2016年6月30日木曜日

海よりもまだ深く(2016)



~日常~


〇はじめに
 日常というより、日常の中を描いていくのが本当に秀逸なんだ。


〇想起する作品
 「クレイマー、クレイマー」(1979)


〇こんな話
 樹木希林でやるからなんだろうな~ ロックンロ~ル♪


〇日常
 よく台詞の応酬というものがある。発された言葉一言一句に的確に答える台詞が用意されている。私はあなたの話を聞いていると。そして相手も私の話を聞いていると。両者が互いにその言葉の本心を捉えているような。

 この作品はただの台詞の羅列ではない。ものの見事に日常を映し出す。我々がその中にスッと入っていけるような。今までそこに存在していたかのように。

 テキトウで曖昧なおぼろげな記憶を辿る日常会話にはじまり、何気ない言葉が誰かの胸には突き刺さったり、逆に真面目に話しているのに相手にされなかったり聞き流していたり。この辺りのギャップが、話し手と受け手とのほんの些細な差が見事に、ものの自然に映し出されていく。劇中繰り広げられるやり取りが本当に堪らない。

 橋爪功のひと場面。無人の食卓というタイトルが出てこない。誰もいない・・・でしたっけ。この意図せず人と会ってしまった際のその場を取り繕うためにテキトウで曖昧な、雰囲気で記憶を辿る感じ。さすがとしか言いようがない。

 さらには音楽鑑賞会だかの教室の場面。着飾っているものの違いや席の順番、帰路につく際の別れる方向。必死にアピールする前列の合間を縫っての質問。分譲だなんだと話されていた。

 今良いこと言ったからメモしときなさいというのをあしらうわけだが、後にしっかり何やらメモをしている場面もあったりする。



 固すぎるカルピスアイスの冷蔵庫の匂いや半年前のカレー。

 布団を抱え後ろを通る時、冷蔵庫を開ける時に避ける仕草だったり、ペットボトルのジョウロだったり。

 お風呂に浮いてるゴミ。ガムテープを服に張って準備しておくヤツね。

 マックじゃなくてモスバーガーという見栄(笑) おかげで自分は食べられなくてやせ我慢するんだけど、夕食のカレーうどんにてお腹空いてたのね~と。そして半年前の件ね。

 それで宝くじよ。真悟が言うんだよ。当たったら大きな家を買っておばあちゃんも一緒に住もうよと。そのやりとりがね、もう涙が止まらなかったよ。




 誰かの、何かの役に立っている。池松壮亮が言う。良多さんには借りがあるんでと。しかし当の本人は自覚していない様子。この辺りのさりげなさが本当に堪らない。彼は父親であり、元夫であり、息子であり、先輩であり・・・


 家で2人の母親の心配を余所に滑り台の2人の息子への場面転換も憎いんだよ。


 真木よう子の棒読みというか低いトーンが今作は映える。現交際相手が元夫の本を読んだ時の目の見開きよ。でも勝負をする男、フルスイングを好む男にはテーマがボヤけていると。わからないんだ、フォアボールを狙う男の目線は。


 尊敬する人物はお受験には身内はタブーだと。野球のプレイにしろ価値観にしろどこか押しつけがましく感じる。

 そんな中での子どものちょっとした気配りよ。お金の心配。安いスパイクを選ぶ。モスバーガーにて食べなくていいの?と。バスにてボタンを押しているのは誰だったのか
。おばあちゃんへの宝くじが当たったらの話を聞いたかよ。


 3回言うと嘘くさいと。滑り台では本当だと3回+1回言い、最後の大丈夫だは1回なんだ。その前の墨をするときにほんの少し姿勢を正すのを見たか。父親のある一面を知ってからの。


 いや~、ほんっとうにすばらしい作品だった。




 いつも通りだが、何もまとまらず情報の羅列になってしまった。勘弁。



 あ~そうそう。アパートでノックに怯える姿ってのは「TRICK」では逆の立場だったよねってのを狙ってたのかな。






〇最後に
 池松壮亮はこの路線で行ってほしいな~

 ではでは・・・




2016年6月29日水曜日

インター・プラネット(2016)

インター・プラネット


~前提~

〇はじめに
 宣伝から意識している作品はわかることだろう。それを踏まえて勝手にいろいろ補って鑑賞できる方にお勧めは特にしない。


〇想起する作品
 「猿の惑星」
 「コンタクト」(1997)
 「月に囚われた男」(2009)
 「インターステラー」(2014)
 「オデッセイ」(2015)


〇こんな話
 とある惑星探検。

〇前提
 我々は普段何かしらを踏まえ、それを基に勝手に判断して行動している。ここの描き方、というよりは描こうとする姿勢は評価したい。

 まずは二極化した世界において主人公がどちら側の存在かを示した。後に博士と出会い~のと変化していくのが物語の大筋なわけだが・・・ 

 ここではなく、要所要所で観せてくれた選択と判断のところを・・・

 大きくは時間。解放の日に父親が殺されるという期日を設定し、その期日から逆算し自らの行動を制限する。これは父親側と主人公側で同じ時間が流れているという前提で為し得ることである。

 そして探査機の経年劣化。これを大気組成と関連させていたわけだが、時間という前提を疑わなければ妥当な論理展開である。

 そして舟の残骸を探すと。広い惑星(衛星だそうな)だから上空から探さねばと。普通であれば自分たちとほぼ同時刻に出発したものがまだ降ってきてはいないとは考えないわけである。

 この展開の仕方はうまかったように思う。



 そして時間を相対的だと見せる上で機能するAI?の存在。

 博士が実は〇〇していた件で、質問されなかったから答えなかったと。死んだもんだとして勝手に勘違いしていたわけだが、これは当たり前ですよね。そう判断してしまう状況だったわけで。そしてここの人間とプログラムのギャップから上に書いたことを見つめなおせるわけで。

 さらにここから手の震えのところで心の部分にも言及しようとしたようなしていないような節があったりする。

 そしてずっと固定されていたが故か、浮遊装置で主人公の問いかけにも反応せずにどこかウキウキなように観せたり。

 最初は虫にも人間と同じように反応していた。この辺りの変化はどう捉えればいいのだろうか・・・

 主人公の就寝を察知してテレビの音量を下げるという憎らしさもあるのよね・・・

 

 ところどころ「スター・ウォーズ」を想わせたりもする。



 SFというジャンルに関しての着眼点はうまいとは思う。

 しかし・・・


 粗く感じてしまう部分も少なくない。最初の安全装置。看守たちが囚人たちから身を守るはずのシステムである。これをなぜ囚人にイジらせるのか。甚だ疑問である。まぁこれは主人公の脱獄と足の切断を観せたかったわけだが、このおかげで付け焼刃な設定が見えてしまう。

 先ほどの時間に関して。うまいとは感じるものの、何かしら問題(異常)が起きて、時間の経過を示すわけであるがこれがくどい。その時間の経過が意味するところ以外が気になってしまう仕様になっている。水は?食料は?容姿の変化は? そのための共生と変異なわけだが。





 で、まぁ最後よね。生と死のサイクルがどうとか。つまり我々が認識している死と違うわけで。肉体が死んでも新しい肉体に意識が宿ると。

 最後のハッチは主人公が殺したわけだけどそれってそのあとどうなるの?と。彼もまた生と死のサイクルに入るんじゃないの?



 これもまた前提と認識のお話になってくるのだろうか。




〇最後に
 うん、わっかんね・・・・

 ではでは・・・



2016年6月28日火曜日

リジェネレーション(2015)

リジェネレーション[DVD]


~夢番地~


〇はじめに
 原題「BRAND NEW U」

 なにこれ?? アドラー心理学!? さっぱりわからんのだが・・・


 落ち着け、とりあえず「夢番地」聴いとこ




 多分ディストピアのお話。




〇想起する作品
 「トータル・リコール」
 「ダークシティ」(1998)
 「アジャストメント」(2011)
 「嗤う分身」(2013)
 「複製された男」(2013)


〇こんな話
 別のどこかに誰かのより良い人生が存在している。



〇誰か
 とある彼氏と彼女が襲われて何やかんや始まるのだが・・・

  彼氏=スレーター 彼女=ナディア

 ナディアが計画していたことらしく、今の自分と新しいナディアとで入れ替わる予定だったとこか何とか。

 ここで1つ示したのよね。

  ・あなた(スレーター)のナディアは死んだ

  ・ナディアは幸せだ


 スレーターの望むナディア像とナディア自身のナディアに関するギャップ。これを踏まえ最初のスレーターの映像編集作業?だったり、写真の位置づけってのは部分的な情報の切り取りとして機能させたいのだと思うのだが。

 スレーターとナディアとでは見えている感じている世界が違うのであると。ここに2人の結びつきや愛を絡めて世界をぶっ壊すってなればおもしろいんだけどそれを何か雰囲気で描いちゃうからもう・・・


 簡単に言ってしまえば、誰か自分の代わりに何かしてくれないかな~という願望を叶えてくれるシステムを開発したわけですよ。学校に行きたくない、勉強したくない、働きたくない、今寝るわけにはいかないから誰か代わりに寝てくれと。

 分身に代わりをお願いしたら、私だってやりたくないわとそんな話があったような・・・

 一見理想的である。しかしこれは究極「個」ってものが無くなるお話で。だって今までやってきたことがその代わりのものにもできたって話になってくるわけでね。え、私じゃなくてもいいじゃんという・・・。個人の自由や意志ってのはどうなるのよ?と。存在理由よ。


 役割を変えるわけだけれど、元の自分の役割のところには別の誰かが据え置かれる。人生の配置換え、替えの利く人生ってなところでまとめておくか。これは身近に感じてるんじゃないかな。そう社会が変わってきているというより、それをごっそりいずれ据え置けるように作り変えているんですよね。という陰謀論を信じております。人間ってひたすらに非効率的ですもん。


 でもそれの見え方を少し変えることで、あなたに合った人生として今より確実に幸せになると位置付けているわけである。



 あなたに合った人生があるってなことで進むんだけど、診断の際にどこか誘導尋問や暗示があるのよね。これは次の新しい人生における適応のためなのか、単にお前にはこの人生が合っているというシステムの不備における強制(矯正)なのか。個を重要視している企業の方針と、実は相矛盾する社会の行く末というところでの警鐘なのか。

 自分に誰かがなってくれる、誰かに自分がなれる。これって都合良く廻るのかな?

 確実に今より良い人生ってのは単に上に上にとシフトしていくわけではなく、究極誰かにとっては悪くても誰かにとっては良いことみたいなことがあるからこそこのシステムは廻っているとするのか。


 私は私で、私はあなたで、あなたは私で、あなたはあなた。

 私が望んだ人生なのか、誰かが望んだ人生なのか・・・

 私が望んでいる人生なのか、誰かが望んでいる人生なのか、誰かに望まれている人生なのか・・・



 まぁいろいろ書いちゃったんだけど、そのいろいろを無視してざっくりまとめると、

 一見個を尊重しているかのように見える画期的なシステム。しかし新たに設計された人生デザインを逸脱するとすぐさま矯正が入る。これは究極的な管理社会を意味する。

 BRAND NEW U」を掲げながらに、個という概念を無くす社会を築こうとしている企業。

 究極的な管理社会と、この企業の方針とでのパラドクスから何を見つめなおせるのか。

・・・的な?


 あ~あと炭酸全部振って4分の1で当たるとしたのも気になったのよね。4分の1どころかどれを選んでも結果は同じなわけで。人生を変えたところで究極的に行き着く先は同じとしたいのか、これを愛と絡めたのか、ここが本当によくわからない。彼女と結ばれることなのか、彼女を失うことなのか。








〇最後に
 もうやめよ。「夢番地」聴いとけって。




 ではでは・・・

2016年6月27日月曜日

LOST MEMORY B7(2015)

~自己~


〇はじめに
 邦題にて「LOST MEMORY」としているが、この作品は記憶喪失をそのまま謳いたいのではなく、記憶を失ったことでの自らの存在を再確認・再自覚していくというアイデンティティと結び付けたいのだろう。

 原題は「BOY7」



〇想起する作品
 「ジキル博士とハイド氏」(1932)
 「インプット-記憶-」(2003)
 「ペイチェック 消された記憶」(2003)
 「アイランド」(2005)
 「エンダーのゲーム」(2013)
 「リピーテッド」(2014)


〇こんな話
 記憶喪失男女の馴れ初めとこれから。

〇自己
 一人称視点で映像は始まる。この人物は誰なのかと。鏡により顔を確認することとなる。まずは声だったのかもしれない。

 そして記憶喪失。とあるノートに辿りつくわけであるが、まず身の回りの物、所持品から手がかりを探し、そこに行き着くまでに他者の証言も必要としていた。

 この外面から彼という人間に迫っていく導入はうまい。


 施設におけるやり取りにて、それぞれの人物の境遇・背景が語られる場面がある。犯罪歴、通称〇〇、〇〇だからヤバイ・・・等々。要はレッテル貼りなわけだが。ヒロインも彼という人間を第一印象で判断していた。しかし彼は彼女の言う人間像では決してない。

 彼が記憶という内面から自らを辿るのと同時に、彼という人間を外面から認識する人間を演出している。


 それを補う上でその人間をその人間たらしめるものがひたすらに散りばめられている。

 顔、傷跡(手術痕やタバコの火傷)、指紋、名前だ。これらは自らを証明付ける外的なものである。

 それに対しての記憶という内的なものなのである。それは時として匂いや音楽(歌、フレーズ)と結び付けられる。

 この両者から自己というものに迫っていく。これが大筋なわけだが・・・


 おそらく一番にこの作品が観せたかったところは・・・

 ルームメイトであった6号の彼女についてなのだろう。とある夜に6号の行為を見てしまうわけだが、その時に裸の彼女が携帯画面に映し出されていた。それが最後に服を来て主人公の前に現れるのである。携帯画面に対してのリアル。裸に対しての服。そしてプライベートに対してのパブリック。作品のアプローチと同じわけでしょ・・・ これは・・・、粋ってやつなのか?



携帯



リアル

 




〇最後に
 番号を覚えるだけでキャラの整理はできるだろうが、もう少し顔やキャラの濃さを、突出したそれぞれの能力を示してくれるとよりおもしろく観られたことだろう。

 ではでは・・・


2016年6月26日日曜日

ヒドゥン2(1993)

ヒドゥン2[DVD]


~上手かな♪♪

〇はじめに
  地球の文化に対してまるで無知であるのに対しての、彼の能力というギャップはもっとうまく見せられたのではないかと疑問。今ならもっとうまくやるだろう。しかし不愛想というか表情の無い顔がところどころでほどけ、あどけなく見えるのは「ユニバーサル・ソルジャー」のヴァンダム然り、この時代は秀でている。



〇想起する作品
 「エイリアン」シリーズ
 「インベージョン」(2007)
 「トライアングル」(2009)
 「ザ・ドア」(2009)


〇こんな話
 前作「ヒドゥン」より15年後が舞台。


〇仕上げは






































 ネタをご理解していただけたでしょうか・・・


〇最後に
 ラジカセからのカーステレオとか時代を感じられれば良いのではないでしょうか。

 ではでは・・・











2016年6月25日土曜日

ヒドゥン(1987)

ヒドゥン[DVD]


~時代~

〇はじめに
 この時代の造形のグロテスクさは気持ち悪いよな~ ぐちょぐちょしてるのよね。


〇想起する作品
 「ターミネーター」シリーズ
 「スピーシーズ」シリーズ
 「スキャナーズ」(1981)
 「ユニバーサル・ソルジャー」(1992)
 「フォーリング・ダウン」(1993)
 「悪魔を憐れむ歌」(1997)
 「追跡者」(1998)
 「メン・イン・ブラック」(1997)
 
 「鉄腕バーディ」


〇こんな話
 突如善良な市民たちが暴れ出す。なんだなんだ!!??


〇時代
 何か意味があるようで何の意味もない。何の意味も無さそうで何の意味もない。この辺の含みを持たせられるのがこの時代のSF映画の良さだよな~と通ぶってみる。ちょうまじでてきとうなかんそうです。

 死んだ人に対して難癖つけた刑事にね、お医者様が何をやったにせよそんなこと言うなという。これに対しこれだけのことをやったんだぞとつきつけてやる。お医者様(´・ω・`)

 人間から人間へ乗り移ることに関する盲点をね、犬が鏡を見ている姿で映し出したり、

 www





 上着を肩にかけるかっこつけ。流行ったんすね~この時期は・・・





 ゴミ箱なんかにシュート! ごおおおおおおおおおおおるってなのもね。これ単に黒人だからってのがありそうで・・・





 今や音楽聞くのにね~、こんなもの持ち歩きませんよww 今でいうイヤホンを付けている状態ですねこれは。



 まぁ~昔は携帯電話も背負ったり肩に掛けたりしていたわけで。需要は変わってないんですよね。小型化且つ便利化しただけで。すごいな~。



〇最後に
 いや~時代を感じるな~(しみじみ)。こんなんでテキトウに片づけてみます。

 ではでは・・・

2016年6月24日金曜日

ICHI(2008)

ICHI

~境界~


〇はじめに
 綾瀬はるかを好きになれない私が言う。あ~この感じは彼女にしか出せないだろうな。すばらしい。

 この感じで「精霊の守り人」の殺陣も撮れればいいのに・・・


〇想起する作品
 「るろうに剣心」


〇こんな話
 目の見えない女剣士のお話


〇境界
 目が見えるか見えないかにはじまり、男と女、刀を抜けない男と居合いの達人。守れる力があるのに振るえない者と振るわない者。口を使ってでも鞘から刀を抜く男に、顔半分が焼けただれている男。

 これらの対比から目の見えない彼女のとある台詞によりそれぞれのものにいったいどこに境界があるのかと。ここを考えさせる辺りうまかった。

 ここに落としたい分最後は生と死を描かなければならなかったのだろうが、やはり2人で共に歩んでほしかったとは思ってしまう。



〇十馬

 彼はとあるトラウマから刀を抜けなくなってしまった。

 刀を抜くに辺り十馬がカチャカチャやっているが、これは彼自身で刀を「抜かない」のではなく刀が「抜けない」と思い込んでいる描写なのでアリだ。「抜けない」と思わせたいのである。刀が鞘とくっ付いている様に見えるとのレビューを見かけたが当にそうである。そう認識させたことでもうこの描写は功を奏している。術中だ。

 十馬は自己正当化しているのである。

 「他人を助けるために刀を抜かない」

のではない。

 「人を助けたいが刀が抜けない」

なのである。



 市との出会いで描かれた困っている人を見捨てられないというところ。なるべく刀を抜かないで解決したいという意思は描かれていた。

 しかし殺し合いに巻き込まれてしまうときは巻き込まれてしまう。ならば木刀常に帯刀しときゃいいじゃんと言われればそれまでだが、そもそも彼は誰かしらを傷つけたくは無いのだろう、なるべく闘いになる要因を排除しているととればそれも何ら問題は無くなる。



〇市










































〇最後に
 あ、私綾瀬はるかのファンだわ。

 ではでは・・・


2016年6月23日木曜日

アバター(2011)

アバター


~馬鹿馬鹿しさ~


〇はじめに
 これこそ園子温が撮ればいいのに。

 能年玲奈出てる。






〇こんな話
 スクールカーストと携帯のえげつない流行と変遷と依存を題材にした作品。


〇馬鹿馬鹿しさ
 歩きスマホによる転倒、接触、ホームからの転落。そしてソシャゲを中心とした次から次へと新しきを求めるようになる限りの無い欲。朝目覚めてから下手したらスマホの画面しか見ていないんじゃないかというご時世。彼らは子どものころに崇拝しろと教わった二宮金次郎を体現しているに過ぎない。勤勉さを尽きない欲に変換したんだ。当に教育が功を奏したカタチである。この辺りの馬鹿馬鹿しさを理解許容した上で楽しむ作品だろう。



 最後のアバター依存の橋本愛はこれでもかと橋本愛の良さが際立っていた。復讐の感情を満たしたい相手に対しての、どうでもいいから早くアバターをよこせというめんどくささと狂気と・・・ 異常だよもう・・・





 あとはおまけ~




 ここかわいかったな~




















 貌はさすがなんだよね~。同世代では群を抜いてるでしょ。



〇最後に
 舌なめずりは何の効果があったんだ? 小さいころの記憶とのリンクだけ? そんなしょっちゅうやる人いる? 私会ったことないわ・・・

 ではでは・・・


悪女 AKUJO(2017)

~アクションは爽快~ 〇はじめに  韓国ではこの方はイケメンの部類なの? 〇想起する作品  「ニキータ」  「アンダーワールド」(2003)  「KITE」(2014)  「ハードコア」(2016)  「レッド・スパロー」(2018)...