2016年1月28日木曜日

パリ3区の遺産相続人(2014)

字幕翻訳:チオキ真理


~しがらみ~


〇はじめに
 オペラ歌手 Sophie Touitou 綺麗だったな~。ほんの少しだけだったけど。あの主人公とのデュエットは素敵だった。


〇こんな話
 とある男と女たちのいざこざ。



〇しがらみ
 ラスト不動産業者の男との再会。パリの動脈に関して納得。そして英語はどこで覚えたのかとさらに聞きこむ。金になる話ではない。

 彼ははじめ何が何でもお金を手に入れたかった。足元を見られないため、すくわれないために、交渉手段として事前に情報を収集していた。相場はどれくらいなのかと。信用性の高い情報だという裏付けも。そこで終わっていた。建前上のものと言いましょうか。自分に有利となるような情報を求めていたわけだ。

 この彼の心境の変化が見もの。明らかとなっていく真実と、解消されていく想いがある。しかしそこまでがね・・・

 とある男女の密会・不倫から、その後の世代への影響・余波が事態を複雑にしていたそうな。それはまぁ複雑でぎくしゃくしたものでしたよ。

 ばあさんの娘と、ばあさんと娘が住むアパートを相続した息子の辿って来た人生。この人たちももう人生の後半に入ってるか差しかかってる世代ですは。それが様々な想いがある中、なんやかんやね・・・、晴れていく。

 そっからのデュエットね。素敵だった~。


〇ヴィアジェ
 頭金だけを払い、後は売主だか同居人だかに月々家賃を支払っていくのだとか。

 売主が亡くなれば支払いは即終了。しかしどこまでも長生きを続ければ、売主より買主が先に死ぬ場合すらあるのだとか。一種の賭けだそうで。


〇最後に
 船の家ってどうなんやろ? おしゃれだけど、トイレとか・・・大変そう。電気とかは・・・

 ではでは・・・




2016年1月26日火曜日

ピンクとグレー(2016)

~論点ずらし~

〇はじめに
 どこがピンク色なのかなぁ~ゲスゲス

 「こちらA地区、夏帆さ~応答願いま~す。」

 そ~れ~と~も~・・・ぐへへ

 ・・・え、そっちはグレー!!??

 orz

 申し訳ございません。無礼が過ぎました。


〇想起する作品
 「処刑惑星」(2009)
 「アーティスト」(2011)
 「ゴーン・ガール」(2014)
 「フォックスキャッチャー」(2014)
 「タッチ」
 「スーパーナチュラル」
  ・・・こんな話の回があった。天使に別の人生を歩んだとしたら的なネタだった気がする。定かではない。
 「午前2時のチャイム」
  ・・・世にも奇妙な物語で鑑賞。


〇こんな話
 全てりばちゃんの妄想と自己満足(自己擁護)の物語です。白木蓮吾(以下ごっち)視点、価値観、見解は一切描かれておりません。勘違い為されぬように・・・ 



〇騙される心理
 とりあえず勝手におなじみシリーズを少し。

 62分後に世界がピンクからグレーへ。これを視覚的にやられましても・・・ どっちかというとグレーからピンクへ移行する際にやってくれたほうが良かったかな~。色彩とともに、想像力の幅をどんどん狭くしていったように感じる。とりあえず62分以降とある場所から「ないものねだり」が私の中で流れ始めた。

 そもそもこの衝撃とされるものがなぜに起きるのか。我々の62分までの関心はいったいどこにあるのか。ここが問題だ。

 -ごっちがなぜ自殺したのか?-

というところがほとんどの人が関心を寄せるところではないだろうか。ってかメインテーマがここに定まるでしょう。サスペンス映画として大いに期待が高まる。そもそも自殺なのか? 他殺の可能性は? ???

 意識するところとしては、

 複数枚の遺書、姉の死、りばちゃんのごっちに対するコンプレックス(劣等感や焦燥感)・・・etc

 後々はっきりすることだが、りばちゃん目線で展開されていくわけである。一番側にいた人間として、ごっちの死にアプローチするわけである。死の真相を知っているとして。

 これを踏まえ、もしかしたらごっちにもりばちゃんが抱くような何かが逆にあったのかもしれない、という思考にも陥ることとなる。りばちゃんのごっちに対するコンプレックスや焦燥感等々を突き付けられ、ピンクからグレーへ、ごっちからりばちゃんへと、反転するのである。ここがラストの勘違いの原因でもあろう。

 もう一度確認であるが、ごっちを演じていたのは、りばちゃんであった。一番側にいたりばちゃんからのごっちという人間へのアプローチ。演じることでごっちと同じ道を辿り、現実にも辿ろうとしているという事実を真に受けてしまう。これにより最後の場面、ごっちの死の真相が勝手にごっちが語ったかのように刷り込まれてしまう。

 我々はごっちの死の真相に関してアプローチしていたわけだが、それをピンクからグレーへとなる部分で、2回ほど論点をずらされる。まぁこれが衝撃とされるもののトリックであるわけだが、それの示唆は事前にやっていた。

 途中話の流れからは何ら違和感なく言い争いになっている場面がある。ここは迫真だったように思う。


 で、どこに辿りつきたいのかと言うと、結局我々は何を見せられていたのかと。

 62分間追い求めてきて、変換(転換)場面によって見事にはぐらかされることとなる死の真相。飢えるんだ、答えに。焦らしプレイをされての最後突拍子もなく感じるごっちの出現。そんなことは気にせず、彼の発せられる1つの答えに喰いついてしまう。

 しかし意識すべきはそこではない。最後のごっちとされる人物とりばちゃんとの会話の中で注目すべきは、死の真相などでは決してなく、「わからない」「わかるわけがない」というところなのだ。

 なぜなら結局最後の亡霊は、りばちゃんの妄想だからである。母親に渡された姉のビデオを鑑賞しての、りばちゃんの自己満足・自己擁護・自己解釈に過ぎないのである。ごっちの姉へのコンプレックスなりはこの「わからない」という部分のアクセントに過ぎないのである。おそらくこの情報の優先順位を勘違いしている人が多数いる。注意されたし。


まとめると・・・  
 ごっちの死という真実に対して、この作品は決してごっちとりばちゃんという視点から、双方的なアプローチをしていない。そう思わせようとしているだけ。勝手に我々が思い込みたいだけ、と言った方がいいかもしれない。 

 個人的に姉のビデオを渡されてか、鑑賞してかで終わった方が良かった様に思う。最後がどうしてもとってつけたように感じてしまう。しゃれっ気を出そうと、衝撃とされるトリックに奔り、最後まで触れられなかった事象を最後にどうしても付けなければならなくなったと。死の真相を真に受けるとして、もっと情報を散りばめられたように思うがな・・・。

 結局論点ずらしが無ければこの作品は観れたもんじゃないわけで。ピンクからグレーへと、ごっちからりばちゃんへと転換を整理できないまま、考慮できないまま最後まで観てしまう方々続出ではなかろうか。層的に・・・。はじめにも途中にも書いたが、結局一方的な見解でしかないことに気付かなければならない。


 何だかんだ長くなってしまった・・・、とりあえずとは何だったのか・・・、終わる。


※「論点ずらし」としたが、正確には「焦点ずらし」の方が良いのかもしれない。ま、いいか。




〇最後に
 結局、他人のことは「わからない」ってことなんでしょう。しかし、どうせわからないからといって他人に対するアプローチを最初からあきらめるということではなく、如何にそのコンプレックスやわだかまりを自分の中で解消し割り切れるかというところなのだろう。・・・と私は自己完結した。

 ゴミ映画だったな。

 ではでは・・・



2016年1月25日月曜日

ガラスの花と壊す世界(2016)

~世界~

〇はじめに
 ただ、質感を楽しむだけの作品。

〇想起する作品
 「13F」(1999)
 「イグジステンズ」(1999)
 「マトリックス」(1999)
  ・・・この辺のブームに乗っかってればおもしろかったのでは??

 「地球爆破作戦」(1970)
 「ターミネーター」シリーズ
 「インセプション」(2010)

 「VITAセクスアリス」


〇こんな話
 女の子たちがいろいろやります。


〇括り
 人間をどこに位置づけるかの問題なんですよ。この手のお話は。

 マザーが人類を地球における唯一の破壊者であるからと排除に奔る。この破壊者の存在は地球にとって必ずしも悪であるのかというところの意見の相違がひたすらにあるわけで。見方によっては人類は破壊者ではなく調整者ともとれるわけです。その点を如何に割り切ることができているか、そんな人がこの作品の鑑賞者にどれだけいるのかと・・・

 
 要はどこで、どこまでで括るのかというお話しになってくるわけで。

 世界ってのは、宇宙という括り、地球という括り、国という括り、ってな空間的なものや、一個人の人生、人間の内なる精神的なものや、ネット(電脳世界)ってのもあるわけで。政治や経済といった見えない何かによる力がはたらくものも世界と言えるのではないだろうか。

 それを知識の箱、バックアップデータという世界の幅を示すことで、我々の認識している世界、地に足のつく大地だけが世界の広がりでは無いことを印象付けていたりするわけで。知識の箱の中にも外にも(人間)世界が広がっている。ここをもっと容易に想像させなければならない。割り切れない人は頭がぴょんぴょんするのではなかろうか。ぴょんぴょんするんじゃ~

 巻貝の螺旋構造をとる知識の箱。流転する世界だか、宇宙だかを模していたのだろうか。


この辺は知ったかと言うか偏見なのだが・・・
 
 元々感覚や感情なんてのも実感を繰り返しての概念形成であって・・・ 見方を変えれば経験的に「その様である」と植え付けられているプログラムなんですよ。その点をアンチウィルスプログラムとされる者たちと、とある少女とのほのぼのとした映像として曲に合わせてさらっと観せたのは評価できるのだろうが、ほぇ~ってだけで終わる。

 人間の成長だって結局は経験による知識の効率化っていうプログラミングでしょ。プログラムの上書き、書き換え。身体的な成長だって事前にプログラムされた情報を引き出してるだけですし。


 彼女らと我々とを結ぶものは何なのか。違いなのか共通点なのか。はたまたただの萌え声とされるものなのか、ツンデレやロリといったキャラクターなのか・・・ ま、いくらでも見方はありますがね。わざわざどうも映画という媒体で見せる必要性が感じられなかった。



〇最後に
 キャラクターは文句なくかわいかったです。

 ではでは・・・

2016年1月24日日曜日

人生の約束(2016)

~間~

〇はじめに
 予告から高橋ひかる(新人)に注目していた。どこかで見たことあると。あ~全日本国民的美少女コンテストのグランプリ獲った子ね。フランスパンってのは何かのメタファーなんか? あの人の代わりに礼を言いますと凛としたところでもう惹かれました。

 同コンテストで審査員特別賞獲った髙村優香さんもね、頑張ってほしいね。期待。とある時代から勝手に応援しているんでね。


〇こんな話
 つながるお話。



〇もっと間を・・・
 他人にこの映画を説こうと試みる上で点数という前提を持ち出すのならば30点くらいだろう。しかしこの作品、私は大好きだ。

 そもそも悲しきかな、歴史や伝統、先祖を重んじる環境に私は生きていない。なぜ町内であそこまでに団結するのか。一所懸命になれるのかが理解できないのだ。高層ビルが立ち並ぶ東京の画が映し出される。集合住宅に住んでいるとして、どれだけ隣人と関わりを持っているだろうか。セキュリティ面も重要視されているご時世で、顔すら知らない人も多いのではなかろうか。仕事で他人との関わりは多くあるもかもしれない。しかしプライベートではどうだろうか・・・


 全体を通して、特に前半部分なのだが、カメラ割、場面転換がチラチラチラチラする。画に集中できない。入ってこない。入り込めない。時折挿み込まれる東京と新湊の街並の比較だったり、その2つの町を結ぶ新幹線や自動車の画が挿入されることで、こう描いた意図は段々と汲み取れてくる

 今日、街と街との交通網は整備され、数時間で各地を結んでいる。情報化社会、高速化の波ってな言い方で良いだろうか・・・ 情報はいくらでも落ちている、手に入る。しかしそれを取捨選択できているか。全てを捉えることは果たして可能だろうか。そんな世界にどうやって我々は存在し得るのか・・・ 大きくしすぎたかな。

 人を見ない社会とも言えるのだろう。竹ノ内豊演じる中原社長は陰る部下たちの顔を伺わない。業績に囚われている。それ故の架空取引による粉飾決算。他人との関わりの空洞化ってな意味合いなのだろう。表面的な中身の伴わないコミュニケーション。プライベートにおいて、仕事において、それは広がっている。見えない、とするか。見る余裕が無いとも。

 しかしそこにも希望は見える。ネットを介して塩谷航平が書いたとされる文章が町を駆け巡るのだ。他人を見えにくくしている世界において、それの一役を担っているものが人々の関心を惹きつけもする。繋げもする。そんな矛盾、カオスを抱えているとも。


 後半における和解、打ち解け合い、再生、復興・・・


 前半との対比で、ここでもっともっとも~っと「間」をもたらしてくれてよかった。もっと、もっとゆっくりと時間を流して欲しかった。カメラの切り替えが早いんだ。もっと眺めていたくなるように、いや見飽きてくどいぐらいにしてほしかった・・・

 社長にYESとしか答えられない社員たちにはじまり、この作品は人の顔、表情が映し出されていく。普段見ていない、見えていない、見ようとしていないであろうそれを映し出すのも意図してだろう。後半のそれは何とも言えない。塩谷航平の顔が一切描かれないのもこれとの対比だろう。だからこそ、後半はもっと「間」をもたらしてほしかったんだ。そこが残念で仕方がない。もっと想いをめぐらせることができたはずなんだ。劇場で観るには何とも目が疲れる、落ち着かない。
 あとそれを踏まえても西田敏行には最後背中で語ってほしかった(ボソ)。

 全体的に作品と鑑賞者との距離感という意味での「間」にももっと気を使ってほしかった。


 曳山とつながり、それぞれの持ち場でそれぞれの役職をこなして、道を駆け抜けていく。曲がるにしても全員が全員同じ方向を見ている、向いているわけではないんだ。他人と他人とはそうやって関わり、世界を、社会を築いている。築いてきた。それを、忘れてはいけない。尊重せねばなるまい。


〇最後に
 他人を見ない、他人が見えないというのは、自らを見てくれという強い承認欲求の反動であるというのが個人的な見解。自らの存在の不確かさを埋めるために、他人から認められたいという欲求でしか解消できない。そして究極的に他者を卑下することで自分の優位性を保とうとしはじめる。足の引っ張り合いという負のスパイラルに陥る。その原因はいったいどこにあるのか・・・

 
 ではでは・・・


2016年1月21日木曜日

ディアボリカル(2015)

ディアボリカル[DVD]


~ギャップ~

〇はじめに
 フィラデルフィア計画を知っていると楽しめるのでは??

〇想起する作品
 「フィラデルフィア・エクスペリメント」(1984)(2012)
 「12モンキーズ」(1995)
 「CUBE ZERO」(2004)
 「ハイド・アンド・シーク/暗闇のかくれんぼ」(2005)
 「LOOPER/ルーパー」(2012)
 「レッド・ライト」(2012)
 「死霊館」(2013)
 
 
〇こんな話
 母親の言うことをちゃんと聞きましょう。
  ・・・的な教訓話かと思ったら最後怒涛のループ展開からのそのループからの脱却ではてさて・・・ってなお話だった。


〇ギャップ
 学習能力的に同級生よりもはるかに先行する能力を有する息子ジェイコブが、40年後?にとあることから囚人になり、刑務官から知恵遅れとして扱われているところに何かしら意味があるのだろう。

 思い悩んでいたわけで。体よりも頭の方が学年が先行してしまうことを。肉体と精神のギャップを。未来と過去とを結ぶ・・・テレポーテーションと・・・何かしら・・・関係が・・・

 ただの皮肉なのか・・・


 それか・・・、学問に関して年齢は関係ないと。年功序列が持ち出されている問題が何かしらあったのか。権威、権力が科学と言う分野に蔓延り、純粋な探究心を・・・、わからん。


〇疑念
 家の外に出られないってのは何なんでしたっけ?? 原因は??

 家の中と外とで時間的な流れが違うとか、時空が云々みたいな話ですか??

 名言されてましたっけ・・・??

 広場恐怖症の新解釈か何か??

 これが原因で引っ越しできないってのはちと弱かったな~・・・


〇最後に
 う~む、何とも言えないな。特に感想が出てこない・・・。

 ではでは・・・



2016年1月19日火曜日

ファイナル・ゲーム(2014)

ファイナル・ゲーム[DVD]


~ボールは〇〇~

〇はじめに
 ファイナル・ゲームとはワールドカップ決勝のことを言いたかったのかな。名言はされてないけど。

 原題は「EDEN」


〇想起する作品
 「LOST」(2004~2010)
 「ラスト・ワールド」(2013)
 「エデンの檻」

〇こんな話
 無人島に1つだけ何か持っていけるとしたら何を持っていきますか?

 この質問にサッカーボールと答えた者たちが本当に無人島に集められてしまった。彼らは思考錯誤する。いったい、サッカーボールで何ができると言うんだ!!??


〇設定
 アメリカ代表という多国籍軍(多民族軍)という実際と、サッカーチームを支える者たちの存在(監督、チームドクター・・・etc) そこにチームとしてある諸問題を交えるという初期設定は何ともうまいと感じた。キャプテン、ゲームメーカー、実力の評価や、レギュラーとベンチの格差。ポジション争いによる確執や、試合における評価のされ方の違いにヤキモキ・・・等々。

 兄弟の存在も描かれ、コンドームの話でギリシャ云々先ほど書いた多国籍であろうことも示唆れていた。しかし物足りない。

 できれば・・・

 収拾つかなくなるであろう前提で・・・

 それぞれのポジションだったり、異名や別名を通して、ワールドカップの試合における彼らの活躍や役割を最初に表現しても良かったのではないだろうか。試合の様子をもう少し丹念に描いても。人間の本質に触れるだけでなく・・・。

 全体を通してサッカーチームであることの特別感があまり感じられない。肉体を見せたいことはわかったが・・・

---
提案

・複数
 「3本の槍」
 「鉄壁の二枚舌」
 

・個人
 「乱調パサー〇〇」
 「中盤の固定砲台〇〇」
 「スルー必至のストライカー〇〇」
 「速攻のカードコレクター〇〇」
 「狂乱のオーバーラップ〇〇」
 「」 
  ・・・気の向くままに随時更新予定 
 


---

 あとサッカーボールを使って何かやってくれても良かった。


〇余談
 普段ボールをトラップする彼らが、地雷等トラップに引っかかるとかは狙ってなのか。ゴールのカタチしてたのもあったなそういや。

 正確には描かれていないが、おそらくアメリカがワールドカップで優勝したのであろう。そんなチームに駆けつける救出部隊がヘリ数台ってのは現実味があるのかないのか・・・


 原題が「EDEN」に対しての、「HELP」というメッセージが「HELL」になってたのはおもしろかったかな・・・ どっか文字は死体でも良かったけどな~ チームメイト同士で争った跡あ~なったって演出だったっけ??



〇最後に
 設定をうまいと思わせただけにもったいなかったかなと。こじんまりと終わってしまった。


 ではでは・・・



2016年1月17日日曜日

リターン・トゥ・アース(2014)

リターン・トゥ・アース[DVD]


~ストレス~


〇はじめに
 火星には負けないぜ!!

〇想起する作品
 「プロメテウス」(2012)
 「エウロパ」(2013)

〇こんな話
 エウロパへの航行のための1000日間心理実験。

・背景
 地球の資源掘りつくしたから他の惑星行かね?


〇ストレス
 宇宙ステーションについて。これをどのように捉えるのか。

 守るためのものなのか? 閉じ込めるためのものなのか?

 宇宙からの脅威を守るための空間なのか。プライベートや息抜きのしにくい不自由を感じる空間なのか。


 最初にデブリを回避するための、宇宙ステーションにおける船員と地上との交信による協力プレイを見せる。これが後々効いてくるわけだが・・・



 1000日という目標。彼らは何のために苦しい思いをしてまで実験に望んでいるのか。耐えているのか。地球に残してきた愛する者たちは。

 1000日というノルマはエウロパまでの航行期間を意味する。この実験が成功すれば、エウロパの探索、資源採掘という道を切り開くことに繋がる。人類の未来につながるのだ。しかしそれが評価されるべき環境にいなかったら。実験の終わりが、苦行からの解放を意味しなかったら。果たしてどうなるのだろうか。

 司令官が自らのキャリアに固執するように描かれるのもそれが関係しているのだろう。


 資源をめぐる争い。

 エウロパにて新たに発見したものによる(核戦争における)崩壊をまず描いた。ではこれからどうするべきなのかと。過去に縛られては生きていけない。今までの常識が一変するモノの発見。人類の存在自体が根底から覆る。彼らの実験は未来を見据えてのモノだった。人類の未来。過去の確執により核戦争は起きた。

 他人と他人とが手を取り合って・・・・、まず我々がその、友好の象徴となろうと・・・・
 
 ラストとしてはおもしろいけどね・・・。映画全体でそれを意識させられていたかと言えばほぼほぼ全くですよね。


〇最後に
 エウロパネタが流行ってるな。そろそろ襲来が近いのかな。

 ではでは・・・

エンド・オブ・オデッセイ(2013)

エンド・オブ・オデッセイ[DVD]


~想い~

〇はじめに
 宇宙開発競争はその御時世ならではで、国の権威を示す為にやっていたわけでして・・・ 見返りが待っていたわけですよ。当時2強の国がそれぞれ勝利か敗北を味わうことでね。最初の語りはそれを意識させるためかと・・・


〇こんな話
 月面着陸任務を終え、地球に降り立った男。そこには人類だけが抜け落ちた世界が広がっていた。


〇回顧録(走馬灯)
 地球に降り立ち、名残りのある場所をめぐっていく・・・多分。各地での回顧録が展開されていくカタチとなる。では、おそらく退屈となるであろう回顧録にはいったい何の意味があったのかと。


 宇宙へ行くことに躍起になる訓練生たち。1人(親友)は名声を求めてのようだった。歴代の飛行士たちと同じところに立ちたいと。

 ここで問題。そもそも彼らはなぜ偉大とされているのか。宇宙へ行ったからか? 人類として初めての事象であるからか?

 見方を変えればであるが、彼らが偉大として扱われるのは決して彼らが主体としてあるのではなく、それを偉大だと認める他者がいるからであり、その偉大だと認める他者が多くいることを前提とする。

 公の作戦であるのかという問い。成功したらね~・・・ ってな背景も。

 どうだろう、地球に降り立って誰もいなかったら? 主人公の功績を認知し評価する者がいなかったら。彼の努力や成果にいったい何の意味があるのだろうかと。そこで過去を振り返るのである。走馬灯のように。そして妄想、いや展望するのである。辿るはずだった、辿るべきだった未来を。


 ざっくり言っちまえば、ソシャゲの課金みたいなもんですよ。アレを手に入れれば勝てる。と想いひたすらにガチャる。で、手に入れてみると別の何かがまた足りないことに気付く。そしてまた繰り返す。その先にはいった何があるのか・・・・

 そんなものより、大事なものがあるでしょと。あったでしょと。それに気付いた時には・・・・




〇愛
 最後の地球側の話はいらんように思うがな。わざわざ説明してくれてる感じ。主人公は死んでるんですは、すでに。

 ま~、「愛」というのがテーマの根底にあるからなのだろう。一方的ではなく双方的に描く必然性に迫られたのか。3人(男2人女1人)というそれぞれの未来の方向性の違いも描きだしたかったのか。

 この双方的な描き方を意識することで、最初の着陸船の謎とされるところも解消されるのか。最初の着陸はなんだったのか? 交信、着陸の遅れは?

 主人公が地球の者たちを想っていたように、地球の者たちもまた彼を想っていた。これを前提とすればどっからどこまでが夢で、現実でと深く考え込まなくても、ある程度割り切れるのではないだろうか。


〇余談
 あらすじに書かれている、「地球から30万キロ離れた宇宙の果て」なる文言。月までの距離も知らんのだな・・・トホホ。ま~気持ちを煽りたいのはわかりますがね・・・

〇最後に
 ま、テーマとしては興味深くても、作品としてはつまらんかったですね。上から失礼。

 ではでは・・・


パディントン(2014)

吹替翻訳:岸田恵子


~家~

〇はじめに
 これって根底に移民問題があるのですか??

 松坂桃李は器用やね~。三戸なつめオイ。

 とりあえずおもろかった。何かの場面ツボったけど忘れた・・・


〇想起する作品
 「ホームアローン」シリーズ
 「ベイマックス」(2014)
 「ザ・ゲスト」(2014)


〇こんな話
 ペルーの熊、ロンドンへ行く。

〇家
 屋根があるところが必ずしも家では無い。でも屋根がないと不自由することはよくある。

 ま、そういう屁理屈をこねるんじゃないんだわな。

 家とはいったい何なのか。


 パディントンの起こす行動がひたすらに良くも悪くも事を大きくしていく。この中で彼が迎えられていく過程が何とも暖かく心地良い。



〇余談
 ジュディ役のMadeleine Harris誰かに似てると思ってたんだ。ジェニファー・ローレンスかな~と。観終わってやっとわかった。「エクスタント」に出てたGrace Gummerだ。


〇最後に
 一番好きなキャラは、勤務中にも関わらず何とかおばさんとひたすらにお酒を酌み交わした警備員。こういうバカが好きだ。

 ではでは・・・


2016年1月14日木曜日

クーデター(2015)

字幕翻訳:種市譲二


~境界線~ 

〇はじめに
 平和ボケと言われようが構わない。ファッションで戦争反対とか騒いでるくらいの日本で良いよ。そんなわけにも、いかないのか・・・・ 遭遇したくないな。


〇想起する作品 
 「エネミーライン」(2001) 
 「16ブロック」(2006) 
 「プロミストランド」(2012)
 「ベルファスト71」(2014) 


〇こんな話
 転勤先、引っ越し先でクーデター。


〇選択
 仕事における転勤という選択を夫は家族には相談せず個人で決断してしまった。故にクーデターに巻き込まれることとなる。そして最後とある国への国境へ向かう際の決断。妻に背中を押されることで決断する。

 この二つが掛かってるのか。前者がカーディフ社が一方的に対象国を侵略するという企て。クーデターの原因となる事実。メリットのみを提示し、食いついてきたらしめしめ。気付いた時にはアボン。考えものだと。



〇国境
 最後の「国」は何を意味するのか。最後「国境」の存在により家族は守られることになるが、その国境は何を意味するのか。


 冷戦期にいろいろありましたねと。何度線かで揉めてましたねと。そんな国が彼らを守るのである。


 軍の言葉が何とも気になる。「国境に入った。発砲すれば戦争行為と見なす」と。彼らを守った国と国とを分つ国境という存在。守られたという安心と共に、決定的に相容れない存在であることも意味する。


 少し大使館での出来事を思い出して欲しい。自国の民を守るべき場所が占領され、爆破されていた。これはなぜか。建物自体を守れなかったからである。単なる力負け。これが国にまで及んだら?

 戦争の抑止力を声高に叫ぶ者たちがいる。それは果たして抑止力として機能するのか、機能しているのか。機能しなかったら・・・


〇命
 娘の生まれた時の話で締める。難産だったそうな。

 そんな命を摘もうとするのである。なぜなのかと。自分の家族を守るためだと。主人公も家族を守るために地元民を殺している。

 誰かを守るために誰かを殺す。先ほどの国境の件。そして大使館。これを家族という括りまで小さくして考えてみたら・・・、どうなるだろうか。


〇CIA
 ピアース・ブロスナンがネタでしかない。最初の女ネタもそれか。ハンドガンでスナイプするしさ。ワルサーPPKにすれば良かったのに。散り際もさすがだわ。
 
 
〇最後に
 この事態に陥った原因は、根源は何なのだろうか。そこまでに想いを馳せる作品となっているだろうか・・・

 ではでは・・・



007 スペクター(2015)

~疲れた~


〇はじめに
 とりあえずアクション云々はさすがなんだけど、飽きちゃうのよね。好きな物いくらでも食べられない口でして。いや結構な量イケますよ。でもま~限度はあるじゃないですか・・・

 あとボンド両津勘吉とダブったんですよね。



〇想起する作品
 「リッジレーサー」シリーズ
 「クラッシュギア」シリーズ
 「インデペンデンスデイ」(1996)
  ・・・エアバックはついってっかああああ!!??
 「名探偵コナン 時計じかけの摩天楼」(1997)
  ・・・お前のために3分間作ってやった。じっくり味わえ。
 「スピードレーサー」(2008)

 「ランジェリーズ」シリーズ
  ・・・快楽・欲望に負け情報をペラペラと。


〇こんな話 
 草食系男子の火の取り扱い方講座。



〇属性
 今回のボスはひたすらに火が弱点だった。雪崩から生き残った。雪を水タイプとしてそれに打ち勝ったとすると・・・草タイプだったのか。草タイプが火属性の技を使うと如何に危険かという戒めだったのだろう。いや草食系男子とするか。それに対しての肉食系男子ボンドであるから。

 あの施設は消防法無視してたんだろうな。あちらさんも偽装が問題になってるのかな。あそこまで爆発を好む作品にするなら、「怪しい伝説」のスタッフを出して欲しかったな。もう流行ってないのかな。一回CSIシリーズかなんかで出演してたんだよな・・・ どうでもいいか。


〇007素人
 ・ナインアイズ 

 ・スペクター オクトパス?足7本だったけど

 ・カイト(凧) ボンドがホワイトに言われる

 ってのはどんな関係があるのでしょうか? 007シリーズに長けてれば自ずと察するものなのでしょうか??
 9アイズは監視網。スペクターは何か意味があるそうで。タコだったらぐにゃぐにゃと雁字搦めになるとかなんとかですか。運命とか。凧は嵐の中を舞うどうのこうのと。

 ま、いいか。



〇最後に
 うん、おもしろかったんだけど、あそこまで敵の強大さを示してのラストの尻すぼみ感はどうなのだろう。往年の007ファンはそんなことは感じないのか。むしろあれこそがカタチなのだろうか。絶対勝てないとまで思ったのに。いつかシリーズチャレンジしてみようかな・・・

 ではでは・・・

2016年1月13日水曜日

劇場版 MOZU(2015)

~ダルマ落とし~



〇はじめに
 エレナ役の子、能年玲奈に似てる。時折橋本愛、さらには橋本環奈も感じる。この子の知的障害設定は必要だったのか。自分の存在価値を自覚云々てなところなのか・・・ これから来るカオスに向けての・・・ 自閉症が演技だったとかだったらまたおもしろくなってきそうなのに・・・


〇想起する作品
 「96時間」シリーズ
 「ルパン三世VS名探偵コナン」
 「嘘喰い」


〇こんな話
 ダルマ落としで遊ぼう。


〇感想
 MOZUシリーズを全部観ている前提だが、バトルものでシリーズものに精通している人間であれば相当に楽しめるのではなかろうか。某週刊少年ジャンプなどが好む描き方と言うか。シリーズを通して実力が証明された者たち。これが新たな敵、そしてシリーズを通して追いかけている大いなる敵と相対していくこととなる。その上で彼らが指標となっていく。最初の西島さんはマジでかっこよかった。松坂桃李演じる殺し屋がテロ事件を起こしての、それを見て我々が感じる無力感・焦燥感。あの場所にいたならば・・・。もしあいつがこの場所にいてくれたならば・・・。たらればをひたすらに追及、妄想する。そこに彼らの真の狙いに遭遇することとなる西島秀俊演じる倉木だ。襲撃が起きてからの間髪入れずの特攻。まじかっけえ。そして蹴り上げるの好きね。そっからのつながりの描かれ方もうまかった。

 今回のテーマは「娘」だったのか。娘のためなら何でもする大杉。娘の死に囚われる倉木。精子バンクダルマ。いや「子ども」とするか。いや大きくは「家族」か。明星も関わってくるしな。


〇できれば・・・
 長谷川博己の役がドラマにおいてはただのウザ男だったが、劇場版ではっちゃける様は全く異なって見える。こいつのキャラが堪らない。何かを期待せずにはいられない。できればもっともっとも~っとはっちゃけてくれて、ふざけてくれて良かった。新世界よりを爆音で流しながらの倉木救出。このセンス、嫌いじゃない。でもでも何の前触れもなくいきなりRPG?ぶっ放してくれてもよかった。そっちの方がぶっ飛んでる感出ると思う・・・

 松坂桃李が大杉の娘を誘拐する場面。もっと主要キャラがやられてくれた方が良かった。彼が敬愛する者の存在を意識させるだけでも十分だろうが、より脅威を感じたことだろう。「相棒」シリーズにおけるいつも特命係を覗く2人みたいな立ち位置だった人でしょ、アレ。課長クラスをもってきてほしかったな~。最悪大河内さん。


〇余談
 オリジナルVS模倣犯 とか 強すぎるナイフの飛ばし屋があっけなく死ぬ とか どっかで見たことあるんだよな~・・・ 何だったか・・・、思い出せない。



〇最後に
 もっともっとも~っとやってくれてよかった。シリーズではなく単体だったら酷評してる。格闘シーンやカーアクションと力を入れて観せたいであろうことはわかる。この辺を演出方法を変えるというか順番を入れ替えるだけでもっとおもしろくなるだろうし、尺も絞れる。さらには別のところにも手が回せたんじゃないのかな~・・・ 

 シーズン1からこの作品までを1本の映画として如何にまとめられるかが、これからの日本アクション映画の鍵となるのではないだろうか、とえらそうなことを言ってみる。

 ではでは・・・



悪女 AKUJO(2017)

~アクションは爽快~ 〇はじめに  韓国ではこの方はイケメンの部類なの? 〇想起する作品  「ニキータ」  「アンダーワールド」(2003)  「KITE」(2014)  「ハードコア」(2016)  「レッド・スパロー」(2018)...