字幕翻訳:林完治
~ ・・・と思うじゃ~んww ~
〇はじめに
これは騙されたいと思って観る作品ではない。騙されまいと思って観る作品だ。
オチに触れます、ご注意を。
〇想起する作品
・「ユージュアル・サスペクツ」(1995)
全体的な流れ。捜査官が信じ込む過程や状況はこちらの方が秀逸。まぁピエロさんではやりようがないジャンルではある。
・「ファイトクラブ」(1999)
というより多重人格系の映画全般かな(テキトウ)
・「プレステージ」(2006)
あのシーンですね。痛い痛い。
・「ウェイストランド」(2012)
これが一番近い。これの元は「ユージュアル・サスペクツ」だけど。
BGMというかテンポで見せようとするところはどこかアダム・ウィンガード監督を想わせたけどな、異論反論あるでしょうが。
〇こんな話
・・・ボツ
TAKE2
ピエロ「と思うじゃ~んww」
〇騙される心理
最後の最後までどちらともとれる作品に仕上がっている。0と1と掛かってたんかな。これだという決め手が最後の最後まで明かされない。核心を持たせない。可能性の1つとしては考えているであろうが。故に私のような自称映画通は騙されたと認めないであろう。ただの負け惜しみだが。
彼の証言を基に推理する。この構図がすでに怪しむべき事象であることは、この手のジャンル及び作品が好きであれば否が応にでも気が付く。故に彼の証言に対して疑ってかかることとなるわけだが、疑ってかかるが故に辿りつく1つの可能性。捜査官との答え合わせ。ここまではうまくできている。そこで一安心させてからのもう一件というオチ。ここだよね問題は。オチが明かされるまで、どこまでが真実なのかという線引きができないようになっている。頼るべき情報が彼の証言のみだからだ。真と嘘が混ざっていることは確実。しかしその選別は受け手の勝手。終盤の刑事の聞き込みは都合の良い真実の抜粋であっただろう。これこそがおもしろさであり、むしろ最大の欠陥である人間(我々)ってところにつながるわけだが、卑怯っちゃ卑怯ですよね・・・。
流行ったか流行ってるかは知らんが「と思うじゃん」ってな言葉がありまして。この話の作り方だと、捜査官が多重人格ではなく複数犯だという推理に到達しても、多重人格でした~ってなエンディングにできなくもない。ひっくり返しやすいエンディングなわけで。このカタチは引っかかる人多いだろうな。
しかし捜査官目線で観ることにより、同じ推理に達していたならば、こちらを立ててくれてもいる終わり方になっていたりする。後味としては良い方だろう。
・かつおよろしの自己擁護
最初に捜査官と同じ推理に達したのは、「真逆」ってな言葉が使われたところですね。マックスという存在が現れたところの主人公ベンヤミンの解説。騙そうとする気で作るのであれば私であれば必ずそうするであろうと。まぁ「嗤う分身」「複製された男」を観たからではあるのだが。自分と反対ってのは割と容易に想像ができるんですよ。無意識に囚われているコンプレックスといいましょうか。逆に同種は同族嫌悪というように認めたくなかったりするもので。あとは範囲が定めにくいといいますか。それが巡り巡って自分とは正反対の存在を見出すと。
あとはこれを裏付ける証拠としては「ビンゴ!」ってな言葉。唯一4人が、いや3人だったかな? 共通してつぶやいた言葉じゃないですかね。
痕跡を残していくとかもあるんですけど。際立たせるためにわざわざ三猿や梟にしたのでしょう。
最後はぶっ飛んじゃって捜査官も1つの人格なのかと思いましたよ。「アイデンティティー」になりますけどね。むしろこれがあるからできなかったオチなのかもしれません。 いや敢えて意識させたのか。
ハッキングという複雑なプロセスを電脳世界と現実世界とに介在させることで、思考の複雑化と捜査官と同じ目線での盲目化を狙った単純なトリックだったね(キリッ)
ハッキングという技術。これを万能にしなかったことがミソなのか。全てを部屋の中で完結させるわけでなく、現地に赴く必要がある。痕跡を残す、人間という欠陥を散りばめる。ここに物理的に可能なトリックなのかどうなのかという疑問も介入して・・・
アバター(としよう)を介した電脳世界の演出と、ピエロの仮面の件。さらにはひたすらにフードを脱ぎたくなる取り調べ中のベンヤミン。MRXの正体。中身、正体は誰なのかと・・・ 現実において、電脳世界において、本当に複数犯なのかと。数はそれぞれ一致するのかと。
事は単純さとベンヤミン。そう単純じゃないのよと捜査官。この交わした言葉が全てだったと。「オッカムの剃刀」ってなのに対して「事実は小説よりも奇なり」ってな言葉もあるわけで。人間の思考の関与が事態を単純にも複雑にもするわけで。
〇物
そういや勝手に行きついた答えだけど、ハッキングという限られたパンピーとは一線を画すジャンルにおいて、誰も気づいてくれなくては意味が無いと、俺らは特別だぜという自己表現に躍起になってしまう。そのためにバレるようにやる、ハッカー界のカリスマに認められたくて様々なところにちょっかいを出しているってのがそもそも小物の証で皮肉になってるのか。何とも子供じみた事をしているなと。そして最後のMRXの正体というのもさらに皮肉の上乗せになってたりするのか。本物は終始バレない。知られない。表に出てくることはない。
いやいや、若者故ということなのか。承認欲求のお話・・・
〇最後に
ハリウッドがリメイク権を争奪し合っているのだとか。これはこの作品の完成度に対する評価ではないだろう。我々ならもっとうまく魅せられるというアイデアに対する評価であろう。
100%騙されるという謳い文句。これも騙されるか騙されないかは50%としておけばいいものを。成功確率がいくら低かろうが、結果は失敗か成功かの二択であって、やる前は50%の確率でしょ。成功確率〇〇%じゃないのよ。成功か失敗か、ハーフハーフなのよ・・・。宣伝の方法としては成功してるんかな。煽った方が挑戦的で客は来るのか。
ではでは・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿