2016年4月19日火曜日

ドクターカー ~絶体絶命を救え~ 第1話

~剛力人気今だ衰えず~


〇はじめに
 ネットで話題沸騰だったので試しに鑑賞。とりあえずひどかった。剛力押しや剛力人気に便乗して鑑賞の有無に関わらず批判が殺到している風に仕立てたいであろうことはわかるが、それを抜きにしても中々にお粗末だった。

 あれ? 女優活動休止??

 ちなみにランチパックのCMに出始めたころから大ファンです。


〇混乱
 最初のドクターカーの出動の様子からの実際とのギャップ。主人公の能力が秀でたものだと見せ、それに伴う仲間たちが彼女に信頼を寄せ互いに認め合っているのであろうことを見せてからの。

 ここは良かったのではないだろうか。彼女の棒立ちも利いている。しかしここからがいただけなかった。

 彼女は、すぐさま治療しなければならない人間が目の前にいる中、周りでは救助活動真っ只中、今ここで治療しなければいけない患者がいるんですとセンター長にわざわざ詰め寄る・・・ そんな場合か? んなことわかってセンター長はごみ発言してんだよ。お前の矛先はどこに向いているんだ。何に視線を注いでいるんだ。

 考えてみよう

 彼女は先ほど最善の、最適の、最高の準備をしたのではないのか。彼女には必要なものはわかっている。そして揃っている。お金ではないんだと。患者を助けたいのだと叫んでいる。

 ではなぜそうしない。一刻を争うのだろう? その手にはその力があり、手が届くところに患者はいる。目を向ける場所が他にあるだろう。

 彼女の言う患者優先という綺麗事だけでは片づけられない実情があるだろうことはわかる。この矛盾や偽善に対して突きつけられる現実としたいのかもしれない。

 でもこの問答はいらない。現場にてセンター長に噛み付く余裕があったと見せてはいけない・・・ 立っていることがいっぱいいっぱいであると見せた後に・・・ 上に挙げた疑問が燃え上がるのよ・・・



 そもそもなぜこれを引きずるのか。目立ってしまうのか。彼女のポジティブさである。自称ではあるが。ただの強がりととるべきなのだろうことは後々に明らかになってくる。息子で描かれていた。お相撲云々。

 これを踏まえての開き直りの描き方は良かっただろう。やりたいことも見えてきた。しかしだ、その流れを描く上での順序というかなんというか・・・ 先に立たせるべきこと、ドラマという部分での優先順位が何とも曖昧で・・・ 彼女という人間がひたすらに見えないんだ。

 事前にポジティブさを見せていた意味が無い。念願の職場である。そこで彼女が正しいと思ったことをしての批判など気にする必要はなかろう。ここの迷いが、ただの強がりだったことが露呈するのか、息子を思ってなのか、過去のトラウマがあるのか、その辺が全く見えてこない仕様になってしまっている。

 尺の上で端折るのは仕方のないことかもしれない。でもそのおかげで主人公が見えない。採用のところは「GTO」みたいにしても良かったでしょうよ。そうすれば理事長の狙いもストレートに描けたでしょうよ。息子にポジションあげてるボンクラに見えなくもないんだ。

 元々をおかしくしている要因は、ギャップを構築するためのものだった彼女の能力にある。この能力は何のためのものなのかということである。準備のためのものだろう? 治療におけるのはもってのほか。それよりもあるのが、悲惨な現場において救出する、救命するという心の準備として機能しているのではないのか。なぜ棒立ちになるのだと・・・ この辺も突っ込ませてはいけないところだろう。想像をボカしていたことでフォローが入っていたのだろうか・・・ 能力は後々に開花していくというカタチをとっても良かっただろう。


 そしておそらくは通報からの断片的な情報を元に現場を想像し、最善の準備を整えることができる彼女の能力。これを後々に大きな問題として絡めていくのだろうと。現場における命の選別等もやるのでしょう。非情な決断をしなければならないと。救えない命もある。すべての命を救えるわけではないと。

 しかし一番に見せたいであろうところは息子の件なのだろうと。患者を最優先にするというところで、自分の息子の異変に気付かなかったとするのだろうと。まぁ~よくあるパターンですね。

 1話目で終わっちゃったよ・・・

 そしてここにも少し難があった。お弁当の件である。保育園にはお弁当が必要ないことすら念頭に無い。子育てってのは線引きが重要じゃないのか。何をすべきなのかと。お弁当をついつい作ってしまったテヘペロで息子への愛を描いているとは解釈できない。逆に作用している。そもそもこいつは息子のことに相当無関心なのではなかろうかと。故に混乱するわけである。彼女にはいったい何が見えているのかと。息子がいるからワインはもう飲めないというところも利いてこない。これでまず母親像が崩壊する。

 息子の視線の高さに合わせる画はよく交えたとは思う。しかしここにも先ほどの点から違和感を覚える。事前に自分の家族ではない患者と向き合わせる彼女も入れるべきだっただろう。

 どうせならば、物忘れというどじっ子ギャップよりも、オペの腕は良いが、お弁当のセンスは最低とすればよかったのではないか。オペとお弁当作りを照らし合わせるように撮っているとも感じたんだ。


 第1話だけの判断だが、彼女という人間はまず自分の意見が何よりも先に立つ。そしてそれ以外が見えなくなる。そして一番の問題は理解してもらおうとするところだ。たとえどんな状況にあろうと。これがポジティブとは相反すると感じてしまう人多数ではなかろうか。

 理解してほしいと思うことは何ら問題はない。ただ理解という承認を得てからでないと咄嗟の時に行動できないと見せてしまったのがいただけないのである。ポジティブを強調したいのならば、まず理解云々ではなく行動して、後々にどうにかなるでしょと、理解してくれるでしょと見せればいいわけである。そこから葛藤や苦悩を見せればいいわけである。

 例えば、最初彼女のおかげで失敗したと見せるならば、彼女の決断したことを実際にやらせてどん底に落としてやればいい。立ち上がらせないぞと、出鼻を挫いてやればいい。センター長もバカだからな仕方ないけど。完全なヒールになりきれていない。

 そんなどん底から、最初は四面楚歌の中、だんだんと理解者が現れる、増えていく。この他者の絡みでドラマ部分を掘り下げていくからおもしろいのである。そのつもりで描いているのだろう・・・ 相撲の件で家族の理解を見せたところがその片鱗だ。これから職場で新しい風を巻き起こしていくことだろう。何ともおもしろそうだ。

 しかしだ

 この初回を観ればなんでこんなに作りがお粗末なのかと。こんなドラマ誰が楽しいんだと思ってしまう事必至ではないだろうか・・・


 まとめると・・・

 先ほども少し書いたが、しっちゃかめっちゃかになっちゃっている。描きたい流れはわかる。評価してあげたい。でもそれを引き立たせるものが後々にひたすらに矛盾や疑問をもたらしてくる。もうちょっと整理できただろう・・・



〇最後に
 第2話以降は挙げないと思います。「ヒガンバナ」も途中で挫折してしまいました。すみません。

 ではでは・・・



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