~意外と贅沢~
〇はじめに
もうただただ麻生久美子を眺める作品だよね、うん。
〇想起する作品
「ファイト・クラブ」(1999)
「トールマン」(2012)
「悼む人」(2014)
〇こんな話
ハサミ男が世間を賑わせたお話。
〇すみません
ハサミ男を追いかける捜査官の傍ら描かれるのは男女ペアの犯行。男女の関係に何か違和感を覚えつつも、ここで明らかになるのは前提を組み違えて捜査に当たる捜査官たち。単独犯であること、そして男であると決めつけていること。しかしそれを覗けば状況分析においては光るモノを見せ、当たらずとも遠からずな推理を披露する。このギャップありきで描かれるハサミ男と模倣犯との攻防はそれなりにおもしろかった。
しかしこれは最後の最後まで騙そうとする気概があったのか、それとも真相はこうだろうという予測を立てさせておいての2人の男女及び捜査官たちの行動の違和感を楽しませることを目的としていたのかイマイチわからない。
分析官の精神分析が効果を発揮したのは犯人の特定よりも捜査官たちの心理操作だった。そして捜査の撹乱。今でも正確性というところに懸念はあるが、犯罪心理分析という駆け出しの時代?故の揶揄があったのか?
あとこのラストの父親の死ってのはハサミ男としての罪を背負って死んだってことだよね。娘のハサミ男としての罪は無くなったことになる、赦されたことになる。娘のことを嫌いな父親などいないと。十字架を模していたことからもキリスト教(神と人との関係)との兼ね合いもあったのか・・・
ひたすらに罪を重ねる娘に、自殺を試みる娘。娘の問に答える父親。最終的に娘の罪を背負って死んだことで娘の問に答える父親は消え去る。
父親をイエス・キリストとして、もしくは神と見立てると何か違った見え方ができるのか???
〇最後に
ではでは・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿