2016年9月1日木曜日

ほしのこえ(2002)

ほしのこえ


~距離~


〇はじめに
 「君の名は。」を観たい。

〇想起する作品
 「エヴァンゲリオン」

 「モールス」(2010)
 「エンド・オブ・オデッセイ」(2013)
 「インターステラー」(2014)
 「インター・プラネット」(2016)



〇こんな話
 世界。

〇距離
 世界という括り。今や携帯の電波が入らないのはネタに(馬鹿に)されるくらいだ。ほとんどいつでもどこでも誰とでも繋がれる手段を我々は有している。人間は遠方の人間と連絡を取り合う手段としてあらゆる発展を遂げてきた。特には速度だ、そして正確性。


 私の無い頭を捻っていく・・・

 まずは伝令及び伝言ゲームか。人の足で聴いた言葉を伝えていく。人の口から発せられた言葉が人の耳を通しまた口を伝いまた人の耳に入る。文字が発達していない時代は、読み書きができない者は、どうやっていたのだろうか。

 そして手紙か。今や航空便等世界を繋ぐが、昔はどうだったのか。


 言葉という手段以外も考えるべきか。例えば狼煙。正確に明確には状況を伝えられはしないが、事前にある決まりごとを設けておくことでその役割を果たす。


 こんなことが今や携帯端末一つで事足りてしまう。人との距離を感じなくなってしまった世界とでも言うのか。正確には違う。正確に言うなれば、人との距離を測れなくなってしまった、ってなところだろう。

 この作品はこの人と人との距離というところを淡い青春ネタ(恋愛ネタ)と、時差といった時間のズレと、世界という物理的な括り(距離)において見事に描き出していると感じる。


 最初の二人の直接のやりとりが、携帯電話におけるメールのやりとりに抜群に効いてくる。会話は言葉のキャッチボールとされるが直接であれば、手が触れられる距離であれば他にも判断材料があるわけだ。咄嗟に感情の起伏を見せるミカコ。興味なさげなミカコを気遣うノボル。一見このやりとりに時差(ズレ)は無いとして見せるのもうまい。しかしそれは表面的なモノ。この距離が徐々に徐々に開いていくメールでのやりとりがまたやるせない。そして・・・

 距離ってのもね、それぞれの地点(位置・座標)が定まってこそなのよね。これが最後の「ここにいるよ」ってな話なのよね。いや~よく考えるよ・・・




 2046年にあの携帯の型はないだろうと書かれている方がいたのでここで補足しておく。

 これが作られた時代にはあの型の携帯電話というものが当に画期的なものだったことを考慮しなければならない。人と人とを結ぶ手段としていつでもどこでも繋がれる可能性を秘めたものだったわけだ。

 少し遡るのならば固定電話。決まった場所に行かなければ連絡は取れなかった。そして恋愛ネタでは好きな女の子に電話をするのに、家族の誰かを介する危険性がある・・・など。今や何かあれば携帯電話を取り出しイジりはじめるが、昔は電話まで駆けつけたわけである。「となりのトトロ」なんかを観れば雰囲気は伝わるか。「スティング」もオススメしておこう。

 あらゆる場所で特定の人物と正確に情報をやり取りできる手段としての携帯電話。この認識と、この作品の世界とを繋ぐ上で、あの携帯電話の型は機能しているわけである。単に長峰とノボルを繋ぐものだけではないわけだ。







〇最後に
 何だろう、切ない・・・



 ではでは・・・




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