~「スモーキン・エース」を日本でやるとこうなる~
〇はじめに 日本ならではの制限性が欲しかった。が率直な感想。
〇内容について
(日本ならではの)制限性とアクションの両方を取り入れようとして失敗してしまっていると感じた。アクションを取り入れるよりはもっと心理戦で良い気がする。誰が裏切り者なのか?そういったところにもっと鬼気迫るものがあれば、ここぞってところでのアクションが活きる。でもこの考えは最終的に頼りになるのは金や知恵より単純なる暴力っていうのが前提となる。ま、言いたいことは疑心暗鬼感が微妙ってことです。誰が敵にまわってしまうのかという。
懸賞金10億円ともなれば、犯人を狙ってくる連中はもっと老若男女いるはず。そして試行錯誤するはず。徒党を組んだり・・・。チームワークが日本のウリでしょ。皆がやってるから私もやる的な。そして真っ向から勝負を仕掛けすぎなんだよ。いや、それが日本の侍・大和魂という制限性なのか?
懸賞金掛けた奴。そんな金があるなら自らどうにかしろ。他人頼みすぎ。これが心理実験とかならまだおもしろかった。そして金に翻弄される大衆をあざ笑う姿や軽蔑するなどそんな演出をするべきだった。所詮世の中金なんだよ・・・的な。
〇演出関連
あとは大衆性ですか。
「正義とは」を問う感じ。これをSPの間だけで完結させるのはどうも。もっと犯人を襲ってくる側にも焦点を当ててほしかった(一応説明はあるが)。SPという当事者から観ればそれでよいのかもしれないが、せっかくの映画で第三者視点で観せられるのと、現代風刺も売りにするのであれば、グランドホテル形式にしてもおもしろいと感じる。ま、それだとそれなりに納得させられる答えが求められてしまうのですけどね。
前のと関連して警察関係者の日常描写がもっと欲しかった。現状把握がいまいちできず、のめりこめない。全部を観せるのではなく断片的に観せるだけでもいい。それで最後もどんでん返しにしろ、そうでないにしろ設定は活きるだろうし・・
最後はどうせなら全員裏切ってたとかにすればもっとおもしろかったのに。でもそれだと日本じゃあまり受け入れられませんね。
子供が「十億だってよ」とか話しあう姿や、中高生が爆弾作るとか学校で話題になってる、さらにはDEATH NOTEに書き込む真似ごとするとかそんな描写も欲しかった。これで考えさせる社会的な問題の幅が少しは広がる。
〇最後に
正義と悪とが完全なる対の存在として定義されるのであれば、この映画は「最終的に人間はどこまで悪に奔れ、正義を全うできるか?」みたいな幅を表現したかったのかなあと。正義と悪の間にいろんな人が存在してますよと。法=正義ではないし、大多数=正義でもない。何に人の正義は依存しているのか人それぞれであろう。何に・どこに・誰に・どの程度の正義を、悪を見出すのか。それはあなた次第です。都市伝説っぽくなっちゃった。
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