~ピーター・パンへ?~
〇はじめに
「天使が消えた街」で惚れこんでしまったカーラ・デルビーニュ、ほとんど出ないやないかい。もっと人魚つこうてくれよ。
音響がまた良いんだ。映像よりも音から先に興奮に誘われる。おもしろかった。
〇想起する作品
「インディ・ジョーンズ」シリーズ
「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズ
「ハリー・ポッター」シリーズ
「天空の城ラピュタ」(1986)
「スターゲイト」(1994)
「タイムマシン」(2002)
「アバター」(2009)
「エンダーのゲーム」(2013)
「マレフィセント」(2014)
・・・新解釈ブーム
〇こんな話
パンはパンでも・・・、ピーターパン!!
〇(新?真?)解釈
この結末が如何様に周知されているピーターパンに繋がるのかは皆目見当がつかない。次があるのか・・・
勝手に妄想するか。
最初に語られる。敵が味方に、味方が敵に。真の結末を知るには始まりを知る必要があると。
あれ、ピーターパンとフック船長って無茶苦茶敵対関係にありませんでしたっけ・・・・??
この終わり方における友情の亀裂の入り方がわからんのよ。意見の相違は多少ありましたとも。大人と子どもですしね。院長と黒ひげ、ピーターを筆頭に汚ったね~大人と、純真な子どもという対比も顕著に描かれました。質問に正直に答えてしまうピーターと、その場を凌ぐために嘘をつくフックの姿も。しかしフックはその中でも違うという演出がこれでもかと入って来たでしょう。「大人は嘘をつくものさ」となんだかんだ助けに帰ってくる。めちゃくちゃカッコよかったよ。そんな溝も埋めて友情を育んだわけでしょう? それがどういうわけであんなことに・・・
ここからが真に描きたい部分なのか、想像させようとする部分なのか・・・
そもそも真の結末とはどこを指すのか。今作品の友情ENDか。ピーターパンとフック船長の決闘か、決着か。元戦友同士が決別し、死別する流れを意識させたいのか。
この作品単体で捉えれば良いのだろうか。しかしだ、鉤爪を見せたり、時限爆弾でチ~クタ~ク、ワニを怖がる・・・などなど、本流を意識させましたよねと。いやいや敵対していた彼らの共闘をパラレルワールドというノリで楽しむものなのか。
大人には腕っ節では叶わない分、もう少しピーターが知恵を振り絞り打開していくカタチが欲しかった。それをより意識させられれば大人と子どもの対比がより際立ったと思う。そうすればピーターとフックが単に慣れ合っているのではなく、それぞれに思うところ、強い意志があり、いずれ仲違いをするのかも・・・、なんだかんだ敵対関係になるのかも・・・ってところまで頭が行ったことだろう。
〇ピーター・パン
このピーター・パンの元ネタってのは何なんだ。孤児がネバーランドに連れ去られる。そこからの冒険譚。孤児は自分を特別だと思っていると院長。これは人身売買によって奴隷や強制労働に従事させられた子どもたちへの希望や光なのか。こんな状況下で強く生きた子どもたちへの賛歌なのか。
〇最後に
何で観たかってね~・・・、人魚観るためですよ。はじめにも書きましたがね、もっと出番欲しかったよおおおおおおおおおお。またどこかでお会いしたい。
ではでは・・・
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