2017年12月30日土曜日

MAMA(2013)

MAMA


~親子とは?家族とは?~


〇はじめに
 「IT/イット “それ”が見えたら、終わり。」(2017)の前に観るつもりだったんだけど・・・



〇想起する作品
 「リング」
 「ウーマン・イン・ブラック」

 「グッドナイト・マミー」(2014)
 「箪笥」(2003)
 「ゲスト」(2009)
 「ソムニア 悪夢の少年」(2016)
 「gifted ギフテッド」(2017)



〇こんな話
 MAMAといっしょ・・・






〇家族
 最初の事故の状況から「-less[レス]」(2003)や「ビジター」(2012)といった作品の類かと思ったのだが・・・



 オープニングのこれはどう捉えるべきなのだろうね?

 妹は狼だか野犬に襲われて死んだ?



 でも次の画がこれなんだよね。

 MAMAに助けてもらい一命を取りともたともとれる。




 こんな血を吐いているのか、単に鼠を貪り食っているのか判断がつかないような画もある。



 ただこの画の後から二足歩行だった姉も妹同様四足歩行へとシフトしていることから、姉と妹との違いを示していたのかもしれない。



 物心ついていたであろう年齢の姉とそうではない妹。妹は当初からMAMAとの生活に適応するが、姉は生活感の違いに戸惑う。しかし生きるためにはそうするしかないのだと止む無く適応を迫られた結果…だとして見る。

 姉は人間界において物心がついていた故、自然界での生活の適応に時間が掛かり、逆に妹は自然界において物心がついたが故に人間界に降りてきてからの適応に時間がかかっている。彼女らにとっての生き易さ…要はどちらに帰属意識があるのかってな話。姉妹にとっての選択権ともとれる。

 MAMAという存在によって浮き彫りになる姉妹からの選択権の裏で、親からの選択権である親権争いが描かれることで、親にとっての子どもと、子どもにとっての親と、誰が誰にとって誰のためにどうあるべきなのかという問いかけがあるわけだよね。

 姉ヴィクトリアにとっては…

 妹リリーにとっては…

 アナベルにとっては…

 MAMAにとっては…

 おじにとっては…
 
 おばにとっては…


 妹リリーがMAMAに連れていかれてしまうラストはどうも後味が悪いのだが、一応妹が死んでいるかもしれないという暗示がされているし、MAMAという存在を全否定しまうと親子と家族の在り方といったテーマが薄れてしまうのよね。単純な1対1のベクトルで成立する関係ではなく、それぞれがそれぞれにどの程度云々という関係の成り立ちであって。

 こうあるべきだ!という答えの提示ではなく、疑問の投げかけがメインだからね・・・



 1つメガネというアイテムが印象的だったね。




〇最後に
 「IT/イット “それ”が見えたら、終わり。」(2017)がホラー映画としてどうも微妙に感じたんだけど、家族(絆?)というドラマを描かせるとピカイチだね。ホラーパートに何か一味加われば化けるね。


 ではでは・・・



2017年12月28日木曜日

水に棲む花 ROMANCE OF DARKNESS(2005)

水に棲む花 ROMANCE OF DARKNESS


~北川景子かわいい~


〇はじめに
 ほっぺがぷっくらしてる感じが堪らないんだよね。





〇想起する作品
 「黒愛」



〇こんな話
 水の中でしか生きられないの。






〇ただひたすらに北川景子を観ていたい
 水の中でしか生きられないというところを開き直ってほしかったかな。それ相応の衣装を考えてほしかったけど、それができないのなら常に競泳水着を着用しているとか、いっその事全裸であっても構わない。何を恥ずかしがることがあるのか・・・ぐへへ 





 アザの位置は背中側だけでなく前面にも出てくるなんてしくれるとありがたかった。





〇最後に
 北川景子かわええええええええええええええええええええええええええ



 くっそ~、私にもメンタリズムがあれば(# ゚Д゚)


 ではでは・・・



2017年12月26日火曜日

鋼の錬金術師(2017)


~くっそつまらん~


〇はじめに
 漫画は漫画、アニメはアニメ、実写映画は実写映画だよ。とりあえず原作準拠を脱却するところから始めなきゃダメ。ストーリーにしろキャラにしろ、なぞらえようとしすぎていて観るに堪えない。全て1から組みなおすくらいの気概は見せてほしい。

 原作愛がどうだのって話が持ち上がってるけどそんなんっどうだっていい。演者さんたちはキャラを演じるのではなく、あなたたちがキャラなんだよ。エドを演じるのではなく、あなたがエドなんだよ。そういった姿勢を持たなきゃ持たせなきゃダメだよ。




〇こんな話
 とりあえず長ったらしく感じる。



〇えっどね~
 謎の上から目線でマウントとる気満々だけど、CGをウリにするほどのレベルになったことは評価したい。ただその技術の使い方使いどころをまだまだ持て余している感が否めない。もっと自信をもって観せ方にこだわった方が良いと思う。ちょっとずつ慣れて行こうよ。


 例えばオープニングにおいて石丸謙二郎が賢者の石を使い街を大々的に捻じ曲げるシーンがあるが、ここはあんなにダイナミックに観せる必要など無い。倒せないが故に山田涼介から逃げているわけだから足止めをさせようとする戦術が何より有効。岩の壁で道を塞ぐ、岩の牢で閉じ込める、足を地面にめり込ませる・・・等々細かいやり方はあったはずだ。賢者の石の力(パワフルさ)を魅せようとする試みだろうが、錬金術や錬金術師の効率の悪さ頭の回転の悪さの方が際立ってしまっている。

 そもそもこの時点では錬金術というものが何たるものかが形成されていない以上、無闇やたらとひけらかす必要が無い。魅せたいとする意志とは裏腹に、錬金術をマイナスに観せてやるのは何とも勿体無くある。

 そんな錬金術による街の破壊を観せてから、アルが街の住人に錬金術の講釈を垂れるが、こここそ錬金術がどんなものであるのかというのを説明するチャンスだった。というより観せるチャンスだった。

 錬金術は魔法ではなく科学であるのだと理論理屈を並べ立てているが、そんなことよりも実践して観せた方が理解は早い。百聞は一見に如かずと言うでしょう。

 壊れた屋台を大理石で立派なヤツにしてくれと言われてただ断るだけだが、大理石にはできないけれど…と壊れる前の状態に戻してやればいいじゃないか。そもそもお前らが勝手に壊しまわってたんだろうが・・・ 彼らの被った迷惑へ報いる気持ちを働かせろよ。ケチくせえんだよ。

 何ができて何ができないのか。ポンポンポンと錬成してしまえばいいじゃない。作り変えたり直したりはできる。でも無から有、性質?質量?云々は変えることはできない。


 破壊しつくした街を地道に錬金術によって修理していくシーンを盛り込んでいったっていいだろうし、それに伴い足りない部分を補う材料を観せたり、いざ錬成してみたら部品が足りないなんなり観せられただろうに・・・

 錬金術によって何ができて何ができないのかというところを、単にできないという否定ではなく、できること肯定することで線引きをさせていかないと。自慢のCGとやらも持ち腐れですよ。


 錬成陣無しで…!?とこれまた石丸さんが驚きを見せているがあなたも今錬成陣無しで錬成してるのよ?? 錬金術が何たるかを観せる前に錬成陣って何よ…?といった疑問符をつきまとわせているにも拘わらずその錬成陣とやらの解説も特に無いのがまた気になる。


 街を錬成陣に見立てるという話の繋ぎのためにも錬成陣というものをもっともっと印象付けないとダメ。エドは真理の扉を開いたことで神への祈りで術をショートカットして使用可能になっているが、その他の錬金術師はどうやって術を使用するのかというところを描いていかないと。

 普段は錬成陣を描かなければいけないわけでしょ。何か描くものを用いて場所なり物なりに。そういった手間の部分を描かないといけないんだよ。書いてある状態ではなく、書いていく工程を観せないとアカン。その描く工程が「私は〇〇を理解した上で〇〇を△△するのに最適な錬成陣を描いて錬金術を使用します」という“理解の部分になるんだろ? これもアルの説明のところで描いときゃ良かったんだよ。地面にチョークかなんかで描き描きしてさ~
 
 それの解消として事前に錬成陣を描いておくってな大佐の手袋の件があるわけでしょ。右手と左手の件は描いておくべきだったと思うけどね。


 あとエドの術使用において錬成陣が浮かびあがるみたいな演出って原作ではなかったんだっけ? 単に円を意識したモノだけだったっけか? あんまりよく覚えてないんだけど・・・

 一般的な術者と扉を開いた者とでの相違を認識させることで、錬成陣を印象付けても構わないと思うけどね。彼が何をショートカットしているのか?何故ショートカットできるのか?ってな話にも還ることができるのにね。


 エドが千切れた服の袖を無から作り出してしまうシーンがあるが、こういったところで何も考えてないんだろうなと観せてしまってるんだよ・・・ しかも序盤にこれやってるから目も当てられない・・・


 あ~そうそうそのアルの場面だけど、鋼の錬金術師に間違われるってな件は、山田涼介もいないとダメだったんだよ?




 ヒューズ中佐の死を改変したのは謎だし、二階級特進と葬儀における大佐の雨の件はあってもよかったな。

 あとさ、夏菜の泣きボクロはさ、誰かしら指摘してやれよ。「泣きボクロあるんすね~」ってくらいさ。誰も右だ左だのと意識向いてなかったんじゃないかな?

 大泉洋が一番優秀だったじゃん… キメラ作る必要が無かったっていうね。ほんといろいろと破綻してる気がするよ。 

 ただ小日向文世の山田涼介の左手の敬礼を見ての右手で握手を求めてからの左手握手への切り替えを観せたことでのあ~こいつ油断ならない奴だわという観せ方はうまかったね。こういう細かいところを積み重ねていってほしいのよね。



 なんかとりあえず仲間とはぐれてはくっついての繰り返しで、何かあれば仲間が必ず歩み寄ってくる駆け寄ってくるって構図がほんとにワンパターン化してて、とりあえず今は誰々の番だから誰々の見せ場だからっていう待ちの姿勢が見て取れてしまって何か気恥ずかしくなってしまったのは内緒。学芸会というか学生の頃の演劇思い出しちゃったよ。あれ?今誰の番だっけ?次は誰の台詞だっけ?ってな微妙な間ね・・・




〇余談

 蓮佛美沙子って結構おっきいんだね。つい凝視しちゃった。

 仮に続編が作られるのなら、彼女を目当てに観に行くのもありだなと想ったよ。





〇最後に
 「進撃の巨人」の失敗を何も活かせていないのには目をつむり、この失敗をいつかあるだろう次に是非とも繋げてほしい。頑張れぇ~・・・



 ではでは・・・



都市伝説:長身の怪人(2015)

都市伝説:長身の怪人


~隙間を縫う~


〇はじめに
 ニコ生で夏になるとホラー特集あるじゃないですか。あの感じです。流れるコメント見ながら、自らもコメントしながら観ると楽しめるんじゃないかな。あんま見ないか・・・





〇想起する作品
 「リング」

 「スピーク」(2010)
 「グレイヴ・エンカウンターズ」(2011)
 「ドリームホーム 99%を操る男たち」(2014)
 「ハングマン」(2015)



〇こんな話
 あなたの親愛なる隣人、スレンダーマン!!


 


〇隙間
 肉眼では捉えられずカメラを通す事で見ることができるスレンダーマン。カメラを手放せない動機付けは良いし、劇中の人物たちは肉眼とカメラの使い分け、我々鑑賞者は常にカメラを通しているという前提により、不気味さをうまく演出できていたと思う。



 我々はカメラによって捉えられた彼らを観察しているわけだが、時折その中にまた彼らを映し出すカメラの映像が挿まれる場面がある。その映像はというと本来の彼らよりも少し遅れて映し出されている。

 スレンダーマンの出現と、カメラを通してスレンダーマンを認識する彼らとの間に時間的な誤差(気付いた時には時すでに遅し…といったような要素)が存在することを示しているわけであるが、この構図はというと単に彼らとスレンダーマンとの間だけに作用しているわけではないのがおもしろいところ・・・多分。

 我々が観ている映像もまたカメラを通したものであり、つまり我々が観ている彼らよりも実際の彼らは早く動き出しているということである。我々が捉えている彼らの動きは本来の彼らよりも少し遅れているということである。

 【スレンダーマン ⇦ 登場人物 】⇦ 鑑賞者

 【スレンダーマン】⇦ 登場人物(鑑賞者)

 彼らを映し出すカメラと、彼らがスレンダーマンを映し出すカメラの使い分けにより、時間的な誤差を明確にしその隙間に確実にスレンダーマンが存在するという危機感を煽る傍ら、

 【スレンダーマン ⇦ 登場人物 】⇦ 鑑賞者 ⇦ カメラの中の映像

 といった演出を用いることで、我々鑑賞者と劇中との時間的な境界をも曖昧にすることで、スレンダーマンが入り込む余地を作り出している。この不気味さが絶妙。


 ただおもしろいかって聞かれたら別段おもしろくはないんだよね・・・







〇余談

 どこかで観たことあるな~と思ってたけど・・・



 「CHUCK」のビッグ・マイクさんか。バイモア行かなきゃ。
 




〇最後に
 意外や意外スレンダーマンって映画のネタになってなかったんだね。これが初? そうでもないのかな?? まぁいいや。


 ではでは・・・

2017年12月24日日曜日

バーフバリ 伝説誕生(2015)

バーフバリ 伝説誕生


~ノリが好き~


〇はじめに
 御神体に水を注ぐ儀式ってのは、御神体に水が注がれることが重要なのではなく、ひたすらに水場から水を汲んでくることを繰り返すことでの祈り(強い思いや願い)の意思表示が大切なわけでしょ・・・

 これはアリなの??



 う~ん、これはありww!!!


 このテンションがマジ堪んねえwww 

 悪く言えば屁理屈なんだけど、思ってもやらないだろうしできない、いやそもそも思いつかないという型破り常識破りなユニークな発想が、彼の真っ直ぐさ故の力技の頓智が馬鹿馬鹿しくも面白い。最初の引きが抜群だったね。






 ただそれが活かされないまま終わるんだよね・・・ 

 後編でのお楽しみ…ということなのかな。





〇想起する作品
 「一休さん」
 「ターザン」
 「ライオンキング」

 「キングアーサー」(2017)





〇こんな話
 バーフバリ!バーフバリ!バーフバリ!バーフバリ!バーフバリ!


〇う~ん、これはおもしろいww
 映画という媒体におけるミュージカルというジャンルが基本苦手なんだけど・・・

 私の独断と偏見による価値観なんだけど、ミュージカルって基本歌が主体というより複雑な時代背景等ありきってものが多いんだよね。それを受けて理不尽な環境や待遇に苛まれる中で複雑な心境に陥りそれを歌によって表現することで補完するといった。それ故にその歌という表現だけを見れば「何でそこで歌うの?」ってな疑問符が付きまとったりする。それに終始どこか暗いイメージが先行する。そういう暗さ故の歌という表現方法というのもあるのだろうが。



 しかしこの作品は何とも明るいのよね。というより歌に繋がる感情が単純というか。例えば主人公のシヴドゥなんか…あの女性綺麗やな!惚れてまうわぁ~、う~ん…好きww!!って始まるのよ。まぁボリウッド全般こういう感じだったりするけど・・・

 また終始そういうわけではなく前半と後半で色調が変わるんだけど、前半部分においてこういった単純思考(感情)から始まるミュージカルを浸透させておいて、歌を主体としてこういった時代(世界)やねんって世界観をカタチ作ろうとしているから何とも見やすいというか入りやすさがあるのよね。

 前半部分においてそういった基礎から築いているものがあるからこそ後半部分におけるご先祖からの因縁や因果ってところが効いてきたりする。

 一目惚れし勝手に恋焦がれてしまう女性の赤のイメージと青のイメージにおいて印象が変わるといったところを基調として、作品全体で観た前後半の色調の変化と、先祖の対称的な兄弟の後継者争いとってな対比を際立てているのも素晴らしい。



 どこからともなく湧いてくる根拠の無い自信や衝動に胸躍らせてみてはいかかが・・・


 ここで終わりいいいいいいいいいいいいいいい??


 



〇最後に
 ボリウッド凄まじいなww





 ではでは・・・


2017年12月22日金曜日

バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生(2016)

バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生


~人間だもの~


〇はじめに
 ワンダーウーマンとは何者なのか?? これ以降バットマンが付いてこられる気がしない・・・

 あとこれベン・アフレックかな~?? 他に適役いないか・・・




〇こんな話
 だって人間だもの・・・




〇人間だもの
 前作「マン・オブ・スティール」(2013)における被害を受けての今作での問題提起は「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」(2016)よりも作品(シリーズ)としても時系列としても直結している分断然しっくり来る。

 地球を守るべく戦ったが故の破壊行為。これを前作における当事者側ではなく被害者目線で捉えさせることで、人類を守るためだった戦いが、スーパーマンというヒーローを生んだ戦いが、9・11を想起させるテロ行為に様変わりする。



 大切な人間を守ることのできないバットマンの無力さを突きつけてから、ロイス・レーンを助けにどこからともなく駆け付けるスーパーマンを観せつける。どこにいようが助けに行ける。何より助ける・守れる力があるのだと。そんな力を前にしたスーパーマン自身の葛藤は今作にもあるが、それよりもその力の恩恵を受ける人類のあり方が今作の肝だろう。

 対人においては無双するも超人たちを前に為す術の無いバットマンに笑ってしまうこともあるかもしれない。ただそれありきで描かれる本来の人間の無力さ。ここを焦点にスーパーマンという存在を論議する様はおもしろい。




〇メタヒューマン?
 もうジャスティスリーグ観ちゃったんだけど・・・





 フラッシュ



 サイボーグ




 アクアマン




 ワンダーウーマンだけでよかったんじゃないかな・・・ メタヒューマンの存在を匂わせるのは一向に構わないんだけどさ。







〇最後に
 頑張れDC!! 応援してるぞ!!


 ではでは・・・



2017年12月21日木曜日

銀魂(2017)

銀魂


~こういう実写も良いね~


〇はじめに
 水川あさみに出てほしかったな~。



 このトーンなら菜々緒に全く違和感は無いどころかむしろ良いんだけど、佐藤二郎、堂本剛ときたらそのポジションは水川あさみで観たかったなぁ~。



 
 小栗旬はハマってたね。



〇こんな話
 神楽ちゃんかわいい。









〇おもろい
 銀魂は漫画もアニメもノータッチだったけど、ボーボボの位置づけなんだね。あれ?でも連載時期被ってるか?

 ところどころの小ネタというかパロディはクスりと来るんだけど如何せん全体の尺が長いよね。あんまり妖刀の件いらないんじゃないかな。

 あ~そうそう、ドラゴンボールの音読は笑うところなんだろうけど、そんなにネタにされてるっけ? まぁ雰囲気わかるから良いけど。

 おもしろかった。ドラマでやっても良いんじゃないかな。



〇最後に
 なんか原作者も製作者もこのくらい開き直ってくれるとこっちも寄り添いたくなるよね。


 ではでは・・・



2017年12月20日水曜日

リヴォルト(2017)

リヴォルト


~画は良いよね~


〇はじめに
 へ??


〇想起する作品
 「アライバル」(1996)
 「宇宙戦争」(2005)
 「ターミネーター4」(2009)
 「スカイライン 征服」(2010)
 「スティールワールド」(2014)
 「テイキング・アース 地球侵略」(2016)

 「フォーリング スカイズ」



〇こんな話
 侵略!侵略!侵略!侵略!侵略!侵略!





〇なんか半端なんよね
 ナニモノかと戦う兵士たちの姿のみが描かれ、そのナニモノかは映し出されない。途端に場面は変わり男は記憶喪失になっており、同じく檻に閉じ込められた女はそのナニモノかに侵略されたと言う・・・

 こういった見えないわからないといった真偽不明なところがウリなのかと思いきや、意外とあっさりと敵は姿を現す・・・ へ? 割とバンバン出てくるのよね・・・ 結局何のこっちゃ?とわからないことばかりであるにも関わらず、思いの外エイリアンたちが出しゃばりという中途半端な感じがどうもおもしろくない。

 敵の姿をある程度まで描かなければそもそも本当に侵略されたのか否か?エイリアンはいるのか否か?どんな陰謀なのか?といった疑問を混在させ世界観を定めるという工程を踏ませることで緊張感も持続しただろうに、早々に敵の姿を描いてしまうし、侵略という前提の裏付けとしてだろうエイリアン狩りの描写により、人類VSエイリアンという対立が確立した世界であると言ってしまうから、鑑賞者の興味は侵略の目的は?という一点に移行してしまう。そんな序盤に起きてしまう興味の移行を余所に男女のロードムービーをひたすらに観せられるもんだからなんともダルくも感じてしまう。興味の持続として主人公の謎を引っ張るがそれも「あ~だろうね」の範疇。




 まぁ侵略された前提でしかし状況はよくわからないというそんな中でも戦わなければならない、いやどうやって戦っていくのかというお話なのだろうが。。。

 エイリアンと思しきモノたちのCGや造形が見どころというのは頷けるが、結局そういった画を魅せたいとする意志が先行し過ぎているが故に招いた事態なんではないか、このどっちつかずな感じは。




 記憶喪失、女性の存在、名前(名付け)、女性喪失、記憶を取り戻す、これらの要素が何かしら意味があるんだろうけどさっぱりわからん。

 独りの男の確立が、人類の反撃の烽火というか奮起蜂起に繋がるみたいな感じかな。

 まぁ各々感性は違いますからね。何かしら状勢が絡んでいるのかもしれませんし。



〇最後に
 「10クローバーフィールド・レーン」(2016)、「EXO<エクソ:地球外侵略者>」(2016) 辺りを狙った方が良かったと思うけどな。でもなんか可能性は感じるよね。


 ではでは・・・

悪女 AKUJO(2017)

~アクションは爽快~ 〇はじめに  韓国ではこの方はイケメンの部類なの? 〇想起する作品  「ニキータ」  「アンダーワールド」(2003)  「KITE」(2014)  「ハードコア」(2016)  「レッド・スパロー」(2018)...