〇はじめに
容疑者の特徴から勝手に犯人に迫るという心理をうまくついている映画である。そのねらいがあったか無かったかはわからないが。
まぁ、この監督「エスター」を撮ってるからなぁ。見た目、第一印象等の演出はかなり凝ってたと思うけどなぁ。フライト前の顔見せ、顔合わせから入るからな~。
〇想起する作品
「エアフォース・ワン」(1997)
「フライト・プラン」(2005)
「パーフェクト・ゲッタウェイ」(2009)
「フライト」 (2012)
〇こんな話
連邦航空保安官である主人公。酒浸り、機内での喫煙などなど職務怠慢が見られる。そんな彼にあるメールが。乗客を一人ずつ殺すだとか何とか。主人公から始まり、容疑者候補が多数。果たして犯人は誰なのか・・・。
〇騙される心理
サスペンス映画のおもしろさの一つにはやはり、事件のトリックの推理とは別に犯人は誰であろうかと、容疑者の容姿や性格を基に迫るというおもしろさがある。どんでん返し、あなたは必ず騙されるといった文句が謳われはじめ、犯人やトリックを凝ることで鑑賞者を出し抜こうとしてきたサスペンス映画という歴史がそうさせる。そんな歴代のサスペンス作品により、推理を楽しむ作品において、トリックはわからずとも容疑者から排除されて然るべき存在が確立されてしまったことは言うまでもない。 この作品はそのセオリーや固定観念を見事にかき消してくれるはずだった。最後の最後でもうひとひねり・くだりを入れてくれるだけでそれが可能となったのに、それをしてくれなかった。なぜだ、わからない。
排除される容疑者について少し考えていきたい。
・主人公
まず主人公からいくか。最近では流行りの主人公が犯人というスタイル。絶対に騙される、あなたに推理できるか? と謳っている作品には必ず付いて回る容疑者第一号。これが抜け落ちていたと最後馬鹿にされる。
この作品の場合は、2時間ごとに乗客を殺すという実行犯が、ある程度行動を操作されることで主人公ということになり、明らかに主人公が犯人となる演出が為される。しかしそれは主人公という存在を客観的に見せることで、乗客には主人公がハイジャック犯であるように見えているという情報を提示するためであったので、主人公=犯人という可能性は消せることになる。
想起するワード : [ハイジャック] [9・11]
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以降の犯人の特徴としては、サスペンス映画と意気込んで観るが故に、犯行が起こる前に予想してしまう容疑者の特徴。
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・(主人公を除く)容疑者第1号
主人公以外に容疑者となるのが主人公にまず話しかけてくる、接触してくる存在。これを容疑者①とでもしとこうか。なぜかフレンドリーに接してくる奴がこういった作品には必ずと言っていいほどいる(多分)。実際何の理由も動機もなく話かけてくる人なんてほぼ皆無。標的との接点を作っておくということと、作品的に一度観せておく必要があるが故。さらにこの容疑者は白人・メガネ男子・脆弱でもある。それが犯人という作品はあった。
*補足
銃を持つのが保安官含め白人だけなんだよね、確か。コイツと白人警官。白人警官が黒人を銃殺する事件を想い起こした。いや、もう一人の犯人も持ったか・・・
さらに最後、警官に渡した銃には弾が入ってない訳です。入っていたら・・・ 銃はどんな代物なのかと。誰に向くのか、向けられるのかと。「弾入りの銃を寄こせ」より「撃たれるな」という最後の主人公から警官への台詞も皮肉なのかな。銃には銃を、銃ありきの思考ができあがっていることへの・・・ そんな彼も犯人を銃で仕留めるわけですがね。
想起するワード : [白人] [銃社会]
・黒人
差別だと思われても致し方ないが、サスペンスもので黒人を観るとどうも悪い存在に見える。しかも今回の役柄はコメディポジションだ。いかにもあやし~い。
・・・というのも、黒人俳優は名優が多く、幅広い役柄を巧みにこなすからだ。故に、どうも簡単に容疑者から外せない。良い奴だと思って観ていれば、悪い奴だったり、悪い奴だと思って観ていれば、良い奴だったりと。
これを私に植え付けたのは「ラストキング・オブ・スコットランド」の印象を受けてからの「レポゼッション・メン」におけるフォレスト・ウィテカーね。この人はほんとに読めない。信用しきれない。
最近の(私的鑑賞した)作風の傾向としては、黒人+女性であったらこの人物が犯人というのはほぼ確実であった。
*補足
黒人の足元に銃を落とす画だったり、白人警官がいたり、その弟だかが同性愛者だったりする。その白人警官が無駄に正義感を振りかざすのも狙ってか。
想起するワード : [黒人と銃] [正義(正義感)]
・イスラム系・アラブ系
近年起こったテロや戦争により、世間的に「イスラム・アラブ系の人=悪」であるというような印象付けが為されてしまったことによる。まあ犯人ではないのだが・・・。その印象が広まってしまっているだけに「イスラム・アラブ系=悪」という演出はわざとしなかったのであろう。犯人候補の一人にとどめ、疑心暗鬼させると。
しかし、最後に明かされる犯行の動機として描かれる事件にもよるのだが、この動機がわかってしまうと、どうしてもこのイスラム系の人が関与しているのではないかと最後の最後まで疑ってしまう。そして医者という職業もあり、標的になる人物の死亡(判定)を確実にする存在として、かなり必要になってくる人材であったのは確かだ。しかも途中であやしい笑顔を見せるんですよね。
・・・ま~これやっちゃうと敵を外部に見出すってことにもつながるから無しっちゃ無しなんですけどね。それは次の区切りで。職業はイメージにおけるただの皮肉だったと。
想起するワード : [イスラム・アラブ系と飛行機]
・その他
あとはジュリアン・ムーアと顔見知りであるCAと、容疑者は複数いるわけであるが、個人的にジュリアン・ムーアは観る前から外していた。CAの方は、序盤のある女の子の搭乗シーンでの目配せと、酒浸りな主人公を観せての頼んだジントニックが来ない事などで顔見知りであることがわかるので、あやし~いということになる。
そして何よりこの女の子をもっと関わらせてほしかった。主人公の女の子に対する態度や昔話、カップルを見つめる様で、彼の境遇は大体察しがつく。故に後の報道で明かされる真実は何ら驚きもない。この示唆のためだけだったのかと。
さらに飛行機に乗る時にわざわざ足元を映した意味がよくわからない。降りるときの演出と掛けたかったのではなかったのか。それとも何か掛かっていたのか。飛行機に乗ることへの恐怖と、離陸・着陸(不時着)のときのおまじないを強調し、主人公の心の傷の払拭のために少女を描きたかったのだろうか。誰もが心に傷を抱えている。誰かが傷ついている。しかしそこから一歩踏み出す勇気が大事なのだと。彼のような人間をこれから生まないように。
犯人の動機がそれか。動機となる事件は防げるものであったと。事件を機に強化されたはずのシステムも、主人公を始め腐敗していた。連邦航空保安官のお仲間さんが麻薬の密輸さえも行っていた。また同じ過ちを繰り返すことになるぞと。また我々のような人間を生み出したいのかと。どっかで断ち切らないといけない。行動しないといけない。変えないといけない。罪無き少女が、飛行機に乗ることを覚悟したように・・・
あ~勝手に納得しました。
これを描きたいがために、外部に敵を創ってはダメなんですよ。警鐘にも皮肉にもなってるわけですからね。
想起するワード : [トラウマ]
総括①
この作品でやはりうまいなと思ったのは、(私だけかもしれないが)犯人を単独犯であると勝手に限定させられていたということだ。メールのやり取りという、相手の見えない状況であるわけだが、このやり取りのおかげで、勝手に主人公と犯人という1VS1の状況を想定してしまうのである。そして殺人の実行犯に主人公が関与してしまうことからも、犯人の有能感に駆られ単独犯だと断定してしまう。故に協力者の存在を完全に排除してしまう。
大体のサスペンス映画で鑑賞者に挑戦的に来る作品は、最後全ての不可能とも思われる不可解なトリックがつながり、見事犯人を引き立てるとともに、その犯人(像)を我々に決定的に印象付けさせる。故に演出に無理があったり、不満をもたれたりしてしまう。この作品もそうではないとは言い切れないが、容疑者の見た目(容姿)による出し方だったりというのは凝っており、最後の最後まで疑わせるのはさすがであった。
・・・犯人が複数とすれば、見破れたのかな~。少なからずチャンスはあるような・・・。
動機となる航空保安官の汚職・職務怠慢や、飛行機とハイジャックを結びつけることで思い浮かぶ9・11、犯人候補(容疑者)の疑うべき行動原理のもう一つ奥の演出・・・などなど見事に作り込まれている作品であろう。主人公は携帯から犯人を特定しようとするアイデアを、ジュリアン・ムーア演じる役が思いついたとするのだが、その思考へと状況を操作したのは誰だったのかと。最初に隣に座ろうとしてきたのは誰だったのか。携帯を別の者に滑り込ませる、毒を盛るチャンスがあったのは誰だったのかと。主人公の推理の仕方は正しくはあった。しかしそれを紛らわせる要素(邪魔)が介入することで、事件はどんどんどんどん複雑化していった。そして一回だけ犯人たちが直接接触(言葉を交わす、いや一方的か)する場面も存在する(これは流してまうな~orz)。
主人公視点で鑑賞するが故に、思い通りに動いてくれない乗客へのイライラ。しかし傍から見れば、主人公がとんでも野郎にしか見えない・・・というのもしっかりと演出している。
総括②
無い頭を絞って想起するワードとして単語を散りばめてみたが、そこから考えるに飛行機がアメリカという国の象徴だったのか。様々な年齢、職業の者。そして国や民族的な問題。趣味嗜好や性格、性癖、偏見などなど、乗り合わせていた。乗客全体の画が何度か映し出されたのはそのためもあったのか。
さらにその縮図の緩和としてうまかったのは携帯カメラ。飛行機の外部へと即座に情報は筒抜けになる。そしてその情報は報道される内容などを通して、単なる一部を切り取ったに過ぎないということにも気付ける。ま~これは全編通してやっているのでね。掌返しもおもしろい。
総括①の事件の複雑化の経緯。報道にも関連するのだが。様々な人種を介することで誤解を生んでいく。真実が見えにくくなっていく。この事件を通して見えてくる、なぜそのような信用できない状況が生まれてしまったのかという1つの解釈、とでも言おうか。
「NON STOP」という原題も、終始サスペンスフルな内容に関してだけでなく、主人公のトラウマに始まり、消せない過去や、もう後戻りはできないといった現代社会への皮肉の意も含まれていたのではなかろうか、と勘繰ってみる。
離陸から着陸までの顛末が何を物語っていたのだろうか。現実にもう飛び立ってしまっている。私たちが乗っている飛行機は果たしてどこに・・・・・、いや着陸できるのだろうか・・・
〇余談
窓際の席を少女に譲るの良かったな~
〇最後に
レビューを書いてていろいろ思い付いていったので、見直してみたら結構おもしろいなこれ。今までのセオリーどうのとほざいてしまったが、それは私が望むものであって、それこそが勝手に創り出してしまった観念であることに気付かされた。愚かしいな。猛省。窓際の席を少女に譲るの良かったな~
〇最後に
ではでは・・・
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