~支配~
〇はじめに
ジャン・ロスタン日はく、科学は未熟な人間を神にした。
〇想起する作品
「カンパニー・マン」(2002)
「リベリオン」(2002)
「GAMER」(2009)
「デッド・シティ2055」(2015)
〇こんな話
GSコードなるものが制度化され、法執行機関による市民の追跡が常習化。犯罪率は80%以上軽減した。しかし問題点もちらほら。 陰謀を暴きだしてやる。
〇支配
最初の強盗事件。犯人側の主従関係と、警察側(政府側?)の指揮系統をひたすらに見せようとする。指示する者と実行する者の存在。頭に対して、腕やら足やら体やら。これがメインとなるGSコードの縮図であるのだろう。
さらにはその二者間の交渉か。決裂アボンとなるわけだが。力を持つ者が勝つわけだ。暴力という力、機転(頭脳)といった力・・・
そして嘘発見器? センサーによると嘘はついてないどうのこうのと。如何に機械に頼り切っているのかというところか。これが機械と人間との関係・・・??
そんな中でひたすらにかっこよくアクションを観せようとする。逃走及び追跡中に無駄なアクロバットを披露する。よ~わからん。
このアクションの位置づけをもうちょっと練れば良かったのに。「デモリションマン」はその点うまかったよね。
おそらくそれぞれの力というものを、支配する側とされる側ってなところにつなげたいのであろう。GSコードによるマインドコントロール。男と女(DV?)、痛みがどうとかとも言っていたな。
皆が全てを支配され、決められた道を歩めば争いも起こらないだろう。格差も今よりも軽減される。しかしそれが人間として生きることなのかどうなのか。自由意志とは何なのか・・・ってなところなのか・・・ マクロな視点とミクロな視点とでそれぞれ違って見えてくるわけで。戦争が起きないからといって、個人の充実度や幸福度は果たして上がるのかどうなのか。
結局のところ誰かしらが利益を被るシステムなわけでね。GSコードによる支配が完了し、平和な世界を築いたとしても、それを誰が制御しているのかと。誰かしらが実権を握っているという、支配と隷属の関係が築かれている。それが見えなくなるだけで。何か必ず裏があると思っておくと。
GSコードの法案を廃止し、自由を勝ち取ったというエンドなわけだが・・・。最後とある人間たちによって「次どうする~?」ってな話し合いが行われている。これの繰り返しなんですよね。別に廃止されても・・・、というより廃止されることもシステムの一環でして。ブーム、流行りと一緒なんですよ。姿カタチを変えるだけで、根本的なところは結局同じ。如何にそれを見えにくくし、新しいものだと見せるかってなところが要でして。
直面する事態に対しての特効薬は決して万能薬ではない。
とまとめておこう・・・ 何か突飛になってしまった・・・
〇最後に
この手のレベルの作品にありがちなんだけど、どうもアクションとストーリーが別パートな気が・・・ 伝わりますかね~・・・
ではでは・・・
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