2014年2月21日金曜日

桐島、部活やめるってよ (2012)

桐島、部活やめるってよ[DVD]

~桐島、キリシマ、きりしま・・・・~

 桐島という謎の人物に翻弄されるある生徒たち。一向にこ奴は出てきません。いや~この設定というか観せ方はSF映画に活きるな~と思いつつ、「冷たい校舎の時は止まる」が頭をよぎりました。


〇微妙な時期
 いろんな悩みが尽きないですね高校生という時間は。夢、恋愛、友情などなど。ま、基本人間関係ですかね。

 その人自身にしかわからない悩みというのは存在して、それは自分で解決しない限り吹っ切れることはない。他者の介入する余地が無い場合があるんですよね。でも自分ひとりで解決する力が無い。モヤモヤしますね~。そしてイライラ。

 夢を追いかけている者には辛い時期です。現実が見えはじめます。ただやみくもに追いかけるのではなく具体性を増していかなければならない。そして自分は特別ではないという・・・現在地・立ち位置が見えてくる。才能というものは確実に存在し、努力じゃ埋められないものが確実に存在する。世界はこんなにも理不尽だと声を大にして言いたい。努力をすれば・あきらめなければ絶対結果(良いこと)がついてくるなんてのは勝者の戯言です。そして私が今言っていることは負け犬の遠吠えです。

 あと学校という場が大事ですね。言い方は悪いかも知れませんが成長の差というのがいい味を出してくれる。つまり価値観が違うわけです。お互いに衝突・反発し、諭し諭され・・・確実にその問題自体が収束する(答えにたどり着く)わけではないのだけれどその過程こそが学びであると成長であると、そう信じたい。

 当事者にしかみえていない・みえてこない問題というのがありまして、この映画はその問題を鑑賞者の視点(第三者)に立たせることによって、否応なくそれぞれの過去を振り返させ見つめ直させてくれる。と勝手に思い込んでいます。


〇以下戯言
 山本美月が昭和風すぎやしないだろうか?
 橋本愛の魔性具合が半端ない。
 神木君が歳を取っていない気がする。

ザ・ファン (1996)




ある男がある境遇から、ファンであった野球選手のストーカーになるお話。

〇経緯
ストーカーになるまでの経緯みたいなものをちょっと考えてみる。 このロバート・デニーロ演じるギルという男は途中明らかになるのだが、人にしろ野球にしろ何かに依存・執着してきた人物。 ギルの執拗なまでに何かに執着するという行為は、最初は依存ではなく野球という自尊心からはじまったのだろうが・・・。
・依存の経緯として以下
まず勤めている会社の創設者だか社長だかの「父親」、
結婚して子どもができたら次に「子ども」、
そして何もかも奪われてからは、ファンであった「野球選手」。
というように劇中では相手の立場上ストーカーにはなるものの、結果的に依存する対象が変わっているだけととれる。 そしてこちらの思いとは裏腹に依存する対象からの恩恵というか反応がこちらの望む形・大きさで返ってこない。にも関わらず、自分の存在を証明してくれる存在であると錯覚しているため、その要求する見返りも自ずと大きくなってくる。その繰り返しにより思いは増幅していく。
最後の野球選手に関しては(本人の思い込みなのだが)、自分が起こした行動の影響が結果として野球選手の人気もあり周知の事実になるため、なおさらギルとしては自己満足を得られるはずなのに、それが認められないためにだんだんと狂気じみてきてしまう。

ここまでは行かずともほとんどの人間にこういった感情はみられますね。私はこんなにもがんばっているのに・・・なんで認めてくれないんだ・・・的な。と考えるとストーカー予備軍ってたくさんいますね(笑)。 まあ、しかし一般的にこの感情は自分の中で昇華します。それができずに認めさせるという犯罪的な行動に出てしまうのがこのギルなんですね。

〇まとめ
人という字は人と人とが支え合っているんだという文句に対して、いや支えているのは片方だけだ、一人はよっかかっているだけじゃないかと反論したような話がありましたが、まさにこの映画はその反論通りの考えをしてしまっている人の映画。要は、俺があいつを支えているんだ。俺こそが唯一あいつをわかってやれる、と錯覚してしまっているキチガイ男のお話ってことになります。人間って怖いですよ~。

2014年2月20日木曜日

ジョー・ブラックをよろしく (1998)

ジョー・ブラックをよろしく[DVD]
~ブラピーナッツバター~

アンソニー・ホプキンスを迎えに来たブラピに乗り移った死神が、人間界をエンジョイする話。

〇ブラピーナッツバター
ジャン・レノにワサビあり(映画「WASABI」より)、ブラッド・ピットにピーナッツバターあり。とりあえずピーナッツバター食べたくなります。うまそうに食べるんですわ。スプーンですくったピーナッツバターをですね、パクリとなめとる感じがですね、なんとも言えないおいしさを表現しておりまして・・・。

〇ブラピ
基本ブラッド・ピットが出演する恋愛が絡んでくる映画はおもしろくないというのが私の中にはあります。ブラピの役は基本的に美女と恋をするものが多いからです。それを肯定してしまうと恋愛というものがなにかイケメンと美女だからこそ美しく見えるということになり、何か自分が否定されるかのように受けとめてしまうからと勝手に分析しています。まあ、つまりは嫉妬です。私にもチャンスを下さいということです。 恋愛が絡んでこないと割とおもしろい作品はあるのですが・・・。 しかし、そんな偏見のある私でもこの作品はおもしろく感じました。

死神というある種絶対的な力をもつにも関わらず、人間界ではただの世間知らず。そんなちょっと抜けた感じのブラピの演技が非常に映えこの映画を見事に盛り上げてくれます。 そして最後の別れを惜しむ死神 ブラピに対してのアンソニー・ホプキンスの言葉。 「それが生きた証だ」 くぅ~、堪りません。この言葉は深いなぁ~。死神に対してこの言葉が出ますか。

そしてそして最後に粋な事をしてくれる死神。結局死神もある青年も演じてるのはブラピなんですけど、まるで死神が本当にいたかのように感じてしまった。だからこそ最後物悲しさも感じてしまう。ブラピにはじまり役者ってすごいなぁ~と改めて感じた作品でした。

〇最後に
この映画は配役が見事にハマっております。よく選出したなとも。制作に携わった人すべてに畏れ多きことながらあっぱれをあげたいです。

2014年2月8日土曜日

かつお便り

はじめまして、かつおよろしです。
何回か投稿後で失礼します。

ブログは初めてなもので、何かとヤキモキしながら試しております。

内容は主に映画についての批評やら感想やらを考えています。
映画を通して勝手に何かしらの議題・テーマを設けて、あらゆる感情を昇華していきたく思います。お付き合いいただければ幸いです。


よろしくお願いします。

2014年2月6日木曜日

悪の教典 (2012)


悪の教典


~王様の学校 「女王の教室」に対抗~

映画でやるには尺が短すぎた。ドラマ化をしてもっと登場人物に焦点をあて、じっくり取り組んでほしかった。できれば映画のクオリティを維持して。難しいんだろうな。

○疑問
まず、いつのまにか学校が一つのクラスと数人の教師になってしまっていたこと。でもこれは文化祭の準備等が長引いたと考えればまあ・・・。

最後の多VS1(ハスミン)について。ハスミンの脅威となる存在を排除していく様をもっと濃く描写していかないと、最後の学校の銃弾パーティは薄くなる。学生もそこまで馬鹿ではない。徒党を組んで隙を突くぐらいはやる連中がいるはず。事前にそんな頭のキレる奴らを排除しているはずだから、そこをもっとスリリングに描いて欲しかった。従順、信頼を勝ち得るに至る過程も薄い。校内問題の解決をより順を追って解決していかないとこの結果にはなりにくい。この二つをしっかり描けていたならば、かなりクオリティの高い問題作ということになっただろう。

○設定の突っ込みなどなど
・弓矢について
アーチェリー用か~。本物の弓がよかったな~。あと射るのは女の子が良かった。射るまでの所作をしっかりやってもらう形でお願いしたい。恋愛要素絡めるから男にせざるを得なかったのはわかるが・・・。

・最後のパーティ
さすがに大勢を相手にするのだから、トラップは仕掛けるだろう。せめて入口に。あと校門。脱出と侵入を許さないように。(原作だとあるっぽいですね。)

・弾数
どんだけストックあんだよ。こいつのポケットはハムスターの口並みにパンパンか(笑)

・生徒の対抗案
部活ならではのノリが欲しいんだよね。野球部とかいるでしょ。豪速球投げる奴とか。サッカー部のフリーキックの名手とか。あと軍事マニア。サバゲーマー。思いつくのはありきたりなのばかりですが・・・。


伏線をわかりやすく張りしっかりと回収していたところは良かった。
AEDの録音機能。
脱出シュート 最後逃げたと見せかける。 ・・・など


藁の楯 (2013)

藁の楯[DVD]
   



~「スモーキン・エース」を日本でやるとこうなる~

〇はじめに 日本ならではの制限性が欲しかった。が率直な感想。


〇内容について
 アクションどうのこうのを売りにしているみたいですが・・・

 (日本ならではの)制限性とアクションの両方を取り入れようとして失敗してしまっていると感じた。アクションを取り入れるよりはもっと心理戦で良い気がする。誰が裏切り者なのか?そういったところにもっと鬼気迫るものがあれば、ここぞってところでのアクションが活きる。でもこの考えは最終的に頼りになるのは金や知恵より単純なる暴力っていうのが前提となる。ま、言いたいことは疑心暗鬼感が微妙ってことです。誰が敵にまわってしまうのかという。


 懸賞金10億円ともなれば、犯人を狙ってくる連中はもっと老若男女いるはず。そして試行錯誤するはず。徒党を組んだり・・・。チームワークが日本のウリでしょ。皆がやってるから私もやる的な。そして真っ向から勝負を仕掛けすぎなんだよ。いや、それが日本の侍・大和魂という制限性なのか?


 懸賞金掛けた奴。そんな金があるなら自らどうにかしろ。他人頼みすぎ。これが心理実験とかならまだおもしろかった。そして金に翻弄される大衆をあざ笑う姿や軽蔑するなどそんな演出をするべきだった。所詮世の中金なんだよ・・・的な。



〇演出関連
 あとは大衆性ですか。

 「正義とは」を問う感じ。これをSPの間だけで完結させるのはどうも。もっと犯人を襲ってくる側にも焦点を当ててほしかった(一応説明はあるが)。SPという当事者から観ればそれでよいのかもしれないが、せっかくの映画で第三者視点で観せられるのと、現代風刺も売りにするのであれば、グランドホテル形式にしてもおもしろいと感じる。ま、それだとそれなりに納得させられる答えが求められてしまうのですけどね。


 前のと関連して警察関係者の日常描写がもっと欲しかった。現状把握がいまいちできず、のめりこめない。全部を観せるのではなく断片的に観せるだけでもいい。それで最後もどんでん返しにしろ、そうでないにしろ設定は活きるだろうし・・


 最後はどうせなら全員裏切ってたとかにすればもっとおもしろかったのに。でもそれだと日本じゃあまり受け入れられませんね。

子供が「十億だってよ」とか話しあう姿や、中高生が爆弾作るとか学校で話題になってる、さらにはDEATH NOTEに書き込む真似ごとするとかそんな描写も欲しかった。これで考えさせる社会的な問題の幅が少しは広がる。



〇最後に
 正義と悪とが完全なる対の存在として定義されるのであれば、この映画は「最終的に人間はどこまで悪に奔れ、正義を全うできるか?」みたいな幅を表現したかったのかなあと。正義と悪の間にいろんな人が存在してますよと。法=正義ではないし、大多数=正義でもない。何に人の正義は依存しているのか人それぞれであろう。何に・どこに・誰に・どの程度の正義を、悪を見出すのか。それはあなた次第です。都市伝説っぽくなっちゃった。

悪女 AKUJO(2017)

~アクションは爽快~ 〇はじめに  韓国ではこの方はイケメンの部類なの? 〇想起する作品  「ニキータ」  「アンダーワールド」(2003)  「KITE」(2014)  「ハードコア」(2016)  「レッド・スパロー」(2018)...