2016年4月29日金曜日

スポットライト 世紀のスクープ(2015)

字幕翻訳:齋藤敦子


~スポットライト~


〇はじめに
 まぁ~おもしろくない。正確にはおもしろくする気が無いと言った方が正しい。決してつまらないんじゃない。楽しませる気が無いんだ。

 私の周りに限ってだが、そもそも文化が違いすぎる。教会の位置づけがピンと来ない。多少予習はしていった方が良い。あと登場人物等、名前だけでは判断が利かなくなる。多少整理が必要になるだろう。


 助けとなるかはわからないが、最近よく話題に上がる男性教師の不埒な事件と照らし合わせると理解しやすいかもしれない。先生という立場を利用して、子供に手を出すんだ。一時期話題になった政治家先生御用達の専属業者でもいい。先生々々と呼ばれ、勘違いがはじまる不届きな連中。どこの国も一緒である。それ目的でなっている連中の方が下手したら多いのかもしれないが・・・ あちらさんの事情を詳しくは知らないので比較すべきではないこともあるかもしれない。



〇想起する作品
 「大統領の陰謀」(1976)
 「ニュースの天才」(2003)
 「ゾディアック」(2006)
 「それでもボクはやってない」(2007)
 「ダウト ~あるカトリック学校で~」(2008)
  ・・・予備知識の無い方はこの作品だけでも観とくと良いと思う。

 「消されたヘッドライン」(2009)
 「デビルズ・ノット」(2013)
 
 ・・・この辺りを観られた人たちは大丈夫だろう。



〇スポットライト
 はじめにも書いたが、おもしろくない。おもしろおかしくすることは十分にできたはずだ。エンタメ性を高めると言い換えた方がいいかもしれない。しかしそうは敢えてしなかったんだ。


 事件に対する教会の姿勢と新聞社の姿勢が同じだったという体で話は進行していく。謎解きや情報のつながりにおける真相究明におもしろさを割かないのはこれのためもあるだろう。真相を明らかにいていく者たちとして、彼らを正義として描いてはだめなんだ。

 安直に彼らを正義としないための楔も打たれてはいた。記事を考えるにあたり、それぞれのネタに関して強弱を議論していた。そして取り上げ方、コラムに続報?・・・等々。

 そもそも彼らはこれをなぜ記事にしようとしたのか。スクープのためである。しかも独占の。数字を気にしたのである。ここにインターネット社会の新聞社という位置づけを持ってきたのもさすがであろう。あとこれに対しての記者たちのメモを取る姿なのよね。ひたすらに足で取材なのよね。

 そして村社会であるということ。正義か悪かではなく、多数派少数派によって勝負が決まる。被害者は多数いたわけだが、マイノリティに押し込められていたわけだ。事件が闇に葬られてきた過程もうまく演出されていた。


 被害者からの手紙もあったが、何十年も神父の体たらくを教会が黙殺。示談にてうやむやに。裏取引だから裁判所にも記録として残らない。あるものは封印されているとか。

 なぜ今まで黙っていたと言う新聞社に対して、SNAPなる組織の人間は、5年前に資料は全て送ったと。そんときに無視したのはあんたらだろと。そして情報は全て新聞社に揃っていたことも明かされる。その事実をただ繋げられなかっただけ。繋げようとしなかっただけ。

 そこからの違いがスポットライトというところに掛かってくる。過去にやらなかったからそのままで良いというわけではない。今知ってしまった。知らせなければならない。だからこそ今からでもやるんでしょと。やらなきゃいけないんでしょと。過ちを認め、彼らは意志を貫く。


 ここが教会側と新聞社との決定的な違いである。この演出は見事であった。鳴りやまない電話にはついつい涙が出た。


 局長が言う。我々は常に闇の中を手探りで歩いていると。光が当てられることで真実に気付くと。


 スポットライトが当てられることで真実に気付くのか、真実に気付かせるためにスポットライトを当てるのか。

 スポットライトが当てられなければ気付かない者たちがいる。当てられていたとしてもそれが小さかったら立ち向かえない。SNAPなる組織と新聞社との比較が良い例だろう。注目度が違うんだ。それを掻い潜って悪事を働く者、うやむやに(隠蔽)する者がいる。そのために声を上げられない者、上げたとしても届かなかった者がいる。

 ここの難しさよ、バランスよ・・・

 ジャーナリズムってのは安っすい言葉かもしれないけれど重要なんだ。

 

 だがしかしね、実際問題本当に真実にスポットライトを当てているのだろうかというのも関わってくるわけで・・・

 「ナイトクローラー」や「ニュースの天才」みたいなのもあるわけでね。その情報に対して判断する力を養わなければいけないのは、彼らの姿勢に関心したところで変わりはない・・・

 でも冷めた目で見るってのはまた違ってね・・・ そうなるとまた注目度ってのが関わってきてね・・・ 

 この辺りでやめとこう・・・




〇余談
 pray (祈り)ではなくprey(餌食)になってるってな話が出てたけど・・・ playもあるんじゃないかな・・・  RとLで発音的な隔てがあるのか、右左といった対称性をとるかで変わってくるが。

 被害者13人ってなところがあったがこれは狙ったのか本当だったのか? 

 正確な区別は分からないが、ペドフィリアは一般的に13歳以下を対象とするとウィキにある。13ってのは不吉な数字と言われているんでしょ。だから13歳の子は、場合によってはそれ以下の子は清める必要がある~とかとっ散らかった奴が出てきそうだなとは思ってしまう。神父でも少し精神年齢低めの方がいらっしゃいました。

 「記事にした場合の責任は誰が?」
という判事に対して、
 「記事にしなかった場合の責任は誰が?」
という返答。こういう返答をしてみたい。




〇最後に
 ネットが普及し情報化社会になった今だからこそ暴けることがある。これはその最たる一例ではなかろうか。紙媒体の書物を見えん(読めん)と言ったところはツボだ(昔の本って文字ちっちゃいんすよね~、今もあるだろうけど・・・)。こういったところでもアナログな世界の見えにくさを表現していた。そんな中でも現地に赴き、直接人に触れる取材を行っていく。ここに現代において逆に失われつつある透明性や信憑性を重んじる彼らのジャーナリズムが見えてくる。

 おもしろくないとは書いたが、すばらしい意義のある作品であった。

 ではでは・・・


2016年4月28日木曜日

人質(1999)



~OXYGEN~

〇はじめに
 エイドリアン・ブロディむかつくわ~(笑)


〇想起する作品
 「リミット」(2010)
 「ザ・コール 緊急通報指令室」(2013)

 この2作品のようなテンポではないので注意。


〇こんな話
 誘拐事件発生。生き埋めにされた模様。


〇OXYGEN
 原題「OXYGEN」

 これは単純に生き埋めにおけるリミットとしてある酸素と、地上にいながら酸素に不自由していないながら生きることに息苦しさを覚える者がいる、というところと掛かっているのだろう。

 地中にて空間的にも酸素的にも不自由な人間と、地上にいながら空間的にも酸素的にも自由な人間。

 この比較にて事件に緊迫感がもたらされるわけであるが、そこまで機能していない。特にタイムリミットがあるということを強く意識させない。そもそも生き埋めにされた者の「OXYGEN」がメインな作品ではないのである。地上における者たちの「OXYGEN」がメインなのである。彼らは必ずしも自由ではないと。生命維持のための呼吸(酸素)とは別に、問題があるのだと。



〇選択
 生き埋め 逮捕 射殺

 最後の選択としてはこの3つがあったわけだが、射殺が選択された。

 生き埋めを選択したとすれば、目には目を歯には歯を。同じ苦しみを味合わせてやるということになる。付け足すことがあるとすれば、それは被害者側の自己満足であるということだろう。彼がもしかしたら生き埋めを望んでいる、喜んでいると見せているのはそれもある。

 では法に則り、逮捕するを選択した場合はどうだろうか。生き埋めもそうなのだが、この選択の問題点は、犯人が生きているということにあるのである。彼女は尋問にて何を彼と話したのか。曝け出してしまったのか。

 彼女の性格は最初に描かれていた。非番であろうと職務を全うする。犯人を最後の最後まで追いかけまわすシーンで印象付けていた。それはなぜだったのか。とある闇を抱えているわけである。周囲の誰にも知られずに。知られないためにとするか。そして自らを律していた。しかしそれを彼女は尋問の最中、彼に認めさせられてしまうわけである。

 1つのハードルとしてあるのが、口に出して言うということである。自白というものに重きを置く機関ならではの描写でもあるのだろう。刑事、FBI、主人公とでひたすらに尋問していたではないか、どこに埋めたのかと。犯人に言わせるから意味があるのである。犯人しか知らないのだから。これが逆に作用していくやり取りが見ものだろう。


 つまり、彼女の秘密を知る者が生きていると彼女にとって不都合なことが起きてくるとでも解釈していただければ良いのではなかろうか。鶴の恩返しですよ(テキトウ)。


 彼女と犯人との決別なのである。彼女は自らの理解者として、夫を選んだのである。自らの変態願望だか異常欲求だかを持つ同じタイプの人間ではなく。そしてまた彼女の口が誰かしらに開かれる、彼女だけの口から何かしらが発せられることに意味がある。

 こんな感じでどうだろうか・・・





〇汗
 汗の描写が気になった。後々主犯が汗をかかないタイプであると主人公が言及している。雑用は全て共犯の奴にやらせると。肝心なところは自ら動く。

扇風機が回る中、

 犯人は汗をかかないタイプだと。涼しい顔をしている。

 刑事はシャツにひたすらに汗をかいている。隠す気はさらさらない。

 FBIはスーツを着ている。我慢している?

 ここで主人公。彼女もまた汗をかいていないのである。相棒も?


 これは何だったのか・・・


 一つには主人公と犯人とを繋げるためだっただろう。上にも書いたが、尋問の上で共通点が描かれていた。犯人も俺たちは似ていると言っていた。さらにはFBIや同僚の刑事たちとは異質なのだということもあるだろう。

 あとは刑事とFBIの比較か? 汗を隠そうともしない者と、それを悟られまいとする者。


 ブルーカラー、ホワイトカラー的な話もあったのか・・・


〇最後に
 「人質」じゃ何やわからんくなってしまう気がする・・・ 「酸素」としてもダサいのはわかるけどね・・・

 ではでは・・・


2016年4月27日水曜日

アイアムアヒーロー(2016)

~ズキュン~



〇はじめに
 これは収穫。おもしろかった。最初のZQNの描き方はジャパニーズホラーならではか? 怖かったな・・・

 日本のサマー・グローになってくれ架純ちゃん。


〇想起する作品
 「バイオハザード」シリーズ
 「28日後...」(2002)
 「ドーン・オブ・ザ・デッド」(2004)
 「28週後...」(2007)
 「ワールド・ウォーZ」(2013)

 「アポカリプスの砦」
 「バーサス・アース」


〇こんな話
 これは、土佐犬を噛んだ者たちの熱きチェイス物語。


〇ギャップ
 社会の秩序の崩壊前と崩壊後の比較がとある基準が持ち出されひたすらに描かれていた。中でも面白かったのがロレックス。

 「お好きなのどうぞ」と大量のロレックスを差し出されたらどうするだろうか? どう解釈するだろうか?


 おそらくほとんどの方が、数ある中から自分の好みを1つだけ選び出すと捉えるのではなかろうか。

 違うのである・・・

 「お好きなのをどうぞ」ではなく、「お好きなだけどうぞ」となるのである。ここはついつい笑った。噛まれたと印象付けて見せたセンスもツボ。


 しかし一番面白かったのはテレ東(東テレって言ったっけ?)がアニメ放送してる内は大丈夫ってな台詞ね。あそこは相当アニメやりますよね~ww 


 ロッカーにしまってあった猟銃と、ロッカーに閉じこもった(隠れた)英雄の件も中々。

 今の社会で言われる負け組ってのは何も失敗したからだけでは無い。その前段階。完璧主義者って言えば聞こえは良いが、それに囚われて行動に出られない人間が多いんだんよ。負のイメージが先行する。負の妄想力がひたすらに卓越してるんですは。

 新人賞を取ってからは連載に恵まれず、普通を走ってきた。何かしら普通じゃないからおもしろいんですよね、空想のものって。しかし現実と通ずるものがあるからワクワクするわけでね。要は勝負に出られなかったわけだ。それが世界の崩壊によって変化していく。編集部におけるやり取りを含め何ともわかりやすく描いていた。

 そんな人間たちと銃の威力とってのが、ロッカーを通じて掛け合わされてたのではなかろうかと。銃は弾を込めにゃ意味ないねん。銃は引き金を引かにゃ意味ないねん。そして何より当たらにゃ意味ないねん。高橋大輔がひたすらに外しとったやろ。似てますよね? 英雄が持ったら・・・ 使い手にもよるわけですよ。

 この話は究極千里馬と伯楽の話にまで行くから割愛するけど。馬鹿と鋏は使いようの方が良いかな・・・ そんな受け身な人間がってなところのお話でもあるわけでね。私だって長澤まさみに言われたらね、ZQNになったって彼女を助けに行きますよ。


 明日は・・・、お外出よ。


 原因不明な点は多々あるが、なぜZQNが広まったのかということよりも、ZQNという存在を示すことに意味があったのだろう。ZQNを過去に生きる者たちと定めることで、ZQN発生前後の世界を比較することができる。それは上に少し書いたので参照していただく。


 そしてその狭間に位置している有村架純ちゃんの存在も活きてくる。彼女がいることでZQN発生後の世界の開き直りと、過去のしがらみや人間というものの位置づけ(人間性)に思考が向けられるわけである。葛藤があるわけだ。狙われたでしょ彼女が。彼女はZQNなのか否か。ZQNの定義が寝ない、呼吸しないだとかいろいろ提示されてたではありませんか。それに対して彼女は? でも噛まれて何やかんやありましたよねと。崩壊後の世界における彼女のあやふやさが意味を持つわけである。

 過去の世界の常識を持ち出し、崩壊した世界を浸透させていく。最初彼女(てっこ?)に襲われてからの段々と大通りに出ていくことで、現象の規模を観せたのもすばらしかった。そしておそらく最後の本名を名乗る件も意味があったのではないか。それまではとあるコミュニティにてあだ名で呼びあっていた。今までの名前が意味を為さない。経歴すらも。そもそも持ち出す必要も無い。どっかの官僚がタクシーにてアボンしてたでしょ。タクシーの運ちゃんも。ニートのくせにと罵る伊浦の空しさも響く。今なんだよ重要なのは。知識として、経験として、実力として必要になってくる場面はそりゃありますよ。でもそこでやるかやらないか、いや、殺るか殺られるかの問題が一番でして。

 それぞれの人間ドラマが見えないのは当たり前なんですよ。そもそも見せようとしてませんしね。その上でのお話なのですよ。


 そんなことより何より架純ちゃんとのやりとりが最後のところで利いてくるのである。

 アイアムア・・・



 うむ、おもしろかった。




〇難点
 高跳びの選手を観せたのはなんとも唐突。人を見ない世の中と言われる中で、ZQNの観察として持ち込んではいるが、これではフォローになっていない。棒高跳びの選手とかにするともっとギャグ要素は高まったはず。

 そして手拍子(拍手)を要求するシーン。これは屋上に残る女性たちの音を出すシーンと絡めるべきではなかったのか? 絡めてたっけ?

 屋上に戦える人間を残しておかなかったのはセーフティゾーンという位置づけによる油断ともとれるが、馬鹿だなとしか思えない。

 猟銃における段数2発というのもラストの件だけではちときつい。見応えは十二分にあったが。大泉洋マジかっけぇな。そっからの後部座席座っているのも笑えた。こういうのって基本ヒーローが運転するじゃないですか・・・ww

 地上を制圧した後に高跳び選手だけが降ってくるが、ここはよく妄想、いや現実逃避されがちな空から美女が降ってくるっていう訳の分からない設定のお話と掛けてくれてもよかった。

 あとはもう少し善悪の基準を示すものを出してくれた方が崩壊具合は伺えただろう。グロ要素は十二分だった。エロ要素を加えてくれると・・・ でも架純ちゃんはダメ!!

 あとゾンビのパワー増強系ね。リミッターが外れることで万パワー出せるようになるのだろうが、それによる代償は描いて欲しかった。屋上で立てなくなるとか。



 ZQNを殺すのと、人間を殺すのと、ZQNにならず人間のまま死ぬというのと、ここら辺を続編では深めていくのだろうか・・・



 シートベルトの件をよう観るな。この前の名探偵コナンでも描かれていた・・・



〇ズキュン
 有村架純ちゃんがかわええんだ・・・

 にゃんにゃんポーズは何かと思ったら、猫缶の件だけか~い!

 餌横取りしたらぷんぷんしてるし~

 もっといろいろと観たかったぞおおおおおおおおおおおおお

 あああああああああ、半分こしてええええええええええええええええええ


 俺は、君のお守りになる!!」


・補足
 彼女のお守りが何だったのかを思い出していただければ、このセリフの気持ち悪さは理解していただけると思う。


〇最後に
 今までのゾンビを扱った作品ありきで作られてはいるだろう。その分ZQNに関しての説明を省くことができた。そして崩壊前後の世界の比較も社会批判とまで言えるかはわからないがうまく観せていた。ここをよく思われないような方もチラホラいるようだが、私は功を奏していたと思う。最後にもう一度、おもしろかった。

 ではでは・・・



2016年4月26日火曜日

リクルート(2003)

リクルート[DVD]


~情報戦~

〇はじめに
 コリン・ファレルにアンドリュー・ガーフィールドを垣間見た。


〇想起する作品
 「守護神」(2006)
 「アメリカを売った男」(2007)
 「エージェント・ライアン」(2013)
 「パワー・ゲーム」(2013)
 「キングスマン」(2014)
 「ラスト・リベンジ」(2014)
 「スパイレジェンド」(2014)

 「モンキーターン」
 「CØDE:BREAKER」


〇こんな話
 CIAに、俺はなる!!


〇情報戦
 教官と教え子(師弟関係)だということを強調し、主人公ならではの特別扱いを見せ、(彼が主体の)任務遂行者と認識させ、監視対象を提示することで、一方的にしか事象にアプローチ出来ていなかった、させていなかったとさせるのはうまい。よくある手口だ。築いたら悪事の片棒を担がされていたと。

 どこまでが真実でどこまでが嘘なのか。うわべだか虚像なんて言葉を使ってたか。意図的に制限して与えられる、止むなく限られることもある情報に関して何かしら判断を下さなければならないわけで。その情報をどこまで捉えられているのかと。如何にして信用できると判断するのかと。ここの問題点を、盗聴や監視カメラの限界、嘘発見器の存在を示しての心理戦等を交えながら展開していくわけだが、大しておもしろくもない。


 情報戦においてバークが全てを支配していたはずであったが、それを逆手にとり見事ハメることに成功。ここの駆け引きにおける皮肉はおもしろいか。知っているが故の勘繰りと開き直り。自ら全てを暴露し始め、気付いた時には時すでに遅し。しかしラストは彼がその場で描いた筋書き通りになってしまうという、乗せられてしまうCIA捜査官たち。ここはどう観るべきなのだろうか・・・。

 情報の質や量が重要視されがちである情報戦。知らない方が結果的に良かったこともあったりする。情報を得てそれを判断し行動するのが、全知全能ではない人間であるからなわけであるが。主人公のうわべだけの情報提示と、バークの下手な勘繰りと、耄碌してる他のCIA捜査官たち。この構図は・・・


 結局承認欲求につながる。最初にバーク自らが訓練生に説いている。これは強い愛国心ならではか。自国の民が敵として牙を向きはじめることへの警鐘か。2003年時はわからないが、最近は内に敵を作るのが流行ってるしな。


〇最後に
 なんかこれと酷似した作品があったと思うんだが・・・、思い出せない。思い出したら追記しておく。

 ではでは・・・


2016年4月25日月曜日

江ノ島プリズム(2013)

江ノ島プリズム[DVD]

~プリズム~


〇はじめに
 演技に関してとやかく言う気は無いが、本田翼は陰りが本物なので、闇を抱える役柄をやっていけばいいと思う。あれは作ってできるものじゃない。


〇想起する作品
 「時をかける少女」
 「バタフライ・エフェクト」(2003)
 「ザ・ドア 交差する世界」(2009)
 「orange」(2015)

 「黄昏乙女×アムネジア


〇こんな話
 生きていてほしい、笑っていてほしい。


〇プリズム
 何度も何度も過去に戻り思考錯誤右往左往。これが友達を想う気持ちの大きさの表現なのだろう。そしてラストの決断。この切なさが見どころか。



 タイムトラベルに関してはすっぱりと割り切っている。鑑賞者に混乱を来さないためか、製作者が混乱しないためかはわからないが。

 過去だけにて時間は流れている。過去への移動はトンネルという定点。戻ってくる未来は朝の9時。これを定めたのは過去の行動にて変化する未来の微小な変化をはっきりさせるためだ。タイムトラベルを含む作品を好む方はここに違和感を持たれるかもしれないが、ここは割り切った方が正解だ。過去の自分はいったいどうなっているのか。ほんの少しだけ触れられたがいっその事無くてもよかった気がする。


 プリズムの話が唐突ではあるが、ここから(タイム)プリズナーという時間の狭間に囚われた人間につなげ、さらにはタイムトラベルにおける重要なポイントであるトンネルというところとも掛かっていたのでそこは中々に素敵であった。

 彼らは子供のころからの友達だった。思い出もたくさん築いてきた。そんな彼らが辿った一つの未来。誰もが闇を抱えることとなり、トンネルから抜け出せない。主人公はそれを清算するために何度も何度もトンネルに入っていく。過去を、未来を変えるために。

 電車がトンネル内に入ることで過去へとタイムスリップする。正確には阿笠博士が開発した腕時計型タイムマシンを使うわけだが・・・。その中で試行錯誤するわけである。過去を変えるために。2人を助けるために。トンネルから抜け出るとき何が広がっているのか。

 プリズムに入った光はどうなるのか。あらゆる工程を経て出ていくわけであるが。虹(色)となって出てくるという方ではなく、光が分けられて出てくると解釈した方が良いのだろう。しかしその色たちは我々に綺麗と思わせる。



 結末として、他人になったとしても生きている、笑っている。この見せ方は某作品にても描かれた、今となってはベターなエンドであるが、トンネルから抜け出る、プリズムによる光の分散とを掛け合わせたのは評価したい。




〇未来穂香
 この子のどこか寂し気な感じがツボだった。








〇最後に
 そうだな、特におもしろいとは感じないものの、うまかったとは思う。

 ではでは・・・




2016年4月21日木曜日

グランド・ジョー(2013)

グランド・ジョー[DVD]


~替え~

〇はじめに
 久しぶりにニコラス・ケイジの作品で感動した。個人的に「ウェザーマン」が好き。



〇想起する作品
 「グラン・トリノ」(2008)

〇こんな話
 ゲリーに過去の自らを見るジョー。何かと世話を焼いてやるようになる。ゲリーの働きぶりや熱心な姿勢から自立を促すが、妹の世話等家庭の事情が絡み、現状から、父親の束縛から抜け出せない。はてさて・・・




〇替え
 ゲリーはジョーの元で木を殺す仕事をしていた。死んだ木しか材木業者は伐採できないんだとか。だから彼らが雇われている。意図的に木を殺していく。

 これに対し最後ゲリーは木を植える仕事に就く。ここが何ともグッときた。ジョーに助けられ、ジョーをよく知る人間にまた助けられる。彼は、彼の人生を歩き出す。
 

 これをもう一歩・・・

 彼らは雇われの身である。ジョーがゲリーらを率いていたように、ジョーもまた雇われているのである。木を殺す毒(薬品系)が使われるどこか物騒な仕事。誰であろうと雇う姿勢を見るからに危険な仕事なわけだ。変な話押し付けられているわけで。まぁ~需要があるから供給があると言えるのだが・・・

 統括する者の存在を示唆していたのではないのかと。なぜ木を殺すのか。伐採するためである。そして何よりお金になる新しい木を育てるためである。一連の流れがあるわけだ。ジョーの仕事は木を殺す。ジョーの友人は木を植える。これにより材木業者は利益を生み出しているわけである。これが最後の件の示唆なわけであるがここでは下衆い目線で行こう。

 雇用者から言ったら替えが利くのである。木も人も。金にならない木なら切って別のを生やせばいい。仕事をやりたい奴はいくらでもいる。誰かがやらなければ別の誰かがやる。こんな具合に。彼らのそれぞれの人生なんて関係ない。見ていない。見る必要なんてないのだから。これをジョーは、ゲリーが社会から見捨てられた者と表現している。

 雇われの身でありながら、雇用者でもあるジョー。何度もクビにしている人間がいるとは言っていた。実際にゲリーは雇い続け、父親は即刻クビにしている。なぜ刑務所に戻りたいのかと警官は聞く。思考・価値観の板挟みになっているわけである。彼のやりどころのない憤りはこの葛藤も含まれているのであろう。

 木は殺しても、切っても、また別のを植えて育てればいいかもしれない。

 しかしゲリーはどうだ?

 まだ若くこれからをいくらでも望める少年。彼は妹を、母を?守らなければならない。ゲリーという替えの利かない人生のために、ジョーは障害となるものを排除する。




 事前に番犬同士の殺し合いを見せたのは、暴力に頼り切った行く末を見せるためだったのか。この世界において強い奴が生き残る。弱肉強食である。

 では、人間にとって強いとは何なのか・・・




〇最後に
 これからのニコラス・ケイジはこの路線で行ってくれて構わない。

 ではでは・・・


2016年4月20日水曜日

GANTZ:PERFECT ANSWER(2011)

GANTZ:PERFECT ANSWER[DVD]


~小島多恵~

〇はじめに
 制作費を謳うだけあって、日本のSF映画にしてみたらよくできていたと思う。アクションも観られるものだった。しかしあちらだったらと思うと・・・ 戦闘シーンに関して、「クロニクル」であれだけできたんだ。「マン・オブ・スティール」なんてもっとすごかった。まだまだこんなんで満足してもらっては困る。よろしくお願いしますm(__)m


〇こんな話
 多恵ちゃん守る。


〇吉高由里子

 この感じが好きなんすよね~・・・ 伝わるかな~










































〇最後に
 私も宿題見てもらいたかったな~

 ではでは・・・

2016年4月19日火曜日

ドクターカー ~絶体絶命を救え~ 第1話

~剛力人気今だ衰えず~


〇はじめに
 ネットで話題沸騰だったので試しに鑑賞。とりあえずひどかった。剛力押しや剛力人気に便乗して鑑賞の有無に関わらず批判が殺到している風に仕立てたいであろうことはわかるが、それを抜きにしても中々にお粗末だった。

 あれ? 女優活動休止??

 ちなみにランチパックのCMに出始めたころから大ファンです。


〇混乱
 最初のドクターカーの出動の様子からの実際とのギャップ。主人公の能力が秀でたものだと見せ、それに伴う仲間たちが彼女に信頼を寄せ互いに認め合っているのであろうことを見せてからの。

 ここは良かったのではないだろうか。彼女の棒立ちも利いている。しかしここからがいただけなかった。

 彼女は、すぐさま治療しなければならない人間が目の前にいる中、周りでは救助活動真っ只中、今ここで治療しなければいけない患者がいるんですとセンター長にわざわざ詰め寄る・・・ そんな場合か? んなことわかってセンター長はごみ発言してんだよ。お前の矛先はどこに向いているんだ。何に視線を注いでいるんだ。

 考えてみよう

 彼女は先ほど最善の、最適の、最高の準備をしたのではないのか。彼女には必要なものはわかっている。そして揃っている。お金ではないんだと。患者を助けたいのだと叫んでいる。

 ではなぜそうしない。一刻を争うのだろう? その手にはその力があり、手が届くところに患者はいる。目を向ける場所が他にあるだろう。

 彼女の言う患者優先という綺麗事だけでは片づけられない実情があるだろうことはわかる。この矛盾や偽善に対して突きつけられる現実としたいのかもしれない。

 でもこの問答はいらない。現場にてセンター長に噛み付く余裕があったと見せてはいけない・・・ 立っていることがいっぱいいっぱいであると見せた後に・・・ 上に挙げた疑問が燃え上がるのよ・・・



 そもそもなぜこれを引きずるのか。目立ってしまうのか。彼女のポジティブさである。自称ではあるが。ただの強がりととるべきなのだろうことは後々に明らかになってくる。息子で描かれていた。お相撲云々。

 これを踏まえての開き直りの描き方は良かっただろう。やりたいことも見えてきた。しかしだ、その流れを描く上での順序というかなんというか・・・ 先に立たせるべきこと、ドラマという部分での優先順位が何とも曖昧で・・・ 彼女という人間がひたすらに見えないんだ。

 事前にポジティブさを見せていた意味が無い。念願の職場である。そこで彼女が正しいと思ったことをしての批判など気にする必要はなかろう。ここの迷いが、ただの強がりだったことが露呈するのか、息子を思ってなのか、過去のトラウマがあるのか、その辺が全く見えてこない仕様になってしまっている。

 尺の上で端折るのは仕方のないことかもしれない。でもそのおかげで主人公が見えない。採用のところは「GTO」みたいにしても良かったでしょうよ。そうすれば理事長の狙いもストレートに描けたでしょうよ。息子にポジションあげてるボンクラに見えなくもないんだ。

 元々をおかしくしている要因は、ギャップを構築するためのものだった彼女の能力にある。この能力は何のためのものなのかということである。準備のためのものだろう? 治療におけるのはもってのほか。それよりもあるのが、悲惨な現場において救出する、救命するという心の準備として機能しているのではないのか。なぜ棒立ちになるのだと・・・ この辺も突っ込ませてはいけないところだろう。想像をボカしていたことでフォローが入っていたのだろうか・・・ 能力は後々に開花していくというカタチをとっても良かっただろう。


 そしておそらくは通報からの断片的な情報を元に現場を想像し、最善の準備を整えることができる彼女の能力。これを後々に大きな問題として絡めていくのだろうと。現場における命の選別等もやるのでしょう。非情な決断をしなければならないと。救えない命もある。すべての命を救えるわけではないと。

 しかし一番に見せたいであろうところは息子の件なのだろうと。患者を最優先にするというところで、自分の息子の異変に気付かなかったとするのだろうと。まぁ~よくあるパターンですね。

 1話目で終わっちゃったよ・・・

 そしてここにも少し難があった。お弁当の件である。保育園にはお弁当が必要ないことすら念頭に無い。子育てってのは線引きが重要じゃないのか。何をすべきなのかと。お弁当をついつい作ってしまったテヘペロで息子への愛を描いているとは解釈できない。逆に作用している。そもそもこいつは息子のことに相当無関心なのではなかろうかと。故に混乱するわけである。彼女にはいったい何が見えているのかと。息子がいるからワインはもう飲めないというところも利いてこない。これでまず母親像が崩壊する。

 息子の視線の高さに合わせる画はよく交えたとは思う。しかしここにも先ほどの点から違和感を覚える。事前に自分の家族ではない患者と向き合わせる彼女も入れるべきだっただろう。

 どうせならば、物忘れというどじっ子ギャップよりも、オペの腕は良いが、お弁当のセンスは最低とすればよかったのではないか。オペとお弁当作りを照らし合わせるように撮っているとも感じたんだ。


 第1話だけの判断だが、彼女という人間はまず自分の意見が何よりも先に立つ。そしてそれ以外が見えなくなる。そして一番の問題は理解してもらおうとするところだ。たとえどんな状況にあろうと。これがポジティブとは相反すると感じてしまう人多数ではなかろうか。

 理解してほしいと思うことは何ら問題はない。ただ理解という承認を得てからでないと咄嗟の時に行動できないと見せてしまったのがいただけないのである。ポジティブを強調したいのならば、まず理解云々ではなく行動して、後々にどうにかなるでしょと、理解してくれるでしょと見せればいいわけである。そこから葛藤や苦悩を見せればいいわけである。

 例えば、最初彼女のおかげで失敗したと見せるならば、彼女の決断したことを実際にやらせてどん底に落としてやればいい。立ち上がらせないぞと、出鼻を挫いてやればいい。センター長もバカだからな仕方ないけど。完全なヒールになりきれていない。

 そんなどん底から、最初は四面楚歌の中、だんだんと理解者が現れる、増えていく。この他者の絡みでドラマ部分を掘り下げていくからおもしろいのである。そのつもりで描いているのだろう・・・ 相撲の件で家族の理解を見せたところがその片鱗だ。これから職場で新しい風を巻き起こしていくことだろう。何ともおもしろそうだ。

 しかしだ

 この初回を観ればなんでこんなに作りがお粗末なのかと。こんなドラマ誰が楽しいんだと思ってしまう事必至ではないだろうか・・・


 まとめると・・・

 先ほども少し書いたが、しっちゃかめっちゃかになっちゃっている。描きたい流れはわかる。評価してあげたい。でもそれを引き立たせるものが後々にひたすらに矛盾や疑問をもたらしてくる。もうちょっと整理できただろう・・・



〇最後に
 第2話以降は挙げないと思います。「ヒガンバナ」も途中で挫折してしまいました。すみません。

 ではでは・・・



悪女 AKUJO(2017)

~アクションは爽快~ 〇はじめに  韓国ではこの方はイケメンの部類なの? 〇想起する作品  「ニキータ」  「アンダーワールド」(2003)  「KITE」(2014)  「ハードコア」(2016)  「レッド・スパロー」(2018)...