~対テロ思想~
〇はじめに
アメリカだけでなく欧州各国でテロが頻繁に起きているけど、対テロを掲げる者たちもテロリストも互いに抱いている思想や得ている情報ってのが段々と不鮮明というかズレて来てるんじゃないの? ただ互いの謂れの無い恨みだけが残っている。そして独り歩きを始めている。「ベルファスト71」(2014)で抱いた勝手な印象だけど、イギリスの分裂している状況と同じなんじゃないかな。日本が韓国とひたすらに揉めているモノがあるのも同じ現象じゃないか・・・
〇想起する作品
「マーシャル・ロー」(1998)
「4デイズ」(2010)
〇こんな話
ボストンマラソンにおけるテロの事後対応。
〇対テロ思想
現状歯止めの利かない根本的な解決など見えてこないテロリズム…対テロ戦争としておくか。その戦いの中で完全に抑止できない未然には防げなかったものに対して後手にならざるをえない者たちの、次に予測されるテロを防ぐためにあちこちで出てくる杭をひたすらに潰していくしか策が無い一刻一秒を争うプロフェッショナルに徹する捜査、人海戦術は見応えがある。
テロ“だけ”というより理不尽不条理な事全般に対して、と見た方が良いのかもしれないけれど、テロに対してどのように立ち向かっていくのか、といったことが掲げられている。独り独りの心の持ち様といったミクロな視点でならこの考え方は容認できる。しかしそれが度を越えると何が起きるのか・・・
愛と憎しみ、善と悪といった二元論で語られるべきなのかどうなのか。理不尽不条理に対して愛だけで乗り越えられなかったからこそ、屈してしまったからこそアメリカへの復讐心が勝りテロへと奔った者たちがいるのではないのか? 9・11には陰謀論等諸説あれど、アメリカ国民の恨みは愛だけで乗り越えられたか。憎しみがどこかに向かわなかったか。イスラム教徒という漠然とした敵を生み出さなかったか。
テロという思想及び行為によって人を殺めることは決して許されるモノではない。断罪されて然るべきだとも思う。しかし彼らが背負っているモノは無かったか? 彼らに果たして愛が無かったと言えるのか? では何故彼らはテロへと奔ったのか?
テロリストの兄弟の描かれ方は社会に対して漠然と抱いている不満が爆発した結果の様にも見える。ムシャクシャしたから殺った。誰でも良かったとでもいうかのように。これではまるでテロリストがポッと出て湧いたかの様にも感じられてしまう。
この事件もいろいろときな臭いのか・・・ だからこそどこか釈然としない実行犯の描かれ方なのかな?
迅速な事後対応を徹底した警官や捜査官や医療関係者の方々は賞賛されて然るべきであろう。しかしさらに事後テロへとアプローチするに当たり、もう一歩踏み込んでほしくあった。それだけが少々残念。
〇余談
銃撃戦においてテロリスト2人がやたら爆弾投げるんだけど、これってFPSにおけるグレネード感覚のものってことなの?
何百発の銃撃戦の最中、独り横だか後ろから回り込むJ・K・シモンズのベテランの風格は堪らなかった。
〇最後に
「キングダム 見えざる敵」とか撮ってる監督なのに、この作品にはあまり皮肉が見えないよね。
ではでは・・・
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