2017年2月28日火曜日

ソルジャー(1998)

ソルジャー


~誰がため~


〇はじめに
 人質(女子供)諸共敵兵を撃ち殺していた男がこうなるのを楽しむ作品。


 カート・ラッセルの危うさが見もの。



〇こんな話
 ソルジャーの世代交代


  0歳からの英才教育 VS 遺伝子組み換え
老兵 VS 新兵
  実戦 VS 訓練
Tシャツ VS タンクトップ
  坊主(短め) VS スキンヘッド





〇誰がため
 恐怖と懲罰(規律)を常に恐れていると。そんな感情を律するためには、与えられた・課せられた任務を確実にこなすこと、すなわち誰よりも強くなるしかない。自分が殺されないために相手を殺すしかない。自らを守るために自らへの危険は排除するほかない。孤独な戦いだったわけだ。

 そんなソルジャーが最終的に他者を守るために戦うという選択をすることになるわけだが、

 では何を守るのか? 何から守るのか?

 これが蛇の件を通じて見えてくる。子どもの今を守るとするだけでなく、これからを守ろうとするソルジャーの配慮。子どもが自らの命を奪うモノだと認識し、他者にまで危害を加える可能性があるからとそれを排除しようとするに至る。つまり他者を守ろうとしている。自分のためだった動機が他者にまで広がりを見せている。

 ここで築かれるのが、感情の共有というところでお互いを理解しようと歩み寄ることに繋がる。。今まで抱いていた独りで解消してきた恐怖が他者の存在により軽減される。恐怖というところを誰よりも知っているからこそ誰かを純粋に守ろうともできる。ここのソルジャーの心境の変化が今作の見るべきところだろう。






〇最後に
 アクション映画として特に秀でているわけではないが、訓練と実戦の違いには手に汗握る。


 ではでは・・・




2017年2月26日日曜日

ヘリオス 赤い諜報戦(2015)

ヘリオス 赤い諜報戦


~何を扱ってるかのイメージは各自徹底した方が良いよ~



〇はじめに
 核兵器を題材とする上で配慮する部分がもっとあったんじゃないか???

 シリーズ化な感じ!!??




〇こんな話
 旅客機墜落、国際テロの可能性あり。






〇そういう作品なのだと割り切る
 DC-8なる韓国の新型小型核兵器奪還作戦においてとある博士が言及する。まずは爆破させないこと。そして放射性物質の安定状態を維持させること。そして一刻も早く国外へと持ち出すこと。多少脚色したが、これが博士の唱える核対策三原則である。ざっくりとはなるべく関わらないということである。無闇に手を出さないと。なるべくなるべく穏便に・・・

 この姿勢の在り方の提示はよかったし後々の各国のいがみ合いに活きてくるわけだが、いざ現場が描かれると彼らは何を奪還しようとしているのかわからないからこそできる判断ばかりくだしている。実行部隊が作戦内容を知らないなら知らないでまた問題なわけだが・・・。テロリスト側に関してもだ。

 豪華俳優陣?の顔ぶれや銃撃戦(アクション)を観せたいとする意志はわかるが、そちらばかりが先行しすぎていていったい何を対象として彼らが行動しているのかが見えてこない、伴っていない。扱っている題材がそっちのけな演出になってしまっている。その辺りは割り切る必要があるだろう。




〇最後に

 もうわかんないよね・・・






 


















 多分交互に違う人なはず。
 ではでは・・・


2017年2月24日金曜日

エリザベス 神なき遺伝子(2014)

エリザベス 神なき遺伝子

~神とは?人間とは?~


〇はじめに
 クローン(技術)が神にのみ許された行為だとして、それを可能とした人間は神にはなれないのか。人間はどこへ向かうのか・・・

 映画が描いてはいけない領域ってのがようわからんかったな。




〇こんな話
 クローンは人間じゃない。

  ・・・では人間とは何なのか?

 科学は神じゃない。

  ・・・では神とは何なのか?



〇神とは?人間とは?
 クローンは神のみに許されている行為だと。


 では人にはどこまでが赦されるのか?


 出産に関して少し考えてみる。表現が適切かどうかは委ねるが、自然分娩が一般的だった今まで。他者の力を借りずに母親の力だけで命は産み落とされていたはずだ。それが助産師といったフォロー役が加わることで出産リスクは格段に下がったことだろう。しかしそれでも100%とは行かない。そんな中でさらに可能性を飛躍させたのが帝王切開といった術式とそれの成功率を高める上での周辺技術の進歩だろう。

 ここで考える、どこまで他者が関与すべきなのだろうかと。今まで救えなかったはずの命が救えるようになったという見方に対して、彼らは本来産む力が無かった母親と、産まれてこれる力が無かった子どもだったと見ることはできないだろうか。死ぬはずだった命、淘汰されるはずだった命だと。それを医療・医学の進歩で救っている。

 今まで救えなかった命を救えるようになったこれまでと、今救えない命をこれから救えるようになるかもしれない可能性を秘めたクローン技術とは一体何が違うのだろうかと。どちらも是とするのか、非とするのか。いや多くは前者を是と捉える人間たちで、後者を非と捉える者たちであろう。では何故前者を是とし、後者を非とするのか。ここに明確な線引きができる人間がいるのだろうか。

 ・・・輸血を禁じている宗教もありますね。その辺りで止まっている人たちもいるわけで。



 家族という概念の話もされていた。クローンが蔓延すれば家族という括りが明確でなくなる。誰が親で誰がキョウダイなのかと。DNAという情報が滅茶苦茶になると。

 では、家族でなければいけない必要性とは何なのだろうか?

 家族で無ければ大事にしないのか、大切に想わないのか。

 自らの子どもではないのに大切に世話している者たちが描かれている。そんな彼らの子どもは何やら事情があるようだが、家族外の者に手を差し伸べる事象なんていくらでもあるだろう。その人を思いやるときに家族であるから大切にする、家族でないからどうでもいい、といった見方をしているのかどうなのか。

 哲学的命題で母親と彼女(父親と彼氏の逆も成立するか?)と1人しか助けられない場合にどちらを助けるかなんてものがあるが、ここで枷となるのが家族という概念である。産みの親、育ての親である「生まれてから今まで」家族であった母親という人間と、「これから」を共にしもしかしたら親(家族)となるかもしれない彼女とでどちらを大切に思うのかを天秤にかけているわけである。

 家族という概念をどこで括るのか、どこに重きを置くのか・・・


 神を後ろ盾とし、科学を否定しようとする人間の信ずる神が唱える愛とは何なのか。むしろこの家族という小さな括りがあるからこそ、それの外の人間に対して愛を向けられていないことがあるのではなかろうかと。クローンとは神にのみ許されし行為ではなく、神が不完全な人間に与えた愛という可能性なのではないかと捉えることはできまいか。




 一番言いたいのは多分ラストなんだよね。クローンだろうが命を生み出した男が暴徒の1人に撃ち殺される。命を創り出した者と命を殺した者。クローンが倫理的に赦されるのか否か、の前のところがあるわけなんだよ。そもそもその倫理とは何なのか。踏み外してはいけないとされる枠組みはどのように作られ誰に適用されるべきなのか。ここで立ち返るわけなんだよね。クローン技術というところから、ではそのクローンの元となる人間とはいったい何なのかと・・・

 それを踏まえ、もう止められない段階にあると・・・ 人類は新たな段階へ必然的に進む時が来たのだと・・・


 差別主義者と非差別主義者の話もあるんだよね。差別主義者を是とはしないが、非差別主義者の非差別はどこにまで適用されるのか。よく非差別主義者が差別主義者を否定する構図があるが、それは果たして差別ではないのか。意図的に差別をする人間と、意図的に差別をしないようにと無意識に差別をしてしまっているものとでいったいどちらが罪深いのか。





〇余談
 これは白毫を模してるのかな?



 クローン問題で持ち出される神とは主にキリスト教のモノであって、では他の宗教における神(的な立場含む)ではどうなのか?

 浄土宗かどっかが否定したんでしたっけ?







〇最後に
 進化論を否定している宗教があるわけだけど、このクローン技術に関する捉え方との関連を取り上げているモノが何かないかな。探してみるか。「オートマタ」でも書いたが、ロボットの蔓延が進化の一環だと捉えた場合に、この医療技術の進歩に伴うクローン技術もまた生命の進化の中の人類という括りでの一部なのではなかろうかと。進化論という前提で議論が噛み合わないわけだが、クローン技術をただ否定するのでなく、その技術を受け入れ乗り越えてこそだという神が人に与えた試練とは取れないのかどうなのか。こんなところを宗教側(宗教的解釈)がどう答えているのかを知りたい。


 ではでは・・・



2017年2月23日木曜日

ギャロウ・ウォーカー 煉獄の処刑人(2013)

ギャロウ・ウォーカー 煉獄の処刑人


~登場シーンだけ~



〇はじめに
 め、めちゃめちゃおもしろくないんだが・・・



〇こんな話
 ギャロウ・ウォーカーって奴らを倒す。



〇雰囲気を楽しむ

 コイツらやばい奴だな・・・



とか、

 こいつかなりの手練れだわ・・・



ってな見せ方は買う。衣装だったり佇まいだったり雰囲気は抜群。ただそれだけなんだよこの作品。登場シーンがめちゃくちゃかっこいい。登場シーンが一番かっこいい。いや登場シーンだけがかっこいい。そっからただ落ちていくのみ。



 この最初のシーンだけで彼の実力は計り知れるし、並々ならぬ想いがあるだろうことは伺える。ただそれが掘り下げられようとする、世界観が定まっていくごとにこの最初の期待以上のものが全く出てこないからどうでもよくなってくる。ドラマとの兼ね合いが下手くそすぎ。ただ何かを想わせるのが上手すぎ。


 均衡状態の描き方はほんとに秀逸だと思う。ただその崩し方と、またその状態へと持って行くというのが手腕不足だろうな・・・ 期待しちゃうよなこんな魅せ方されたらってなくらいにうまいんだよ。まぁそれを作品全体でやってのけた「ファンタスティック・フォー」には負けるんだけど。PV向きの人なんじゃないかなこの監督は。



〇最後に
 最初の一幕がピークだった。


 ではでは・・・




2017年2月22日水曜日

サランドラⅡ(1984)

サランドラ


~水増し感が気になる~



〇はじめに
 前作の回想シーンをひたすらに挿んでいる水増し感は何なの?



〇想起する作品
 「ヒューマン・キャッチャー」(2003)
 「デザート・ストーム」(2016)


〇こんな話
 砂漠で若者たちが食人一家とバトル。



〇水増し
 前作にて見舞われた事態のトラウマ感と、それを知らない者たちとでのギャップを表現するための言い分は通るだろうがいやいやいや毎度毎度回想挿みすぎじゃない??

 前作の惨劇と若者の手の込んだいたずらや悪ふざけを交互に観せたいとする意志もわからなくもないが回想くどくない??

 だからといってこの一作だけで観られるかと言えば、前作のネタを踏襲していてこそといった描き方もあるし、断片的な回想シーンをくどくど観せられたところで繋がらないのではなかろうか・・・





 これって当時評価されたの?

 それとも予算の都合上のその場しのぎの作品だったの??

 いやそれこそが腕の見せ所だったの???




〇最後に
 惨劇に見舞われるのが家族ではなく若者たちとなったのがホラー映画界の何かしらの転換期だったのだろう?? よく知らんけど・・・ これもその潮流に乗れてたのかな??



 ではでは・・・


2017年2月21日火曜日

サランドラ(1977)

サランドラ


~時代の流行り~


〇はじめに
 これって当時を知っていると何か掴めるもんがあるの?





〇こんな話
 ある家族が砂漠で立ち往生。



〇時代の流行り
 都会人(ってわけでもないのか?ただの一般人?)とされる人間たちが砂漠で襲われる様をひたすらに観せられるわけだが・・・

 彼らの小奇麗なファッション(召しているモノ)だったり、車やトレーラーってところで彼らという人間を評価できるものなのか? 最初のスタンドの場面で小汚く感じる人間たちとの文明の対比になっているのか? 一緒に逃げたいからと身なりを整えた女性が描かれていたなそういえば。



 そういったビジュアルにおいてまずよくわからなかった。この辺りは時代の流行を捉えておくべきというか、今生きている時代の流行りものを観ていかなければならないんだなと感じる。


 車という移動手段に始まり、火や懐中電灯、トレーラーの電気に暗がりを照らし出す術(道具)を有している。対抗手段は腕っぷしではなく銃を構える。そういった文明の利器を後ろ盾とする都会人。燃料が抜かれていたり、長期保存できる冷蔵庫から食料が抜かれる様を観せているのはこれ関連か。でも相手も無線使ってるし爆薬使ってるんだよな・・・

 いやペットとして飼っている鳥を食料と捉えたような価値観というか捉え方の違いを見つめるべきなのか。ベビー(赤ちゃん)はうまいとも言っていた。我々がさも当然だと思っていることが通用しない。そして当たり前に使用している道具の数々。本来必要の無かったものまで開拓し、利便性を追求した人間という代物。その代償として彼らのような存在が生まれたのだと。

 文明の利VS地の利の戦いなわけだが、括りで言えば同じ家族VS家族というお話なんだよね。襲い始めたのは彼らにしろ。いや先に縄張りに侵入したのは都会人たちの方ともとれる。もう生存競争とでも言ってしまおうか。

 そんな争いを観ていると、人類全体に利があるように作られた道具は実は使用する人間に利があるだけなのだと映る。1つに家族という括りにおける。用法容量を間違えたことで、道を外れたことで、都会人たちは最終的に何をしたのか、してしまったのか。せざるをえなかったのか。果たしてそこまでする必要があったのか・・・




 この利害関係が究極核実験というところに繋がるのかどうなのか・・・




〇最後に
 なんかいろいろとピンと来ない。とりあえず2観よっと。

 ではでは・・・



2017年2月20日月曜日

インビジブル・スクワッド ~悪の部隊と光の戦士~(2014)

インビジブル・スクワッド


~フラストレーション~


〇はじめに
 これ、是非是非女の子バージョンやってほしいな。




 あと男なら鏡にだけ映らないとかすれば幅は広がると思う。全く別の方向で。


〇想起する作品
 「X-MEN」
 「ハリー・ポッター」

 「インビジブル」(2000)




〇こんな話
 透明人間になれたら何がしたいかだよね、うん。


〇フラストレーション
 子どものときに見たかったという大人(実際ジャリボーイ?)になってからの目線(欲望)ってのをよくわかってらっしゃる。主人公の透明人間ネタに、王道を想わせるアメコミネタ。その中でNoa Zattaという女の子がものすごく映える。



 男目線ではあるが、よくヒロインよりも周りのモブキャラの方がかわいいと思う事象が無いだろうか。あの子をもっとフィーチャーしてくれよという焦らし。情報はある程度公開されているがこれだという決め手が無い悶々。



 この決め手がこの作品は抜群にうまかった。主人公の能力の適用がヒロインであったかもしれないと最後観せてくれているのが堪らない。可能性の示唆っていうのかね。こうも有り得たかもしれないというところを想起させる。そんなところに人間は興奮する。たらればのお話ですよ。そこを妄想して自分で補うのが滅茶苦茶楽しいのよね。

 つまり彼女に



 これを着せられた可能性があったわけだ。



 しかし今回は男側だったからこそ男目線の彼女を観られたわけでもあるんだ。



 わかりますかね、このものすごく複雑な感情が。どっちも欲しいどうしようもなさ。これはこれでめちゃくちゃあり。でもあぁ~だったらもっと良かったかもしれないとは思うものの、これは絶対に手放したくないという・・・

 いや~、おもろかったわ。本気と書いてマジで。



〇最後に
 Noa Zattaをもっと観たいなうん。続編あるみたいなのでね。期待して待つ。


 ではでは・・・



2017年2月19日日曜日

ファイナル・デッド ダーク・ウォッチャー(2007)

ファイナル・デッド ダーク・ウォッチャー


~オステオパシー~


〇はじめに
 オステオパシー??

〇想起する作品
 「CUBE」(1997)
 「バイオハザード」(2002)
 「unknown」(2006)



〇こんな話
 起きたら閉じ込められてたんご(´・ω・`)






オステオパシー??
 最初にダヴィンチのウィトルウィウス的人体図が映し出されてるんですよね・・・



 後に出てくる三位一体という人体の調和というところのお話との関連なのだろう。精神病の治療のために記憶を消してみるという実験を行っていたそうな。そしたら意外と厄介厄介。



ラストがようわからんのだが・・・

 患者から分離した魂が影の怪物となり光を苦手としているとかなんとか。それが最後日光により消滅するという展開。日光により消滅というところだけ切り取ると吸血鬼ネタだけど、これが光と闇との関係となるとその影は悪魔的なナニカと見て取れる。つまり博士が分離させたその魂とやらはその人間の病として蔓延る悪魔だったということになるのではないか。つまりその病の原因となる部分だけを取り除くことができた、分離実験という意味では成功していたことにならないか。善と悪とを分離し、悪を取り除くという意味では。まぁ肉体に死が訪れていることで善なるものはこの世に生きていないわけだが。

 そう考えるとおかしくなるので、これはキリスト教由来の性悪説という考え方で見るべきなのだろう・・・か。あれが本来の人間の醜い姿なのだと。しかしそれは通常人体における調和によって、身体・精神・魂という三位一体の絶妙な構造により保たれているものなのだと。その1つでも乱そうものなら・・・、としたのが博士が行おうとした実験。つまるところの禁忌。


 そうだな、8人って話だったな。それが1人は影となったことで7人。7つの大罪との兼ね合いもあったのか。7つの大罪は元々8つだったって話もある。病名の話も出ていた。





 生まれたときから蓄積されてきた記憶というモノが排除された状態であるとしており、裸は見せていたし、身に着けているものがほぼ下着というか肌着というか簡素なもの。彼らは生まれてきたときの姿(状態)に近いわけだよね。



 このプールから上がってるのなんて当に人がこの世に生を受ける記号なんじゃないかな(テキトウ)。


 で、何が言いたいんだよというと、その7つの大罪にしても全員が全員当てはまってないようだし、結局のところよくわからない。


 いや待てよ。皆最初は個室に入っていたわけで。そこから出たことではなく、その施設から出たことこそが記号だとしたら。つまり個室やプールが子宮なのではなく、施設自体が子宮だったとすると・・・ 個室から出たのはドアが自動で開いていた。施設から出るのは彼ら奮闘して自力で開いたドアだ。つまりそれを鑑みると・・・

 さっぱりだぜ ┐(´∀`)┌ヤレヤレ


〇最後に
 わっかんね。


 ではでは・・・

悪女 AKUJO(2017)

~アクションは爽快~ 〇はじめに  韓国ではこの方はイケメンの部類なの? 〇想起する作品  「ニキータ」  「アンダーワールド」(2003)  「KITE」(2014)  「ハードコア」(2016)  「レッド・スパロー」(2018)...