~パパはどこ?~
〇はじめに
下記に挙げる作品を観ている人は、おそらく兄弟(双子)が最初に遊んでいるところで1つの真相に辿り着いてしまうと思う。しかしそれをもってしても、母親のやるせなさや悲しみ、少年のサイコ具合は痛いほど伝わってくる。あとGが気持ち悪い。
〇想起する作品
「オーメン」
「ミザリー」(1990)
「シークレット・ウィンドウ」(2004)
「ハイド・アンド・シーク/暗闇のかくれんぼ」(2005)
「エスター」(2009)
「チャイルドコール 呼声」(2011)
「天才スピヴェット」(2013)
「ネスト」(2014)
「青鬼」(2014)
〇こんな話
パパはいったいどこ行ってん!? ママにばかり押し付けるなよかわいそうに。
〇騙される心理
観せ方を工夫している反面、特には導入部分であるが、肝心のミスリードである母親に対する違和感よりも、双子に対する違和感が先行してしまうのが少し残念。
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工夫している面を挙げるならば、
ルーカスの名前はひたすらに出てくるが、エリアスという名前が中々出てこなかった(気がする)ところか。これは母親側から見れば、両者を区別する必要が無かった、正確には区別する必要が無くなったと見ることができる。私の勝手な思い込みかもしれないがこれはうまかった。
あとは時折服を交換し、母親がルーカスを認識しているのではと見せる場面を混ぜ込んでいるところ。エリアスとルーカスの見分けをつけなくさせようと混乱させている。確かこの辺りまでエリアスという名前は出していない・・・気がする。
もう一工夫してほしかったところ・・・
母親にはルーカスが見えないというところで、逆にルーカスが見えないことで母親には見えているものがあるってな逆の発想を入れていただけるとより光る作品になったはず。ルーカスが隠しているけど、母親にはダダ漏れ的なさ・・・
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双子に違和感をもってしまうと、母親のマミーによる不気味さが機能を果たさなくなる。そして双子が母親に対する違和感を口にする場面で、母親に目を向けさせようとしている狙いが露呈してしまうためにこれも逆効果。双子に疑いの目が向けられてしまう。
だからこそ最初はもっと気を使ってほしくあった。序盤はもう少し小出しでよかったように思う。
しかしだ、
真相に関する謎解きがメインというよりも、敢えて真相をチラつかせてその家族像を見せようとしていた気がしなくもない。母親のどうしてこんなことにという息子に対するやるせなさや、どうしようもない悲しみの表情は抜群だったし、それを踏まえさせての少年のサイコ具合は見事にマッチしている。そこは評価したい。
〇疑念
猫はキリスト教関連で何か意図していたのか??
マミーが寝たフリして何か食べてたのは何だったんだ??
一番は赤十字の連中よね。勝手に家に上がり込んでくるんですか? 鍵開いてるじゃねえよww ママが帰ってくるまで待たせてくれてww 居座ってんじゃねえよww 金の計算なんか帰ってからやれww これわざとやったのかな?
〇最後に
なんだかんだ書いたが、騙される系統の作品では良い題材になる作品。この手の作品が好きであればなかなかの満足度を得られるはず。観といて損は無い。
ではでは・・・
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