2016年7月31日日曜日

リターン・トゥ・ベース(2012)

リターン・トゥ・ベース


~報復~

〇はじめに
 あんなにスイスイいくものなんか戦闘機って。


〇想起する作品
 「海猿」
 「エネミーライン」(2001)
 「スカイ・クロラ」(2008)


〇こんな話
 韓国VS北朝鮮

〇報復
 前半部分でホームドラマ恋愛ドラマにてひたすらにおのろけを観せたのには意味があった。彼らには家族がいると。誰もが笑って幸せに暮らせればそれに越したことはないだろう。しかしそれを脅かす者たちがいると。ここがしっくりこなかった。

 北朝鮮を悪としたい気持ちはわかる。それを助長するかのように市街地上空での戦闘を観せる動機も理解はできる。しかしこれを際立たせようとしての韓国空軍の判断が理解できない。

 市街地上空だからと戦闘を回避したいのは妥当な判断だろう。民間人の安全が第一だ。しかしだ、追跡している戦闘機はどんなものだったのだろうか。自軍の逃走機を撃墜し、しかもそのために油断させようとダッチロールするくらいの奴だ。ここで何をしてくるかわからないという危険度の高さくらいは判断できないのか。それをみすみす市街地上空へと侵入を許す。

 郊外への誘導を図るわけだが、映像的にはなぜか市街地を闊歩するのである。河だか湾を観せていることで、誘導の意図はくみ取れるものなのか。この辺りの地理的要素を把握できない。グライダーデートが機能してくるのか。

 最終的に敵地領空(境界?)だからと追跡すら中止する。全面戦争回避のためだ。これは結局少ない犠牲で多くの命を守るということだろう。まぁ結果論なわけだが、市街地で結局銃撃戦を繰り広げてしまったのならその前に撃墜した方が犠牲は少なかったのではないのか、と思ってしまう。


 そして結局仲間救出という名目で報復を行う・・・




〇最後に
 シン・セギョンかわいい




















 ではでは・・・





2016年7月25日月曜日

星ガ丘ワンダーランド(2015)

~落とし物~

〇はじめに
 申し訳ないが木村佳乃に対しては腹黒さが先行する。彼女が悪いとしか思えない。しかしそれをもってしても最後の息子を想う気持ちは伝わってきた。





〇雰囲気
 職場の先輩の距離感が本当に絶妙。ここについつい感動してしまった。

 とある騒動の後に、リンゴのスープをさ、温めて持ってきてくれるんだけど。これをさ、くどい作品は隣に座って語りだすわけさ。でもこの作品は少し離れたところにすっと置いてさ、一言二言行って去っていくわけさ。

 この場面以前にも、ちょこちょこ彼の様子を伺っては助言めいたことを言っていたりする。ほんとにくどくなくさりげなく。堪らないんだ。この雰囲気が。

 それに加え脇役も絶妙。佐々木希の醸し出すナチュラルな雰囲気は本当に好き。これに対して個人的にではあるが、菅田将暉が何とも噛み合っていなかったが、若者ならではの針が振り切れてしまう経験の浅さとして見れば、先ほどのベテラン勢(先輩)の落ちついた雰囲気が活きてくるので、これを狙ってやったのであれば評価したい。

 さらには市原隼人。彼と主人公との仲直りをしっかりと描いてほしかったが、最初に彼が電話しているシーンを観せていたからな~。最後の主人公の電話の先は彼だったのだろう。敢えて彼の顔は描かなかったと・・・。市原隼人もうまかった。ちょっと寂し気な顔が堪らんのよね。彼だからこそだろうな~。処分する物の中からCDを拾ってかけたりしてるのなんてね・・・ 彼もまた温人と同じ気持ちを持っていたりするのよね、落とし物に対して。


〇落とし物
 持ち主(落とし主)、拾った者、預かった者、処分する者。見て見ぬふりをした者や気付きすらしない人もいるだろう。果たしてそれはどんな物なのだろうか。よくTVで預かり所の特集があったりする。その落とし物にはどんな想いが、ドラマがあるのだろうかと。

 その持ち主の顔を想像して似顔絵を描いていく温人。タップシューズの件大好きね。片方だけでは奏でられなかったタップが、持ち主の元へ帰ることで本来の姿に戻る。力を発揮する。
 
 それに対してどこか思い入れがありそうで温人たちに悪態をついた人間が、次に会った時には代替品を手にしている。徹夜してごみ処理場から探し出した傘が道端に捨てられているのだ。あれだけ傘の山を築いて、たった一つ持ち主にとっての特別なものを見つけ出したんだ。それがなんともあっさり。

 これが兄貴の言う、残された者の気持なんか考えたことないんだろというところに繋がるわけか。いつも自分のことばかりと。

 なんなんだろうな・・・ 簡単に片づけるならば都合が良いってなことで落ち着くんだが、ニュアンスが多少異なるんだよな・・・


 落とし物=残された者(父と兄 弟?) 落とし主=母親

ってなカタチにしてみるとなんか見えてくるか。落とし主に関しては最初の中学生?、タップシューズのおじさん、主婦?、佐々木希が描かれた。それぞれ、

 自分の持ち物だが自分のものだと言えなかった。

 持ち主の元に戻り本来の姿を見せた。

 代替品があるねん。
  
 人をつなぎとめるもの・・・?

として見えるわけで



 兄貴が父親ができなかったことを観覧車で再現をする。これを眺める者たちがまた印象的だ。休園から閉園となったワンダーランドの観覧車に彼らはいったい何を観ていたのか。とある業者の男は迷惑な話だと。刑事は綺麗だったけどな~と。

 拾う者届ける者、預かる者、処分する者がいるんですわな。綺麗事だけじゃ済まないケースもあるわけで。

 ここがまた複雑なわけよ・・・


〇観覧車

 これにも意味があったんかな。

 観覧車とはどんなものなのか。ひたすらにぐるぐる回るんだ。乗り合わせた人とともに。乗り合わせる形態はどんなものだろうか。そして一周しなければ降りられない。降りずにもう一周したっていい。降りてまた乗ってもいい。乗る相手はそのときにいるかどうなのか・・・ 乗るチャンスが来るのか来ないのか・・・ 




〇最後に
 エンディングも木村佳乃の歌声がマッチ。トーンが堪らんのよね。最初の項目でも書いたが、この作品は終始雰囲気がすばらしかった。

 ではでは・・・

2016年7月24日日曜日

NINJA THE MONSTER(2015)

NINJA THE MONSTER


~生き方~

〇はじめに
 伝蔵有能アピールが終始利いてこない・・・

 あと忍である必要よね・・・


〇こんな話
 忍者がお姫様を守るお話。


〇忍
 伝蔵がもののけと対峙できる実力があるのでは?というのを見せる過程がま~テキトウ。伝蔵有能アピールと姫たち馬鹿じゃね?ってのを併用して観せていくわけであるが、これが何ともね・・・

 一番は判断の速さや潔さよね。これを観せた上でその独特の価値観がとある者の影響で揺らいでいくという常套句があるわけなのだが。これもイマイチ。

 結局戦わないというね・・・


 もののけが水という形態での浸透・侵入具合は良かったのではないか。我々は水の恩恵に預かっているという意識があってこそ。



 「忍」と「もののけ」は似た者同士。この国には住めない。

 これがようわからんかったな~。なんか最後台詞吐いてたんだけど。

 忍者は忍者禁止令でしょ。渡り鳥とかなんとか・・・

 もののけは? 浅間山の噴火ってこと?

 じゃあなんで人襲ってたん? 襲ってるって自覚は無いの彼らに? 人間が彼らの領域に侵入したからの防衛手段?

 江戸への道って開拓されてたんじゃないの? 自然に対する人間の行いが一切描かれていないよね。立ちションはそれに当たるの? 儀式(祈祷?)は何ポジなんだよ・・・

 浅間山噴火における一連の地震活動すら神のお怒りだとするその時代特有の雰囲気も何ら活かせてないんだよな~ 何かあれば神頼みというさ。要は現実逃避だよね。その未曾有の事態における落ち着きや対処にて伝蔵が忍だと判明するわけであるが、何でそこで!? 相当なお姫様を守るのによくそんな素性のわからない奴を雇ってたな。危機管理能力0かよ・・・ 殿に仕えていると言っていたが。殿直々にとのことで信用していたのかな。



 伝蔵が神などいないと。あるのは未知なるものを恐れる人の心だ。


 役目とは覚悟だとも言ってたな。

 そして覚悟とは自分を犠牲にすることではない。暗闇の中に光を見出すことだと。

 何か良いこと言ってるけど、このポエムが悪いけどすごい寒いのよ・・・


 神(自然)の信仰、殿及び姫への信頼と忠誠、もののけの恐怖・・・この辺りを絡めてその時代特有の雰囲気に浸らせたかったのであろうことを察してやれるくらいにはできてるか。



 でもこれ観るくらいなら「もののけ姫」観た方がいいよ。



〇最後に
 終始漠然としているのよね話が。どっから作ったんだろってくらい。

 ではでは・・・





2016年7月23日土曜日

タイム・トゥ・ラン(2015)

タイム・トゥ・ラン


~元来~


〇はじめに
 左手に注意を促し、右手でタネを仕込む。このマジックを鑑賞者にはバス、警官には妊婦、ポープには娘というところで活かしてくるのがむず痒い。



〇想起する作品
 「スピード」(1994)
 「フライト・ゲーム」(2014)


〇こんな話
 娘の治療費のために大金を盗み出す。


〇元来
 バスジャックに偶然見合わせた妊婦という、一見無関係に観せた見せ方はうまい。バスにおける料金のやり取り。電子マネーを意識させ、現ナマを支払う。時間稼ぎだったわけだが。そしてそこまで誘導したのが、バスを止めたのが主人公だというのはすぐには気付けなかった。

 これでおそらくポープの「電子タバコ」と「たばこ」の件を意識させようともしている。本物と代用品。アナログデジタル心情信条。愛と金・・・


 防衛本能により結局は他人の命よりも自分の命を選択する。情には流されない。お金で愛は買える・・・ 

 ポープの教訓及び信条。彼がここまで伸し上がってきたルールの説得力は拷問にて観せられた。金を盗んだらどうなるかの見せしめとしてもだ。それを実行しようとしている強盗犯。この辺りの緊張感も絶妙だ。

 これらを踏まえ、事件によって明らかになる、絡み合う娘の件と父親という件。さらにそれを踏まえた最後のポープの姿である。彼は独り、電子タバコではなく、本物のたばこに火をつける。






〇最後に
 デ・ニーロ渋かったな。

 ではでは・・・




2016年7月22日金曜日

グレイヴ・エンカウンターズ2(2012)

グレイヴ・エンカウンターズ2


~注目~


〇はじめに
 前作もそうだが続編の在り方も「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」と全く同じノリで製作されている。ラストに時代背景を映し出すところまで一緒。こちらの方が前作ありきの撮り方はされており、作品の作りとしては断然うまい。まぁこれは時代もある。


〇想起する作品
 「CUBE」シリーズ
 「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」(1999)
 「ブレアウィッチ2」(2000)
 「バリア」(2005)
 「ディセント2」(2009)
 「クロニクル」(2012)
 「ナイト・クローラー」(2014)


〇こんな話
 前作「グレイブ・エンカウンターズ」の賛否両論を受け、俺がホラー映画を撮ってやる!!


〇注目
 今作は特に前振りもなく、ショーンの母親のお世話をしている人間にモザイクがかけられている様を映し出す。ここで編集されているものだと我々に観せているわけである。さらに彼らのカメラだけでなく、行く先々の監視カメラの映像も用いられている。早送りもし始める。ここでもういくらでも映像をイジってますと言ってるわけだ。要はなんでもあり。

 なんだろ、冷める・・・

 まだ前作の方がうまかった。割り切れていた。前作は誰がこれを映し出しているのかが見えたからだ。まぁこれにも実は狙いがある。前作と全く逆からアプローチをしているのである。逆のアプローチにすることで際立つものがあるのだ。しかし何とも衝撃度が低い。これが今作がパッとしない原因だろう。最後まで観ればわかる、最後の最後まで観ればしっくりは来る。劇中保たなければならない緊張感がどうも薄いだけ。

 簡潔に言うと、前作は映し手が見えている前提での鑑賞だったのが、今作はそれが見えず誰の意図かが終始測れないのである。これがこの作品の肝。

 前作ありきにしようとする姿勢が伺えるのは評価できる点。前作のプロデューサーを出すことで、メディア批判を盛り込ませている。これが鑑賞者を感覚的にホラー映画と割り切らせない一番の理由でもある。正確にはモキュメンタリ―によるホラーの利点を削っている。ホラー映画の原点回帰を図る劇中の彼らとは全く逆の作品であることも原因だろう。

 今日TV業界では視聴率が勝負である。如何に衝撃的な映像をお届けするかに奔っている。ここをプロデューサーの登場で念頭に置かせている。これの極致は「ナイト・クローラー」を観ていただければと思う。


 前作の反響を下敷きにネットの普及による注目度の問題を絡めたのもそれだ。最初に数々の映画批判家(としておくか)を映し出した。注目を集めたいのである。彼らを支持する者の数。フォロワーや視聴数やグッドやいいね、コメントやメール。彼らを支えているものを意識させる。しかしそれは現実の人間ではなくネットの中に存在する実態を持たないナニカである。一番に言いたいのはここだ。これと幽霊を絡めたのである。

 そして幽霊も注目を浴びたいと、観てもらいたいという件。いいよそういうアピール・・・ 怖いんだよ・・・


 病棟を探してはダメだと、何もないからという締め。これがどこまで狙っているのかはわからないが、この分野だとダメだと言われると逆のことをしたくなり、「何も無い」というのは「ある」と同じ意味を持つのである。これも注目というところに掛かる。



 最後の女の子2人の話も今流行の草食系男子をエグっていたのか。正確にはオタク男子か、ネット依存か。事前に主人公のマスターベーションを観せたのにも意味があったわけだ。

 個人的にはこちらの子の方がタイプなわけだが・・・





















 「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」では「ファインダー越しの真実(正確な表現は忘れた)」ってな言葉が出てきている。「グレイブ・エンカウンターズ」では作品全体でそれを意識させている。何かしらのフィルターを通して見る世界。カメラ本体で彼女を殺すのもそれを狙っているのだろう。カメラの中で彼が彼女を殺すのではなく、彼がカメラを通して彼女を殺す構図。そして我々がそれを見るところまでか。

 事前にも観せていたりする。

 画面越しに特殊効果wwwwと貶していた者たちが

















 実際目の当たりにして・・・



 ぎいいいいいいいいやあああああああああああああああああ 

 この件はマジで笑った。特殊効果やんwwwwwwwwww

 いや私のところには来ないでねマジで。



 ゲームと現実の区別がつかなくなってきているなんてのが話題になった。TVや映画とリアルの対比もそうだ。最近では「アメリカン・スナイパー」なんてのがスコープ越しの世界を描いた。それを情報化社会におけるマスメディア批判も交えてお送りしているわけである。




 これがやっと最後に合点がいくので、ホラー映画として騒ぎたい人には少し辛い。私のような怖がりな方は十分だとは思うが。






〇余談

 前作もそうなのだが、ひたすらにフィクションだよという体で、やばいやばいとなっていくわけであるが、結局我々の領域まで落ちてきていない。ただびっくり系。これがジャパニーズホラーだと既視感満載だったりするから髪の毛を目を開けて洗うわけなんだけど。このフィクションだよというアピールは海外の方には功を奏しているのか?

 個人的に唯一脱出したと観せてのエレベーターの件はうまかったと思う。

 マップ要素は入れてほしかったところだが何か違う・・・





〇最後に
 「REC」「パラノーマル・アクティビティ」にも手を出してみることにする。

 ではでは・・・

 でも怖いな~、どうしようかな~・・・


2016年7月21日木曜日

グレイヴ・エンカウンターズ(2011)

グレイヴ・エンカウンターズ


~フィクション~

〇はじめに
















 静止画で観てしまうとちゃちいな。



〇想起する作品
 「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」(1999)


〇こんな話
 とある病院に幽霊が出るらしいよ~ 取材だああああああああああああああああああああ





〇フィクション
 まずこれは映画ではないという前振りが入る。そして一切映像に手は加えられておらず時系列順に繋ぎ合わせただけだと。これを踏まえるとカメラの量から相当編集頑張ったのね、となる。

 そして観せられる創作・編集ありきで視聴者を意識して作られるドキュメンタリー番組。お金を渡し彼らの望む証言をさせる画が観せられる。カメラで写真を撮った直後に現像したものが挿入されている。撮影段階の舞台裏を観せられ、さらに編集段階の意図も意識させる。全て作為的なわけだ。

 この作品の経緯をまとめると、

 真実(事実)を全てを映し出した映像を作為的に編集したわけではなく、

 作為的に撮られた映像を作為的に編集したもの、

ということになる。まず前者を意識させている。その後の映像で段々と後者なのだろうと自覚していくわけである。

 感覚的にだが前者の方が嘘っぽく感じないだろうか。嘘でメッキするよりも、嘘を塗りたくった方が何かあるなと感じないだろうか。結局は場合によるわけだけど・・・

 本作は前者から後者への移行で真実であるとした部分にひたすらにひたすらに嘘を塗りたくりはじめる。前者だけであればはいはい嘘嘘ということになるが、だんだんとそれがくどくなると、???何かあるな(ニヤリ)となるわけである。

 これはフィクション前提というところを揺らがせることに機能する。たくさんの嘘の中に真実を少し散りばめる。別に逆でも構わないのだが、その少しが徐々に増幅していくのである。本当かもしれない嘘かもしれない。疑念を抱かせるだけで十分なわけだ。これが続編と絡まって中々にうまいと感じるわけだが、今作だけではまだ何とも言えない。


〇最後に
 全体的に胡散臭さが先行するが、主観映像による後ろ盾の無さや孤独感を高めるために、定点カメラによる焦らしや仲間が集合している画を挿れうまく恐怖の演出が為されていたと思う(強がり)。


 ではでは・・・




2016年7月20日水曜日

クライム・スピード(2014)

クライム・スピード


~選択~


〇はじめに
 エイドリアン・ブロディありきだろう。そしてヘイデン・クリステンセンの揺れ動く様もすばらしい。


〇こんな話
 一発逆転狙って銀行強盗する。明るい話ではない。



〇選択
 過去を捨て人生のやり直しを図ろうともがいているが中々うまくいかない弟。刑務所にて自信もプライドも奪われた人生ボロボロの兄。この兄弟という切れない縁に、兄の命の恩人である連中が関わってくる。彼は俺たちはファミリーだと言う。このしがらみの描き方はうまかったように思う。修理工という職業も効いている。


 金さえあれば・・・

 根本的な考えがこれなわけだ。どこかで誰かが愛が全てだと叫んだが、実際のところそううまくはいかないのが現実で・・・ レールに乗っかちまえばそれまでだが、踏み外しちまったら? そもそも乗れなかったら? レールなんて無かったら?

 自分でレールを敷くのか、レールのいらない電車を造るのか、余所のレールを引っ張て来るのか、駅を造るのか、壊すのか、

 しかし融資を受けたいはずのジミーが彼女に対してはお金なんか欲しくないと言っている姿も。


 兄との再会場面。パパになりたい?ママになりたい?という話がなされていた。パパだと言うとママのナニをしゃぶれと。これは結局どちらを選択したところで結果は同じということで。ただ選択肢を与えられただけ。ここに彼らはそうする他無かったのだという意思を、開き直りを見るのである。




 前科者には寛容でない社会。過去を捨てやり直そうとしている者。これしか選択肢が無いと犯罪に手を染める者。

 過去を受け入れるのか、捨てるのか、乗り越えるのか。

 弟は兄に問う。もしあの時警官を撃っていなかったら人生は変わっていただろうかと。

 兄貴は言う。でも撃ったんだと。

 このやるせなさが辛い。兄弟だけならこういった最後にはならず、何とかなったのではないかとも思わせる。そして最後の弟への想い。保身に奔っていた兄貴がこうするしかないと弟のために行動する。いや今までもそうしてきたんだ。そうしたいがための今までの選択だったんだ。そのおかげで雁字搦めになったんだ。

 結婚式において子供が人質に取られても、花嫁を血まみれにしてまで、犯人を射殺した警察(特殊部隊?)。ラストの兄の判断がどんな結果を迎えるかは火を見るよりも明らか。

 そうするしかなかった。そうせざるをえなかった。

 どうすりゃよかったんだよ・・・





〇最後に
 究極彼らが選択したというより、社会がそうさせたのだと。仕方なかったのか、開き直りと見るのか。う~む・・・


 ではでは・・・




2016年7月19日火曜日

パニック・タワー(2002)

パニック・タワー


~ゲーム感覚~


〇はじめに
 タワー感覚、ゲーム感覚ともに皆無。


〇想起する作品
 「バーチュオシティ」(1995)
 「イグジステンズ」(1999)
 「ラ・ワン」(2011)
 「ドローン・オブ・ウォー」(2014)



〇こんな話
 駐車場でゲームしよう。


〇ゲーム感覚
 ゲームと現実の区別がつかなくなっていると危険視する声がとある時期から大きくなった。この作品は結局はそれを言いたいのだろう。本当の血の通った人間を殺しているのだぞと説得を試みるも、ゲームマスターことエムボマンはお前はモニターの虚像に過ぎないと。直接は手を下さない、画面越しに行われる殺戮。ここに罪の意識は無い。


 絶対的な支配者であるゲームマスターの存在に対して、革命の孤児というどこか特別感のある存在にそのゲームの熟練者。ゲームはステージ制を取っている。なのにさっぱりわからない。これだけ指標を尺度を示すものを散りばめておきながら、ゲームの進行度合いがさっぱりなのだ。

 熱に弱いと弱点を見つけ出すわけだが、肝心のラスボスが熱を発する武器を用いている。これは攻略法を示すという上で機能していたのかどうかさえわからない。


 首謀者は父親にその才能を見てもらえない。動機は承認欲求からのもののようだが、それが支配欲へと変換されるのは何なのか。敵対視というのが一番に人に認められる段階ではあるわけだが、この辺り弱い気がする。


 中がこんなになってて、へその緒ですよねきっとこれは・・・

 じゃあこのGANTZみたいな容れ物は子宮ということで・・・??



 母体内(子宮内)と現実世界という関係を模して、よりバーチャルと現実とでの世界の隔絶ってのを表現しようとしているのか?



〇最後に
 題材を与えられてめちゃくちゃおもしろそう、おもしろくなりそうってのがありますよね。当にこの作品がそれ。で、実際やってみると何ともおもしろくない。企画段階が、妄想を膨らませる時間が、一番楽しいわけですよ。なんなんですかねアレ。


 ではでは・・・


2016年7月18日月曜日

復讐したい(2016)

復讐したい


~復讐~


〇はじめに
 大まかな設定に対しての大まかな想定はうまくまとめられていたと思う。


〇想起する作品
 「GAMER」(2009)
 「デス・レース」(2008)
 「ハンガー・ゲーム」シリーズ
 


〇こんな話
 復讐の合法化がなされた時代の人間のもつれ。


〇復讐
 復讐するということと、復讐の機会を与えるということ。これに絞って本来の個人の怨恨というところでオトしたのはうまい。

 やられたらやり返したい。なぜ自分だけがこんなに貶められなければいけないのかと。負けたまま終われるかと。あいつも引きずり降ろしてやると。被害者感情が収まらないのはここにある。そして何より自らの手でというところなのだろう。

 しかしこれの解消は果たして終止符となるのかと問いかける。いくら復讐の合法化と言えども、それはいったいどこに作用するのか。復讐島という隔離された地帯で行われる仕様もこれとの兼ね合いだろう。被害者感情の解消のはずが別のところで新たな被害者を生み出す。

 現行制度における刑罰とは復讐のチャンスを奪っているわけではないのだと。




 人殺しを合法化しているのではなく、復讐の機会を与えているのだと。この法案に対しての国の逃げ道としてゲーム要素という幅がもたらされている。これはよく考えたと思う。するのかしないのかの決定権は飽くまでも被害者に委ねている。

 復讐者が絶対有利なわけだが、制限時間が設けられ受刑者にもチャンスが与えられている。逃げ切れば自由。そして逆に復讐者も命の危険があると。フェアっちゃ~フェアなわけだ。銃に指紋認証くらいつけてやれよ・・・



 復讐法に関する盲点をもっと突いていって欲しかったが、それの代替として国家を相手取るのが原発問題だったのは致し方なかったのか。しかしこれのおかげで安っぽさと各種設定のガバガバさを露呈させているのは間違いないだろう。

 3年間何をしていたのかと。何で今さらそんなことで戸惑ってんねんと。いくらでも前例あっただろうが。半数以上が復讐法指示してるんだろ? 何回目の執行ですかいったい・・・ 賭け事だけでそれの示唆は無理ですよ。






〇最後に
 「ハンガー・ゲーム」規模で作ればワンチャン無いと思う。

 あと鈴木紗理奈に見えるんだよな。

 ではでは・・・

悪女 AKUJO(2017)

~アクションは爽快~ 〇はじめに  韓国ではこの方はイケメンの部類なの? 〇想起する作品  「ニキータ」  「アンダーワールド」(2003)  「KITE」(2014)  「ハードコア」(2016)  「レッド・スパロー」(2018)...