~擬人化~
〇想起する作品
「THEM ゼム」(2007)
〇こんな話
宇宙で異常現象が発生。人類への影響は無かった。そんな中、アリたちが井戸端会議といった不可思議な行動を開始。とともにアリの種族間争いが無くなり、捕食者がいなくなる。そして知能を得たアリの個体数が劇的に増大することになる。そんな生態系の異常に立ち向かう科学者たちの物語。
・ざっくりと
人間VSアリ
〇対策
アリたちを排除すべく行動パターンや言語(信号?)の意味を調査し、アリの排除を目論む。一度は殺虫剤を撒くことで大半のアリを死滅させることに成功。人間も死んでしまうほどの殺虫成分。アリの採取にも成功し、人間有利に進むかと思われたが・・・。
アリたちは急速に学習し、知能を高め人間どもを追い込んでいく。アリに実験されていたと知り(人間を排除すべき下等生物と思われているからだと解釈し?)、人間の賢さをわからせてやると意気込む。 人間側はアリの使用する言語を用いて、アリにアプローチを開始する。
果て、アリ側から見たら、この言語を使用しアプローチしてきた時点で、相手側の賢さはわかるものではないだろうか。
賢さという基準が曖昧ではあるが「人間>アリ」で見た場合、我々の言語すら使用できるのかというリスペクトにならないだろうか。
「アリ>人間」が今作品で、下等生物の話す言語など知らぬと馬鹿にし、歩み寄るのではなく、歩み寄らせる。迎合しろ、こっちに合わせろよと。
???どうなんだ???
世代交代が早いから進化も急速に進むのか。情報の処理や書き換えが急速に可能になるのか。世代交代する上で、情報が全て後進に受け継がれるのであれば確かに進化は急速に訪れそうだな。自分たちよりはるかに知識量が豊富であろうものたちから情報を奪っていくことも進化を加速させる要因か。
人間はそういった情報を体に刻み込むのではなく、データとして残すことを可能にした。何かしらの記録媒体を使って。壁画、遺跡、書物、フロッピー・・・など。その方法はどんどん簡易化し、小型化してきた。自分自身(体)が適応しようとするのではなく、適応できるような環境を創り出すことができる。その辺が自然に対して一個体での脆弱性に繋がっているのではなかろうか。自然災害における危険察知能力なんてのは人間にしてみたら皆無であるが、地震だったらナマズがどうのと。猫が顔を洗うと雨が降る・・・などなど。この辺りがアリとの違い??
〇アリ
自己犠牲ありきの組織的な防衛。個ではなく群で力を発揮する。アリの社会は役割分担による完全な分業制。利他主義と自己犠牲。独立した個ではなく機能的な部品。この形態が進化により崩れなければ・・・の話でこの映画は進む。それを指揮している女王の存在が大きな意味を持つために、女王を倒せばいいとなるわけで。
しかし高い知能を有することになった者たちがホイホイと女王の指示通りに動くのだろうか。人間の歴史を見てみなさいと。女王だけが高い知能を有することになったのか。そもそも自己の利益に奔るのが普通ではないのか。
いやいや、食に関して選り好みするような連中だぞ。畑にミステリーサークル作るくらいに。ぶつぶつ不満くらい出てきそうなもんだが。相当に女王が優秀なんだろう。
〇最後に
この作品で語られるアリの進化と、人間が辿ってきた歴史を比較して見えてくる違いは何なのか。そんなアプローチをしようとして何をしたかったのか、どこへ向かおうとしていたのかをさっぱり忘れてしまった、わからなくなってしまった。
最初はアリも人間を模した行動をしていたんだ。言語によるコミュニケーションや、死した者を弔ったり。形式化、様式化したんだ。それが人間を越え始める。どこまでをこの作品は展望したかったのだろう。
ではでは・・・
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