2017年5月29日月曜日

標的の島 風かたか(2017)


~他人事だから~


〇はじめに
 結局他人事なんだよね・・・ これが分かれ目だよ。



〇想起する作品
 「瞳の奥の秘密」(2009)
 「シークレット・アイズ」(2015)




〇こんな話
 沖縄が米中戦争の防波堤の防波堤になろうとしているお話。



詳しくは・・・
 アメリカが米中戦争という最悪のシナリオを想定して日本を防波堤にしようとしている。日本はその防波堤という役割における最悪のシナリオを想定しさらに沖縄を防波堤にしようとしている。






〇疑念
 辺野古基地やミサイル基地建設予定地への抗議。1つ自然破壊という内容が含まれている。宮古島の生活基盤である地下水が汚染される恐れがあるという訴えは最もだと感じる。

 片やヘリパッド建設予定地に抗議する者たち。道は通っているものの、あの場所はおそらく普段人が踏み入らない土地ではないのか。そこに彼らは立ち入り、連日連夜抗議を続ける。この行動はどう受け止めるべきだろうか。

 抗議という活動の基盤を自然の中に構築する。テント等に始まり抗議をする上でその場所に少しでもと快適な環境を作ろうとしているわけだ。人間にとってである。活動家のリーダーが演説する後ろには大量の食糧が映り込む。人数に関わらずそこで人間の活動があるということはどういうことか。

 とある場面リーダーは袋詰めの菓子パンを手にしている。ペットボトルの水で喉を潤し、紙コップでも水を渡されている。

 私が気になったのはゴミの問題である。人間が生活を営む上で確実に避けられないもの。人間が介入することが無ければ発生しなかったもの。

 ここをもう少し気を遣って映し出してもよかったのではなかろうか。ゴミ置き場という場を設けていると。分別を行っていると。もしくはリーダーが集まっている者たちに対し、各自ゴミは持ち帰るようにと、場を汚さないようにとする注意があったっていい。撤去されていく車の中にゴミ袋が置かれていたっていいはずだ。その痕跡がこの作品内には無いのである。夜にはライトで場に明かりが灯っている。発電機を持ち込んでいるのだろう。これに伴う排気ガスはどうか。


 富士山はゴミの影響で一時世界遺産に認定されなかった。それを受け活動する方々がいた。

 W杯では負けて尚観客席のゴミ拾いをすると注目を集めた。


 沖縄が同じ日本であると、日本人であるとして訴える意志は尊重する。しかし日々ネットでは様々なことが囁かれている。それにより溝が広がっているのは事実だろう。その上で架け橋となるように、訴えかかようと説得力を持たせようとするのならば、日本及び日本人というものを世界から向けられた目線で、標的となろうとしている事以外でも捉えるべきだったのではなかろうか。

 建設による自然への影響と、抗議における人間活動による自然への影響と、ただ反対とする意志を強く押し出すよりも、こういった比較をもっと持ち出してもいいのではなかろうか。いやもっと気遣うべきではなかろうか。ただただそこが気がかりであった。



 現状私はこの問題に関して他人事としてアプローチするしかない。いや他人事としてしかアプローチしようとしていないわけだが、当事者たちにとっては活動する上でそんなことは当然の事としての何かしらの理解の浸透があるのだろうか。








〇ミサイル基地が無かったら標的にならないか?

 「ミサイル基地があるから標的になる」としているわけだが、この辺り誤解して受け取られている方がいる気がする。「風かたか」という言葉が添えられていることを踏まえねばなるまい。米中戦争におけるアメリカの防波堤としての日本。それにより関与する日本の防波堤としての沖縄。というお話で。

 つまり「ミサイル基地が無ければ標的にならない」としているわけではなく、「ミサイル基地を建設することで沖縄を標的とさせようとしているのではないか?」という訴えなわけである。「中国が沖縄を狙う」のではなく「日本が沖縄を狙わせ(る)」ようとしているのではないかという訴えなのである。

 漠然とした標的を前にどうするのか。その標的に点数がつけられたらどうするのか。というのがこの作品の言わんとしていることの一部だろう。



 極論を極論で返そうとするから意見が噛み合わなくなる。冷静に判断するための一材料としてこの作品には意義がある。



〇実際どこまでの説明が為されているのかはわからないが・・・
 捕虜になると機密が漏れる恐れがあるからと、旧日本軍には民間人を殺すように銃弾が支給されていたという。この国民を蔑ろにした旧日本軍の姿勢が基地建設における説明会等の現在の国の姿勢に現れている。詳細を教えない、具体的なことは明かさない、話を取り合わない。これは仮想敵国に戦力を分析させまいとする狙いもあるのだろうけれどもだ。




〇最後に
 沖縄に対するイメージが変わるよね。賛否両論あって然りなんだけど、日本としてどうあるべきなのだろうね・・・


 ではでは・・・


2017年5月28日日曜日

ワイルド・スピードX2(2003)

ワイルド・スピードX2


~カーアクション~


〇はじめに
 ヴィン・ディーゼル出ないのかこれ。



〇こんな話
  かっとべ! 俺のまぐな~む!!





〇カーアクション
 ブライアンの昔馴染みであるローマンという男の出現により、前作でブライアンがドミニクに注いだ視線のルーツが明らかになる。これにより前作で実現しなかったコンビによる共闘という面を強調し、ヴィン・ディーゼル不在という不安要素を払拭しようと試みている・・・のかな?



 さらに今作はレースという面を強調し、ひたすらにカーアクションを繰り広げる。ギアやクラッチの操作がしきりに挿み込まれ、ついつい身体が動いてしまうのではないか。




 車好きには堪らない作品だ。

 まぁ私は車に詳しくも別段好きでもないんですけどね・・・



〇最後に
 エヴァ・メンデス続投せんのか・・・

 ではでは・・・



2017年5月27日土曜日

ワイルド・スピード(2001)

ワイルド・スピード


~ノリが苦手~


〇はじめに
 「リッジレーサー」やりたいな。

〇想起する作品
 「ハートブルー」(1991)
 「ドロップ・ゾーン」(1994)



〇こんな話
 かっとべ! マグナ~ム!!



〇なんかノれないんだよね・・・
 潜入捜査を行う上で、最初にマイナスイメージを植え付けておいての、そのイメージからの脱却を転機にだんだんとグループに溶け込んでいく様は親しみを覚える。グループというよりドミニクに認められていく・・・か。固い結束のある輪に迎えられる、人望のある人間に認めれられる受け入れられていく過程というのは承認欲を満たすし夢がある。



  それを同じスタート地点から始まるレースというもので抜きつ抜かれつとして魅せたのも迫力があった。ストリートレースという競技の特性故の一進一退の攻防、勝利の分かれ目といったタイミングが、共闘からの対立といったブライアンとドミニクの立ち位置にも通ずる。



 そもそもまずはスタート地点に立たねばならない。同じ土俵に上がらねばならない。この一歩から始まる大活劇。見応えはあった。

 ただこのチャラチャラ感がね・・・、苦手。

 



〇最後に
 脇見運転あぶないよってのを最後挿んだんだよね、きっと。

 安全運転第一。ではでは・・・


2017年5月26日金曜日

残虐全裸女収容所(1972)

残虐全裸女収容所


~別にタイトルに釣られたなんてことはない~


〇はじめに
 残虐全裸女は何処??



〇想起する作品
 「ランボー最後の戦場」(2008)




〇こんな話
 革命には人員が必要だ。労働囚人収容所の女性たちを解放し子どもを作らせよう。


〇私は何を期待していたのだろうか恥ずかしい・・・

 でかいな・・・
  でかい




 なんかいろいろとぐちゃぐちゃしてる強引さを楽しむのかな。選り取り見取りなのに女性に興味の無い看守たちに、本来男たちはこの状況下でこう行動すべきという模範(外道)は邪魔が入りの、ホモ看守を襲う女性たちの集団逆レイプ・・・

 そもそも革命軍?が狙っていることはそこまでまどろっこしく考えなくて良いんじゃないのという・・・ 潜入する必要はあったのかな? 場所の特定と女囚たちの指揮は必要だったか。

 大掛かりなセットはわざわざ彼女たちの労働の場を作り出すためだけのもので、いやそのセットを作ったのは誰なんだよと。彼女たちに彼女たち以外に有益な環境を作らせるのではなく、彼女たちのために環境を整えて上げていたわけだよね。優しさが滲み出てしまっているよ・・・


〇最後に
 一時期こういう服の着方流行りましたっけ?



  この人にもう少し脱いで欲しかったな。
 ベッキーに似てる


 ではでは・・・

2017年5月25日木曜日

ヒッチャー2004(1998)

ヒッチャー2004


~ヤるのは早い~


〇はじめに
 いろいろと回りくどすぎるんだよ・・・ 



〇こんな話
 何か変な男乗せたった( ;∀;)



〇回りくどい
 主人公が見舞われる様にどこまで必然性があったか・・・ これに尽きるよな。

 妻の一方的な別れの申し出に原因が主人公(夫)にあるのではないかと観せていく。ギャンブル、タバコ(禁煙)、浮気性?・・・etc 仕事はやりがいがあるとし順調そうだが、我が強すぎる面も垣間見られる。自分の思い通りに行かないものは・・・ こういったところから彼に非があるのか、そうではなく単に無差別なのかといった混乱させる流れはよかったと思う。



 しかしどうも所々でお粗末。翻訳の所為かわからんけど逆に分かりにくくない?といった変な言い回しが多数あるし、その反面無駄に展開が早いときがある。乗った車がほんの数秒でガス欠て。何よりも殺し屋が無能すぎる。一刻を争う追跡でわざわざ衣装チェンジするか? 力入れるところそこじゃないだろ。時間の割き方がおかしいんだよ。地元民の繋がりを意識させながらたった独りしか描かなかった警官(保安官か?)を工事現場の兄ちゃんたちは把握していない。

 そして真相が明らかになるが、え~っとよく成功すると思ったねのオンパレード。不確定要素が多すぎる。もっとサクっと殺れよ。


 その割にこの流れ早いんだぜ・・・


 もうむしろ妻たちの計画を知っていた主人公が踊らされるのを楽しんでたって方が良かったよね。最後もう一捻りあればよかったかな。






〇最後に
 やっぱり自然が一番。たった数ミリでも違うもんは違うんです。


 ではでは・・・

2017年5月21日日曜日

キャビン・フィーバー(2016)

キャビン・フィーバー


~序盤から警戒心を抱かせてはダメだよ~


〇はじめに
 オリジナルをなぞってはいるけど踏襲すべきところは全く以て取り入れられてない。これイーライ・ロス監修入ってるんだよね?製作総指揮か。別段昔の作品ではないが現代に置き換えるというのは難しかったか。いやテンポを優先し開き直ったのか。まぁその作品に何を見出すかなんてのは人それぞれですけどね。この監督が見出したものと私の見出したものが違ったというだけで。でも気になるよね。



〇こんな話
 「キャビン・フィーバー」(2002)のリメイク。



〇優等生作品
 序盤から意味深な演出を盛り込みすぎ。不穏な空気を醸し出しすぎ。そしてイチイチやかましい・・・

 最初のこれね・・・



右のが今作→



下のがオリジナル↓












 オリジナルの何がおもしろかったのかというと、ざっくりだが警戒心の欠如をひたすらに皮肉ったことである。一見普通に見える(危険に見えない)ものに対して無警戒に行っていたことが後々明らかになる事実を鑑みてみるとやばいやばいとなるじわじわくる怖さなのである。

 そしてそれを段々と逆転させ、段々とあからさまに観せていく。無警戒な行動が起点だったのが、事前に警戒すべき対象を観せた上で登場人物たちの無警戒な行動を観せられることになる。被害が甚大になるまでの踏ん切りのつかなさにイライラするとともに馬鹿馬鹿しさを楽しむのである。我々鑑賞者に降りてくる通ずるモノがあると。



 終盤の警官が制服でパーティして銃を携帯していないなんてのもちゃんとしたネタだったんだよ。



 こんなかっこよくなっちゃうし・・・

 蛇口ひねれば水が出る件も機能してないし・・・ そして究極のレモネードも無い。



 ここはうまかったかな・・・ 血みどろの豚を触った手のまま水どうぞ。


 それぞれのシチュエーションにてそう判断するのが自然である、別段不思議に感じないとして事前に観せなければならないことが描かれていない。ベンチに座っている子どもへの警戒心、寄ってくる犬への警戒心、その村の住人の発言における警戒心・・・etc 

 何かが起こるとして構えていてやっぱり来たぁ~といのは確かにホラーの常套句ではあるが、「キャビン・フィーバー」という作品で描いたおもしろさってのは全く逆だったはずなんだけど・・・

 おふざけが無いというか、鑑賞者を嘲笑う要素が皆無なんだよね。良く言えば真面目、優等生。

 はじめにも書いたが緊張感を持続させようとテンポで観せることをしたかったのかな。

 まぁ若者たちが起点だったのではなく、その田舎というところの無神経さが先行していたと観れば・・・、オリジナルを踏襲しているということも言えなくはない・・・かな?

 ラストの件は昔なら揉み消せただろう閉鎖的な村の話を揶揄しているの?? 今はこんな代物がありますよと。情報は漏れますよと。ウィルスは漏れなくても・・・ってな皮肉??


〇最後に
 個人的にイマイチどう料理したかったのかがわからん作品だった。


 ではでは・・・



2017年5月19日金曜日

グランド・クロス ドゥームズデイ・プロフェシー(2011)

グランド・クロス ドゥームズデイ・プロフェシー


~未来予知~

〇はじめに
 一時期一世を風靡した2012年に世界の終末を予想していたマヤ文明関連のヤ~ツ。





〇想起する作品
 「アルマゲドン2012」(2010)




〇こんな話
 モアイ像の謎が今解き明かされる!!







〇未来予知
 未来を予知する杖。これにより見えた未来を変える(大惨事を防ぐ)ために行動するわけだが、段々と杖に見せられる事態をなぞることが主となっていく。

 ん? 未来を変えるために杖に見せられる未来をなぞるって?? どこにとっての未来を変えるんだ???

 事態を深刻に見た現在と、杖により未来を変えようと働きかける現在とでの状況の変化を加味しているのだろうか。しかし最初にエリックとやらが見た未来はそのまま反映されてるんだよね・・・

 ってことはどうなの? 誰かが未来を変えることすら予言通りだったってことになるよね。いやルパート・クレインがそう操作したのか。今まで的中させた予知も未来を変えようと動き出す人間を募るためで。つまりルパート・クレインが杖を手にしたときの未来を変えようとしていると捉えればいいか。



 いや待てよ、ルパート・クレインが動き出したことで事態を防ぐ路線は定まるよね。つまり杖が未来を見せたことで現象を防ぐのではなく、元々杖は現象を防ぐ未来(ルート)を見せていたって話になるよね。杖が導いたと。

 いやそういう話だったのか・・・

 いろいろと信用の置き方がはちゃめちゃじゃないかなこれ??




〇最後に
 ノストラダムスにマヤ文明と来て、そろそろ次のネタが欲しいところ。

 ではでは・・・




2017年5月18日木曜日

ハートブルー(1991)

ハートブルー


~道~


〇はじめに
 かっけ


 遠目に目を細めて見ると私に似てなくもないな。


〇想起する作品
 「ドロップ・ゾーン」(1994)

〇こんな話
 FBIサーフィンにハマる。



〇道
 署内の狭い通路を移動する際、度々並んで歩いている二人の間や脇を通る人間が描かれる。

















 この辺りを意識させての、



 これなんだよね。FBIの新人とベテランコンビと、サーファー素人とプロの意気投合と。交錯する。

 FBIという道を歩み始める新人が主人公であり、その道にどっぷり浸かったベテランと新人というコンビがまず描かれる。その2人の歩みと並行して描かれるのが、おとり捜査におけるサーファー集団との戯れ。彼らにもまた彼らの道がある。このそれぞれの道の交錯がテーマか。道に足を踏み入れる、歩む、精通する、究極は極める。共に歩む中で時に衝突し時に避け、道を違えることもある。譲れない道があり、通ずる道がある。どちらの道にも足を踏み入れたキアヌ・リーヴスが揺れ動く様が見どころか。




〇最後に
 最初のさわやかな感じから

 この渋さへオトしたのもよかったな。


 ではでは・・・


2017年5月16日火曜日

ザ・コンサルタント(2016)

字幕翻訳:岸田恵子


~悪の大小~


〇はじめに
 「50/50 フィフティ・フィフティ」という映画が一番わかりやすいと思うのだが、アナ・ケンドリックのあの相手との距離感を測りかねていたり、間の悪さに対する戸惑いや取り繕い方ってのが抜群に活かされた作品だ。ベン・アフレックだけでも十分だったが、彼女のおかげでより洗練されたものとなった。よく彼女を引っ張ってきた。もう私にとってはこれに尽きる。



〇想起する作品
 「PARKER/パーカー」(2013)

 「ガリレオ」




〇こんな話
 正義を完遂する。


〇悪の大小
 なるべく相手に気付いて欲しい、悟ってほしいとするコミュニケーションをとるクリスチャン・ウルフ。自分から積極的にアプローチすることなく、相手から答えを引き出す、判断を促そうとする。それに対して、父親をはじめとした半ば強制的に脅迫めいた言動で相手に選択させる(他の選択肢を与えない)者たちが描かれている。他人と相対したときのやり取りにおける対比がそれはそれはすばらしかった。

 クリスチャン・ウルフの行動の変化もわかりやすく丁寧だった。アナケンとのファーストコンタクト。彼は彼女を起こそうとドアを大きな音を立てて部屋に入る。何度も大きな音を立ててドアを閉じる。それに対し別れの際は彼女を起こさないようにと音を立てないように静かに部屋から出ていく。


 最初のパズルの場面。パズルとはカタチ合わせではあるが、通常(とされるもの)はカタチだけでは判別が困難なため、絵柄をヒントにカタチを合わせようとアプローチする。しかし彼は絵の方ではなく何も書いていない裏面でパズルを完成させようとする。

 その際彼はわめきだしてしまう。1ピース足りなかったわけだが、それに気付き落ちていたピースを差し出す女の子が描き出されている。彼らにしか気付けない世界があるのだと。私が普通や通常であるかどうかは別として、誰が決めたかは知らないが大多数が占めるからと自然と常識化された枠に属する人間が気付いてあげられない世界があるのではないかと。この繋がりの描き方に、この場面と後に明らかになる真実でついつい涙してしまった。


 悪に大小はあるのか。正義(大義)を全うするために時に不正や違法といった手段が有効な場合が存在する(かもしれない)。さらにそれがバレないとなったら。小さい悪と大きな正義とどちらが優先されるべきであろうか。未来で救済される大多数の人間か、今犠牲となる少数の人間か、どちらを優先するのか、切り捨てるのか。


 ウルフ(たち)はその小さな悪に対しても自らの正義を完遂する、見逃さない。としているわけだが、この議論が起こり得るのはその事件や犯罪の全容が暴けてこそであり、まずそこに気付ける(気付くことができる)、掘り起こせるとした彼らを描けてこそなのである。これを普通とされるモノとは別視点として表出させたのはうまかった。




〇最後に
 気づかないところで見逃される悪というものを表出させる手段としてうまいアプローチを思いついたものだ。上からのモノ言いだがうまかった。


 ではでは・・・




2017年5月15日月曜日

人狼ゲーム ラヴァーズ(2016)

人狼ゲーム ラヴァーズ


~負の連鎖~


〇はじめに
 なんか今回すごくゾクゾクする~





〇想起する作品
 「CUBE ZERO」(2004)
 「メイズ・ランナー」(2014)
 「バトル・ロワイアル」田口雅之
  ・・・映画は実は観てません。

 「BTOOOM!」井上淳哉




〇こんな話




 もうね・・・、わけわかんない(´・ω・`)


 彼らのふっかけや推理に毎回関心してたね。もう関心しっぱなしよ。あ~そうとも考えられるのかと。いやそう考えなければいけないのかと(トホホ)。 






〇負の連鎖
 キューピット1人と恋人2人という要素。ここで陥るはキューピットが誰を選ぶのかという勘繰り。村人と人狼の10人から2人を選ぶ。つまり選ぶ2人がどちらとも人狼もしくは村人、あるいはどちらかが人狼でどちらかが村人ということになる。確率的に2人とも人狼になるだろうことはほぼほぼ無いので排除して、ではどちらが話がおもしろくなるのかとなれば後者であるわけだが、その考える(疑う)段階を優先される勝利条件を基にキッパリと割り切ったのはうまかった。

 そして何だかんだ引っ張てきた運営という存在が垣間見られるわけだが、なぜこのゲームが存続しているのかという1つの答えを提示して作品は終わる。この連鎖の暗示がいや~怖い。

 ゲームに勝ち残るというより単純に生きたい(死にたくない)という根源的な欲求をベースに、手術費用や借金やゲームを止めるという目的及び理由の下プレイヤーが交錯するわけだが、主人公がさらに村人及び人狼及び恋人というそれぞれの事情に精通し揺れ動いてこそ活きるラストなのだろう。


 でもまぁわかりますね。この人(他人)を貶めたくなる感情は・・・


 果たして「そこ」とはどこなのでしょうか・・・ 意外と近くかもしれませんね。




〇最後に
 次はあるの~?無いの~?


 ではでは・・・



悪女 AKUJO(2017)

~アクションは爽快~ 〇はじめに  韓国ではこの方はイケメンの部類なの? 〇想起する作品  「ニキータ」  「アンダーワールド」(2003)  「KITE」(2014)  「ハードコア」(2016)  「レッド・スパロー」(2018)...