~運命~
事実は小説よりも奇なり・・・なのかな。
こんな人生無い無いと見るか、こんな人生もあると見るのか。
〇想起する作品
「グリーン・マイル」
「CUBE ZERO」(2004)
「デジャヴ」(2006)
「DEATH NOTE」
「エキストラ」
・・・世にも奇妙な物語にて鑑賞。
〇こんな話
茶助が人助け・・・ おもしろ!!!!
・・・お茶を吹き出してしまった方いましたら申し訳ございません。
〇脚本
小説の中の人間に恋をしたとするのか、漫画やアニメにドラマや映画の中の人間に恋をしたとするのか。パロディを途中絡めたのはそれの解消のためか。
誰もが一度は思ったことがあるのではなかろうか。自分があの世界にいたらこうやってみたい。良い意味でも悪い意味でもこんな力を得られたらと。
天には脚本家がおり、下界の人間が歩むシナリオを書いている。あの方とやらの大ざっぱなメッセージにいちいち振り回される脚本家たち。そしてそれぞれの脚本の連動。脚本が、1人の人間の行動が、それぞの脚本に、1つの人生に影響を与えていく。
脚本に書かれた女性に恋心を抱いていた。そんな彼女が事故に遭い死亡してしまうシナリオが書かれる。シナリオの影響を受けない茶助が今地上に降り立つ。
たかだか数十年しか生きていないのでこの辺りわからないのだが、どうも意図や意味を汲み取ろうとしない人が増えたなと。まぁこれはネットの普及により声を上げやすくなったのと、そういった声ばかりが入りやすくなったこともあるのだろうが。そういうのを気にしない人の方が平気で声を上げるのよねまぁ。
他者を否定することが一番に簡単で一番に効果のある自分の肯定方法だということは認める。正確には自分を肯定しているわけではなく、他者を否定することで自分をその反対の存在足らしめ肯定しているとしているわけだが。
今私がやっていることが当にそれだ。優越感に浸りたいのである。私だけが真実を知っていると。そして他者を見下す事こそが自分はその者たちより上に立っていると、究極違う世界の人間なのだと安心を得るのである。逃避するのである。
話が逸れたので次の項目で戻ろう・・・
〇運命
運命は変えられる。これを少し吟味する。
脚本は歩む道を定められているのではなく、より良い人生を歩めるようにとの指針に過ぎない、と言ったようなことが話されていた。結局は自分だと。自らの力で道を切り開くのだと。
茶助の力を頼りに病人が押し寄せる。藁にもすがる想いで来たはずであろう人間たちが、早く治せと悪態をつき始める。まぁむかつくわけだが、実はこれもまた運命に抗おうとした結果であることを理解しなければならない。
自分の力で道を切り開くという事。これは1つに自分本位になるということが挙げられる。誰でも自分の命がかわいい。そして家族に始まり近しい者の存在の命が大事なわけである。命を天秤にかけているわけである。
治った病人たちが必要の無くなった車いすを置いて行っている画を見せたのも良かった。この自分本位というところが伺い知れる。
そんな様を観せられた後、茶助がユリを最優先に助ける様を見せつける。周りで他人が苦しみ死んでいるのにも関わらずだ。
茶助がシナリオを打破しようと試みたこと、茶助を頼った者たちの醜態、というのは根本的なところで同じなのである。命を天秤にかけ優先順位をつけただけのこと。そして何より自分本位だったことだ。これを玉城ティナ演じる茶子の恫喝で手助けしている。
茶助の存在と病人の存在。治せる力があるのに治していないということだ。茶助に責任があると。
茶助はユリのために、ユリの運命を変えるために地上に降り立った。これが最終的に茶助に還ってくるという構図なわけだが。ここで省みるのである。自分本位だった姿を。自分だけが治ればそれでいい。他人への迷惑なんて関係無え。そんなんでええんか??
大野いとかわいい
〇最後に
1つ1つのコップにお茶が注がれていく画。ラーメンの器とも掛かっていたのか。器にあったラーメンをお客に届ける。1つ1つの器に満たされていくものがある。な~んて。
ではでは・・・
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