~掛け替えのないもの~
〇はじめに
なんであの時にこうしておかなかったんだという後悔が付きまとう人生にこの作品は一見の価値あり。
〇想起する作品
「オーロラの彼方へ」(2000)
「イルマーレ」(2006)
・・・そういやこれも元は韓国映画だったな。
「デジャヴ」(2006)
「ザ・ドア 交差する世界」(2009)
「LOOPER」(2012)
「逃亡弁護士 成田誠」
〇こんな話
後悔は先に立たないという(タイム)パラドクス。
〇掛け替えのないもの
ラストはどう観るべきなのだろうか・・・
何年なのか? どの歴史が、記憶が適用された世界なのか?
1つに犬(仔犬)の存在。娘が犬を抱え階段を下りてくるわけだが、2015年においても娘は犬を飼っておらず、ただ父親に欲しいと話がされていただけだった。
そして過去を変えられたはずなのに掛かってくるどこかと繋がっている電話・・・
2014年の主人公には2015年の記憶は無いはず。2014年の自分が改心したとするのならば、2014年からの別のルートの記憶の蓄積はあれど、2015年の記憶は逆輸入しないはずで、戸惑いを見せないはず。つまりあの主人公は全ての記憶を有した人物であり、2015年の主人公であることになるわけだが・・・
それよりも問題はだ・・・、妻と娘が2014年の存在であると確定してしまう事だろう。妻がいないなりに娘と支え合ってきた時間が、共に過ごした2015年の娘が蔑ろにされているわけである。否定したことになる。まぁ娘は過去改変の影響を受けない主人公のような例外ではなかったからそもそも気にするべきところではないのかもしれないが・・・
しかし妻がいなくなってからの娘とともに過ごした1年間は確かに存在したんだ。だからこそ娘の変化を感じ取ることができる。そして父親を想い行動してしまう娘が描かれる。
彼が過去を変えようとしたから娘が不幸に陥ったと見ることができるわけである。作品としての結末は確かに万々歳かもしれない。しかし劇中彼が関わった裁判における悪を正すという背景があるもののその良かれとして行った行動が与えた娘への影響は明らかにマイナスなものだった。
つまり悪を正し、何より妻を救おうとした行動で、同じく妻(母親)を亡くした2015年という同じ時間を生きる今何よりも守るべき娘を不幸に貶めたのである。危険に晒したのである。
その意味合いの補完としてこの電話の着信(コール)なのではないか。
家族にとっての妻(母親)という欠かせないピースが朝のひと時(慌ただしさ)にて描かれている。夫と娘の身支度(荷造り)等々・・・。妻がいなくなり新しいシャツや靴下の穴に疲れた目をやる夫や、独り迎え(付き添い)の無い娘の寂しげな表情が印象的だ。
そんな妻の心配を余所にはしゃいでいる夫が描かれた序盤。全く別の方向を見ていた2人が生と死という正反対のところに行き着いた。それによる夫の後悔から展開される謎解きと妻の救出劇奮闘劇。過去にアプローチすることになるわけだが、直接的に手を差し伸べられない夫の苦悩、いやもどかしさがひたすらに展開される。この携帯電話というアイテムで距離というところを時間という隔たりにて描いた見せ方もうまかった。周りの者からの信用も得られず、自らに妻殺害の容疑がかけられてしまう始末。それが終盤に向け、そして最終的に、2014年において妻が、2015年において夫が同じ人間を相手取ることになる。同じ方向を向いたんだ。同じモノを見ていたんだ。そして繋がる。未来の自分が当初の死亡時刻から引き延ばした妻の命は、過去の自分にて紡がれる。
2014年における妻からのアプローチを煙たがっていた2014年の夫が、2015年においては逆に煙たがられる(疑ってかかる)2014年の妻にひたすらにアプローチしようと試みる。この過程を経て2015年の彼が死んだ?ことで2014年の妻が生き残る(助かる)。これが当初の生と死の逆転である。そして2014年と2015年の主人公が妻を守るために行動したというでリンクでもある。
この過去と未来との収束のさせ方がうまかったわけだが、ではこのリンクが起きたのはなぜなのかを考える。妻が死んだからである。妻の死がきっかけとして主人公を変えたのである。ではきっかけがなかったら?? つまり妻が死ぬことが無かったら主人公のこの変化は無かったわけだ。
おそらくは過去改変におけるタイムパラドクス的な意味合いよりも、家族という掛け替えのないモノという方がメインなのだろう。掛け替えのない者たちによって築いてきた掛け替えのない時間。それは決して戻ることのできない、やり直すことのできないものである。でもやり直せるとしたらどうか。やり直したいことは多々あるだろう。しかし妻を守ろうとした行動が招いたものはどんなものだったのか。
総じて悪を裁けたのか?
妻を救えたのか?
娘を守れたのか?
ではどの時代の悪をどの時代の誰を救えたのか守れたのか。こんなところに疑問符が付きまとう。そしたラストの光景は現実なのか否かさえも・・・
ここから見えてくるのは、後悔は先に立たないということである。しかし後悔があったから彼は過去を変えようとした。後悔したからこそ見えてくるものがあるわけである。後悔しなければ見えないものがあるわけである。失って初めて気付くものがある。これこそがこの作品で訴えたいタイムパラドクスであろう。
今ある時間を後悔無きように生きろ。最後のコールは我々に向けてのメッセージだ。
〇最後に
「オーロラの彼方へ」も是非。
ではでは・・・
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