~意識~
〇はじめに
この作品を観るまで、ドリカムとELT(持田香織)が同じものだと思っていたのは内緒のお話。
「ライリー♪ライリー♪」じゃねえよ(笑) この段階で誰もライリーなんて認識してねえだろが。で、この次の短編も歌ってたでしょ。すごい構成だね。
〇想起する作品
「脳内ポイズンベリー」(2015)
扱う年代が違うわけなのだけれども、脳内の方がおもろかった。
〇こんな話
ライリー、こっちを向いて。
〇意識
う~む、ライリーとは何なのか。ライリーという意識は何ものなのか。
ライリーの中に存在する5つの感情と愉快な仲間たちとその他もろもろ。この世界で壮大に冒険するのはワクワクするところなのだろう。しかしだ、導入により私はいきなり腑に堕ちなくなる。気になったのが最初に入る喜びによるライリーの世界の説明だ。ライリーと感情たちの関係がどういうものなのか。なぜ「ヨロコビ」は全てを知ったかのように話すことができるのか。彼らもライリーなのに。これでは彼らがライリーなのではなく、ライリーが彼ら感情たちに操作されているロボットのように思えてならない。ライリーの葛藤にどうしても見ることができない。ライリーと感情たちとが別のものに感じられてしまう。故に「ヨロコビ」のでしゃばりと、「カナシミ」の意味不能(意味不明理解不能の造語)な行動原理がひたすらにうざい。吹替えの所為もあるのかもしれない。そこで陥ってしまう心理。悲しみを思い出の捨て場?だっけかな・・・に落としちまえよ。永遠に封印しろ。
子どもならではで(どの年代もかな)、感情の整理がつかず説明のつかない心情に襲われることはあるだろう。それを示したかったのかもしれない。しかしだ、それならばそれぞれに名前を明確につける必要は無かっただろう。まぁ対象とするところがあるから仕方ないんだけどさ。
行動や判断はどのように為されるのか。意識の前の無意識下で信号が発せられているといった話を聞いたか読んだかしたことがある。これなのかな、感情とライリーとを操縦者とロボットのように描いた理由は。
まぁ最初の思い出を喜び色に全部染めるというのが、最後それぞれの感情の色の混合玉になっていたのはうまかったのかな。悲しみと喜びが際立っちゃったけど、他の三種類も混ざってましたしね。
唯一おもしろかったところね。ライリーの理想の彼氏とやらが当にそのまま人柱になるという演出ね。あちらで人柱なんて表現があるのかないのかはわからないがウケたね。ライリーの成長がこの映画のテーマでもあるわけで、さらには思い出の墓場だかごみ箱だかと相まってね、歴史とは犠牲の上に成り立っていると。ここまでにつながる。隠されたメッセージかなと勝手に納得。
〇最後に
正直ね、私の中の機関士が休憩に入るところだった。誰も起こしてくれそうになかったからがんばったけどね。女の子の内側という一番おもしろくできる要素をね、やはりこの年代だといじれないところがあるから少し厳しいかなと。ついついネタを期待してしまう自分がいるわけで。先に真木さん観ちゃってるからね。続編でR15くらいならもっと興味あるかな・・・。・・・・・。
ではでは。
0 件のコメント:
コメントを投稿