~復讐~
〇はじめに
「NINJA」の続編。この話の流れは、忍者とは無関係にし、ジェイソン・スティサムやリーアム・ニーソンがやると絶賛される。ストーリーの問題ではなく、単に忍者を関わらせようとしたことがそもそもの失敗。日本人にはウけない。
おそらく後にも先にも一番日本文化に近づいた作品ではないか。そしてこれが限界。あきらめましょう。
〇こんな話
最愛の妻を殺された。やられたらやり返す。倍返しだ。
〇復讐
忍者としているが、細かく言えば武道の精神を説きたいのだろう。それ故に復讐との釣り合いがとれていない。日本文化における誤解よりも、そちらに違和感を持たれる方の方が多いのではないだろうか。
詳しくは前作で書いたものを参照してほしいのだが、彼が辿ろうとしている道は何なのか。不動心とされていたものは何なのか。今回は最愛の妻を殺されたことで復讐心にかられることとなる。無双開始・・・ え?・・・ 収拾つかなくなるならやめればいいのに・・・
せめて辿りついて欲しかったのはスーパーモード→明鏡止水ですよ・・・
今作のケイシーは前作にて悪としたマサヅカが行ったことと全く何ら変わらないことをしているのである。おそらくわざとダブらせるようにも描いている。とは思ったのだが、意図したものだったとして、なぜこんなラストが意味不明になるのか訳がわからない。
ラストケイシーのやったことの解消として、彼を正義として立たせるのに、巨悪の存在を立てれば良いというわけがない。いやジェイソン・スティサムとかなら問題は無い。しかしこの作品には、説かれているものがあるんだ。それを無視して無理やり落とし所を探り、どこに落っこたかわからない仕様になってしまっている。笑うしかない。
ざっくりまとめちまえば、結局利用されただけでして・・・
自らとは全くの無関係な世間では悪として名が通る人間を個人的な理由及び勘違いから無双しました。ってな何とも武道の精神からはかけ離れているのではないかと気になってしまう内容だったわけだ。
結果的には良かったんじゃね? とはならんよ・・・ねぇ・・・
しかしミスリードとしてはなかなかうまくあったと思う。復讐の相手がチンピラ2人じゃなかったと挿み、段階を踏ませたところは関心した。
だがしかし、予告編にてケイン・コスギのアクションを挿んでしまっているので、これが目的を果たしたとしても観られないということは・・・と勘繰った方もいたかもしれない。
〇余談
そもそも日本文化をわかってねえなと思うところはですよ・・・
歴史や伝統を変に重んじることでしてね。歳をとるだけでなぜか偉くなっていく、勘違いしていく。そしてそれを崇めちゃうシステムを作っちゃったからそれまた悪循環。これですよ、独特な日本文化。
ケイシーが前作で鎧櫃を受け継いだじゃないですか。あれは仕方なくそうなったんだったか? それほどの存在が先代に道場の歴史は聞かんもんなんかな。それがあったとするだけで、ケイシーへの信頼が示せると思うのだが。それにマサヅカとケイシーの関係は、武田先生とゴローの兄との関係とクリソツだったんでねえのけ? 歴史は繰り返されるとかテキトウに含みを持たせられたとは思うけどな~・・・ 別に後付けだから気にするなとすればいいのかな・・・ いや全てケイン・コスギの企みとするのか・・・
ずううううううううううっと長い間受け継いできた守ってきた精神があるわけでしょ。それでマサヅカだって破門にしたわけですし。それが今作でド~ドドドドドド~っと簡単に崩れ去る。愛と引き合いに出しちゃえば解消されんじゃねと思ったのか思わなかったのかもテキトウな感じね。・・・そりゃ理解できないでしょうよ・・・
〇最後に
人気のある復讐劇、そしてなんかかっこいい忍者。これを掛け合わせておもしろくないはずがない!! そんなノリでしたね結局。
復讐の動機はある。そしてそれを果たせる実力がある。アクションというジャンルでは何とも心躍ってしまうシチュエーションである。そしてそんな作品が大好きな拙者ではあるが、これはいただけなかった。残念!!
あ、次やるなら女忍者でお願いしま~す。Vシネで見飽きてるか。対魔忍ですかそうですか・・・
ではでは・・・
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