2017年6月8日木曜日

蝋人形の館(2005)

蝋人形の館


~〇〇だから〇〇のはず~


〇はじめに
 〇〇はこうあるべきだとして多少違和感があろうとそれ以上踏み込むことはせず情報を勝手に補うことで完結してしまおうとする心理をくすぐってくる。



〇想起する作品
 「クリーパーズ・キラーズ 悪魔のまなざし」(2011)



〇こんな話
 蝋人形で遊ぼう。


 



〇騙される心理
 最初に映し出される兄弟の比較。そして観せられる兄妹と妹の彼氏を巻き込んだ諍い。きょうだいはこうあるべきだとする在り方を説かれ、どうしても対立する両者で関係性に終止符を打ち話を進めてしまう。そして掘り下げられるそれぞれのきょうだいのドラマ(真実及び秘密)。いや~やられたぁ~。

 「エスター」という作品が典型的なのだが、自分がそうあるべきだろうとして勝手に作り出した前提を基にとある事象にアプローチすると勝手な補正が行われるという盲点をジャウム・コレット=セラという監督は突いてくる。 

 よく扱われる題材で言えば錯覚と言っても良いのかな。何に見えますかと提示されたモノに対し、何かしら見えるわけだけど、それを別の観点で照らし合わせると全く異なって見えるってヤツ。正面向いた顔か横顔かとか、全く異なる長さに見えるが実は同じ長さでした~とか、違う色に見えるけど同じ色ですみたいな・・・ 


 最初に暴れている子どもとね、



 なんかちょっかい出してくる奴はすぐに繋がるけどね、

 何か親切にしてくれそう??かな??ってなこの人に直結できるか。 


 葬式中にちょっかい出したのは若者たちの方だし、鍵が開いているということにして蝋人形館には侵入するし、ガソリンスタンドでお金置いとけば中の商品もらってっても問題ないとする精神を見せつけられてよ・・・

 なんか怪しいんだよね~そうでもない気もするけどね~と曖昧に観せているのがさらに判断を鈍らせる。事前に見せている大人しいらしい兄弟と死骸を処理している人間を見せることでの誘導も見事。


 人気の無い森の中で、動物の死骸処理をしている怪しげな人間から逃げるカタチで街に辿り着いたらね。何か期待するし安心してしまうよね。この心理に付け込んでのこれよ・・・

  ここは後々明かされた真相でゾッとしたね。




 いや~気付かないよね。だって疑う気すら起きなかったからね。






 その光景はこうあるべきものだとして勝手に補ってしまっているわけである。しかしそれ故にその場の空気や雰囲気を読むということができる。常識やマナーといった話である。人と人との間を取り持つ上でこの要素は欠かせない。

 結婚式で「ご愁傷様です」なんて言わないでしょ?

 お葬式で「おめでとうございます」なんて言わないでしょ?

 この心理をおちょくる上で兄貴のムードクラッシャーが良い味になってるのよね。


 全部蝋人形だったとするところに、実は人間に蝋をコーティングしただけの蝋人間だったって話はさらにおちょくりをかけている。


 そして最大のやらしさがこれよね・・・

 キョウダイという関係を照らし合わされ、さらには双子で何やら秘密があるようだとして決着を迎え綺麗に収まったかのように観せての・・・



 いつから兄弟が2人であると錯覚していた?

 双子だからといって兄弟が2人であるとは限らないわけだよね。後出し設定というわけでなく、晒された情報を勝手に繋ぎ合わせて勝手にお前がそう思い込んでただけじゃん・・・と。最後までおちょくられたよ。




〇最後に
 ジャウム・コレット=セラの作品の中では一番好きかもしれない。何だろうこの嘲笑われてる感っていうのかな、嫌に感じないんだよね。

 ではでは・・・



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