~現代社会の投影~
〇こんな話
人類のほとんどが死を恐れ?ヴァンパイアとなった世界。ヴァンパイアは人類を家畜のように飼いならし、血液を搾取するシステムを構築していた。しかし、ヴァンパイアの数が増える反面、人類の数は減っていく。それによりヴァンパイアの食料となる血液が足らなくなり、食糧不足が深刻化。この状況の打開策として、代用血液なるものの開発にいそしむ主人公(ヴァンパイア)。しかし、研究成果は上がらず問題ばかりが増えていく。そんなある日、主人公とある人間たちとの接触により物語は動き始める。
〇欲求
この映画を観て感じたのは、このヴァンパイアの世界における問題は、今日人類が直面している問題と何ら変わりはないということ。新人類、この映画でいうヴァンパイアになったところで、人間の本質というものは結局変わらない。結局生きるということはいかに自身の欲求を満たしていくかということで、その本質を解決しない限り不老不死などはありえない。
まずヴァンパイアとは何なのかと。最初に描かれる見た目少女の死に様。日光を浴びて消滅する。ヴァンパイアは日光を恐れるのである。人間と照らし合わせてみるとどうだろうか。逆なのである。人間は逆に闇を恐れる傾向にある。闇を照らしだす技術を発明することでそれを解消してはいるが。そして太陽を中心とした社会を築いている。つまり、人間からヴァンパイアになることが何を意味するのかと言うと、人間の短所をひたすらに排除し、長所だけが残るという新人類などでは決してなく、長所と短所がそのまま逆になっただけの、現在の人間と何ら変わらない仕様の存在なのである。
食糧危機という問題。食べなければ(飲まなければ)サブサイダーという化け物に変異してしまう。食料となるものが人類の血液のみで、生産される場所が人体しかない。一日の摂取量が明確化されていないので単純に比較はできないが、人類であっても様々な種類の食物が生産・採取される中、食糧危機は問題視されている。その食に対してさらなる限定性を生むのはいかがなものかと。そんな先々の損益のことは考えず、目の前の不老不死という利益に飛びついてしまったんでしょと。生(いや食かな)ということに関しては「猿の惑星」より劣っている世界観。なんか皮肉めいている。ヴァンパイア、お前らは猿より下だ・・・と?
〇比較
人間世界との比較(左が人間世界、右がヴァンパイア世界)
・[血液不足] = [食糧不足]
・[医療的に血液を必要としている人(限定的)] = [ヴァンパイア(全人類)]
・[献血をする人(任意)] = [血液を搾取される人(強制)]
・[不死] = [死]
・[サブサイダー] = [餓死]
・[日光] = [闇]
などなど
〇エゴ
最後は人間化フィボナッチ。
最後の解決策の提案は順を追ってやっていれば被害はほぼ0に等しかった。しかし我先にと群がったがために、凄惨な犠牲を伴うカタチとなった。しかしこの犠牲は捉え方によっては必要最小限の犠牲ということもできる。そもそも歴史には犠牲がつきものだと。犠牲の上に歴史というものは成り立つ。これをもう一歩踏み込みたい。
そもそも犠牲を払わなければならない状況にまで持ちこんでしまっているのではなかろうかと。その犠牲が出る前に、その前の段階で防げていた事象ではないのかと。
何かの映画で、線路が二手に分かれていて、片方には10人?、もう片方には1人が縛りつけられていると。そこに電車が走ってきてどちらかに電車を走らせなければならないといったような問いが為されていた。犠牲の大小を問う問題。「ダークナイト」や「スパイダーマン」の恋人とその他の命の選択でも良いよ。で、電車の問い。その前に電車を走らせなければ良いじゃないかと。他に言えば縛りつけられなければ良い。さらに突っ込めば電車なんて開発しなければ良い。そもそもは蒸気機関が悪いのか。産業革命が起こらなければよかった。いやいや人類なんか誕生しなければ良かった、ってなところまで遡ると少し馬鹿に思えるかもしれないが、そういった必ず犠牲ありきの限定された問題が出題できるような状況に持ちこまれていることをご理解いただきたい。
この映画で言えば、人間の血に対する飢えが極限に達していた。一般国民にまで血が渡っていなかったことに由来する。それは先ほどの一部の権力者の身勝手さがあったからだ。もっと遡ればヴァンパイアになったからで。そこの解消が解決策として用いられた。
そもそもなぜヴァンパイアになることを多くの人間が選択したのか。人間からヴァンパイアに変化することで得られるメリットばかりを見つめたからだろう。人間の究極の欲求・欲望、詰まるところのエゴを優先したからだ。その後出来上がってしまった世界観。権力構造による搾取、生存欲求から来る血の飢え・・・etc、地位やヴァンパイアであることを捨て去されればこの事態は防げたはずだ。しかしそうはならんだ。これらのエゴの積み重ねにより、最終的な限定された選択しかできない状況に陥ってしまった、と捉える事ができはせんだろうか・・・ってなお話でした。
〇最後に
エゴってのは他者のを見つめると何とも馬鹿馬鹿しく憎ったらしく思えるものだが、いざ自らのを見つめると何とも可愛く思えるもので。勝手な根拠を交え、自己正当化したがる。・・・ムツカシイナ。
ではでは・・・
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