2016年1月26日火曜日

ピンクとグレー(2016)

~論点ずらし~

〇はじめに
 どこがピンク色なのかなぁ~ゲスゲス

 「こちらA地区、夏帆さ~応答願いま~す。」

 そ~れ~と~も~・・・ぐへへ

 ・・・え、そっちはグレー!!??

 orz

 申し訳ございません。無礼が過ぎました。


〇想起する作品
 「処刑惑星」(2009)
 「アーティスト」(2011)
 「ゴーン・ガール」(2014)
 「フォックスキャッチャー」(2014)
 「タッチ」
 「スーパーナチュラル」
  ・・・こんな話の回があった。天使に別の人生を歩んだとしたら的なネタだった気がする。定かではない。
 「午前2時のチャイム」
  ・・・世にも奇妙な物語で鑑賞。


〇こんな話
 全てりばちゃんの妄想と自己満足(自己擁護)の物語です。白木蓮吾(以下ごっち)視点、価値観、見解は一切描かれておりません。勘違い為されぬように・・・ 



〇騙される心理
 とりあえず勝手におなじみシリーズを少し。

 62分後に世界がピンクからグレーへ。これを視覚的にやられましても・・・ どっちかというとグレーからピンクへ移行する際にやってくれたほうが良かったかな~。色彩とともに、想像力の幅をどんどん狭くしていったように感じる。とりあえず62分以降とある場所から「ないものねだり」が私の中で流れ始めた。

 そもそもこの衝撃とされるものがなぜに起きるのか。我々の62分までの関心はいったいどこにあるのか。ここが問題だ。

 -ごっちがなぜ自殺したのか?-

というところがほとんどの人が関心を寄せるところではないだろうか。ってかメインテーマがここに定まるでしょう。サスペンス映画として大いに期待が高まる。そもそも自殺なのか? 他殺の可能性は? ???

 意識するところとしては、

 複数枚の遺書、姉の死、りばちゃんのごっちに対するコンプレックス(劣等感や焦燥感)・・・etc

 後々はっきりすることだが、りばちゃん目線で展開されていくわけである。一番側にいた人間として、ごっちの死にアプローチするわけである。死の真相を知っているとして。

 これを踏まえ、もしかしたらごっちにもりばちゃんが抱くような何かが逆にあったのかもしれない、という思考にも陥ることとなる。りばちゃんのごっちに対するコンプレックスや焦燥感等々を突き付けられ、ピンクからグレーへ、ごっちからりばちゃんへと、反転するのである。ここがラストの勘違いの原因でもあろう。

 もう一度確認であるが、ごっちを演じていたのは、りばちゃんであった。一番側にいたりばちゃんからのごっちという人間へのアプローチ。演じることでごっちと同じ道を辿り、現実にも辿ろうとしているという事実を真に受けてしまう。これにより最後の場面、ごっちの死の真相が勝手にごっちが語ったかのように刷り込まれてしまう。

 我々はごっちの死の真相に関してアプローチしていたわけだが、それをピンクからグレーへとなる部分で、2回ほど論点をずらされる。まぁこれが衝撃とされるもののトリックであるわけだが、それの示唆は事前にやっていた。

 途中話の流れからは何ら違和感なく言い争いになっている場面がある。ここは迫真だったように思う。


 で、どこに辿りつきたいのかと言うと、結局我々は何を見せられていたのかと。

 62分間追い求めてきて、変換(転換)場面によって見事にはぐらかされることとなる死の真相。飢えるんだ、答えに。焦らしプレイをされての最後突拍子もなく感じるごっちの出現。そんなことは気にせず、彼の発せられる1つの答えに喰いついてしまう。

 しかし意識すべきはそこではない。最後のごっちとされる人物とりばちゃんとの会話の中で注目すべきは、死の真相などでは決してなく、「わからない」「わかるわけがない」というところなのだ。

 なぜなら結局最後の亡霊は、りばちゃんの妄想だからである。母親に渡された姉のビデオを鑑賞しての、りばちゃんの自己満足・自己擁護・自己解釈に過ぎないのである。ごっちの姉へのコンプレックスなりはこの「わからない」という部分のアクセントに過ぎないのである。おそらくこの情報の優先順位を勘違いしている人が多数いる。注意されたし。


まとめると・・・  
 ごっちの死という真実に対して、この作品は決してごっちとりばちゃんという視点から、双方的なアプローチをしていない。そう思わせようとしているだけ。勝手に我々が思い込みたいだけ、と言った方がいいかもしれない。 

 個人的に姉のビデオを渡されてか、鑑賞してかで終わった方が良かった様に思う。最後がどうしてもとってつけたように感じてしまう。しゃれっ気を出そうと、衝撃とされるトリックに奔り、最後まで触れられなかった事象を最後にどうしても付けなければならなくなったと。死の真相を真に受けるとして、もっと情報を散りばめられたように思うがな・・・。

 結局論点ずらしが無ければこの作品は観れたもんじゃないわけで。ピンクからグレーへと、ごっちからりばちゃんへと転換を整理できないまま、考慮できないまま最後まで観てしまう方々続出ではなかろうか。層的に・・・。はじめにも途中にも書いたが、結局一方的な見解でしかないことに気付かなければならない。


 何だかんだ長くなってしまった・・・、とりあえずとは何だったのか・・・、終わる。


※「論点ずらし」としたが、正確には「焦点ずらし」の方が良いのかもしれない。ま、いいか。




〇最後に
 結局、他人のことは「わからない」ってことなんでしょう。しかし、どうせわからないからといって他人に対するアプローチを最初からあきらめるということではなく、如何にそのコンプレックスやわだかまりを自分の中で解消し割り切れるかというところなのだろう。・・・と私は自己完結した。

 ゴミ映画だったな。

 ではでは・・・



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