2015年11月25日水曜日

サヨナラの代わりに(2014)

字幕翻訳:稲田嵯裕里


~ふたり~

〇はじめに
 Finally~♪♪


〇想起する作品
 「最強のふたり」(2011)


〇こんな話
 ケイトとベックの物語。

〇ふたり
 はじめに対照的な性格や生活観、関係性の2人が対比して描かれ、どのようにいがみ合い、打ち解けあっていくだろうかという展望は容易で、安心して観ていられる。その分2人に目が行き話に入っていけると思う。

 15年間連れ添った夫婦と病。夫の浮気とべックの不倫。話を聞いてほしいケイトと、歌を聴いてほしいベック。死と将来。自分を見ない人、見ている人。

 彼女の言葉が聞き取れるか否かが、彼女という存在をどう認識しているのかという基準になっており、関係性の変化も把握しやすい。

 同じ病の先輩を描くことで、ケイトの辿るであろう1つの道も示された。



 これらの情報が我々の心の準備を踏まえ、段階的に悪化の一途を辿る病とを照らし合わせてうまく表現されていたと思う。




 いや~、最後よね。ついつい涙が・・・

 ケイトの過去話の中で、私のために情熱的な歌を歌い、その後情熱的に私を見た男がいた、というのがあった。しかしケイトは私を見てくれる人ではなく、見ない人を選んだとか。これと繋がるんよね~。

 ベックは最後ケイトにもらったハイヒールを履き情熱的に歌う(洋服も?)。自らの歌詞を最後まで書けず、人の前で歌えなかった女性がだ。彼女を想ってだ。そしてベックを見つめる人間の存在も映し出されていた。


 死したケイトと、将来のあるベックってな対比もあったのだろう。ケイトは1つのゴールに、ベックはまだ選択肢が。

 生前彼女たちは対照的であり対等な関係を築いていた。それは片割れの死後どのように作用するのだろうか。残された夫、友人、ベックはどうなるのか。

 ベックの将来を気遣うケイトがあった。しかしその心配を余所に、振り払うかのように、彼女の知るところでなく、力強く歌うのである。ケイトは誰かに見てもらう努力ができなくなった。じゃあ誰も彼女を見ないのか、死と向き合わないのか。この1つの答えが最後の歌なのだろう・・・



〇余談
 ケイトとベックが2人でシャワーを浴びるのは、邪な気持ちが湧きつつも、「裸の付き合い」ってな表現だったのだろうと。これも1つの段階ですね。あちらさんにそのような意味合いを持つ語句があるかは知りませんがね。
 

〇最後に
 今年1番、いや2番目に最後どっば~来ましたね。涙腺が緩い方、何かしらご持参を。

 ではでは・・・


2015年11月23日月曜日

ミケランジェロ・プロジェクト(2014)

字幕翻訳:松浦美奈


~文化・歴史~

〇想起する作品
 「スペース・カウボーイ」(2000)

〇こんな話 
 ナチスドイツに奪われ、葬られようとしている美術品を奪還する者たちのお話。



〇意義 
 彼らが美術品を守る意義はどこにあったのか。 

 これが最初ひたすらに気になって仕方なかった。彼らの作戦の意義が弱かったんだ。人の命に変えてまでも、守る価値があるのかと。実際に美術品を奪還する過程で失われていく命があった。 

 美術品というものの位置づけが微妙だったんだ。ヒトラーが以前閉ざされた道。総統美術館のための収集癖。そんなヒトラーへの贈り物だからこそ奪還するのか。そこで大打撃を与えたいのか。ナチスドイツも美術品を収集することで、何かしらを顕示したかったわけで。 

 しかしそんなことはまるで気にする必要は無かった。 無線のテストだかの際にジョージ・クルーニー演じるストークスが仲間たちに美術品を守る意義を説くんだ。彼らは人間の文化を、歴史を守ろうとしていた。ここでハッとしたね。この思考に至らなかった自分に。逆にナチスドイツはそれを踏みにじろうとしていた。 

 ここで戦場において1つ対立するんだ。単に兵士を守る、美術品を守る、ではなく。

 ・前線の兵士たちは今そこにある人の命を守ろうとしている 

 ・モニュメンツ・メンはこれからの人の命(心としておくか)を守ろうとしている 


 彼らに銃撃戦で人を殺させることなく、ナチを悪と表現していくのはうまい。そしていざ銃撃戦と観せて、狙っていたのは子どもだったと(映画においては子どもを殺さないという安心感と、子どもにまで銃を撃たせるナチってな意味合いがあったんだろう)。あとはたばこでの一服による一時休戦か。捉えなくていいのかという問いに、どうせ捕まると。俺らがそれをやる必要は無いと。どこか戦場で浮く彼らが描かれる。 

 全体的にさりげなさがうまい。通訳の件、蓄音器の件・・・などなど。ニヤリとする、仲間を想う、相手を出し抜くいやらしさ。この両者は共存させてこそなのよね~。仲間、敵という存在が際立っていく。 しかしここを意識させながら、彼らもまた戦争に参加しているという逃れられない事実を仲間の死で演出する。これまた見事だった。 


 彼らの作戦の意義。今も残る、受け継がれる美術品の数々を想えばこそなのか。そして失われていった、今も尚失われていくモノがある。我々もまた彼らのように、後世へと残していかなければならないモノがある。この作品もその1つだろう。



〇余談 
 「風の噂」という字幕があった。「風の便り」だよな~と。 

 ま~、会話中ですからね。誤用と言われようと、その使い方が多く広まっていれば、そちらがしっくりくるわけで。ま、私もひたすらに使ったりしてますからね、実際。それを考慮されたと考える。 


〇最後に 
 ストークスの大統領へのプレゼンの際に、我々はこの戦いに勝つだろうと言っている。改めてこの作品を眺めてみると、戦争に勝つからこそ美術品を残す、残したいともとれなくない。 

 言語の壁を描きつつも、美術品を守るという目的の下それを越えて協力する。拙い外国語を馬鹿にされつつも結局は英語に落ち着く。これは意図的か、ただの事実か・・・

 ま~実際、そこまで重々しくなく、かる~くコミカルな感じを織り交ぜられながら、とても見やすい作品だった。

 ではでは・・・

2015年11月22日日曜日

起終点駅 ターミナル(2015)

~本田翼~ 


〇はじめに 
 この手の作品に私が勝手に求めてしまう美意識に、本田翼がどうも合わない。 


〇こんな話 
 他のキャラと比べて技が出しにくいからあんまり使ったことないんだよね~

 それザンギちゃう、ザンギエフや!!


〇ミスマッチ・異物感 
 本田翼のトーンが全体的にどうも合わない。

 最初のヘラチックな雰囲気はすばらしかった。おそらくホンモノだと思う。しかしだ、食で打ち解けてから(この演出は◎)、どうもガキ臭いんだ。  

 覚せい剤所持、男問題、マニキュアなどなど、彼女に昔の女を見出す訳だが、それがどうも・・・。尾野真千子の女を感じさせていただけに対抗馬として何とも弱いんだ。 

 終始キャラが定まらんのよ。それが狙いだったかもわからないが。 

 はじめの暗い雰囲気から一転、主人公の前ではキャピキャピした挙動を見せたりする。ギャップで、お辞儀にはじまり、ヘラったり、倒れたり、逮捕されたり・・・があったわけなのだが・・・。 

 中3だかで家を出て、夜の商売で生計を立ててきた。それなりに身の振り方を考えて必死こいて生きてきたわけでしょう? それなのに彼女の立ち回りがどことなく粗いんですよね。丁寧さを感じない。お辞儀ひとつとっても。所作ってやつですかね。ギャップというかメリハリというか・・・う~む。 

 追いかけていた男を見つけ出して病院に連れて行こうとするわけです。そこでいざ出発する時にちょっと待ってくれと。家族の位牌を持ち出すわけなのだが、玄関閉めないんですわ。どうなんすかね、確かに廃墟と化してましたけども。急いでる時に悠長なことぬかして、肝心のところはテキトウに急ぐ。ヌル~く感じてしまう。 

 完治の家において。病で倒れた時は食器洗うのにですよ、突然街出るって朝5時に押し掛けてよ、勝手にコーヒー入れて飲み終わったらコップそのままですよ。 ???(ポカーン)でしたよ。この違いがさっぱりわからんのですわ。 

 あとね、コーヒーメーカーって最初匂うんですわ。何回か水を通さないと。それでも匂ったりするわけで。そんな事を心配をする商品ではなかったのかもしれません。それに新品とは確定してませんからね。でもな~それなら箱から出す描写いらんだろと。コーヒー豆は開封されてなかったようですし・・・


 皿洗いは看病のお礼だったのかもしれません。治療費も払ってもらってましたしね。残されたコップはその後の別れで表現される彼女の気持ちの現れだったのかもしれません。しかししっくり来ないんだ。それまでのどことなく雑な彼女の姿を観ているから。 

 そんなもんなんですかね。確かに人間の行動にいちいち理由なんか見出せませんよ。でもさ~全体的に登場人物を比較させようとしていたじゃないですか。最近物忘れがどうのと言っておいての、隣の雨の中水やりするおじいちゃん。そのおじいちゃんには時折息子が訪ねてくる、こちらは息子から結婚式の招待状が来ない、なんてのもありました。息子と、息子の同級生。チャラチャラボーイとワンゲルアローンボーイ。司法試験についても。 この辺の繋がりを意識したからのラストだと思ったんだけどな~。余韻残さずエンディング入っちゃうし。ぶつ切りだったな~ラストまで。 


〇疑念
 万引きばあさんがさ~、妻子がいなけりゃ他人の心がわからないわね~、とかほざくんだけどさ、これって何か意味があったの?

 こいつ滅茶苦茶前科あっただろが。ここカチンときたね。おまそれいう状態。そんな人間の言葉が響くほど彼も来ていたということなんですかね。


〇余談 
 いや~、尾野真千子綺麗だったね。切ないシーンにただ興奮したという・・・・

 学生時代の彼女の思い出を主観で見せたのは良かった。単に佐藤浩市に学生時代の役が無理だったからだと思うが。

 なぜ彼の目の前で自殺したのだろうか。彼に自分という存在を刻み込みたかったのではなかろうか。とは思ったものの、彼は彼女と再会するまでも万年筆愛用していたし、ずっと想ってはいたからな~。理由は抜きに単に彼女との関係が新たに始まろうとしていた、そして終わったとしたかっただけなのかもしれない。そんな場所で彼は・・・ってのが物語な訳で。死した彼女よりも、生きている彼がメインなわけで。俺は刑に服していたわけではない云々カンヌンと。そして死して別れた、生きて別れたってな対比につながるのだろう。もう交わることは無い。ただお互い生きていればと。

 これと関連して中村獅童堪らんかったね。優位に事を運ぼうとしている彼がタクシー代わりに。


〇最後に
 雰囲気良い話だな~で終わっちまった・・・ 〇〇風、〇〇風味、〇〇っぽい。コレだ!!ってものが無い。

 ではでは・・・



2015年11月19日木曜日

壊滅暴風圏Ⅱ カテゴリー7(2005)

壊滅暴風圏Ⅱ カテゴリー7[DVD]


~助かるのは誰だ? 俺だ俺だ俺だー!!~

〇はじめに 
 前作は台風と竜巻、今作は3つ(あれ、2つか)の台風がぶつかり合うことでカテゴリー7の規模の現象が発生する。 

 前作で車ごと竜巻に吹っ飛ばされた人物が生きています。全身固定されて喋ることですらやっとだったのに、竜巻調査中は走り回るは、首グルんグルん回すは回復早いなぁ。 


〇こんな話 
 地球温暖化により異常気象が多数発生。しかし専門家は別に原因があると。調査するうちにやばいやばい、2つのハリケーンが合体してカテゴリー7だ。対策を講じねば。しかし一番の問題はお偉いさんの説得だ。はてさて・・・。


〇諸問題 
 今作は9・11からの復興も取り上げられ、カテゴリー6の発生予測と被害から守るものの優先順位も語られる。政府組織に関する場所をまず守る。自然災害だけでなくテロからも国を守る必要があるからだと。自然災害に対策を集中しすぎると、テロに対して脆弱になる。政治的問題も視野に入れなければならないというのは難儀だなぁ。 

 災害を利用して個人の利益を追求する連中も。その団体は宗教団体で国民の恐怖を煽り、寄付金を募ろうとしている。災いも勝手に演出する。(真に?)信仰を望む夫と、お金というものを信仰する妻。すれ違いへ。究極夫の死をも利用する妻。

「さぁ皆さん、お金で信仰は買えます。神を信じましょう。」

妻の欲を超えて暴走する協力者の存在も。 
「誤った解釈による信仰 > 金の亡者 > 信仰」 
という序列になるわけで・・・。 

 マスコミにより勝手に真実が作られる。それに翻弄される者たち。男女間の確執。好きだねぇ~、こういうイザコザ。それどころじゃないだろうに、気にしなければいけない人間関係。めんどくさいなぁ。 

 自然災害、テロ、宗教、マスコミ、人間関係等、様々な事象が絡み合いこのお話は展開する。 



〇平等とは夢の産物 
 人間社会において守られるべき命は決して平等ではない。ただ死が平等に訪れるだけ。それをお偉いさんが選択する自然災害の然るべき対処において明らかにしてくれる。



〇原因と対策 
・原因 
 やかんの沸騰している光景を見て異常気象の原因に気付く。あのピーという蒸気が立ち上る様を見て。 

 温暖化(温室効果ガス)により落ちてくる中間圏の冷気と、都市部のヒートアイランド現象により上昇してくる熱気が衝突することで、(その大きな温度差により)竜巻が発生するらしい。 

 ヒートアイランド現象って逆転層によるただの保温効果じゃなかったか?(逆転層はただ効果を増大させるだけだったけか?)。 それが中間圏の冷気と衝突するってありうるのか。中間圏の大気が落ちてくるというのも。気象現象は基本的に対流圏内の大気の運動で起きるわけで。それより上は大気は対流しておらずほぼ安定している。温室効果ガスは別に大気圏ならどこにでも存在するし、人為的なものであるならば中間圏まで到達するかがまず疑問。 

 台詞のニュアンスから察するにおそらく、人為的に排出された自然界の許容範囲を上回る温室効果ガスが、何かしらの力によって中間圏まで持ち上げられて、安定を保っていた中間圏内に乱れを引き起こす。そのため中間圏の冷たい大気が対流圏まで落ちてくることになり、ヒートアイランドにより上昇する熱い大気と衝突を起こす。温度差により莫大なエネルギーを得、異常気象を巻き起こすってな感じか・・・わからん。

 ヒートアイランド現象はざっくり言えば、お布団ひんやりして気持ちい、みたいな感じです(適当)。冬に暖かい布団から出られない、夏にわざわざ冷房をつけて毛布にくるまる。こんなこと経験ありませんか。布団から出れば忙しなく動かなければならない。寒さを解消するために。


・対策 
 都市部の熱を下げよう。電力をカットだ。あれ?、都市部ってコンクリートジャングルだから保温性抜群なんだが。だからこそヒートアイランド現象が起きるんだけど・・・。雨とかですぐに冷やされるんだな、うん。




〇疑念 
・中間圏(mesosphere)について 
 大気圏の最上層って訳してるんだよなぁ。大気圏は地表から 対流圏、成層圏、中間圏、熱圏、(外気圏?)と分けられている。そもそも中間って言ってるのに、最上層というのはおかしいでしょ。だから大気圏の一部よね、みたいな感じだったと思うんだよなぁ。 
 さらに飛行空間の上の層って訳す。それは成層圏ではないのだろうか・・・。


〇最後に
 定説など当てになりません。実際に現象が起きて、それの原因究明をし、仮に定説を否定していようともそれが正しいこととなる場合がある。常識に囚われるなと。専門家が言っているからなどというものほど信憑性の無いものはない。都合の良いデータだけ集めていれば誰にでも導き出せる結果を出している場合がある。何にでも疑ってかかりましょう。

 ではでは・・・
 

2015年11月18日水曜日

フェイズⅣ 戦慄! 昆虫パニック(1974)

フェイズⅣ[DVD]


~擬人化~

〇想起する作品
 「THEM ゼム」(2007)


〇こんな話 
 宇宙で異常現象が発生。人類への影響は無かった。そんな中、アリたちが井戸端会議といった不可思議な行動を開始。とともにアリの種族間争いが無くなり、捕食者がいなくなる。そして知能を得たアリの個体数が劇的に増大することになる。そんな生態系の異常に立ち向かう科学者たちの物語。 

・ざっくりと 
 人間VSアリ


〇対策 
 アリたちを排除すべく行動パターンや言語(信号?)の意味を調査し、アリの排除を目論む。一度は殺虫剤を撒くことで大半のアリを死滅させることに成功。人間も死んでしまうほどの殺虫成分。アリの採取にも成功し、人間有利に進むかと思われたが・・・。 

 アリたちは急速に学習し、知能を高め人間どもを追い込んでいく。アリに実験されていたと知り(人間を排除すべき下等生物と思われているからだと解釈し?)、人間の賢さをわからせてやると意気込む。 人間側はアリの使用する言語を用いて、アリにアプローチを開始する。

 果て、アリ側から見たら、この言語を使用しアプローチしてきた時点で、相手側の賢さはわかるものではないだろうか。
 賢さという基準が曖昧ではあるが「人間>アリ」で見た場合、我々の言語すら使用できるのかというリスペクトにならないだろうか。
 「アリ>人間」が今作品で、下等生物の話す言語など知らぬと馬鹿にし、歩み寄るのではなく、歩み寄らせる。迎合しろ、こっちに合わせろよと。

 ???どうなんだ???



 世代交代が早いから進化も急速に進むのか。情報の処理や書き換えが急速に可能になるのか。世代交代する上で、情報が全て後進に受け継がれるのであれば確かに進化は急速に訪れそうだな。自分たちよりはるかに知識量が豊富であろうものたちから情報を奪っていくことも進化を加速させる要因か。

 人間はそういった情報を体に刻み込むのではなく、データとして残すことを可能にした。何かしらの記録媒体を使って。壁画、遺跡、書物、フロッピー・・・など。その方法はどんどん簡易化し、小型化してきた。自分自身(体)が適応しようとするのではなく、適応できるような環境を創り出すことができる。その辺が自然に対して一個体での脆弱性に繋がっているのではなかろうか。自然災害における危険察知能力なんてのは人間にしてみたら皆無であるが、地震だったらナマズがどうのと。猫が顔を洗うと雨が降る・・・などなど。この辺りがアリとの違い??


〇アリ 
 自己犠牲ありきの組織的な防衛。個ではなく群で力を発揮する。アリの社会は役割分担による完全な分業制。利他主義と自己犠牲。独立した個ではなく機能的な部品。この形態が進化により崩れなければ・・・の話でこの映画は進む。それを指揮している女王の存在が大きな意味を持つために、女王を倒せばいいとなるわけで。 

 しかし高い知能を有することになった者たちがホイホイと女王の指示通りに動くのだろうか。人間の歴史を見てみなさいと。女王だけが高い知能を有することになったのか。そもそも自己の利益に奔るのが普通ではないのか。 

 いやいや、食に関して選り好みするような連中だぞ。畑にミステリーサークル作るくらいに。ぶつぶつ不満くらい出てきそうなもんだが。相当に女王が優秀なんだろう。


〇最後に
 この作品で語られるアリの進化と、人間が辿ってきた歴史を比較して見えてくる違いは何なのか。そんなアプローチをしようとして何をしたかったのか、どこへ向かおうとしていたのかをさっぱり忘れてしまった、わからなくなってしまった。

 最初はアリも人間を模した行動をしていたんだ。言語によるコミュニケーションや、死した者を弔ったり。形式化、様式化したんだ。それが人間を越え始める。どこまでをこの作品は展望したかったのだろう。

 ではでは・・・


2015年11月15日日曜日

グラスホッパー(2015)



~邦画~ 



〇はじめに 
 グラスホッパーどうのというタイトルで、劇中に群集相ってな単語を出しておきながら、よくもまぁこんなとっ散らかった作品を撮るよ。終始何がしたいのかわからんかった。いや、それこそが狙いだったのかもしれない。この作品こそが、過密する情報社会の体現だったんだ。レビューが凶暴になる。  


〇想起する作品 
 「ゴーストライダー」(2007) 
 「藁の楯」(2013) 
 「ジョン・ウィック」(2014) 

〇こんな話
 渋谷でわちゃわちゃしてとっ散らかります。

・・・ハロウィン騒ぎでゴミだらけになった街は宣伝だったんだな。


〇擁護 
 とりあえずこの作品ではなく、邦画に対しての擁護から入る。 

 邦画と洋画。映画好きであればどうしても洋画に寄ってしまう。日本人がなぜ自国の映画に魅力を覚えないのか。私の勝手な見解を少し。

 日本人で日本に住んでいれば、ほぼ確実に日本語を話し、日本語を聴き、日本人の顔を見る。常にだ。それはどういうことなのか。

 さらに日本人は長いものに巻かれろ気質。雰囲気や空気に気を使い、顔色を伺う。

 我々は見慣れてしまっているのである。環境や境遇は別として。洋画よりも情報を多く入手してしまう。洋画は字幕を追う分、制限されることが多い。ここは吹替えがあるではないかと。それはまたどこか別のところで議論したい。

 つまり、邦画と洋画を鑑賞する上で、情報のスタート地点が違うのである。土台が違うのである。と同時に、入ってくる情報量も異なる。その画から、役者の台詞のトーンや動き、表情をより読みとってしまう。そこにおそらくマイナスに違和感を感じてしまうんだ。シーンとのギャップをより強く感じてしまう。ひたすらに粗さが気になってしまう。

 ってな感じでどうでしょう・・・



〇過不足・バランス
(注、わたくし菜々緒さんは好き寄りです) 

 演技の良し悪しは別として、登場人物に主役級を使いすぎている。ここからとある人物がどのような人物なのであろうかと言うことがほぼ確実に見えてくる。

 一番に菜々緒が原因だ。彼女がどうしても画として濃い。彼女の演技が映えるだけであれば問題は無い。どうしてもくどいんだ。そもそも上手くない、しつこい、さりげなくない、わざとらしい、大げさ。故に彼女を強調しておきたい訳があるのだろうと勘繰ってしまう。

 序盤に、登場人物たちを提示していく過程で、殺し屋家業の者たちと鈴木とが、寺原親子にアプローチしていくカタチができあがる。この構図・相関図を一旦理解してしまうと、1人おかしい奴がいることに気付いてしまう。 

・ 自殺屋「鯨」(おっつぁんゴーストライダー) 
・ 切れたナイフ「蝉」(ガキんちょ) 
・ かごめかごめの「槿」(冴えないリーマン) 
・ 潜入教師ピエロ「鈴木」 

 この男たちが一斉に寺原にアプローチを開始する。そこに奈々緒という悪女の存在、女を意識させる。と、ここで一旦登場人物を眺めてみた時に、足りないピースに気付くんだ。男だけの殺し屋と、寺原サイドの菜々緒。いや単に男と女で見た場合。釣り合わないんだ。釣り合うにはどうすれば?と考えてしまう。すると見つかる1つの道。そのままだった。これは擁護できない。 


 このキャストで行くのならばだ。馬鹿娘をもっとさりげなく見せるべきだった。教え子だとすんなり我々に刷り込ませるように工夫すべきだった。ビジュアルには気を使ったのかもしれない。しかしフレミングの法則だけでは浅い。ちょべりばだ。これだけ、これくらいしか授業内容が印象に残っていないという馬鹿要素よりも、それこそ主人公が一時期勤しんだキャッチセールスと同じ要素を感じるのだ。誘い文句、謳い文句。誰にでも通用するような、懐に入り込むために洗練されたであろう嘘臭さ。怪しすぎるんだ。

・・・キャッチの下手な鈴木との対比だったのか。


 仮に教え子且つ馬鹿娘を強調できたとしてもだ。序盤はまだ良いが、その後の展開が下手糞過ぎる。この二者のコンタクトの際にわざわざ菜々緒に彼女をひたすらに馬鹿呼ばわりさせる。二者を比較対象であるとくどく観せてしまっている。徐々に明らかになっていく悪女菜々緒の無能っぷり。この逆転要素で露呈してしまうものがある。悪女菜々緒が無能馬鹿とするのならば、はじめの対比に何の意味があったのかと。さらには先ほどの菜々緒のくどさがそれに拍車をかける。

 鈴木側もだ。せめて名前を聴くなりしないとな。疑うくらいなら、そして気遣いを見せるなら、思い出そうと何かしらのヒントを引き出そうとしてほしかった。謎にしておきたいのが見えてしまう。




 何より全体的に登場人物の絡ませ方が何ともうまくない。自分の中で勝手に描いてしまった流れに作品がついてこない。こんなムラムラを監督も感じていたのだろうか。

 こんな序盤からすんなり入り込ませない仕様、さすがだな。「邦画はこれだから・・・」ってなことを言われてしまう原因の1つだろう。とても残念だ。


 途中にパンプキンヘッドも出てくるしよ~。そいつ口開かへんねん。兄貴の方に鈴木とひたすらにコミュニケーションをとらせる始末。声聞かせないためなのは明白なんだよ。あれしゃべってたっけか? どっちでもええわもう。



〇不自然 
 謎の部分。物語のテーマ・芯となる部分。これの提示の仕方も何ともお粗末なんだ。全てが台詞、会話の中で提示される。さりげなくならまだマシだ。今お前に話てんねんぞというカタチでお説法が始まる。そして先ほどの主役級の人間たちがそれを吐くことで助長される。それは確かにテーマを気付かせる上では分かりやすい。しかしだ、そこで終わってしまうんだよ。比喩、例えとなる部分を先に出しておき、そこに後々事例が伴って我々は関心し、納得するのである。しかしだ、この作品にはそれが無い。台詞が全てになってしまう。ただ台詞を、字面を追うだけの印象しか残らない。 


 そもそもグラスホッパーだよ。そんなん東京で見かけます~?。馴染みが無いでしょと。最初のバッタの画で???だったのに、いきなり群集相ってさ~。話題としても突飛なんだよ。渋谷のスクランブル交差点を見せている時点でゴミゴミしているなとは誰もが感じていたでしょう。それにあのハロウィンのお祭り騒ぎだよ。どうせなら、彼らをゴミだと、イナゴの大群だと言うように形容する人間を出しても良かったんちゃいますか。寺原ジュニアが言ってたっけか? でもちゃうねん。我々と同じ視点で、高層ビルのような高い所から見下ろして言うから意味があるねん。近しい存在に言わせて意味が発生するねん。なぜに薬中を強調してまうよ。いやこちらにも意味はあるのだけど・・・。そしてバッタの大群がなぜか飛んでいく・・・・はぁ・・・ 

 どうせなら誰かグラスもって十六文キックでもすればいいんだよ。あれは「ハッパー」か。そして水平打ちの時の掛け声なのか。「元気ですか~!?」これは猪木か。


 アクションの位置づけも不明。

 「強さ」の1つの象徴かとも思ったが、特に他に比較する表現が無かったので・・・。




 全体的に謎の問いかけに対して補足説明やフォローが多すぎるんだよ。何その確認作業の数々。心配性過ぎだよ。勝手に鑑賞者に考えさせときゃええんだよ。わざわざさっきのはこういう意味だったんだよ。わかった? 大丈夫? じゃあもう一回やってみるねって・・・。そんな馬鹿じゃねえよこっちは。

 まぁこれは日本人の気質なんだろうな。良く言えば丁寧、勤勉、几帳面。そんな確実性や完成度を求めるあまり、心配性な面が際立ってくる。確認作業がひたすらに入る。確かに、確かにそれは日本人が世界に誇れる気質だろう。でもこの分野はそれが逆効果になることに、そろそろ気付こっ。お願いします。

 しかしそれが侵され始めた時、何かしらの危機感を覚えるべきなのか。いや最近は既にその気が見え始めているのか。偽装問題の数々。いやそれは別の国からか・・・。




 日本ならではの世界観や宗教観ってものが中々に見つけにくいってのが原因なのかな~。
浸透度合いも違うだろうし(知らんけど)。




〇最後に

 原作を読んでみることにする。


 ではでは・・・ 



ラスト5イヤーズ(2014)

ラスト5イヤーズ[DVD]


~魅力~



〇はじめに
 誰かに言われた気がしたんだ。アナ・ケンドリックの魅力を伝えてくれと。

 懲りずに第2弾!




 この漢ホイホイよ























 刮目せよ! この躍動感!!



























































 芸能人は歯が命


























 ビックリ


















〇最後に



















 肉食系でありながら、どこかさわやかな感じと言いましょうかね~。冷めた、呆れた感じも堪らない。


 年内にもう1回くらい・・・

 ではでは・・・





2015年11月12日木曜日

デッド・シティ2055(2015)

デッド・シティ2055


~ロボット~

〇想起する作品 
 「ウエストワールド」(1973) 
 「未来世界」(1976) 
 「トータル・リコール」(1990) 
 「ペイチェック」(2003)
 「アイランド」(2005) 
 「GAMER」(2009) 
  
 
〇こんな話 
 ヴァイス、それは日常では許されない行為が、誰にも咎められずに行えるパラダイス。みんな~、行きたいか~!!? 


〇ロボット 
 レプリカント。元人間(死亡した)をクローン組織だかで再生し、人格や設定を再プログラムされ、ヴァイスに解き放たれる。同じ1日を繰り返すと言う。簡単に言っちゃえばゲームキャラですね。町人A、通行人Bみたいな。決まった行動をとる。 

 人間→レプリカント に再利用していたわけだが、とある日記憶がフラッシュバックするレプリカントが出現。そんな彼女はなんと・・・元々レプリカントだった? 

 レプリカントな彼女のIDだかを消去するってなところがこの作品のテーマと深く関わってくるのかな。レプリカントにも自我があるってなところに落ち着くわけだが。 

 ・人型のロボットだから何をしても大丈夫だという者

 ・愛する人間が死んだからそれを模したロボットを創った者

 人なのかロボットなのかという違い。人と見なすかロボットと見なすかという違い。人間にはできないことだからとロボットで楽しむ。人間では埋められなくなったところをロボットで補う。ここの狭間よね。どちらもよりリアルであることを求めているわけで。より人間に近づけることで興奮を覚えたり、欲求を満たしていく。究極的に求めるものは同じであるのに、とるべき行動や見え方が変わってきたりする。それが劇中のいざこざだったりするわけで。



〇最後に
 題材はおもしろかった・・・かな。でもう~む、どうしてこう間が悪くなるのだろうな。


 ではでは・・・


2015年11月11日水曜日

T.I.M. ティム(2014)

T.I.M. ティム[DVD]


~命~ 

〇はじめに 
 命・・・。

〇こんな話 
 お世話ロボ?お手伝いロボ?が普及した時代。少年ティボルとロボットティムが世界を駆け巡る冒険ファンタジー。 


〇関係性 
 父と子でロボットの見方が違う。それぞれお世話ロボットとして、お友達として見ている。人間の友達はいないそうな・・・、そしてティムも馬鹿にされている。

 そしてとある少女との出会い。 

 父(人間) と 息子ティボル(人間) 
 父(人間) と ティム(ロボット) 
 ティボル(人間) と ティム(ロボット) 
 ティボル(人間) と キキ(人間)

 この辺の関係性の見つめ直しが行われ始める。親子、主従関係、友情、恋愛?それが全てに同じように適応されるのかと。少女の気遣いと、核心を突く言葉が痛い。

・・・ってかこの女の子世話焼きすぎだろ。別れては戻ってくるからな。最後の出迎え何なんだよ。絶対少年惚れただろ。親友との別れで傷心しきった彼に彼女はどう映ったのか。おそらくこの感情が彼をロボットから脱却させたんだ。そしてその夢が叶わないとなると今度は女の子型ロボットに奔るんだよ、きっと。



 ロボットのビジュアルの古臭さや張りぼて感は、関係を築く上での障害として良い持ち味が出ていたのではないかと。指標になるんですよね、人間味の。


〇最後に
 女の子が良い子すぎる。下手すりゃ、いや少年にとってはお節介。要は導き手な訳だが、もう少しこの子に焦点を当てて、2人のロードムービー要素を強めても良かったかと。失礼、3人か。ティムを馬鹿にする同い年連中が多かった中の、ティムを、そしてティボルを認めてくれた少女。やりたいことはわかる。しかし今ひとつに感じてしまった。どうにかこうにかしていただければ、最後の和解がもっと映えたことだろう。

 ではでは・・・



2015年11月10日火曜日

デイブレイカー (2008)

デイブレイカー[DVD]


~現代社会の投影~

〇こんな話
 人類のほとんどが死を恐れ?ヴァンパイアとなった世界。ヴァンパイアは人類を家畜のように飼いならし、血液を搾取するシステムを構築していた。しかし、ヴァンパイアの数が増える反面、人類の数は減っていく。それによりヴァンパイアの食料となる血液が足らなくなり、食糧不足が深刻化。この状況の打開策として、代用血液なるものの開発にいそしむ主人公(ヴァンパイア)。しかし、研究成果は上がらず問題ばかりが増えていく。そんなある日、主人公とある人間たちとの接触により物語は動き始める。


〇欲求
 この映画を観て感じたのは、このヴァンパイアの世界における問題は、今日人類が直面している問題と何ら変わりはないということ。新人類、この映画でいうヴァンパイアになったところで、人間の本質というものは結局変わらない。結局生きるということはいかに自身の欲求を満たしていくかということで、その本質を解決しない限り不老不死などはありえない。 

 まずヴァンパイアとは何なのかと。最初に描かれる見た目少女の死に様。日光を浴びて消滅する。ヴァンパイアは日光を恐れるのである。人間と照らし合わせてみるとどうだろうか。逆なのである。人間は逆に闇を恐れる傾向にある。闇を照らしだす技術を発明することでそれを解消してはいるが。そして太陽を中心とした社会を築いている。つまり、人間からヴァンパイアになることが何を意味するのかと言うと、人間の短所をひたすらに排除し、長所だけが残るという新人類などでは決してなく、長所と短所がそのまま逆になっただけの、現在の人間と何ら変わらない仕様の存在なのである。


 食糧危機という問題。食べなければ(飲まなければ)サブサイダーという化け物に変異してしまう。食料となるものが人類の血液のみで、生産される場所が人体しかない。一日の摂取量が明確化されていないので単純に比較はできないが、人類であっても様々な種類の食物が生産・採取される中、食糧危機は問題視されている。その食に対してさらなる限定性を生むのはいかがなものかと。そんな先々の損益のことは考えず、目の前の不老不死という利益に飛びついてしまったんでしょと。生(いや食かな)ということに関しては「猿の惑星」より劣っている世界観。なんか皮肉めいている。ヴァンパイア、お前らは猿より下だ・・・と?



〇比較 
 人間世界との比較(左が人間世界、右がヴァンパイア世界) 

・[血液不足] = [食糧不足] 
・[医療的に血液を必要としている人(限定的)] = [ヴァンパイア(全人類)]  
・[献血をする人(任意)] = [血液を搾取される人(強制)]
・[不死] = [死]
・[サブサイダー] = [餓死]
・[日光] = [闇]
 などなど


〇エゴ
 最後は人間化フィボナッチ。

 主に食糧危機が問題になるのだが、ヴァンパイアという種の存続よりも自らの地位・権力に執着するヴァンパイア。人間に戻る方法がわかるも、代用血液による利益と立場を守ろうとする者。世界情勢をひっくり返すほどの、というより自分という世界の崩壊を目の前にしたら、いやにでも阻止するだろう。そして人間の血を求め暴徒と化す者たちも。

 最後の解決策の提案は順を追ってやっていれば被害はほぼ0に等しかった。しかし我先にと群がったがために、凄惨な犠牲を伴うカタチとなった。しかしこの犠牲は捉え方によっては必要最小限の犠牲ということもできる。そもそも歴史には犠牲がつきものだと。犠牲の上に歴史というものは成り立つ。これをもう一歩踏み込みたい。

 そもそも犠牲を払わなければならない状況にまで持ちこんでしまっているのではなかろうかと。その犠牲が出る前に、その前の段階で防げていた事象ではないのかと。

 何かの映画で、線路が二手に分かれていて、片方には10人?、もう片方には1人が縛りつけられていると。そこに電車が走ってきてどちらかに電車を走らせなければならないといったような問いが為されていた。犠牲の大小を問う問題。「ダークナイト」や「スパイダーマン」の恋人とその他の命の選択でも良いよ。で、電車の問い。その前に電車を走らせなければ良いじゃないかと。他に言えば縛りつけられなければ良い。さらに突っ込めば電車なんて開発しなければ良い。そもそもは蒸気機関が悪いのか。産業革命が起こらなければよかった。いやいや人類なんか誕生しなければ良かった、ってなところまで遡ると少し馬鹿に思えるかもしれないが、そういった必ず犠牲ありきの限定された問題が出題できるような状況に持ちこまれていることをご理解いただきたい。

 この映画で言えば、人間の血に対する飢えが極限に達していた。一般国民にまで血が渡っていなかったことに由来する。それは先ほどの一部の権力者の身勝手さがあったからだ。もっと遡ればヴァンパイアになったからで。そこの解消が解決策として用いられた。

 そもそもなぜヴァンパイアになることを多くの人間が選択したのか。人間からヴァンパイアに変化することで得られるメリットばかりを見つめたからだろう。人間の究極の欲求・欲望、詰まるところのエゴを優先したからだ。その後出来上がってしまった世界観。権力構造による搾取、生存欲求から来る血の飢え・・・etc地位やヴァンパイアであることを捨て去されればこの事態は防げたはずだ。しかしそうはならんだ。これらのエゴの積み重ねにより、最終的な限定された選択しかできない状況に陥ってしまった、と捉える事ができはせんだろうか・・・ってなお話でした。




〇最後に
 エゴってのは他者のを見つめると何とも馬鹿馬鹿しく憎ったらしく思えるものだが、いざ自らのを見つめると何とも可愛く思えるもので。勝手な根拠を交え、自己正当化したがる。・・・ムツカシイナ。

 ではでは・・・


悪女 AKUJO(2017)

~アクションは爽快~ 〇はじめに  韓国ではこの方はイケメンの部類なの? 〇想起する作品  「ニキータ」  「アンダーワールド」(2003)  「KITE」(2014)  「ハードコア」(2016)  「レッド・スパロー」(2018)...