2015年9月29日火曜日

アントマン(2015)

字幕翻訳:森本務 
監修:テリー伊藤


~ せ~か~い~は~♪♪? ~ 

〇はじめに 
 ちょこっとした会話から関係性や状況を示唆させるのはさすがだよな~。笑い取ってくるし。これがジャポンのアクション映画に足りないところだよ。 
 この感じは字幕翻訳者がいるからなのかな? ならば日本の映画にも翻訳者をつけるべきだと思うんだ。


〇想起する作品 
 「もののけ姫」(1997)
 「ペントハウス」(2011)
 「インター・ステラー」(2014)


〇世界  
 有機組織の縮小実験においてヤギが出現した時に「ネズミは?」と言わせたのも意味があったのが素敵だった。実験の段階として、だんだんと大型化だったり人間の組成に近い被験体で実験を行っていくわけだが、ネズミ(ラット)はその中でも最低順位。
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解剖したことあるけど・・・。あれですよ、何10匹と実験前めちゃくちゃ動きまわってたのがぐったりと。磔にしてさ、それをちょきちょきと腹搔っ捌いてさ・・・、あ~もう思い出すのやめよ。
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それがアントマンになったら・・・わ~お!と。人間の大きさにおけるそれぞれの命の価値観。「人間>ヤギ>ネズミ」を意識させる。さらにはアントマン視点による戦いと、娘の目から見る戦いとってなところと関係させて笑いもとってくるし。アントマンと人間の世界の対比というか堪能させるのがお見事。それがまた量子世界だかっていう我々人間の考えには到底及ばない世界へ・・・・ いや~、よくつなげたな~魅せたな~。 愛が超越的なところも浪漫だね。


 それを思うと最初の刑務所での出所祝いの殴り合いにも意味があったのかな。明らかに最初主人公リンチされてるだろっていう構図が、実は祝福されてのものだった。恒例の儀式だった。ひょろ男(とまではいかないが)が巨漢に殴られている画。これをどう捉えるかという1つの思い込み、固定観念、偏見・・・に目を向けさせると



〇余談 
 最後の件はファルコンと博士のアプローチの違いなのか。いやアプローチする方法は同じでも、用いる手段が違うと。別に回りくどくやらなくてもってな話なのけ?。アベンジャーズは正攻法と。会いたい、と、わざわざ盗ませる。それとも手合わせした時に何かあったけ? 単に回りくどさからの実は単純ってなネタなのか・・・。 


〇最後に
 ウルトラマンやら〇〇戦隊、〇〇ガンダム、巨大化に馴らされている人間ですけれどもね、これはおもしろかった。

2015年9月25日金曜日

奇跡の2000マイル(2013)

字幕翻訳:渡邉貴子


~居場所~ 

〇はじめに 
 彼女に共感しようとしていたら、いつのまにかに彼女を送り出す者の気持ちになっていたという・・・ 

 「Thanks」「Thank you」って言葉がよく響くんですは。

〇想起する作品
 「LIFE!」(2013)

〇こんな話
 犬とラクダと私と・・・


〇目覚め 
 旅に出るまでの惹きが足りない。そもそも彼女がどのような人物なのかということが伝わってこない。はじめの字幕の「どこに行っても居場所がない者がいる」というところから、人間像を敢えて見えてこないようにしているととってもいいが。しかしその関係で、時間の経過すらも淡白なのである。時折差し込まれる〇〇日後という字幕。彼女の変化だけでそれを感じ取るのは中々に難しい。彼女の渇いていく様はさすがであるが、私は渇けなかった。あ~、共に渇きたかった。はじめに書いたこととも関連するんですよね。白けた彼女にそそられてしまう自分がいる。そして彼女を理解する方法として、共に旅をするのではなく、見守るという選択をしてしまうのである。
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 いや人間像は見えるのか。彼女の抱える闇が我々には直接描かれないだけで。友達も彼女のことを応援しつつも理解してあげられない部分があるような手紙を残していたし。彼女の旅ですからね。彼女本人も理解していなかったのだろう最初は。見つける旅ですし。それと同じ境遇に立たせるのなら、このフワフワ感はありか。
 そもそも都会においての毎日同じことを繰り返す生活に嫌気がさしてはじめた旅であって。この淡々とした描かれ方は狙ってなのかもしれない。そこに最後「ラクダとの旅は変わり続ける」と。彼女の変化を感じ取ることができればいいわけか。渇いた彼女が最後潤う様が堪能できるわけか。
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 でもそんな表情からの笑顔が何とも言えないんですよね。そして「Thanks」「Thank you」ですよ。無事を祈りたくなるよね。
 


 想いかえす。時間の経過を示す画が無かったかと。ひとつに目覚めである。彼女ははじめ目覚まし時計で起きていた。いや起こされていた。それがある時から変化するのである。彼女は目覚めると周囲を確認するようになる。人が、ラクダが、犬が、いたりいなかったりする。過去回想にも入る(最初から挟まれてたか)。これは何を意味するのか。


 最愛の犬の死にそれが見られる。

 彼女ははじめ自分1人(独り)ということを強調している。しかしラクダの調教、住まいや食事、助成金や荷物等々の準備、且つ旅中の案内人は水の提供、しきたり、ひたすらに他者が介入してくるのである。カメラマンが言う「皆孤独だ」という言葉。そこに愛犬ディギティの死。彼女は何を想うのか。

 なぜディギティが死んだのかというところを振り返る。食事の最中にもっと食べたそうにしていなかったかと。ではなぜディギティは満足できなかったのか。ディギティはその前に獲物を見つけていた。しかし彼女は案内人の言う掟を思い出すのである。女は切ってはいけないという。そして掟に従い獲物を手放すこととなる。これを食べればディキディは満足し、毒を誤飲することもなかったかもしれない。全ては彼女が自分以外の他者の存在を何かに、旅に見出したがためだ。「Go home」の件で彼女にとってのディギティという存在は際立っていた。ゴールディの件もだな。以前にも同じようなことがあった節がある。そんなディギティの死により彼女の変化はさらに際立つのである。カメラマンの水もそうだ。点々と置かれる水を見つけるたびにカメラマンを思い浮かべたことだろう。そして途中のバイクで縦(横?)断男は現実だったのかと。彼女のこの時の心境からどのように捉えるべきなのか。

 彼女はひたすらに独りを好んだ。友人が訪ねてこようと白けた顔さえしていた。独りで全てを完遂することに意味があるのだというように。そのために他者の力も嫌々我慢して借りていた。終盤やらなければよかったとは言うものの、各国の記事、愛犬とキャメルレディという絵を目にする。これは彼女の知らないところで世界的に周知され承認されていることを意味し、且つ彼女の自らの振り返りにもつながる。観光客が写真を求めてきたりするシーンも幾度もあった。彼女の避けてきたもの、それこそが1つ居場所だったのではないかと。

 彼女の求める居場所というキーワードに対して、時折映し出される経路を示す地図の存在。そしてコンパス、ラクダや愛犬ディギティもそうだ。さらには行く先に置かれる水と、置いていくカメラマン。案内人に地元民。協力者やお友達。その他もろもろ。それぞれが何とも言えないエッセンスになっていて。そんないつか無くなる、いやすでに、元々無いかもしれない。これから築かなければならない、築けないかもしれないものの存在。それを彼女は目覚めにおいて確かめようとしていたのではないだろうかと。昨日は・・・今日は・・・明日は・・・

 勝手に考える。目覚まし時計があることで朝の目覚めからどのような行動を起こすのか。何時に〇〇をしないといけないからと、ゴールを定めてはいないだろうか。辿りつくべきところから逆算をして行動を開始する。しかしそれが無かったらどうなるだろうか。
 元々の旅自体が目的地からの逆算ではあるわけだが、これがまだ途中目覚まし時計を失ってからの彼女にとっての水と被るのだ。そこに水があるというゴールが存在し、そこから逆算して旅が行われる。そんな中、旅の目的の喪失。ここではじめて、1つの答えに一歩近づくわけか。彼女の選択は・・・・と。




〇最後に
 いや~、ミア・ワシコウスカさすがだよな~。それに尽きるな。いやいや、犬もラクダも演技派でね。さらにはラストのロビン・デヴィットソン本人の画がね、またジーンと来るんですは。旅に出ようかな、夢の中へ・・・。

 ではでは・・・

2015年9月23日水曜日

シグナル(2014)

シグナル[DVD]


~ぺ〇ング派のあなたも~ 

〇はじめに 
 この監督の前作観てりゃ結末に驚きなんてしねえよ(強がり)。 


〇想起する作品 
 「幼年期の終わり」 
 「宇宙のランデヴー」シリーズ 
 「フォレスト・ガンプ/一期一会」(1994)
 「CUBE」(1997)
 「13F」(1999)
 「バイオ・クライシス-人類最後の敵-」(2006)
 「クロニクル」(2011) 
 「キャビン」(2012)  

 「Dämons」(2006~2008) もかな。

〇こんな話
 手を合わせて見つめるだけで~♪♪


〇わからん 
 最初から誘拐されており時折挿み込まれる3人の関係(過去回想)から夢だったのか。それともNOMADに導かれ彼女が釣りあげられたあの暗転シーンから連れ去られたのか。 

 最初のUFOキャッチャーが縮図となっているのか。UFOキャッチャーを遊んでいる人間は誰だったのか。子どもである。なぜ景品をとろうとしているのか。取りたいからである子どもは興味や好奇心の塊。欲しいものを手に入れるべく選別も行う。これがエイリアンと人間の関係性を示唆していたのだろうか。研究所の存在や最高傑作どうのこうのと。さらに最後の画から深く考えるに、UFOキャッチャーで景品を取るがためにアドバイスをする存在がいた。いや、指示をする存在がいたと言っておこうか。お金も渡していたな。ギブアンドテイクが成立していないではないかと。大人と子供のような関係で、彼らも何かしらに統治されている存在だったのではないだろうか。




 最初のハッキングの際のIPアドレス。住所特定や距離、移動手段を示してみたり。最後の宇宙船だかに書かれた番号とつながるのか。腕にもIDとして入れられてたし。エリア51だと思っていたと。

 さらには閉鎖空間からの脱出方法を探る彼の演出も意味があるのか。外に出れば自由が待っているという何か期待を感じさせてくれる。とともに逃走経路やタイミングを図るのも自分の居場所を把握しているという示唆にもなる。

 ローレンス・フィッシュバーン演じる何者だかにひたすらに自分の想像し得る世界観で罵倒や脅迫をする主人公。

 時折彼らの台詞の中に[human]ってな単語が聴こえてきたり。これはそんな意味ないかな・・・??

 防護服もそういう施設だとすれば疑いもしなくなるし。英語しゃべってるしと。

 世界観を絞らせないというか、ヒントを散りばめては突き放してみたり。思わせぶり、意味ありげな演出の数々でひたすらに焦らしてくる。嫌いじゃない。・・・・が途中で飽きる・・・ いくらわかった気でいようともさっぱりなんじゃよ。あのバグったばあさんは何者なん? ジョナはあんな腕を望んだん? アスリートだったん? 他の区画があるん? そしてそこには人類以外の種がいるん? 色と形のパズルもわからんし・・・。
 
 

〇余談
 脚がハイテク義足になり、自らの生殖器を確認するシーン。これはSFにおいては切っても切り離せない、性の問題を取り上げたかったのだろうか。最後の宇宙船がまぁ何かに群がるアレの構図に見えなくもないでしょうし・・・。さっぱりだわさ。


〇最後に
 世界観に思いをめぐらせ幅を持たせようとしたのはおもしろかったかな。意味は全くわからんかったな、うん。焼きそばでも食べようかな。

 ではでは・・・

2015年9月21日月曜日

心が叫びたがってるんだ。(2015)

~声理~ 

〇はじめに 
 父親が下衆でお城ネタが出たのでね。声が出ない。出すとお腹が痛くなる、なるほど、と。言葉はどうのと。つまり声の理。声理・・・・生理だろうなと・・・ 。そして卵・・・はいはい・・・


〇想起する作品  
 「耳をすませば」(1995)  
 「花とアリス殺人事件」(2015)   

 あと一番が、冬目景先生の作品。恋愛要素に関してですね。すっきりなハッピーエンドではなく、満たされたい心に対してほんの少し隙間を作っていく感じ。じっくりと味わえるボリュームなら満足なんですよね。月刊とかコミックスとかで時間をかけて整理ができる環境下であったなら。浸れるから。このテンポでやる流れじゃないのと、EDが軽すぎるのもある。まぁ嫌いではないけど。それこそ劇中におけるギャップを作っても、と思ってみたりしてしまう。


〇う~む
 問題はどこに誰に向けた作品なのかってことですよね。まず私の高校時代におけるデータバンクに彼らのような青春要素は皆無。恋愛要素だよ。正直ものすごい白けるこの要素が。過去、現在に傷を負っている彼らではありますけどね。だからこそじっくり時間をかけてやるべきことな気がする。淡々と進んでしまう感じが否めない。その流れにおける屈折に恋愛要素を持ちこみ、話を深めようとしたのだろうか。順と拓実を中心に添え、恋愛感情は別かぁ~いと落胆させる感じね。う~む、素直に楽しめなかったな。


〇最後に
 DTM・・・D.T.MAN?

 あ、何でもないです。彼ら好きなんすよね~。ではでは。



進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンドオブザワールド(2015)



~お粗末~


〇はじめに
 「ジュラシック・ワールド」で脚本がダメ、おもしろくなかったとか言ってる人いたけど、その人たち大丈夫かな。この映画観てゲロ吐いてない?? 心配です。
・・・と、まぁ、前篇を観た後は思っていた。しかし後篇は物語を収束させることもあり、ちと違った感想だ。何しろ素材は一級品だからだ。こういった材料や調味料を用いればおいしくなるとは知っていたのだろう。しかし調理法や調理手順を知らなかった。いや調理器具すら知らなかったのだろう。それなのに隠し味にまで手を出してしまった。残念だ、もったいない。どうせなら食べないことを前提としてまで独創的な創作料理だともっと前篇から開き直ってほしかった。

 

〇想起する作品
 「風の谷のナウシカ」
 「インデペンデンス・デイ」(1996)
 「ベクシル -2077日本鎖国-」(2007)
 「メイズ・ランナー」(2014)

 ウルトラマン、ゴジラ、石ノ森章太郎・・・


〇壁
 前篇で巨人の世界観や迫力に浸らせ、後篇でうまく収めるつもりだったのだろう。見事にスベっている。しかし、後篇の出来が良いとは決して言わないが、この背景はおもしろい。一時期流行った終末思想。荒廃した近未来を少し捻ったカタチ。だが何分見せ方が古臭い。そして前篇から引きずるドラマ要素。これが何とも間が悪い。
 観客が味わうべき感覚としては、「バイオハザード」の1から2への移行が目指すべきところだったのではないだろうか。閉鎖的空間でゾンビと戯れてからの、外の世界でどんぱっち。情報や方法が限られた状況から、一気に広がる世界観。武器、人員、活動範囲、より我々に選択肢を与えてくれる。しかしこの進撃の巨人は、巨人への唯一同等となる対抗手段、一縷の望みをまるで活かしきれていない。なぜなら腰にずっと意味も無いおもちゃを引きずってるからだ。それをもっと使ってたくさん殺されときなさいよ。使いこなせなくったって、使っとけよ。それでやっと巨人化という対等な力が際立つのでしょうが~。


 人間VS巨人という構図。この世界観がなぜ出来上がったのかという謎が後篇で怒涛のように解き明かされていく。開始早々に物語解釈の講釈を垂れ始める。前篇における巨人のうなじがどうのというヒントから路線が確定してしまうわけだが。だからこそこの謎を前篇でもっと引っ張っておくべきだったように思う。前篇で女、子どもをどしどし殺したって見せておくべきだった巨人の暴力と残忍・残虐さ。さらに念押しで対抗手段を使ってでも完膚なきまでにやられておくべきだった。調査兵団全員死亡という説得力すらも無に帰す始末。さすがだよもう。これらにより巨人は何かというネタばらしで明らかになる人間の本質や本能的部分の決定づけが何とも浅い。前篇は30分くらいにして人間バーベキューパーティでもやらせればよかったんだ。前篇最初の教会のシーンだかで某ゾンビ映画を想起させようとしたのではなかったのか。本当に恐ろしいのはゾンビではなく・・・とつなげたかったのではなかったのか・・・・


 超大型巨人とエレンとの壁における対立は前篇でやっていたのでグッドだったが、このラスボス感が私の中での石ノ森章太郎にマッチ。ニヤけるとともに、恥ずかしくなる。
 そしてこの対立がためにひたすら展開するダラダラだらだらとした人間ドラマ。ミカサずっとボーっとしすぎ。くどいんだよ。あの間は何なんだよ。事故? 単体で戦う巨人と、チームワークで戦う人間とかの対比で良かないかい、その辺の対比は。エゴと自己犠牲とかさ。一応やろうとはしてたのか・・・




 東京タワーってのは世界的にどこまで有名なのだろうか。とある番組でエンディング曲を世界を視野に全部英語で綴ったと言っていたが、JAPANを示すならば今も昔も富士山って決まってるんじゃないのだろうか。変に捻ってる感じがする。ま、日本と言う壁から踏み出せない自分の戯言ととられるかもしれませんがね。



 最後の最後の件は流行りの「メイズ・ランナー」的要素を含んだのかと思いきや、おそらくは「風の谷のナウシカ」の原作の方意識したんじゃないかなと。樋口監督「巨神兵東京に現わる」撮ってましたしね。巨人の件もそれに観えるように作っている節がありましたし。でもこの終わり方は一本で撮れたよねという反感買うでしょうよ・・・


〇余談
 巨人エレンが穴に不発弾突っ込むのは、生殖器を持たない巨人に対する皮肉なんだろうな。人間と巨人を可逆的に行き来できることに対する「らんま1/2」や「名探偵コナン」的な疑問を感じるから至った境地であって、下ネタが好きなわけではありませんよ!
 それよりもだ、不発弾処理とか見たことないのかよ。現場だけでなく時折TVとかでも流されるじゃない。近隣住人が避難するレベルもあるわけでしょ。それをま~たどったんばったんとさ~。「ハート・ロッカー」くらい観とけよ~。あと「Fire in the hole!」くらい叫んで欲しかったわ。その場にそぐわないけどさ。


 剣でエレンとミカサがつながった件は、一時期流行った骨伝導の話だよねきっと。血が滴ってるって話だったのかな? 血と血の契約? 
 天国の奴隷か、地獄の自由か、ってので最後の2人の手と手をとりあっていた画は天使だか思わせたかったのか? 堕天使とか?

〇最後に
 食べ物を粗末にするなとシキシマが剣にリンゴを突き刺しながら話していた。あ~、ドリフかと笑ったわけだが、この台詞をそっくりそのまま返す。本当にお粗末極まりない映画。せっかくの高級素材をこうも原形をとどめないまま調理するとは。とある料理を出されて不味いなと食べていたら、これを調理しましたとモノを見せられる。これをどうやったらそんなにもう・・・と。訂正しよう、調味料も知らなかったんだろうな。そもそもの素材のありがたみすら感じなかったのかもしれない。ゴジラが楽しみで仕方ない。

 ではでは・・・

2015年9月18日金曜日

ガールズ・ステップ(2015)

~ガールズ・ヒップ~ 


〇はじめに 
 青いね~、甘酸っぱいね~、イタいね~、不完全だね~、デコボコだね~ 
これが青春映画の良いところだよな~、こんなんで良いんだよ。いや、これだからこそ良いんだよ。ジミーズからの笑顔が映えてくるのが堪らんよ。  
 何よりも良いのがラインだよね~。あの強調しない出しゃばらない何とか保っているライン。そっからの最後のダンスのホットパンツ堪らんよね。ケニー長尾わかってるわ~。JKの魅力をこれでもかと高める方法知ってるわ~。 でもできればね、最初地味目の衣装で、途中脱いであのカタチにしてほしかったな~。そうすればもっと魅力的に映ったと思うけどな~と願望。


〇こんな話
 JKが踊ります。



〇青春だぁ~
 JKという時代を経験したことが無いので、私個人(DKだった)の勝手な見解であるが。集団意識の強いこのお年頃、自分の存在の証明をどこかに委任・委託したくなる。置いてけぼりになるのが不安になる。そんなのから逃げて、数少ない友人と非常階段に避難していた時期が私にもあった・・・今もかな・・・。

 自分を殺し黒子に徹する八方美人、強がる不良、兄弟と比べられるガリ勉、おそらく初めて望まれる存在となれた援助交際女子、見栄を張る弁当屋。そんな彼女らがとあるきっかけでつながっていく。このサクセスストーリーが胸を熱くする。時折背景となるケニーの顔がまた良いアクセント。

 隣家の幼馴染という学校と自宅の違いといったことを指摘する客観的恋愛的要素を交え、お送りされるイライラもさすがだ。


「南ちゃんなんていないんだよ!!」

 


〇余談
 石井杏奈って子誰かに似てるな~と思っていたんだけど、そうだ話し方がところどころ橋本愛に似てるんだよ。

 毎練習前後にね、更衣室でのとあるシーン挿れてくれたってよかったんですよ。最初だけサービスっと。


〇最後に
 知哉ゆるさない


インサイド・ヘッド(2015)

~意識~

〇はじめに  
 この作品を観るまで、ドリカムとELT(持田香織)が同じものだと思っていたのは内緒のお話。
 「ライリー♪ライリー♪」じゃねえよ(笑) この段階で誰もライリーなんて認識してねえだろが。で、この次の短編も歌ってたでしょ。すごい構成だね。


〇想起する作品 
 「脳内ポイズンベリー」(2015) 
 扱う年代が違うわけなのだけれども、脳内の方がおもろかった。


〇こんな話 
 ライリー、こっちを向いて。


〇意識  
 う~む、ライリーとは何なのか。ライリーという意識は何ものなのか。 

 ライリーの中に存在する5つの感情と愉快な仲間たちとその他もろもろ。この世界で壮大に冒険するのはワクワクするところなのだろう。しかしだ、導入により私はいきなり腑に堕ちなくなる。気になったのが最初に入る喜びによるライリーの世界の説明だ。ライリーと感情たちの関係がどういうものなのか。なぜ「ヨロコビ」は全てを知ったかのように話すことができるのか。彼らもライリーなのに。これでは彼らがライリーなのではなく、ライリーが彼ら感情たちに操作されているロボットのように思えてならない。ライリーの葛藤にどうしても見ることができない。ライリーと感情たちとが別のものに感じられてしまう。故に「ヨロコビ」のでしゃばりと、「カナシミ」の意味不能(意味不明理解不能の造語)な行動原理がひたすらにうざい。吹替えの所為もあるのかもしれない。そこで陥ってしまう心理。悲しみを思い出の捨て場?だっけかな・・・に落としちまえよ。永遠に封印しろ。

 子どもならではで(どの年代もかな)、感情の整理がつかず説明のつかない心情に襲われることはあるだろう。それを示したかったのかもしれない。しかしだ、それならばそれぞれに名前を明確につける必要は無かっただろう。まぁ対象とするところがあるから仕方ないんだけどさ。 


 行動や判断はどのように為されるのか。意識の前の無意識下で信号が発せられているといった話を聞いたか読んだかしたことがある。これなのかな、感情とライリーとを操縦者とロボットのように描いた理由は。


 まぁ最初の思い出を喜び色に全部染めるというのが、最後それぞれの感情の色の混合玉になっていたのはうまかったのかな。悲しみと喜びが際立っちゃったけど、他の三種類も混ざってましたしね。


 唯一おもしろかったところね。ライリーの理想の彼氏とやらが当にそのまま人柱になるという演出ね。あちらで人柱なんて表現があるのかないのかはわからないがウケたね。ライリーの成長がこの映画のテーマでもあるわけで、さらには思い出の墓場だかごみ箱だかと相まってね、歴史とは犠牲の上に成り立っていると。ここまでにつながる。隠されたメッセージかなと勝手に納得。



〇最後に  
 正直ね、私の中の機関士が休憩に入るところだった。誰も起こしてくれそうになかったからがんばったけどね。女の子の内側という一番おもしろくできる要素をね、やはりこの年代だといじれないところがあるから少し厳しいかなと。ついついネタを期待してしまう自分がいるわけで。先に真木さん観ちゃってるからね。続編でR15くらいならもっと興味あるかな・・・。・・・・・。

 ではでは。


2015年9月14日月曜日

ボーイ・ソプラノ ただひとつの歌声(2014)

字幕翻訳:牧野琴子


~聴き入る~ 

〇はじめに  
 少年時代ならではであろうが、このサクセスストーリーには少なからず大人の事情が絡んでくる。そこで一旦後ろを振り返り、彼を想っての行動なのか、はたまた大人たちの地位や権威、世間体のためなのか(政治がらみの話もされてますしね、打倒!ウィーン)と考えたくなるのだが、その思考をかき消してくれる少年たちの歌声。今は彼らの歌声に、耳を傾けようじゃないか。 


〇想起する作品 
 「ハリー・ポッター」シリーズ
 「ドラムライン」(2002) 
 「デタッチメント 優しい無関心」(2011)
 「エンダーのゲーム」(2013) 
 

〇こんな話
 僕の歌を聴け~!!


〇原点回帰
 とある完成された集団において新参者が頭角を現していくという王道的サクセスストーリー。潜在能力や、才能の開花を我々に自覚させることが鉄則。これを彼の周囲の人間の能力を提示し、彼らに認めていってもらうことで我々は彼の立ち位置を把握していく。

 ここが何とも軽く見える。彼が今どの程度の評価で実力がどこまでついたのかという構図が見えない。しかしだ、そんな心配は無用だった。全ては彼の歌声で、彼の歌声をお前ら自身で聴いて評価してみろと。

 いや~、美しかったね。私は音楽にはまるで精通していない人間だけどね。何なんだろうね、絶対に失われることが分かっている歌声だから美しく感じてしまうのか、美しいからこその儚さなのか。

 
 あとは彼の参入による原点回帰はすばらしかったね。主人公の登場で新しい風が吹く。ある程度の環境や財力が鍵となるであろう少年合唱団の実情。原石を探し出し育成することよりも、もう輝いている輝きつつある即戦力となる宝石を探し求めている。主人公が楽譜を読めないことで、基礎を軽んじるような姿勢を見せる一教師。合唱団の成長よりも自らの位置を確保しようと躍起になるライバル。

 この状況に陥っては見えなくなっている世界があるわけです。上を目指すあまりに下に目を向けない、いや耳を傾けない澄まさない。そもそも何のために誰に向けて合唱をしているのか、届けているのかという根本的な部分。行きすぎたこの姿勢はどこかの国で話題になった一般国民と上級国民という分け隔てにつながる。共通認識や共有できる財産の無い者たちが一丸となり何かを成し遂げることが可能なのか。時間はあまり残されてはいないぞ。そんなことに想いを馳せてしまう。
・・・まぁ、自分がのし上がればこんな考えきっと頭の隅にも置いておかないでしょうね。ただ邪魔なだけだもん。ノイズでしかないし。



〇最後に
 いや~、劇中の合唱もすばらしかったんですがね、エンドロールで流れる歌ね。これまたすばらしい。夢や希望、切り開いてやりたくなるね。

 ではでは。
 



2015年9月13日日曜日

ミッション:インポッシブル / ローグネイション(2015)


~シリーズ最高傑作~ 

〇はじめに  
 うむ、確かにシリーズ最高傑作だ(理由は後述)。 


〇想起する作品 
 「ジョーカーゲーム」(2015) 


〇こんな話 
 イーサンチームが敵とデットヒートヒートテックする話。


〇(シリーズ)最高傑作  
 改めて言う。シリーズ最高傑作だ。しかし最高傑作ではないという意味不明な言葉を付け加えておく。 
  

 シリーズ最高傑作という文句は何とも曖昧というか誤解を生む表現である。シリーズにおいての最高傑作とは何を意味するのか。そのシリーズを通しての知識且つ思い出補正を満たしてくれれば十分にそれは達成されるわけでして。その琴線に触れることを増やすというか、幅広くすると言いますか。この5作目となる作品は、1のギリギリ感、2のバイク、3の全力疾走、4のチームワーク。この辺が見事に踏襲されていたように思う。  

 わかっていただけるかどうかはわからないがさらに難解にしていこう。行きつけのお店があったとする。ラーメン屋でも定食屋でもファーストフード店でもアイスクリーム屋、クレープ屋、たこ焼き屋だって良い。食い物ばっかじゃねえかよ。その味に惚れこんで通い詰めるわけである。まぁその味に見合った値段や質、量も絡んでくるよ。まぁそこはいい。ある程度長い期間に渡って通えなくなったとする。その間も同じ系統の店に通ってしまうわけだ。その店の代わりに。自分で何かしら作るかもしれない。そしてある時久方ぶりにその店に訪れるのである。もしかしたら外観が変わっているかもしれない。内装が変わっているかもしれない。注文しましたと。あれ?器変わりました?と。盛り付け変わりました?と。いざ実食へ。ん?これは!前よりおいしくなってる(まずくなってる)。ってな感想が飛び出すことでしょう。変わらぬ味を楽しめるかもしれませんよ。懐かしさを感じることでしょう。その系統の店を渡り歩いてきたからこそわかる、その食べ物の旨味。戻ってきて再度確認することとなる本来元来の惚れこんだ要素。これがはっきりするのである。

・・・ってな感じがこの作品にはあります。

 牛丼屋でもそれぞれ違うでしょと。臭みとか。同じチェーン店だって、各店で味変わってきますからね。比較してはじめて違いがわかる的なね。その違いを知ることで、良さ(悪さ)がわかる。


 「ターミネーター」も同じようなことしてたんだけど、私は見事にハマらなかったんですよね。まぁあちらは形式的にはリブートですけどね。



〇最後に
 追っている敵が何なのか誰なのかどこの国なのかという展開と、イーサンと敵ボスの抜きつ抜かれつな戦いが見事にハマっていたと思う。で、最後全てをかっさらってくイーサンね。悟空VSチャパ王だったか天津飯だったかの残像拳対決を想い起こしたね。あと「BLEACH」ね。

 でも「キングスマン」観ちゃったからな~。この作品のおもしろさ全部吹っ飛んじゃったんだよな~。

 ではでは・・・

カリフォルニア・ダウン(2015)

字幕翻訳:杉田朋子



~CLEAVAGE~


〇はじめに
 このレビューに対して、不適切・不謹慎な表現が含まれると判断される方がいるかもしれません。

〇想起する作品
 「クリフハンガー」(1993)
 「ディープ・インパクト」(1998)
 「バーティカル・リミット」(2000)
 「デイ・アフター・トゥモロー」(2004)
 「2012」(2009)
 「TSUNAMI」(2009)


〇こんな話
 揺れるったら揺れる。ま~だまだ揺れる。これからも・・・ 


〇地震
 今この作品をやるのには何かしら意味があるんだろうな。「備えよ」と。陸海空の乗り物を存分に使い分け、それぞれの手段・方法を観せる。頭を守れ、机の下に隠れろ。あの場所が安全だ。懐中電灯にレーザーポインター。火事場の馬鹿力。少しだけでも意識はしておけというメッセージにはなっただろう。

 中でもジャッキとパンクにより車から脱出を図るシーンは関心した。対処として持ちあげるという思考が先行する中での冷静な判断。ここでおそらく観客も一旦冷静になれることだろう。


 地面が波打つ表現は「2012」だったかが先駆けだと思ったが、この作品においては地震が移動していく的な表現と結びついていておもしろかったな。断層に沿って地震が起きるという。
 地震という結果だけを見れば、どこどこで起きましたという範囲が限定されて、どうも現実味を帯びない可能性があるが、これはひたすらに高層ビルを破壊し、地震が我々の世界に迫ってくる、現実に起き得るというのがうまかったように思う。
 上流階級の生活をひたすらに見せつけて、そやつらがビルから転落していくのには少し苦笑い。そしてさらに上を目指す者が助かるという・・・


〇楽しみ方講座
 B級映画を見慣れていないとちと厳しい表現がチラホラ。楽しみ方を少しアドバイスしたいと思う。

 この手の作品は大体が全力で真面目にどこかふざけているという前提で鑑賞してほしい。ネタをぶっこんでくる。理論かもしれない、脱出や救出劇かもしれない、対策・対処法かもしれない、もちろん登場人物のドラマ部分かもしれない。おそらく脚本が悪いだとか、ありえないとマイナスに評価する方たちが出てくるだろうが、そこは真面目に突っ込むべき箇所ではない。むしろプラスに、楽しむべき箇所なのである。前項の最後で指摘したものもあるが、もっと格別のものがある。ではでは、この作品のいったいどこにそんなものがあるのかというと・・・・


 わかる方はすぐにでも理解したであろう。最後の娘の心臓マッサージ。津波が来た時点で最後のこの画が浮かんだ方、仲良くなれそうな気がします。これが実は最初のプールにおけるビキニ姿での彼女の登場と実は繋がっている。最後までネタを貫き通した姿勢、そんじょそこらのB級映画とは一線を画す。評価されたし。ではいったい我々は、最初に彼女の何を見せられていたのか。
 
 少し焦らそう。心臓マッサージから少し戻ってみるか。彼女は男が足を怪我をしたことによって、何かしなかっただろうか。足を縛らなかっただろうか。ではいったい何で縛ったのか。縛るためにその縛るものはどこからどのように手に入れたのかと。
 
 もう少し遡ってみよう。後々怪我をする男が彼女のネックレスをいきなり質問しなかっただろうか・・・。
 
 そしてその前にわざわざ走りまくる。いや逃げてるから走るんだけど・・・・

 
 もう辿りついていただけただろうか。どうだろう。


 ネックレスの件、一見彼女の家族の過去とつなげ、さらっとうまく見せているドラマ部分ではあるのだが、チッチッチ・・・そんな茶番を見慣れたB級映画マニアは欺けない(別にマニアじゃないけど)。



 では答えあわせだ。



 そう、彼女のおっ・・・・・、胸を、いや谷間を見せられていたのである。男性諸君、目移りしなかっただろうか。気にしないようにしていましたか。良いんです良いんです、胸を張ってください。これは「揺れ」を楽しむ作品なのですから。


 ではここでこの映画のテーマである「揺れ」、いや失礼、「地震」とはどんなものなのか・・・さらに掘り下げていこう。「断層」にしておくか。
 断層とは地面と地面に食い違いが生じている状態である。この断層がズレることによって引き起こされる地面の揺れ、これが地震である。二つの地面の摩擦により地震が発生するのである。ピンと来ただろうか。そう彼女のそれは二つ存在している。そしてあの大きさと揺れ。たちまち擦れているであろう。前後左右上下に。当に3D仕様。2Dだったんだよな~観たの。もっかい観に行こっかな(ボソ)。

 ちゃうちゃうちゃう、待て待て待て。断層がズレることで揺れるんだろ? 彼女の場合は揺れるから擦れるんじゃないかと。プレートテクトニクス、プルームテクトニクスをご存知ですか。海嶺、海溝、聞いたことがありますか。動いているんですよ、すでに地表は。動いているから断層もズレるんです。そもそもの断層ができているんです。つまり彼女が動く、これがもう地球そのものが動いているという現象なのです。そして二つの間で起こる摩擦。これで1つのプレイが完結するときもあるでしょう。摩擦によりまたさらに揺れることになるのです。脈打つのです。・・・地震ですよ。


 この指摘を後押しするのが、劇中離婚やらなんやら人間同士の摩擦にも言及している点だ。人と人との間には目に見える・見えない摩擦が存在する。これをミクロにマクロに考えていくと、彼女という存在にも辿りつくことになる。



 で、何よりサンアンドレアス断層を扱っている点ね。トランスフォーム断層、横ずれ断層であることは割と知られていることで、直接地上に見えているんですよね(見えている部分もある、かな)。いや見せつけられている。そう彼女があれを強調するように。いやいや、強調しなくてもすごいってことなのか・・・

 
 まだあった。ヘリでは揺れを感じないからと、確認のためにハイウェイだかを破壊する画が挿み込まれる。これがね、先ほども書いた3D仕様とね相まって、音響や映像だけでなく、より我々に揺れという現象に対して躍動感を味わってもらおうと、全力でサービスをしてくれている。ともとれなくない。



 信じるか信じないかは、あなた次第です。


 どっかキーとなる場所でで使われてたんじゃないかな~。「cleavage」って単語。確証になるんだけどな~。

 あ~しまった! 肝心なことを忘れていた。最初の最初に谷間に落っこちた谷間の姉ちゃん助けてたじゃないですかぁ~。やだもう~
 



〇余談
 ネタ全開であるかのように豪語したが、この娘役の子がたまらなくかわいいんですわ。アレクサンドラ・ダダリオ。あの眼差し、瞳、直視できない。ドキドキするわけです。私の心が揺れ動いたわけです。そんな環境で彼女のあれの揺れを魅せられてはね、ネタであると思わざるをえません。


〇最後に
 エンタメ性を高めているのは、地震という現象を周知するためですからね。ひたすらに真面目に突っ込まれている方がおりましたが、そこは少し見方をね、変えていただいてね。わざわざ人間が全滅する映画観に行かないでしょと。身体の一部がひたすらにすっ飛んでったり、スパスパ切り刻まれたり、そこら中に死体が転がってたりもね、観てられなくなりますから。親が子を守るというスーパーヒーロー級の救出劇ならね、何かを期待して足を運びやすいでしょうしね。
 じゃあ、茶化したレビュー書いてんじゃねえよと言われるかもしれませんがね。私は至って真面目ですからね。

 ではでは・・・



キングスマン(2014)

字幕翻訳:松崎広幸



~これは、映画だ~ 


〇はじめに 
 Movie(kingsman) of the movie, by the movie, for the movie 
 ↑ 何言ってんだコイツ 
 ・・・すみません(トホホ) 


 最初に注意書きが欲しかった。まず乗りましたか?と。そして振り落とされないようにしっかりつかまっていろと。はじまって数分ポカーンだったわ。何とかギリギリ追いつきましたよ。皆さんは最初からしっかり目ん玉ひんむいて集中していた方が良いです。でも全く苦じゃないんですよ。最後手放しで楽しめるっていうね。 
「ぱあああああああああああああああああああありいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!!!!!!!!!!」 


 「007」へのオマージュが堪らんよね。まぁシリーズ全部観てないんだけどね・・・。スパイ映画を幅広く観ていればなんだろうね、どっかで見たことあるというか、出来上がっている軸や筋があるわけで。「007」の他に、スマートさをクスりという笑いに変えてくれる王道のシリーズ「ミッション:インポッシブル」「ジャックライアンシリーズ」といろいろあるじゃないですか。それらを皮肉った邪道なシリーズ、「ジョニー・イングリッシュ」とか「ゲットスマート」とかもあるわけで。他にもいろいろあることでしょうよ。それを踏まえて観ても、いや踏まえて観るからこそなのか。それらが築いてきた話の筋に沿ってこうもおもしろおかしくハチャメチャに楽しめるのがですね、とにかくとにかくたまらんのですばい。 アクションもですよ、「マトリックス」や「リベリオン」みたいなね、スタイリッシュでありながらね、ちょっと「うっ」と思ってしまうようなシーンが多少なりともあるものの、終盤は花火パーティね。何なんだろうねこの緩急。笑うわ。 


〇想起する作品 
「メン・イン・ブラック」(1997) 
「タキシード」(2002) 
「リベリオン」(2002) 
「リクルート」(2003)

 あとスパイ系の映画全般 


〇こんな話 
 地球を救って、アヌス!!



〇 たまんねえええええ 
 車に乗ってていきなりエンジンがフルスロットルになったかと思いきや、それは実は高速で移動する列車だかの中にいて、その環境に慣れてしまって速度を感じなくなっている中で、いきなり外を見せられ且つ放り出される感じといいましょうか。次の瞬間にはまた別の場所にいるんですわ。 飛行機だよ飛行機。え、いつのまに空飛んでたんだよと。
 で、展開が予想通りなのかと思いきや遠くにあったり、いきなり目の前に現れたり降りてきたり。掴んだはずがその手の中には無かったり、ポケットの中にいつのまにかに入っていたり。そもそもそんなものが存在していたのかさえ・・・、でもあるんですよね。期待通りのものが。いやそれ以上か。だってあれですよ。早々にというか何度も直接敵同士相対するわけなんだが、物語がどう傾いていくかがわからないんですわ。と考えていたら、シャキン、スパン、ズドンと。容赦ねえんだか、パグ(JB)なんだか。 

 ヤレヤレ ┐(´ー`)┌ マイッタネ、何が言いてえのかわからねぇ~ 


〇最後に  
 この作品を笑って楽しめない人はもったいないな~ 
 ↑ なぜに上から??
 ・・・・・あれですよ、・・・私は楽しみましたよ・・・自慢・・・的な・・・

 「キックアス」で興奮した方は是非。ニヤニヤが止まらんですよ!

 ではでは。

2015年9月11日金曜日

ザ・サンド(2015)

ザ・サンド[DVD]


~らん♪ らんらら♪ らんらんらん♪~ 



















〇はじめに 
 ただ揺らしたいだけの作品か。 

 主人公うっさい。しゃべんない方がかわいい人って結構いるよね(おっと失言)。 

〇こんな話













ザ・サンド!












※ 「サンド」という単語を「挟む」という意味合いで用いるのは日本だけ





〇最後に
 ネタが尽きた。終わる。







2015年9月9日水曜日

7500(2014)

7500[DVD]



~1,2,3、・・・だぁ~!!~ 

〇はじめに 
 オカルトかよ~、しかもビックリ系。苦手なんだよ~。 まぁ死神の人形出てきたところでルート確定したけどさ。それまでのジャンルが曖昧な感じはおもしろかったかな。 

〇想起する作品 
 「シックスセンス」(1999)
  ・・・観たことない。 
 「アザーズ」(2001) 
 ・・・これもこんなじゃなかったっけ? 
 「パッセンジャーズ」(2008) 
 

〇こんな話 
 白熱7500便。これからの「命」の話をしよう。




〇命 
 それぞれに事情を抱えている様が描かれ、そしてCAを通して(自身を含め)各々の事情を探るような様子が描かれたり、頻りに過去(これまで)と未来(これから)に関しての話し合いもされている。幸せだった、不幸だった、これからどうなるんだろうっていうドラマ部分が最後のオチに活きてくる。死者に関しての言及もあると。 

 命とは生と死の状態を意味する言葉であるわけで・・・。この概念が成立するのは霊魂的な思想が根幹にあって。まぁ天国やら地獄やらあちら系の宗教でも話されるテーマではあるんですが。何て言うんですかね、ものすごい日本風テイストを感じるんですよ。見せ方なんですかね。怖ええ。成仏の話になるからか。未練がどうのと。 自覚させるために他者の介入がある話が「パッセンジャーズ」だったか。ここがまた違いなんかな、わからん。ん?、救済と成仏の違いか。 
 そもそも生と死の境界って何なんだよってな話だよな。誰も意識的に死んでる状態なんてものは知らんし(経験したことないし)、自分が死んでいるっていう自覚を持てるわけがない。では死後に意識があるのかと。今の身体はただの器でどうたらこうたらという話になっていくわけだが。
 一時期人は死の瞬間に質量が21グラムだか減るとか話題になったな。魂には重さがあると。誤差だったらしいけど。器の機能停止が我々が認識している現実世界での死ではあるわけだが。その器の原動力であったエネルギーはどこへ向かうのかと。心停止によりお花畑が見えたとかいう経験談を聞いたことがあるが、それは生き還った後に自覚したものであろう。死ぬ間際に自覚したものかもしれない。仮に死という状態を自覚していたとして、なぜ感覚器官が発達している器が停止しているのに、そのエネルギー体だけでものを認識する能力があるのか。器には意味があるってな悟りに辿りつくのか。生とは奇跡だと・・・う~む。

 ま、そんなこと考える作品じゃ決してないんですけどね。
 

〇メモ 
 爪が紫色だと酸欠状態。 

〇最後に
 最後までビックリさせてくれるあたりがね。このもう一件あるよっていう定番は頭では理解しているんだけど、さらに来るよって合図があって構えててもビックリしてしまうんだから、これはもう慣れないものなんだろうな。耐性つけるためにわざわざ大量のホラー映画観るのも嫌だしな・・・。ではでは。

2015年9月7日月曜日

テキサス・ダウン(2012)

テキサス・ダウン[DVD]


~飛ばされたいかぁ~!?~

〇想起する作品
 「イントゥ・ザ・ストーム」(2014)

〇こんな話

 わての名はアシュリー

 こんなん来ましてん

 お家も家族もどっか行ってん



  あ、おったわ

 わて置いてどこで何しててん、まったくう


〇総括
 フックエコーが今回のキーワード。新人さんがいることでちょくちょく用語を小出しにし解説を入れたり入れなかったり。で、どうなってんのんな~ってな感じで、人命救出が常にメイン。飛ばされたい方にはオススメしません。ではでは・・・。





悪女 AKUJO(2017)

~アクションは爽快~ 〇はじめに  韓国ではこの方はイケメンの部類なの? 〇想起する作品  「ニキータ」  「アンダーワールド」(2003)  「KITE」(2014)  「ハードコア」(2016)  「レッド・スパロー」(2018)...