2016年5月29日日曜日

アンダーワールド 覚醒(2012)

アンダーワールド 覚醒[DVD]


~種~


〇はじめに
 ダメだ、もうようわからん。結局なんなんだ・・・ 種の存続というか定めというか。その世界に如何に適応するかみたいな話で戦いましょうなんでしょ??


〇こんな話
 人類 VS ヴァンパイア VS ライカンと混沌としてまいりました。




〇種
 今回は今までのアレクサンドル・コルヴィナスから始まった対立を踏まえ、人類が介入してくる。人類にとって両種は敵だと。

 一応踏まえておくことは、この3種は全て祖先は同じということか。人類はヴァンパイアとライカンを認知したことで、同種間争いが無くなったとしている。人類共通の敵が現れたからだと。

 ヴァンパイアとライカンにとっても人類は共通の敵ともなったわけで。しかし争いは止まらない。ここに彼らの業を見るのか。

 そしてこの複雑化を図ることでそれぞれの種の存続・適応・進化ってのが際立ってくるわけか?

 ライカンは弱点克服を研究していただけで。一族を守るためであり、存続させるためであり、後世へとつなげるため。何らこれまでやってきたことと変わりはないんだよね。このシリーズを通して描いてきたことと。親子関係を築いていたのも子を守るという前作までひたすらに描かれていた愛を描くためだろう。

 まぁ結局種の存続よね。愛とかなんだと言ったって、生き残るには対立する種が邪魔なわけでね。ヴァンパイア(というよりセリーン)が正義で、ライカンが悪である図式で話が進んでいくが、それって実は何の意味も無いのよ。

 何と言うか、セリーンが正義でライカンが悪というより、愛する者を奪われたからセリーンが激昂してるだけでね。ライカン側も息子を守ろうとするためにやってきただけでしょ。愛を成立させるには何かしらを犠牲にしなければなならないとでも締めておこうかな。


 愛は種を越えるけど、その愛に種が障害になるのよ。ミクロな視点とマクロな視点でね。


〇最後に
 いや~一気見ダルかったな~。次のヴァンパイアものは多分「ブレイド」シリーズ。


 ではでは・・・




2016年5月28日土曜日

アンダーワールド:ビギンズ(2009)

アンダーワールド:ビギンズ[DVD]

~愛の衝突~


〇はじめに
 セリーン出ねえ(笑)



〇こんな話
 「アンダーワールド」へとつながるお話。




〇愛
 前作からの歴史補正。

 マーカスとウィリアムからヴァンパイアとライカンとしていたが、ライカンはルシアンからの突然変異だそうな。

 アレクサンドル・コルヴィナス

  →マーカス(ヴァンパイア) VS ウィリアム(狼男)

   →ビクター(元人間)&ルシアン(ライカン) VS ウィリアム(狼男)

    →ビクター(元人間) VS ルシアン(ライカン)

     →セリーンとマイケルへ・・・



 ビクターとソーニャという親子愛とルシアンとソーニャとの男女愛との衝突がメインなわけだが、なぜにそこまでに揉めに揉めたのかと。障害は種という壁である。


 あ~そうそう、愛があれば種を越えて混血の命が宿るそうな。愛が奇跡を生むってなお話なのだろう。

 難点はシリーズを追っていないとビクターの葛藤があまり見えてこないことだろう。対立すべき親子愛と男女愛にて、ルシアンとソーニャの男女愛が強すぎてしまう。この2人の愛がメインだから別に構わないのだが。この件があったからこそ「アンダーワールド」へと続くセリーンを殺せなかったというところと掛かるわけである。が、この作品単体だとビクターのエゴが際立ってしまう。

 ビクターのポジションとしてはソーニャの親であり、そして種の長(長老)である。種の存続も意識しなければならない。「アンダーワールド」へと続く、そしてそれまで続いてきた長い長~い歴史がその強さの現れだ。そのための掟であり、ライカンの奴隷化である。例え娘であろうと、という時には非情な決断を下さなければいけなかったわけだ。

 愛する者を守らなければという親子愛と男女愛の衝突。愛する者は共通している。ソーニャだ。しかしご存知の通り、ご覧のように、ヴァンパイアとルシアンの戦いは複雑を極める。

 なぜこんなにも事態は単純そうで紐解けないのか・・・



〇最後に
 この作品にて「アンダーワールド」シリーズの深みが増したかと問われれば???が浮かぶ。今回は質感も出せないし・・・

 ではでは・・・


2016年5月27日金曜日

アンダーワールド:エボリューション(2006)

アンダーワールド:エボリューション[DVD]

~エボリューション~


〇はじめに
 前作からそうなのだが、終始出落ち感があるのと、もったいぶった割に大した見せ場が無いという・・・ その割に淡々と話が進むのよね・・・ いや見やすいと言えば聞こえは良くなるんだけどさ・・・ なんかマッチしないのよ・・・


〇こんな話
 ヴァンパイアとライカンの対立のそもそもの原因のヴァンパイアと狼男の対立の原因が描かれる。

〇エボリューション
 最後の始祖VS新種対決がこの作品の全てなわけだが・・・

  始祖ヴァンパイア VS 新種ヴァンパイア

  始祖狼男 VS ヴァンパイアとライカンの混血種


 対立の歴史を絡めることでセリーンとマイケルの関係を前面に押し出し、最終的なところで種の垣根が曖昧になると。


 ただこれを観せるために彼らの歴史を今作では辿ったわけさ。血の記憶という前作からの鍵を下地に。種の対立がどこから始まったのかと。なぜここまでに相容れないのかと。


 それでも結ばれる二人・・・ まぐわう二人・・・

 時代が変わると・・・

 彼らの愛の力を示したかったわけだ。




ざっくりと明かされた彼らの歴史を書くと・・・

 アレクサンドル・コルヴィナスっつう奴が人類の中で突然不死の能力を授かったわけさ。その子供が兄弟でその不死の能力を受け継いで、なんとなんと兄はコウモリに噛まれてヴァンパイアに、弟は狼に噛まれて狼男(ライカン)になったそうな。そっから何やかんや両種は争うことになっちまったんだと。何千年と。

 詳しくは「ジョジョの奇妙な冒険」読んでもらえればと思う。





〇質感

 何を楽しむってこの質感よね。







































〇最後に
 う~ん、次がビギンズでヴァンパイアとライカンの対立のきっかけが描かれる。このシリーズ飽きてきた・・・

 ではでは・・・




2016年5月26日木曜日

アンダーワールド(2003)

アンダーワールド[DVD]


~記憶と歴史~


〇はじめに
 これって奴隷制と白人至上主義が根底にあるお話なのか?



〇こんな話
 ヴァンパイア、ライカン狩る。

〇種
 ヴァンパイアが支配者階級でライカン(狼男)が奴隷だったと。

 そして長老の1人であるビクターはヴァンパイアとライカンの混血を恐れたと。

 細胞レベルまで争う両種の対立。ここがようわからんのよ。ライカンのリーダーのルシアンとビクターの娘のソーニャは種を越え愛を育んだ。そして子供を授かったそうな。できんの? その前に性交は問題無いのか?


〇記憶
 長老は交代制で1人が起き2人が寝ているそうな。その引継ぎとして血によって記憶を伝達する。これが作品全体に掛かっているわけなのだが・・・


 1つはクレイヴンの嘘。ルシアンを殺した証拠として刺青の入った皮だかを持ち帰ったらしいが、それ以外の確証はクレイヴンの証言のみ。実はルシアンと密約を交わしていた。

 1つはビクターを起こしたセリーンの血。断片的な記憶をビクターに注ぎ込む。セリーンの偏った、具体的にはクレイヴンが悪者だという偏見を押し付けるカタチとなっている。

 1つは処刑人という立ち位置。ライカン狩りをしているわけだが、それは上からの命令のまま。これがビクターならというクレイヴンへの不信感として表れてもいる。


 1つにビクターがセリーンの命の恩人説。これは誰から聞いたのかと。そのままクレイヴンの状況と同じなわけである。


 記憶ってのは主観なわけであって、その弊害があるからと復活式は長老が行うという掟があるそうな。正確に引継ぎが行えると。はてさてどうなのか・・・

 このあたりがヴァンパイアとライカンが戦うこととなった歴史やらと次作以降で掛かってくるのかどうなのか。




〇質感





















〇最後に
 結局男と女の愛みたいなところに辿りつくのよね。愛は種を越えて育まれる。ルシアンとソーニャは引き裂かれた。セリーンとマイケルは・・・ この辺りがあっさりしすぎてるのよね~・・・ す~ぐチュッチュすりゃええんかいな・・・

 ではでは・・・





2016年5月25日水曜日

ミッドナイト・アフター(2014)

ミッドナイト・アフター


~香港~

〇はじめに
 台湾と香港の区別がつかなくなる人間の感想です。


〇想起する作品
 「パッセンジャーズ」(2008)
 「LAST7」(2010)
 「スモーク」(2012)
 「エンド・オブ・オデッセイ」(2013)
 「7500」(2014)

 「ドラゴンヘッド」
 「リトルバスターズ!」


〇こんな話
 トンネル抜けたらそこは~♪

〇香港
 SFやホラー要素としては想起する作品に挙げたものらを念頭に置けば中々に楽しめるだろう。しかしひたすらに辻褄が合わない。意味深な描写をあらぬ方向へ深読みしてしまう。
 どうやら香港の実情が頭に無いと対応する事象を当てはめるのは厳しいようだ。そしてこれには原作があり、映像化されたのは前半部分だけとのこと。どういった帰結を迎えるのかは不明だが、香港という舞台における風刺としての作品ならばこのまま終えてもいいのだろう。私はさっぱりだが。

 そういえば1969年のアポロ11号の件や、2011年の日本における原発問題、2012年に地球がフォトンベルトに突入するといったその時代の流行が示されてはいた。

 全員がスマホを装備しており、事態の究明には各国のネットサービスの更新頼り、外国人(日本人)との会話にはオッケーグーグル!

 香港は文化の空白地だというのも何かしらの皮肉だったり示唆か。へぇ~、デヴィット・ボウイのスペース・オディティは近代化のアンチテーゼだそうで。


 おそらくガスマスクの連中に何もわからないまま感化され、同じような格好をする羽目になった者たちが、最後マスクを外し誰かを想っている画が一番のメッセージなのだろう・・・

 そして挿入される言葉・・・


 何を信じ何を疑えばいいのか。彼らは独自で判断するしかない。そんな様子が時には自ずと、時には彼らの決定で排除されていく。真相に達した者なのか、ついて行けなくなった者なのか。ここをSFホラーという導入で見せたわけか。雰囲気は抜群だ。しかしそれを期待して鑑賞した人間たちを置き去りにしている感は拭えない。そもそもそういった人間をターゲットにはしていないのだろう。いや、この作品をその理解への導入としたいのか。



〇SF・ホラー
 SF・ホラーとして何かしら解釈するのならば「LAST7」がおそらく一番近い作品なのだと感じる。あの爆発でという言葉、死んでいった者たちは火に関連した死に方をしていた。要は死を自覚していったんだ。


 そして問題はどこが起点だったのかということだろう。香港の社会派映画としての見方ではトンネルが境界だということだが、SF作品として見ると、バスの乗客が巻き込まれる前に死んだ2人が気になるのである。あの時点ですでに始まっていたのではないのか。

 彼らにとっては数日の出来事が唯一繋がった彼女との電話では6年経っていた。走馬燈のような、精神と時の部屋のような・・・

 フクトウからなぜ福島原発へと繋がるのかは全くもって意味不明。

 答えは明示されていないのでね、逆にそれが答えと言えたりもするのかもしれません・・・



〇Janice Man

 この人に小島瑠璃子と山本彩を垣間見た。





































〇最後に
 後編が描かれることがあるのだろうか。オチは気になるな。

 ではでは・・・



2016年5月24日火曜日

提報者~ES細胞捏造事件~(2014)

提報者[DVD]


~真実~

〇はじめに
 記憶に新しい事件があるだろう。その記憶が薄れぬ内に観とくいいのではなかろうか。

〇想起する作品
 「大統領の陰謀」(1976)
 「ユニコーンキラー」(1999)
 「消されたヘッドライン」(2009)
 「キング・オブ・マンハッタン 危険な賭け」(2012)

 「TRICK episode3 絶対死なない老人ホーム」

〇こんな話
 あるとかないとかないとかあるとか



〇真実
 真実とは如何にして創り出されるのだろうか? そしてそれを真実たらしめるものは何なのだろうか? 

 真実の形成過程を私の独断と偏見を基に探って行こう。

 
真実とは・・・・

 真実とはまず不確かなものである。それを判断するのが人間であるからだ。主観が介入するからだ。映画における見え方の違いから賛否が分かれるのと同じだ。見えているものが違うのである。そしてその情報の優先順位や、捉える順番、もっと言ってしまえば流れている時間が違うのである。

 1,2,3,4、・・・・・と流れる人

 1,13,24,57・・・・・と流れる人

もっと言えば、

 163,23,57,1,2000・・・ってな具合に流れる人もいるわけだ

 乱雑な情報を整理できないのはそのためである。仮に順序立てて説明しても理解できないのは、流れている時間が違うからだ。正確には共通する時間の流れが存在していないからだ、としておこう。


 ってなところで、真実とされるものは如何にして真実として決定されるのか・・・

 時間の流れの異なる人間たちが、その時間が流れる前に、思考を介することなく、乱雑にさせることなく、信用足るものを提示する必要が出てくるのである。真実に関しての信憑性や信用度というものが問題となってくるわけだ。

 例えば・・・

 [1%の真実を語る嘘つき] と [99%の真実を語る正直者]

 どちらを信じるだろうか?

 そもそもの例題がおかしいわけであるが、なぜそのように嘘つきか、正直者かと判断できるのかというところを意識してほしい。1つの事象でそれを判断するのは不可能なのである。そうなる事例があったはずなのだ。

 「ONEPIECE」におけるウソップの件を想起してもらえば広く伝わるだろうか。


 我々は真実とされる情報を真実として捉えるのではなく、その情報を真実として裏付ける情報を信用に足るものだとして、真実と判断しているわけである。



 とある情報が提示される。それはいったい何なのか。情報源はどこなのか。ある者はこれは真実だと言う。ある者は嘘だと言う。では真実だと言った者はどんな人物か。嘘だと言った者はどんな人物か。さらにはそれらの人物をそれぞれ支持する者たちはどんな者たちなのか。とある情報に対して無知である者たちは、その情報の真偽の検証に後ろ盾を意識するのである。

 これがひたすらに繰り返されることで情報の真偽の選別を簡略化しているのである。どこが発信しているから信憑性が高いと、誰が言っているから信用できると。


 で、おもしろいところが、この作品で扱ってる世界が科学会であるところで。理論が先に先行するわけである。誰もその理論が正しいかどうかなんてわからない。仮説が立てられ検証がはじまる。そして再現性のお話へ・・・ 仮説の検証が後ろ盾になるわけだ。再現性が確認されれば信用に足る、確認されなければ信用に足らない。


 当にこの作品における大衆への真実の浸透と過程が同じなのである。ここが見事に皮肉になっているところでして。仮説の検証及び立証という要素がありながら、前者の要素が浸透しているわけですは。シフトしやすかったのかもしれない。所詮はどちらも同じ人間ですからね。



 その他の例を挙げてみる。男と女の人が手を繋いで歩いていたとしたら、その光景はどのように映るのだろうか。

 カップルと見るか。夫婦と見るか。いやいや親子かもしれない。はたまたそれは果たして本当に男なのか、女なのか、というところまで勘繰るか。どのような事例に遭遇してきたかによって判断すべきところが異なってくるわけである。文字に「男」「女」と起こしてしまうと偏見が入り安くなってしまうだろうがそこは勘弁。


 これはいらんかったかな・・・ まぁ載せとこ・・・


まとめると・・・
 
 世に広まっている真実とは、再現性などでは決して無く、その真実とされる情報の後ろ盾の信憑性を判断しているに過ぎないのである。



〇ソン・ハユン

 かわいい











































 まぁこのかわいいというのも私という人間の信憑性によって判断される事象で・・・ 


 いや、かわいい(断言)




〇最後に
 タクシーの運ちゃんが最後言うんだよ。イ博士が嘘をつくとは信じられないけど、プロデューサーも嘘をつくわけがないと。PD追跡は唯一信頼していると。ここに全てが込められていると思う。

 ではでは・・・



2016年5月23日月曜日

ヒロイン失格(2015)

ヒロイン失格[DVD]


~ミニトマト~

〇はじめに
 とある情報源によると、桐谷美玲のスタイルが女性の憧れるスタイルなのだとか。細身でありながらバストが豊富な体型が。ここで男どもに問いたい。我々の願望と少しズレていないか? 

 おそらく細さという基準が違うのだろう。この溝を埋めることが、何かしらポイントになってくるわけだ、うん。


〇こんな話
 自称ヒロイン失格。


〇ミニトマト
 王道ラブストーリーを皮肉めいて毒舌チックに描きながら、まぁ~結局王道ラブストーリーに落ち着く。ここを楽しんだもん勝ちか。

 この点に関して特に何も思い付かなかったので割愛。



 何を書きたいかったのかというと・・・


 学食のおやじが利太に山盛りのミニトマトを差しだすわけだが、それがこぼれるのである。それを利太が皿に盛り直すシーンが挿まれていたことに少し感動を覚えてしまった。意図的かどうかは知らん。しかしこういう描写が皆無なのである、この手の作品には。後始末の描写が。やりっぱなしなのであるいつも。これくらいのほんの少しで良いんだよ。某作品でも書いたが・・・







〇最後に
 友人役が福田彩乃だったことに途中で気付きビックリした。今野君も出てたw ま~ネタ作品だからね。

 ではでは・・・

2016年5月22日日曜日

鉄拳 Kazuya’s Revenge(2014)

鉄拳 Kazuya’s Revenge[DVD]


~微笑み~

〇はじめに
 ケイン・コスギの体がまだ動く内に、でっかい作品撮ってくれないかな~・・・


〇こんな話
 なんかようわからんけど闘えばいいんでしょ。でも殺しはしないから~。


〇アクション
 格闘を見せる作品だけに、見せなければいけないだけに、その心意気というか力を入れたのだろうことは評価したい。ケイン・コスギかっこよかった。

 しかしこの手の作品は、ただ格闘の最中だけを頑張れば良いというものではないだろう。別にストーリーがどうとかの話ではない。如何にして彼らは闘うこととなったのかというところ。理由付けではなく、その人物の実力提示。対人戦以外のところで何かしら見せておくべきだっただろう。そうするとケイン・コスギの置かれた立場がより際立ってくるはずだ。

 例えば拳法、流派、必殺技や得意技に関して。単純に肉体の大きさや顔の濃さとかだっていい。力の強さ、スピード、すばしっこさ、何かしら武具の使い手等々・・・ コスチュームで判断させることもできただろう。この作品はそれぞれの登場人物の特徴がとにかく薄い。アクションはかっこいいのだが、別段盛り上がらないのである。

 訳の分からなさというところで、いきなり目の前に現れた相手と闘うのも別に悪くはない。しかしどんな相手なのかという情報が入っているだけで勝手に鑑賞者は妄想することができるのである。ここを頼ってくれてよかった、いや刺激してほしかった。




〇Paige Lindquist

 微笑み方、ではなく、微笑みの向け方が堪らない。























〇最後に

 これベストね。


















 ではでは・・・



悪女 AKUJO(2017)

~アクションは爽快~ 〇はじめに  韓国ではこの方はイケメンの部類なの? 〇想起する作品  「ニキータ」  「アンダーワールド」(2003)  「KITE」(2014)  「ハードコア」(2016)  「レッド・スパロー」(2018)...