2016年6月14日火曜日

ザ・インシデント(2011)

ザ・インシデント[DVD]


~理由~


〇はじめに
 Q: つまりはどういうこと?

 A. つまりはそういうことです。

 Q: だからどうしてこうなったんだよ?

 A. こうなってしまったからこうなってしまったんです。

 Q: え? 話通じてない? だから理由を聞いてるんだよこの出来事の。何で
   暴動が起きてこんな惨事になったんだよ?

 A. 起きてしまったから起きてしまったんです。

 Q: は?

 A. はい


〇想起する作品
 「ザ・セル」(2000)
 「シャッターアイランド」(2009)
 「東京無国籍少女」(2015)



〇こんな話
 精神障害者収容施設で暴動事件発生。



〇理由
 ―物事には必ず理由がある、意味がある―

 これが前提。しかしこの前提とするところが最後の台詞で「ムダなことなんてない」と訳されてるからややこしくなるんじゃないかな~ 


 売れないバンドマン、精神科病棟(収容施設)でコックのアルバイトをしている。彼女の方は相当な物をお持ちでどうやら幸せそう。


 ラストガラスの向こうに自分を見る。結局は彼の頭の中のお話ということなのだが・・・


 どうしてこんなことになったのか?


 彼女が彼に語り掛けている。

 「かわいそうに、あんな目に遭うなんて」

 つまり、そのあんな目とやらは何なんだよ?と。


 劇中ひたすらに、何で?どうして?が散りばめられている。


 グリーンの存在。彼がこの暴動の首謀者であるとされていたわけだが、ひたすらに手のカタチで印象付けていた死体が彼であったわけだ。初っ端から死んでいた。

 このグリーンは一切話さない。何か企んでいるとされているのだが一向にその理由が見出せない。ここの言葉が伝わらないというのと、理由無き行動というところに恐怖を覚えるわけなのだが。

 1人は考え過ぎだ馬鹿野郎、これはただの暴動だと。

 当にコレなんですよ。「レフト・ビハインド」にも書いたのだが、大概の人ってのは全てのモノには理由があると思い込んでいるもので。それをひたすらに探究するのか、わからんとさじを投げるのか、どこかで折り合いをつけるのか、領分を割り切るのか、という対処法の違いがあるだけなんですよ。あの時は信仰を絡めたのだが。


 ざっくり言えば、この出来事に理由なんて存在しない。終わり!!


 仮に探求するのであれば・・・

 彼はこの暴動に巻き込まれたことの理由を見出そうとしていたわけだ。それが1つ恐怖の解消となるからだ。 


 1つに停電。しかしこれは暗闇という恐怖を作り出しもする。

 1つにグリーン。しかしこれはなぜ我々が襲われるのかという恐怖を作り出す。精神病患者に毎日食事を作っていた。あだ名をつけている事実、配膳の際の多少のやり取りでそれを伺わせる。彼らが患者を覚えているように、患者もまた彼らのことを覚えている。

 あとは、精肉業者の配達が朝早いのと、ライブが夜だということが被ったこと、さらには彼女へのコンプレックス? バンド仲間とのいざこざだったり・・・ まぁいろんなことが重なってしまったわけさ。悩みを抱え込んでいた。


 彼女は「あなたは悪くない」とも言っていた。

 一番は自責の念なのだろう。バンド仲間に仕事を誘った。自分の所為でこんな事態に仲間が巻き込まれてしまったという。

 彼女が幸運の女神だと。職員の怠慢を見せたのも。悪く言えば責任転嫁か。結局停電に始まったことはきっかけでしかないわけで。大本を辿れば、原因は自分にあるという結論に辿りついてしまう。これが拭いきれないんだ。納得する理由を見出さないと。

 それの解消として機能するはずだったのがグリーンだったわけだ。しかし首謀者だと思っていたグリーンもすでに死んでいた。

 ではなぜ暴動が起きたのか??

 ループである・・・


 まぁ結局は鑑賞者としてもいったいどっからどこまでが現実で夢でってな話になってくるわけで・・・


 でもひたすらに精神病患者、まぁサイコパスって言っちゃうけど、彼らの意味不明な行動はひたすらに観せられていましたよねと。彼らの行動に理由を見出すなんてことがそもそもナンセンスなんですよ。その理由ってのはその理由を見出すも者の勝手な見解であって、世間一般とされる常識だとか倫理とかってなものの基準があってこそのもの。

例えば・・・

 [人を殺してはいけない]

 普通であれば人の命をどう思っているのかというところがベースになるわけで。生きているという事象をどう認識しているのかと。

 ではその「人」というのに条件を加えるとどうなるのか。

  愛する者だったら? 嫌いな者だったら?

 さらに限定すれば、

  自分の命を狙ってくる者だったら?

・・・っとまぁ繋げていくことと思うのだが、ここがそもそもの間違い。

 「殺す」という事象に考えが向けられていないんだ。正確には人を殺すということがどういうことなのか?

  [人を殺してはいけない]

 これを少しイジっていこう。

  [人を切ってはいけない]

  [人を刺してはいけない]
 
  [人を燃やして(焼いて)はいけない]


・・・っとなるのもまだまだなんだ

 「人」ってのはそもそも何なのかと。愛し合う生き物だと。ただ生きている物だと。そこら辺を動いている物だと。いや、ただの肉塊に過ぎないと・・・ 子どものこづかいで買えちまう・・・ っとまぁいろんな見方ができるわけだよ。


 1つこれを指で位置付けていた。正確には手かもしれない。

 主人公はスパスパと肉を捌いていく。しかし自分の指を少し切ったくらいで大事といった具合だ。毎日肉を掻っ捌き、ひたすらに毎日クッキングを繰り返しているのにも関わらずだ。彼が捌いている肉と、彼の指とで何が違うのかと。同じ肉ではないか。

 1つ妙だったのは頭のついた鳥を挿んだことだ。いつもはついていないとしていたわけだが、彼は以前から何度も取り扱っている肉である。それを頭がついているだけで嫌悪感を示すわけである。首のついていない肉と、首のついている肉とで何が違うのか。そして首が切断された死体も観せてもいた。

 これを挿むことで、

  捌いている肉 ― 首のついている(鶏)肉 ― 首のついていない(人間の)死体 ― 指 ― 生身の人間

 ってな具合に関連性を持たせることに機能しているのである多分。

 参考資料 閲覧注意


 グリーンが最後指を食する。これを普通であれば異様(異常)と感じることだろう。しかしその垣根が無いわけである。マックスが最後指を捌いて観せたのが当にソレだ。

 捌いている肉と、食している肉と、人間とはいったい何が違うのかと。

 カレーを煮込むのと小便を煮込むのとで何が違うのよと。

 食糧庫にある食材と食糧庫に隠れた人間とで何が違うのよと。


 [人を殺してはいけない]

 [肉塊を殺してはいけない]
 [肉を切ってはいけない]
 [ステーキを焼いてはいけない]
 [料理を食べてはいけない]

・・・どんどん変化していくわけです。いやそもそも前提が違うわけです。[人を殺してはいけない]というところからの思考及び派生ではないんですよ。




〇ざっくりと
 包丁に始まり道具という物は何かしらを目的として作られているわけである。しかしその用途とは別に使用することも可能。この常識とされることを散りばめ、異様さを全面に醸し出す演出は秀逸である。

 まず対象をどのように捉えるのかということ。そしてその対象とは道具自体なのか、道具を使う対象なのかというところがまた問題となってきて。上では1つ肉ということでひたすらに書いたわけだが。

 ここでもう一つ、例えば・・・

 鍋が火にかけられていたとする。どう考えるだろうか。



 事前にチキンのクリームカレーを見せられていた。



 小便が煮込まれているなど考えないだろう。



 では火にかけられているのが人間だったら?

 最初からおかしいと感じるはずである。



 では水道というものをどのように捉えているのか。なぜ彼はこのように驚いたのだろうか。



 この水道から熱湯が出て悪態をつく様を挿れたのも、こういった人間の固定観念や前提に目を向けさせるために意図してか。
 

 おかしい、異様。これに関して少し議論してみた。



〇最後に
 あのね~、怖い。恐怖の対象ってのは避けるものなんですよ。怖がりってことでまとめちゃうけど、怖がりの人はこの作品相当に怖いと思う。

 ガラス割れるのかな~?と不安で観てたのだが、枠ごと行ったああああああww ここだけだよ笑ったの・・・

 あと心理学の専門家の分析を聴きたい。この映画を題材にした講義が開かれていないか・・・



 ではでは・・・

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