2015年4月8日水曜日

マッド・ガンズ(2014)

字幕翻訳:蓮見玲子

~親父~ 


〇こんな話 
 お水をめぐる物語。


〇親父
 まず話の流れとして、章立てて3つの男の視点で描かれることになる。 
第1章は、親父であるアーネスト・ホルム 
第2章は、親父になるフレム
第3章は、親父からの自立を図る、ジェローム ・ホルム
親父 → 親父になる者 → 息子 という流れになっている。
1章と3章が親子、2章が娘(姉)の恋人~となる。

・第1章
 アーネストは情に厚い男として描かれている。自らも借金を抱え、日々生き延びるのに必死なのに他者を気遣う。水のために殺し合いも辞さない世界においてだ。彼自身も水の略奪者を殺している。そして最初に息子がその様子を眺めている中、殺す場面を観せるのも実は最後につなげるためだ。

 親父には責任があり、時には優しく、時には厳しく子供を律し、導かねばならない。越えられない壁として立ちふさがる要素も兼ねているだろう。しかし様々な過去を背負っていながら、そんな過去を子供は知る由もない。決して見えてこない、見せない、抱え込んでいる何かしらが確実にある。彼も親父として新米の時期があり、その前には誰かしらの息子であった。それを2章、3章と親父となっていく、なっていくだろう者たちの視点で類似的に描くことで暗示しているのだろう。どのようにして、このアーネストという一人の親父像、人間像は形成されたのだろうかと。

・第2章
 フレムはメアリー(アーネストの娘)の恋人であった。彼は目の前の欲しいものを手に入れるべく、その場その場の思いつきで直面する問題に対処していく。要はその場しのぎだ。後々の影響をまるで考慮していない。時に人として過ぎた行動に及んでしまうこともしばしば。云わば殺し、殺人だ。目の前の問題に集中するあまり、周りが全く見えていないのだ。計画性など皆無。それほどまでにがむしゃらでがめつく、欲の強い人間として描かれている。
 彼は今までの生活からの脱却、そして新しい生活の充実のために、幸せを手に入れるために努力をした。父親になるべく、そして父親として家族を養うために罪も犯した。自らの欲を満たすためと言った方が良いのだろうか。罪としたのは、彼に罪悪感を抱いているような演出があったからだ。その甲斐あってか、彼らの世界としては、土地が蘇り、雨も降り、良い方向に進んでいた。ほ~ら、食べたかったハンバーガーよ。そして夫・父親としての成功も間近であった。ただ過去の罪のしがらみを除いてだ。断ち切れない人間関係があった。そしてその罪が何とも無計画に感じられるのだ。彼は幸せを、欲を望むが故にがむしゃらに行動していた。それが幸せにつながることを信じて。

 この話の中で彼が何とも悪者に見えるのだが、実は彼に全てを押しつけるのは野暮だ。正確には描かれないが、1章のアーネストも過去に酒で失敗を犯しているのだ。自動車の衝突事故が背景に映し出されるシーンがあった。妻が肢体不自由になったのは、アーネストの所為だったのだろう。詳細に語らないところがまたミソだ。
 つまり、明かさないだけで皆何かしらの罪を背負っている。過去の傷や痛みを引きずっている。それを後世にどう活かし、どう伝え、どう生きていくのかと。それが大切なのである。2章はその糧となる罪の形成部分だ。そして彼が悪と見えがちなのは、ある1つの人間像の形成における途中経過を、その当時でなく過去として見つめたり、傍観者として眺めてみると、何とも馬鹿らしく見えたりするものだからである。自らの過去回想では、成功したことより失敗した事ばかりが出てきませんかと。企画段階、発足段階から関わっていないものに関して、その進行具合を見ると否定的な面が目立ちませんかと。
 要は自分の過去と、無関係なものに関する思考は悪い方に偏りがちになると。結果や周りが、見える範囲が大きくなり、比較がしやすくなるからである。

・第3章
 1章においての父親との歩み、父親の教えが響いてくる。足の折れたロバの介錯、そして鹿を捉えるための落とし穴。
 運び屋として働いている者にとって、荷物を運ぶのにロバは必需品であった。それを道中不意の事故で使い物にならなくしてしまうのだ。彼らの住む世界の環境において、脚の折れた者はどのような生活を強いられるのか。彼の母親で描いていた。補助具が無ければ歩くことすら立つこともできず、行動範囲が究極に制限される。足が無ければ生きていけない世界。運び屋という仕事においてそれはより顕著となる。父子はロバの代用品を探せばいい。実際に自立歩行型のロボットを仕入れている(そしてこの自立歩行ロボというのも・・・)。しかし歩けなくなり苦しんでいるロバはどうだ。生きていく道が残されているのか。これ以上苦しまないようにと介錯してやるのである。そこでロバを撃ったのは親父アーネストであった。そこでジェロームは言うのである。「僕が撃てた」と。その後、父親との交流の中で、食糧とするための鹿を捉えるために落とし穴を掘るのである。
 彼はとある事情でアナと出会うことになる。二人の間で何気なく為される会話の中で、銃の話になる。撃ったことがあるかと。そこで彼女が言う。鹿を撃ったことがあると。しかしそれは食べるためだと。無駄な、無益な殺生ではないことを強調している。その後彼は父のライフルで、鹿を撃つことになる。食べるためだ。そして最後のフレムを撃つシーンにつながるのである。フレムはジェロームの掘った落とし穴に嵌まり、脚を骨折してしまう。これは1章におけるロバだ。彼が辿るであろう未来。母親で描いていた。フレムへの恨みもあり、ジェロームは彼を撃つ。このシーンがアーネストがロバを介錯してやるところと被るのである。いや、「僕が撃てた」と、ジェローム自らが撃てなかったというところを強調した方が良いだろう。それを最後に人間を撃つことで乗り越える。食べるためではない。恨みの要素が強く、おそらく前の二人が背負ったものと同じ、ジェロームがこれから背負うべき罪、過去としてのものも兼ねている。残された者はどうなるのかと。彼は何も話さないと言っていたが。1章、2章と彼らはどのような選択をしていたのだろうかと。ジェロームは、確実に彼らと同じ道を辿ろうとしている。

*補足
 アーネスト、フレム共に番いがおり、3章におけるジェロームだけが意中の者がいる、恋をするだけに留まる。それも男の親父へと向かう成長の道を描くための段階として彼ら三人を描きたかったからではなかろうか。親父の生前と死後とで、その女性は想像から現実に変わるわけで。彼女の目的は土地を買い戻すことであり、後々ジェロームと関わっていくだろうことを醸し出していたりもする。

・まとめ及び整理
 皆が観ている他人という存在(人間像)は、その対象の人生の一部分を切り取ったものに過ぎない。その知り得ない過去がその人物の糧となっているのだ。んなに立派なできた人間だろうと、過去にいくらでも失敗している。「最初から大人などいない」「誰でも初めてがある」ってな言葉は良く耳にするだろう。しかし、尊敬する存在や理想とする存在に対してはそれを忘れがちだったりするのも事実。その人物の良いところしか見ないのだ。逆に嫌いな人物に対しては嫌な部分しか見えなかったりする。・・・だから何んなんだよと・・・
 要はだ、この3章構成は3→2→1と少年が立派(と言えるかどうかはその人次第)な父親に向かって成長していくと観ればしっくりくるのである。
 3章は息子時代。導き手だった、尊敬していた、越えられない壁だった親父について回っていた。答えがすぐそこにあった。その通りにすれば良かった。そんな存在が死亡する。この親父の消失が、彼を親父からの自律へ向かわせることになる。
 2章は恋人、結婚、妊娠と怒涛の時代だ(夫から父親への変化?)。教えを説かれる、指示を仰ぐのではなく、自らの意思で行動しなければならない。どんな代償を伴うかは結果が出なければわからない。しかしその時は何かしらを選択しなければならない。暗闇の中で光を求め、がむしゃらにもがくしかない。悪とする部分が際立ち気味だが、それは家族と自分の幸せを願ってこそのもの。家族のために仕事を一生懸命になり、実はそれが家族を蔑ろにしており、さらには他のところにも影響が出ているかもしれない。そんな現実を経験している人は多いのではないか。
 そして1章の親父だ。子どもの手本として、導き手として、どうやって形成されたかはわからない、しかし何かしらを背負っている強い芯のある男として生きている。
・・・若者(息子?)が大人になっていく、ってな感じで観ればいいのではないだろうか。一人の人間でやるのではなく、複数でやることで、考える幅を広げていると言うか、示唆で終わらせていると言うか・・・

〇疑念
 親父になる存在も母親から産まれてくるわけで、最後メアリーが女の子を望んでいることのつながりがよくわからなかった。男ばかりの世界にいた彼女ならでは・・・ということなのだろうか。結局どちらなのかはぼかされていたので、ジェロームのその前の段階を示唆した可能性もある。母親は偉大だ??

〇余談
 アナ役のLiah O’Pray良いな~。もうちょっと観たかったな、うん。

 わざわざ干ばつの影響を受けてしまった地帯に居座っている感が否めない。
・・・まぁ最初に宣言はしてるんですけどね。皆は去ったが、ここに残って水を探すと。そこが見どころでありますし。しかし、裕福な者たちの生活を垣間見ることで、井の中の蛙感がひたすらに強くなる。彼らの水の奪い合いの無駄感。特にフレムだ。ジェット機を見上げる様がそれを助長する。彼の行動にはいったい何の意味があったのだろうかと。これにより、フレムの存在を位置づけようとしているのだろう、そして彼の悪の部分が際立つ。ここが理解に苦しむところではなかろうか。
 そもそも運び屋を陸路じゃなくて、空路活用すれば良いのに。なぜわざわざアーネストたちを雇うのかと。車は入り込めない道なんだろうことはわかったが。雇用の問題なのでしょう。仕事が必要なのです。格差社会においては特に。掘削も、物資支援も公共事業です。言い方は悪くなるが、要はわざわざそこに仕事を見出していると。もっと効率の良い方法はあるけれども、手間を掛ければより多くの人間を雇うことができるでしょと。


〇最後に
 マイケル・シャノンは本当にうまいな。「父親」ってより、「親父」って感じがする作品なんですよね。親父なんて呼んだことも呼ばれたこともないですけどね。ではでは・・・

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