~自己~
〇はじめに
邦題にて「LOST MEMORY」としているが、この作品は記憶喪失をそのまま謳いたいのではなく、記憶を失ったことでの自らの存在を再確認・再自覚していくというアイデンティティと結び付けたいのだろう。
原題は「BOY7」
〇想起する作品
「ジキル博士とハイド氏」(1932)
「インプット-記憶-」(2003)
「ペイチェック 消された記憶」(2003)
「アイランド」(2005)
「エンダーのゲーム」(2013)
「リピーテッド」(2014)
〇こんな話
記憶喪失男女の馴れ初めとこれから。
〇自己
一人称視点で映像は始まる。この人物は誰なのかと。鏡により顔を確認することとなる。まずは声だったのかもしれない。
そして記憶喪失。とあるノートに辿りつくわけであるが、まず身の回りの物、所持品から手がかりを探し、そこに行き着くまでに他者の証言も必要としていた。
この外面から彼という人間に迫っていく導入はうまい。
施設におけるやり取りにて、それぞれの人物の境遇・背景が語られる場面がある。犯罪歴、通称〇〇、〇〇だからヤバイ・・・等々。要はレッテル貼りなわけだが。ヒロインも彼という人間を第一印象で判断していた。しかし彼は彼女の言う人間像では決してない。
彼が記憶という内面から自らを辿るのと同時に、彼という人間を外面から認識する人間を演出している。
それを補う上でその人間をその人間たらしめるものがひたすらに散りばめられている。
顔、傷跡(手術痕やタバコの火傷)、指紋、名前だ。これらは自らを証明付ける外的なものである。
それに対しての記憶という内的なものなのである。それは時として匂いや音楽(歌、フレーズ)と結び付けられる。
この両者から自己というものに迫っていく。これが大筋なわけだが・・・
おそらく一番にこの作品が観せたかったところは・・・
ルームメイトであった6号の彼女についてなのだろう。とある夜に6号の行為を見てしまうわけだが、その時に裸の彼女が携帯画面に映し出されていた。それが最後に服を来て主人公の前に現れるのである。携帯画面に対してのリアル。裸に対しての服。そしてプライベートに対してのパブリック。作品のアプローチと同じわけでしょ・・・ これは・・・、粋ってやつなのか?
携帯
リアル
〇最後に
番号を覚えるだけでキャラの整理はできるだろうが、もう少し顔やキャラの濃さを、突出したそれぞれの能力を示してくれるとよりおもしろく観られたことだろう。
ではでは・・・
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