~備えあれば・・・~
〇はじめに
犯人を知能犯だと観られるか、単に警察(刑事)が馬鹿だなと観てしまうか・・・
〇想起する作品
「ブラックサイト」(2008)
「ワナオトコ」(2009)
「パーフェクト・トラップ」(2012)
「ネイバーズ」(2016)
なんかマーカス・ダンスタンっぽいんだよね。
〇こんな話
百聞は一見に如かず。あとは実践あるのみ。
〇あとは自分で考えろ
教訓と後知恵は今日ではなく明日役に立つ・・・
失敗から学ぶって話ですね要は。失敗という結果から原因を探り次の成功への糧とする。
しかしこの作品が説いているのは、教訓と後知恵は決して答えではない、ということ。それは役に立つかもしれないし、立たないかもしれない。というよりどう役立てるかはお前次第だと。
先輩刑事の武勇伝を聞いてるだけで優秀な刑事になれますか? 犯人逮捕できますか? そんな簡単だったら先輩刑事たちは苦労してねえよ…と。
実践へと向かう上での心構えみたいなもんなんだ。何も知らないで現場に入るよりある程度予備知識あった方が入りやすいよね。その程度のもん。あとは自分で考えろ・・・
ポーカーナイトなる刑事の集い。情報共有情報交換のための刑事のネットワーク。ベテラン刑事による新人刑事の育成と勉強会。
新人刑事である主人公がポーカーナイトにてベテラン刑事の捜査を追体験していくことになるわけだが、主人公がその追体験と自身の経験とを照らし合わせて犯人と対峙していくように、鑑賞者もまた主人公が見舞われる脱出ゲームを追体験するといった図式に落とし込もうとしている。
ベテラン刑事の経験を活かし、犯人に立ち向かう新人刑事の失敗を目の当たりにして、はて自分だったらどうするだろうか?…と。ここが面白いところなのだろう。
ここで皮肉なのが我々鑑賞者は結果論でしか語れないところ。さらには部外者(第三者的な立場)だからこそ見えてくる情報を頼りに最適解を示そうとするところ。ついつい刑事たちの思考や行動(原因)があったからこそ結果が見えてきたということを忘れがちになるところ。
自分自身で成功にしろ失敗にしろ何かしらを経験しないとわからない事がある。見聞するのと自らが実際に経験・体験するのとでは全く印象が異なる。当事者と部外者と、主観と客観と、物事の見え方ってマルっと変わる。
ベテラン刑事たち馬鹿じゃね? 主人公アホじゃね? 鑑賞者に自分だったらこうするぜと想わせることこそがこの作品の狙い。これが教訓と後知恵。
じゃあそれを次は実践で活かしてね(にっこり)
活かせるといいね(ニッコリ)
いずれ直面する何かしらの事態を前に、頭が真っ白になっている自分が想像できる((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
だが恐れるな。そのための教訓と後知恵という理論武装だ。不安を完全に排除することはできないが抑え込むことはできる。
あとは・・・震えて眠れ。
ちょいと皮肉を利かせてるんだよね。
ちょい不満というか・・・
本当に賢い奴は捕まらない。これをどう捉えるかなんだよね。刑事たちの知恵を結集した結果犯人を追い詰めるに至ったのは事実。ただ取り逃がしてしまった。犯人が一枚上手であった。としているわけだけど、犯人が有能であるというより明らかに刑事が馬鹿ではないか?と映ってしまうのよね。だって何ら教訓活かせてないじゃん(´・ω・`)…と見えてしまうからね。手錠は効かないと後悔した直後に犯人を手錠で捉えて御の字とかさ。
それを踏まえるとポーカーナイトの実態って…経験豊富だろう先輩方のありがた~いお話を拝聴できる新人刑事のお勉強会も兼ねたことでの単なる自慢大会というか、過去の栄光を持ち出して勝利の美酒に酔いしれるためのものでしょwww ってな考えに陥る・・・
まぁ犯罪捜査なんていつスタートしたかもわからない犯人が先手の追いかけっこだからね。しかも犯人たちは待ってくれないときた。後手にならざるをえない刑事たちの少しでも犯人との差を詰めようとするあきらめない姿勢として見ればいいんじゃないかな。
〇最後に
犯人が捕まらないことでどこか後味は悪いが、捕まえられてたら鑑賞者に彼の得た教訓や後知恵が我々に対する答えになってしまうからね。仕方が無いね。
ではでは・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿