~本~
〇はじめに
王子様まんまやないか~い。敵対する側の奴にしとくのがこの手の話の流行りやないんか~い。図書隊を正義として描きつつも闇の部分があると。それに絶望した、純粋が故にその正義に心酔していた人間はよりよく悪に奔る。そんなカタチが観たかった(どっかでそんな話があったな、忘れたけど)。そんな複雑に入り組んだ話が書けないのか、ウケないから書かないのか。はたまた読者や鑑賞者に理解する力がないからなのか・・・。
ファーストコンタクトで見上げるカタチになっていたところが、身長と掛かってるんでしょうけど・・・小さな巨人?でしたっけ。
〇想起する作品
「華氏451」(1966)
「耳をすませば」(1995)
「リベリオン」(2002)
この世界の究極系は「リベリオン」の世界観だよね。表現を規制することで、感受性を低下させる。終には何も感じない人間の誕生さ。互いに無関心と。
〇こんな話
メディア良化法案により、表現規制が為され検閲が強化された時代。本を、焼きはらえ!
〇本とは?
専守防衛が強調されている。戦うために戦うのではなく、守るために戦う。
しかし銃撃戦をここまでに描く意味が見えない。アクションを散りばめたかっただけに感じてしまう。エンタメ性が見え隠れする(これは仕方ないが)。本に対する思いの強さ、仲間との絆ってところなのだろう。それ以上に不当な圧力に屈しないって姿勢ではなかったのか。ならそれをもっと全面に描けばいいのに。図書隊における守るための戦闘でそれを観せるよりも、検閲する側をもっともっと憎っくき相手として描けばいい。本の盾を盾にすればいい。それで立ち向かってくればいい。特攻してくればいい。本を砲弾にすればいい。本を燃やしながらヘリから図書館に投下すればいい。東京タワーから投げ捨てれば良い。大文字焼きでもすればいい。定期的に本のキャンプファイヤーやイベント、年行事を開催すればいい。そんな相手に対する守るための戦いの見せ方を工夫すれば・・・もっと・・・
メディア良化法案ってのはなんなのさ。本の検閲ってのは何なのさ。何かしらを本の所為にされて不当だって戦っているのであろう。良化(悪化、いや今と何も変わらない)されたメディアを利用して周知された、本こそが悪の根源としてる連中に立ち向かうんでしょう。本が悪として浸透してしまった世界に警鐘、疑問を投げかけるんだろう。どこか温いんだよな。「華氏451度」、紙の発火点を燃やすという直接的表現だけでなく意識させないと。この規制の問題の重さをさ。熱が恋愛方面に流れてしまっているのが原因か。最後の彼女の大切にしていた本を燃やされるだけではな、これは見えていたからな。最初の突発的な図書館襲撃は良かったかな。排除、選民されていく感じが現れていたからな。
そもそも彼らの守るべきは何だったのだろうか。図書館だったのか? 本だったのか? 本ってのはそもそも何なのさ。1つにはただの情報媒体だろう。情報ってのは蓄積されていくことに意味があるのか、受け継がれていくことに意味があるのか。本ってのは今やそのための1つの手段でしかない。この原案であろう「華氏451度」の発表された時代とは状況が多少なりとも異なる。電子媒体との比較がもう少し欲しかったところ。検閲のしやすさしにくさ的なのでもいい。本というものの執着に何の意味があるのか。なにかその辺がライトだった印象だ。
〇余談
岡田准一は日本のトム・クルーズを目指してるのかな。かっこよかったな。
榮倉奈々が何かな~と思ってたけど、この下手さというか飾らなさみたいなのが役的には良かったのかな。女優としては好きにはなれんけど。あと腕立ては全体を映して欲しかったけどな~。できなかったんかな~。
大変失礼で申し訳ないが、あの輪の中で栗山千明だけ年齢浮いてないだろうか?
〇最後に
本の位置づけだよな、問題はやっぱり。そんな守る必要あるかなと。かさばる本をさ、フロッピーなり、CDなり、USBなり、HDDなりに移すことだってできたわけでしょ。ネットから切り離された独立したPCでも用意しとけばさ、干渉もされにくくなるでしょうよ。法案通ってから大分時間が経ってるわけですから。図書館襲撃事件も前例があったわけで。それの対策は単に防衛力を高める以外にも考えつかなかったのかと。本が重要かどうかというところより、いかに最後の銃撃戦に話を持っていくかというところに力を注いだ印象を受けた。残念だった。続編があるということで、そちらに期待する。
ではでは・・・
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