くなるそうな。どんなことが可能となりどんな危険性が潜んでいるのか。



 洗脳により自由を奪われたとするのか、真に自由が誕生したとするのか。デビットとライアンは口論になる。

 これをメタ認知と思考と行動の切離というところで問題提起しているわけだが・・・


 洗脳による思考の制限からの行動の制限。逆に1つに殺人という行動の幅を見せた、行動に制限が生まれなくなることからの思考からのの解放。


実際に起きようとしていることをまとめると・・・

 思考 → 行動

という経路が

 (洗脳) → 行動

になるということで。

互いの主張をまとめると

 まずデビット側・・・

  思考(自由意志) → 行動(自由)

 というのが、

  洗脳(思考制限) → 行動(制限)

 になるという。


 しかし自分の行動を客観視すること(思考)で行動に制限が生まれ究極何もできなくなるという事象がある。これを洗脳というプロセス(思考)を認知できないとしたらどうかといのが今作の問いで。

 ライアン側の主張では・・・

  思考(制限) → 行動(制限)

 とそもそも思考による制限があったとしてそれならば、

  洗脳(思考制限解除) → 行動(自由)

 とすればいいじゃないかという、まぁ互いに一面的な理解と利点があるということで。


 ではそもそもの洗脳という意思決定には問題が無いのかと。統括されるべき意思決定は誰が行うのか。誰が操作するのかというところが問題となってきて。これが最後1つの答えを出して終わる。

 






〇最後に
 この作品を観たところで私のようなカバには到底考えが及ばないし追いつかない。もっとわかりやすく作ってくれ・・・


 ではでは・・・



悪女 AKUJO(2017)

~アクションは爽快~ 〇はじめに  韓国ではこの方はイケメンの部類なの? 〇想起する作品  「ニキータ」  「アンダーワールド」(2003)  「KITE」(2014)  「ハードコア」(2016)  「レッド・スパロー」(2018)...