2017年6月30日金曜日

ヒルズ・ハブ・アイズ(2006)

ヒルズ・ハブ・アイズ


~歴史は犠牲の上に~


〇はじめに
 「サランドラ」のリメイク。

 オリジナルのまんま焼き増しのように映るのだが・・・ 現代に置き換えたことで何か訴えるものがあったのか??





〇想起する作品
 「クライモリ」シリーズ




〇こんな話
 カリフォルニアに行くまでに通る道、通るべき道。



〇歴史は犠牲の上に成り立つ
 ただカリフォルニアに向かっていた一見善良な市民が襲われる惨劇。父親の元刑事という職業もそれを狙っているのか。彼ら側が正義であると、正常であると。オリジナルではあまり気にならなかったところだ。

 異常とされる食人一家が描かれるわけだが、彼らを異常と定義するのは一体何なのか、なぜなのか。



 異常となってしまった原因とするところは度重なる核実験ということになっている。しかし政府はそういった負の歴史・遺産とされるものを認めようとせず、無きものとしようとしている。忘れ去ろうとしているそうな。

 核実験というものを境に、正常と異常とされる人間たちが分岐したとして、それぞれの潮流を眺めることになる。それぞれに晒されてきた環境が異なる中、正常と異常とで両極端とされる環境(歴史)の中育ってきた者たちの対比が為されるわけだ。そんなことを踏まえ眺める惨劇、顛末。





 これは鑑賞している私の感性に依存するわけだが、正常とされる側には美人~ブス、イケメン~不細工といった具合に容姿の尺度が存在する。しかし異常とされる側にはそれすらも当てはまらない。そもそもそういった判断を下す舞台にまで上がってこないということを容姿で観せている。

 人は主に情報を視覚から手に入れるわけだが、他人との関係を図る上で重要となるのが顔(表情)というものだろう。我々は異常とされるものをまず顔で判断してしまったはずだ。異質なものだと、嫌悪したはずだ。

 これは人間に本来備わっている異質とされるものを排除する(避ける)傾向であり、というよりも人間が歴史的に、いやアメリカが大陸発見からやってきたことであり、ここも関連付けたいと思ってやっているのではなかろうか。

 しかし一方的に襲われるしかなかった正常とされる一家がとある場面から反撃に転じることになりそれが覆り始める。異常とされる一家の形態が見えてくることでだ。


 彼らもまた家族なのである。子どもがおり、養うべき者がいる。家族を食べさせるために外へ仕事へ行きお金を稼いでくるということを正常とされる者たちが行っている様に、彼らもまたカタチは異なれど同義のことをしているのである。正常な者たちからは異常とされる事象でだ。1つに人間を襲い食する。

 さらには異常とされていた家族の中の娘(少女)の存在。少女は唯一異常と認識される行動をしていない。正常とされる行動をしているわけである。赤ちゃんを守り、親へと返す。そして他人を守るという。異常な家族を嫌悪しているようでもあった。




 ここから何を見つめるのか。目を背けたくなる感情の誘発から、そもそも目を向けるところからなのだろう。

 先に手を出したのは確かに食人一家かもしれない。身の危険を感じ、確かに命を狙われていただろう犠牲者は出ているわけだから。しかし騙されたとはいえ、先に縄張りを侵したのは正常な家族の方である。騙されたというのも無神経にも人の家に勝手に侵入し詮索したからである。さらに展望するのであれば、異常とされる者たちを生んだ原因は正常とされる人間たちの過ちなわけだ。いや認めてはいないから過ちとは言わないのか。

 食人一家の1人が言う。こうなったのはあんたらの所為だと。その一家を改めて見つめてみると、人を襲っているのは確かではあるが、その襲っているのは一部の者であることもわかる。それは先ほども書いたが家族を養うためととれる。開き直りとも思ってしまうわけだが、そうせざるをえない者たちなのである。ではそんな稼ぎ頭たちが失われた一家はどうなるのか。続編を示唆する終わり方なわけだが・・・



 異常とされる行動をとっている人間だけを眺めてその一家全てが異常なのだろうかと。正常とされる家族もとある状況においては異常へと転じざるをえず、異常とされる家族に晒されてきた中にも正常な人間が生じる。皮肉なのが終始正常だったのが少女だけなんだよね。


 歴史は犠牲の上に成り立つと言うが、その犠牲から目を背け一方的な正義を押し付ることを罷り通してきた結果築かれたものがある。正確には正義が先行していたわけではなく、いろいろと理由付けして行為を正当化しただけ。この作品で言えば殺られたから殺り返す。奪われたから取り返すとともに相手のも奪う。

 被害者感情が先行する中で観せられる、正常と異常の対立と交錯。自らの行為を正当化しようと理由付けが成立する矢先にふと思い直し「あれれ?」となる。どこかの国をひたすらに皮肉った作品になっているわけですね多分。どこの国や人も・・・かな。



〇最後に
 目と心の保養・・・



 ではでは・・・


2017年6月27日火曜日

プレイ/pray(2005)

プレイ/pray


~誘拐女児~


〇はじめに
 「世にも奇妙な物語」風だなぁ~とは感じたがそちらでも活躍されてる監督だったのね。ただ長編映画向きではない作りというか、30分未満枠で描けていれば全然異なって見えてくる作品だと思う。




〇こんな話
 誘拐女児逃走中につき。






〇誘拐女児
 イマイチ誘拐した女児の立ち位置が不透明。そもそも、

 ・死んだ女児を誘拐したという体

で進めるべきなのか

 ・少女の生死が不明確であるという体

で進めるべきなのかの判断がつかない。いやその不確かさが要なのだろうが・・・


 1組の男女がどういう経緯で誘拐に至ったのかが明かされないまま誘拐が完了しているという話から、学校という舞台において繰り広げられる人間ドラマ(過去回想及び過去清算)への流れはまぁまぁまぁ・・・ 

 そこに行き着くまでに彼らの誘拐に繋がるだろうもう一つのパートが描かれるわけだが、生死不明という生と死という状態のギャップと、1年前から行方不明であるとしている時間的な隔たりとで、誘拐女児像をひたすらに曖昧にする意図はわかるが、想像していた方向ではない面で繋がりを見せたいとする話で奥行きを見せようとする試みは、間延びしているというか正直どうでもいいとも思えてしまう。誘拐女児を通した2つのパートの繋がりが何とも浅はかというかね。

 これならば人違いの件は最後まで引っ張るか、逆に最初に明かすことででは誘拐したこの子どもはナニモノなのかというところを掘り下げた方が良かったと思う。





 prayといのもどこに掛かってくるのかもよくわからなかった。



〇最後に
 私はナイフになりたい。




 ではでは・・・


2017年6月26日月曜日

ルール4(2002)

ルール4


~映画という媒体ではない~


〇はじめに
 1本の作品として観るより、のほほんとシリーズものとして観たいな。舞台は同じだが3本の話が繋がってないんだもの。

 エミリー・ヴァンキャンプは堪らない。水着回とか無かったのかな?



〇こんな話
 なんか最近町でよく事故や事件が起きる。


〇連ドラ
 とある街という舞台を地続きに1話完結方式でドラマを展開させる手法って連続ドラマの王道というか、よくあるよね。これもその類。何故全9話のドラマの内3話がピックアップされ勝手にルールシリーズの一役を担うことになったのかが心底わけわかめであるが。

 第1話にて父親の死の真相を明らかにしようとあることないこと小説にしたことで街の住人と深い溝ができてしまった主人公が、事件を皮切りにその溝を埋めていくドラマが主軸に描かれる。それを植え付けてのピエロの件を挿んだのはうまかった。そして背伸びしてみたい年頃故のエミリー・ヴァンキャンプの恋物語。堪らなかった。



〇最後に
 はじめにも書いたが連ドラとして楽しみたい。映画という単体の作品としての楽しみ方と違う話作りだからね。


 ではでは・・・


2017年6月25日日曜日

シン・アルマゲドン(2016)



~ワ~ムホ~ルっポ~ン~


〇はじめに
 何体目なんだろうな・・・





〇想起する作品
 「PLANET OF THE APES/猿の惑星」(2001)
 「バタフライエフェクト」(2004)
 「イルマーレ」(2006)
 「デジャヴ」(2006)
 「ミスター・ノーバディ」(2009)
 「リバイバル 妻は二度殺される」(2015)
 「orange」(2015)

 「PSYREN」岩代俊明


〇こんな話
 ワームホール出現・・・



 地球が別の太陽系へ・・・ 

 そこで繰り広げられるサバイバル生活がメイン。



 わかりやすさで用いたのだろうが、別の太陽系なんて存在しないんだよね。正確には恒星系か。




〇なんでもあり
 記憶喪失的な曖昧な記憶を辿るというプロセスと、現在と過去とを繋ぐことでの時間干渉を、それぞれ掛け違いにより構築することで、如何にして渦巻く陰謀を阻止するのかというところに持って行ったのはよかったと思う。

 ただワームホールなら何でもアリでしょという体で描かれているので、彼らの行動制限、枷となるものが存在しないといったところは気にかかる。直結しすぎてるんだよね。ワームホールにより地球が移動したという一番の障害が感じられない。いや逆に気にならな過ぎてどうでもよくなると言った方が正しいかな。

 あ~あと現在と過去とを繋いだのか、ワームホールによる並行世界という分岐なのかというところがようわからん。まぁもうどうでもいいんだけど。

〇最後に
 次はどんなアルマゲドンが生まれるのだろうか? 楽しみで仕方がない。

 ではでは・・・

2017年6月24日土曜日

ブリザード(2011)

ブリザード


~10分ドラマ~


〇はじめに
 夏帆かわいいよ夏帆。




〇こんな話
 雪山山荘殺人事件。





〇引き
 テンポを意識したのか毎度毎度、しかも定期的にイベントが起きすぎてどうも落ち着かない。「引き」と言えば聞こえは良いが、謎を落とし込む前に新しい展開が為されようとするので、映画という媒体にはどうも合っていないように思えた。

 そうしたらこれ10分ドラマ12話分を1つにまとめたものなのね・・・ そういう感覚(間隔)で観るようにはできておりうまかったと思う。ただ一本の作品として一本の話を通すという意味でなら、その場しのぎや思い付きによる捻りが先行してしまっておりボヤけがち。




 山の看板?に書かれている標高とGPS?とで数値が完全に一致しているという感動。腕時計に目をやり時間通りに到着したどうのこうの。そして雪山のブリザードの中における隊列。

 この辺りで既定路線的なもの、ドラマにおける釣り合いや均衡といったところを意識させ、登山シートを忘れる辺りでほつれを見せ、隊列の1人が殺されたことを決定打にいがみ合いへの発展と収束との描き方は端的だったと思う。まぁでも強引だよね。





〇最後に
 夏帆かわいかったぁ~




 ではでは・・・




2017年6月23日金曜日

ザ・リング2(2005)

ザ・リング2


~この続編はいらんかったやろ~


〇はじめに
 ん? こんなカタチで解決を見るべき作品だったっけか?? あれ???

 完全にオトしどころを見誤ったというか、そもそもの掘り下げるべきところに問題があるというか・・・



〇想起する作品
 「携帯彼氏」(2009)
 「インシディアス」(2010)
 「チャイルドコール 呼声」(2011)
 「イット・フォローズ」(2014)


〇こんな話
 サマラの出生記。





〇続編か・・・
 前作の設定を受けてという導入は続編として申し分無いだろうけど、苦肉の策だった決断がいつのまにか設定として勝手に確立してるのはまずくないかな。しかもこの設定これ以降存在価値無いし。エミリー・ヴァンキャンプ観れただけいいけど。役の名前もエミリーなんだ。いやまぁ拡散防止のための呪いの根絶、根本的な解決に立ち上がるという動機としてはわかるけどね。


 可愛い( *´艸`)




 当事者と部外者とってな話は前作からも出ていて。今回は呪いに見舞われる家族とそれを捉える周辺人物の目線ってのが何か強調されている。経験者(当事者)にしかわからない事情があるわけだが、抱えている事情によって全く見え方が異なってくるのだと。呪いに苦しむ家族を精神的な病抱えてんだろうな~ってな判断を下される。要は虐待していると。母子の関係を強調していたところに待ったをかける。これってのは謎解きや繰り返される呪い及び惨劇以外の点で、作品としての何かしらのメッセージ的な意味合いがあったのけ?




〇余談
 前作は馬が暴走して、今回は鹿が襲ってくるけどこれって何かの遊び心なの?


 エミリー・ヴァンキャンプに夢中だったから気付いたんだけど・・・

 これ連続したシーンだけど
  手が逆だよね






〇最後に
 なんかスッキリ終わっちゃったけど、謎が解明したからといって呪いが取り払われるわけではないってなところが持ち味だったんじゃないのかな。

 いやこの月が
  この開いている蓋との兼ね合いがあり・・・

 まだまだ終わらないのか?



 「Rings」っていう新作があるみたいだけどそちらに期待するかな・・・



 ではでは・・・



2017年6月22日木曜日

バンクラッシュ(2016)

バンクラッシュ


~泥棒から盗む者は・・・~


〇はじめに
 あちらさんの情勢がわからんとね・・・、ピンと来ないのよね。でもどこの国も政治腐敗に変わりが無いことに共感できてしまうのは悲しいね。


〇想起する作品
 「インサイド・マン」(2006)
 「クライム・スピード」(2014)



〇こんな話
 表から入り裏口から出るはずだった。


〇泥棒から盗む者は・・・
 作品の展開の起点となるべきだろうところが杜撰に感じてしまうのよね・・・

 銀行のシステム上(というより警報機が鳴らなくなってるってな話なんだけど)その日で無ければならなかった、その日が一番成功率が上がるとするのはわかる(まぁ速攻で通報ボタン押されちゃうんだけど・・・)。

 でもね、そんなことよりなにより一番に確保しておくべきは確認しておくべきは退路でしょうが・・・ それがいざ本番ってなって逃げようとしたら冠水してるぜベイベ、じゃないんだよ・・・ 事前に確認しておくか、退路に1人でも人員を配置しておくべきだよね。

 だからここは銀行内部の者が確認して(ノ∀`)アチャー、するのではなく、内部の者とは別視点で退路を確保する人員を置いて(ノ∀`)アチャー冠水してはるんやけど(;´д`)トホホ、として内部と通じるというカタチで観せた方がまだよかったよね。これじゃ入念な計画ではなく、全員で無鉄砲に突っ込んだってのが際立ってしまうよね。


 で、何がしたかったんだろうかってな話なんだよね。

 強盗の中でも狙いやボスが違っていたというのがあるわけだが、事前の計画や下調べの段階との状況の変化に始まり、情報の差異ってのが何かと描かれている。1つそれの究極が冠水であった。誰にも予想できなかったと。

 これが響いているわけだよね作品全体に。警察と強盗との攻防に介入してくる輩も交え皆捉えている情報が違う。捉えられる情報が違う。その捉えている情報により想定される事態に向け起こす行動が異なってくる様を楽しむわけだが、逆に同じになる様も観せられる。ハードディスクの消去の件は笑った。もし知っていたらそんなことはしなかった。

 そんな中一番に状況が把握できていない人質が一番の被害者であるわけだが強盗たちは彼らには割と親切なんだよね。銀行員には暴力振るってるけど。

 ここなのかな。何も知らない、知らされていないままに振り回され不利益を被っている人々がいる。それを良いことに大手を振って歩いているヤツらがいる。強盗事件においてこの構図を逆転させて観せていることになるよね。強盗側がはったりをかましそれに踊らされざるをえない。

 原題にもある「泥棒から盗む者は・・・」という諺?がとある場面にて挿まれる。銀行に金があるってことは余ってるってことだと。だから必要な人が使うべきだと。本当に必要としている人間にお金が行かない回らない格差と、自分たちの行いは棚に上げ好き放題する政治家たちと。こんなところを受けるとスッキリできる仕上がりなのかな。



 これも多分なんか意味があるんだよねきっと・・・




〇最後に
 「人生スイッチ」というぷっつん映画が大ヒット?したようだけど、政治不信に始まりいろいろと我慢の限界に来てるのかな? 


 ではでは・・・


2017年6月21日水曜日

ハサミ男(2004)

ハサミ男


意外と贅沢


〇はじめに
 もうただただ麻生久美子を眺める作品だよね、うん。







〇想起する作品
 「ファイト・クラブ」(1999)
 「トールマン」(2012)
 「悼む人」(2014)




〇こんな話
 ハサミ男が世間を賑わせたお話。






〇すみません
 ハサミ男を追いかける捜査官の傍ら描かれるのは男女ペアの犯行。男女の関係に何か違和感を覚えつつも、ここで明らかになるのは前提を組み違えて捜査に当たる捜査官たち。単独犯であること、そして男であると決めつけていること。しかしそれを覗けば状況分析においては光るモノを見せ、当たらずとも遠からずな推理を披露する。このギャップありきで描かれるハサミ男と模倣犯との攻防はそれなりにおもしろかった。

 しかしこれは最後の最後まで騙そうとする気概があったのか、それとも真相はこうだろうという予測を立てさせておいての2人の男女及び捜査官たちの行動の違和感を楽しませることを目的としていたのかイマイチわからない。

 分析官の精神分析が効果を発揮したのは犯人の特定よりも捜査官たちの心理操作だった。そして捜査の撹乱。今でも正確性というところに懸念はあるが、犯罪心理分析という駆け出しの時代?故の揶揄があったのか?

 

 あとこのラストの父親の死ってのはハサミ男としての罪を背負って死んだってことだよね。娘のハサミ男としての罪は無くなったことになる、赦されたことになる。娘のことを嫌いな父親などいないと。十字架を模していたことからもキリスト教(神と人との関係)との兼ね合いもあったのか・・・

 ひたすらに罪を重ねる娘に、自殺を試みる娘。娘の問に答える父親。最終的に娘の罪を背負って死んだことで娘の問に答える父親は消え去る。

 父親をイエス・キリストとして、もしくは神と見立てると何か違った見え方ができるのか??? 






〇最後に




 ではでは・・・



悪女 AKUJO(2017)

~アクションは爽快~ 〇はじめに  韓国ではこの方はイケメンの部類なの? 〇想起する作品  「ニキータ」  「アンダーワールド」(2003)  「KITE」(2014)  「ハードコア」(2016)  「レッド・スパロー」(2018)...