~善悪~
〇はじめに
善き人とは・・・?
〇想起する作品
「パニックルーム」(2002)
〇こんな話
このご時世、知らない他人をお家に上げてはいけません。
〇善き人に悪魔は訪れる
邦題を考えた人の思考を深読みする。
「善き人」とは誰だったのだろうか? と。
「善人に悪人が忍び寄ってくる」
という意味と
「善人(に悪魔が忍び寄ってきて)が悪人になる」
という二つの意味に解釈できはしないだろうか。前者は身体的なもの、後者は精神的なものと理解してほしい。
実際のところ彼の犯罪遍歴がどうだったのかはわからない。そこは省く。
この作品で悪人とする者が厚生するチャンスはあった。とある人物がいなかったから、とある人物が浮気していなかったら、とある情報を手に入れてなかったら・・・
確かにこれらは彼のチャンスや誠意を無下にするものである。しかしそれは状況的なものでしかなく、結果的に事を最後まで起こしたのは彼でしかない。彼の精神的なものが大きいのである。時折殺した際の光景がフラッシュバックしている。それを思い出させる言葉や状況があったわけだが。
乗っていたバンが止まるという状況は彼のあり方としての分岐点だったのだろう。脱走の際の銃を構えての均衡状態。交通事故による足の消失。目的地まで徒歩で行くことになったのは覚悟の現れか。ここから彼に踏みとどまるチャンスが与えられていたととることもできる。
裁かれる側の者と裁く側の者。男と女。夫と妻。といったように対照的でありながら、浮気をされたという共通点。彼の時折なされる彼女への質問は何を想ってだったのか。彼が家を訪れた時点で、浮気の事実を知っていた。相手を特定していたわけで。そして浮気という事実を知ることになった要因も彼にあった。
浮気に関して。浮気するのが必然という人もいるが、この場合選択肢は残されていたはずだ。最初の女性。男が脱走することが無いという前提での行動だった。そして最初の女性との浮気相手の男、夫。妻にバレないという前提。考慮する必要の無い事象かもしれない。しかし人間の独占欲、そして法律的に定められた一夫一婦制が浮気を悪と定めるのである。
要は状況次第で正義や悪なんて見方はひたすらに変わるもので。その時代、その場や雰囲気・・・、流動的な世界でそれをどう判断していくのかという見極めが難しくある。
〇最後に
我々はこの作品に対して、どこで・誰を・どのように悪と善と判断するのか。少し考えてみたかった。
ではでは・・・
ではでは・・・
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