~真実~
〇はじめに
記憶に新しい事件があるだろう。その記憶が薄れぬ内に観とくいいのではなかろうか。
〇想起する作品
「大統領の陰謀」(1976)
「ユニコーンキラー」(1999)
「消されたヘッドライン」(2009)
「キング・オブ・マンハッタン 危険な賭け」(2012)
「TRICK episode3 絶対死なない老人ホーム」
〇こんな話
あるとかないとかないとかあるとか
〇真実
真実とは如何にして創り出されるのだろうか? そしてそれを真実たらしめるものは何なのだろうか?
真実の形成過程を私の独断と偏見を基に探って行こう。
真実とは・・・・
真実とはまず不確かなものである。それを判断するのが人間であるからだ。主観が介入するからだ。映画における見え方の違いから賛否が分かれるのと同じだ。見えているものが違うのである。そしてその情報の優先順位や、捉える順番、もっと言ってしまえば流れている時間が違うのである。
1,2,3,4、・・・・・と流れる人
1,13,24,57・・・・・と流れる人
もっと言えば、
163,23,57,1,2000・・・ってな具合に流れる人もいるわけだ
乱雑な情報を整理できないのはそのためである。仮に順序立てて説明しても理解できないのは、流れている時間が違うからだ。正確には共通する時間の流れが存在していないからだ、としておこう。
ってなところで、真実とされるものは如何にして真実として決定されるのか・・・
時間の流れの異なる人間たちが、その時間が流れる前に、思考を介することなく、乱雑にさせることなく、信用足るものを提示する必要が出てくるのである。真実に関しての信憑性や信用度というものが問題となってくるわけだ。
例えば・・・
[1%の真実を語る嘘つき] と [99%の真実を語る正直者]
どちらを信じるだろうか?
そもそもの例題がおかしいわけであるが、なぜそのように嘘つきか、正直者かと判断できるのかというところを意識してほしい。1つの事象でそれを判断するのは不可能なのである。そうなる事例があったはずなのだ。
「ONEPIECE」におけるウソップの件を想起してもらえば広く伝わるだろうか。
我々は真実とされる情報を真実として捉えるのではなく、その情報を真実として裏付ける情報を信用に足るものだとして、真実と判断しているわけである。
とある情報が提示される。それはいったい何なのか。情報源はどこなのか。ある者はこれは真実だと言う。ある者は嘘だと言う。では真実だと言った者はどんな人物か。嘘だと言った者はどんな人物か。さらにはそれらの人物をそれぞれ支持する者たちはどんな者たちなのか。とある情報に対して無知である者たちは、その情報の真偽の検証に後ろ盾を意識するのである。
これがひたすらに繰り返されることで情報の真偽の選別を簡略化しているのである。どこが発信しているから信憑性が高いと、誰が言っているから信用できると。
で、おもしろいところが、この作品で扱ってる世界が科学会であるところで。理論が先に先行するわけである。誰もその理論が正しいかどうかなんてわからない。仮説が立てられ検証がはじまる。そして再現性のお話へ・・・ 仮説の検証が後ろ盾になるわけだ。再現性が確認されれば信用に足る、確認されなければ信用に足らない。
当にこの作品における大衆への真実の浸透と過程が同じなのである。ここが見事に皮肉になっているところでして。仮説の検証及び立証という要素がありながら、前者の要素が浸透しているわけですは。シフトしやすかったのかもしれない。所詮はどちらも同じ人間ですからね。
その他の例を挙げてみる。男と女の人が手を繋いで歩いていたとしたら、その光景はどのように映るのだろうか。
カップルと見るか。夫婦と見るか。いやいや親子かもしれない。はたまたそれは果たして本当に男なのか、女なのか、というところまで勘繰るか。どのような事例に遭遇してきたかによって判断すべきところが異なってくるわけである。文字に「男」「女」と起こしてしまうと偏見が入り安くなってしまうだろうがそこは勘弁。
これはいらんかったかな・・・ まぁ載せとこ・・・
まとめると・・・
世に広まっている真実とは、再現性などでは決して無く、その真実とされる情報の後ろ盾の信憑性を判断しているに過ぎないのである。
〇ソン・ハユン
かわいい
まぁこのかわいいというのも私という人間の信憑性によって判断される事象で・・・
いや、かわいい(断言)
〇最後に
タクシーの運ちゃんが最後言うんだよ。イ博士が嘘をつくとは信じられないけど、プロデューサーも嘘をつくわけがないと。PD追跡は唯一信頼していると。ここに全てが込められていると思う。
ではでは・・・
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