2015年4月16日木曜日

HUNTER×HUNTER The LAST MISSION(2013)

HUNTER×HUNTER The LAST MISSION[DVD]



~寝顔~

〇はじめに
 とりあえず材料かき集めたけど何を作ろうかと。全部一気にぶっ込めば、良くね?と。鍋じゃないんだから。しかも鍋の素も使わず味付けも自らやろうとしてるでしょ。まずレシピを確認しようよ。いや、何を作るかを、完成系をもっとイメージしようよ。


〇想起する作品 
「ドラゴンボールZ 銀河ギリギリ!!ぶっちぎりの凄い奴」 
「鋼の錬金術師」

〇こんな話
 ラストミッションだョ!全員集合

〇寝顔
 観たかったネタではある。天空闘技場やネテロの過去、ハンター協会の裏側。しかしやらない方が良いこともある。その目利きができなかったか。というより腕が足りなかったと言った方が良いだろうか。 

 光と影(闇)、陰と陽、怨と念、の関係性を描く上で必要な雰囲気や条件、設定を揃えることができていない。何とも軽はずみな、付け焼刃な感じのしてしまう話である。というのも話の中心となるゴンが無邪気すぎる。そもそも時系列的にG・I編の後の話でしょ。こんな心がガキのままでいられたんだっけか。ゴンの今までの冒険における精神面での成長はどこに行ってしまったのですか。彼の純粋な部分を最後に活かすのならば、その分どこかで帳尻を合わせるべきであった(怨の誓約だけでは足りんぞ)。暗殺一家であり闇の世界をよく知るキルアは何をデレデレしているのか。そして肝心の黒幕もさっさと殺してしまう始末。精神面を探ることができるセンリツは一切持ち場を離れない。要は敵となる彼らの怨の強さが見えてこないのである。見えてこず、いきなり赦すのである。拳を交え語りあったではないかと。殴り合いを通して理解し合うこともあるのだろう。そこには別に問題はない。問題は繰り返しになるが、怨という強さが見えてこないことにある。その程度のものだったのかと感じてしまう流れなのである。全盛期の半分以下の力しかないネテロと良いし勝負なのである(いや、敢えて受けたのか)。いったいこの赦しに何の意味があるのか。見ず知らずの人の慈愛に触れることで、その者の憎しみは晴れるのか。そこまで世界は疲れていますか。この傾向は人間として弱くなったのですか、強くなったのですか。強くなれということだったのですか。それともただの宗教的な意味合いを含んだお話にしたかったのですか。

 恨みという点で、クラピカの緋の眼発動時の念能力:エンペラータイム(全系統100%使用)と怨能力を関連付けたのは良かった。念能力でも憎しみは生まれている。復讐に駆られる者は怨に導かれるといったような暗示。念と怨は決して交わることのないものではなく、つながっているものだと。ただ両極端に位置するもの同士なだけなのだと。ネテロも最後にそんなようなことを口にしている。しかしだ、映画全体として漂う雰囲気は表の面が強すぎる。表しか描いていないと言ってもいい。にも関わらず、表裏一体という主題歌を用いていることが何とも気にくわない(しかもただ明るい感じなだけの歌だし)。いや、最後のゴンの発言の方が気にくわないのか。二つの主張が矛盾するのである。これは狙ってのことか。
 ネテロとジェドはただ道を違えたに過ぎない、違えざるをえなかった。単純な個人の力量の所為なのか、政治的社会的な要因の方が強かったのか。しかしコインの表と裏のような関係で、同じコインであることには違いはなかった。しかし劇中のような事態に陥ってしまった。それを解決してゴンは言う。これから怨が出てこないように、世界を変えていくのだと。なぜ怨という1つの事象を排除しただけで、世界の全ての影がリセットされているのか。この世界観で言えば、幻影旅団(流星街)は? マフィアは? まだまだハンター協会にも影は残っているではないか。それを首謀者、真犯人を倒しただけで世界はま~るく収まる。影を生みだしている世界情勢が良い方向に進んでいることになる。ネテロ会長の実力や権限、威厳を持ってしても、影は生まれていたのだろ?? むしろ必要としていた節が強い。制御できる場合に限るが。表を司る裏、裏を司る表。自分たち表の部分の存在をアゲアゲしている分、裏も大きくなる。それほどまでに担っているものは大きい。その部分を、影を排除したことで空いてしまう穴をどう埋めていくのか。具体的にこれからどういった対策を練っていくのか。その辺を丸投げる。典型的な根性論だ(まぁゴンに言わせていることに意味があるのか、他の連中は何かしら違和感を感じているわけですし)。
 ネテロたちの過去と、ゴンたちが選択する道を対比したかったのはわかる。しかしだ、そうなるように仕組んだのは、機会を与えたのは誰だったのかと。道を違えることを選択してしまったネテロではないか。過去の失敗から新しい世代へと伝えるメッセージ。ゴン自らに念か怨か選択するチャンスを与えた。ここなんだよ、大事なところは。過去の失敗から学んだことを、後世の者が同じ道を辿らないようにと手助けをしてやる存在。それを軽視してしまいがちな終わり方である。せっかくそれを描いているのに。描いたことに意味があるとプラスに受け取るか。
・・・これからの世界を担っていく彼らの心の中で、強い意志として残っていればいいのかもしれない。未来はこれから彼らが創っていくのだから。
・・・でもね、この終わり方だとね。蟻編の覚悟につながらないではないですか。最終的にピトーを倒すために選択したことに。ゴンの純粋故の危うさとやらは、いったいどこに行ってしまったのでしょうか。ゴンとキルア(+2人)の関係が、ただの馴れ合いに見えて仕方ないのです。基本的にこういった劇場版はパラレルワールド的なノリだから何でも良いだろうと。じゃあこの作品は誰に向けて作っているのですかと。まぁ大人の事情ですか。やめましょう。


〇疑念 
 怨能力の制約と誓約の全否定をゴンがしているのだが、これはどうなのだろうか。クラピカは?、そしてヨークシンシティにおける旅団との戦いにおいて、クラピカに自分の心臓にも念の刃を刺してくれと言っていたのは無かったことになっているのか。  

 あとバショウって死んだの??

〇最後に
 まぁなんだかんだ書きましたが、そんなことはどうでもいいんですよ。私が一番に怒りたいのは、なぜあのエレベーターのお姉さんを出さないんじゃ!!、ということです。
・・・そうか、原作と新しい方のアニメには登場していないのか・・・
・・・フロアマスターの彼女、観たかったな(しくしく)・・・
・・・フロアマスター・・・
・・・床マスター・・・
・・・床zy ・・・
これは、少年漫画です。

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