~真実~
〇はじめに
観終わって1つだけ残る謎がある。明らかにしたい真実がある。エンドロールに連ねられた名前は「ソロモンの偽証」という前後篇合わせてのものですか、それとも後篇だけのものですか。というものだ。
〇想起する作品
「ゴーン・ガール」(2014)
「デタッチメント 優しい無関心」(2011)
〇こんな話
裁判をはじめます。
〇関連性
前篇でも書いたのだが、人物の対比や対立がひたすらにうまい。そしてただの対立する勢力ではなく、それらはつながっているとするところが特にだ。簡単に言ってしまえば
「誰しもが、誰にでもなりうる」
ってな感じだろうか。 藤野涼子が家から飛び出すシーン。父親が追いかけるわけであるが、突然雨が降ってくる。どこかで見たぞオイオイ。あ~松子だは、となるわけです。前篇において彼女たちの対比は描いていた。そこで家に帰っての父親の一言が気になるところだ。自分の家族だけは大丈夫だと思っていたと。子どもは事故になんて合わない、死なないってな意味合いが強い。松子を亡くした両親と、涼子を亡くしかけ、同じ境遇に成り得た涼子の両親。子どもたちだけでなく、その親たちの対比にもなっているところがまたおもしろい。誰しもが誰しもに関係なくないなんてことはない。
松子が真実から目を背け逃げ出したから死んだというような書き方を前篇ではしてしまったが、そうではなかった。彼女は解決の方法として最短距離を進もうとしただけだ。それを良しとするもしないのも人間関係の複雑で面倒くさいもので、それが今回は悪い方につながってしまっただけのこと。そしてその死する場面を樹理が見ていたのである。これで、樹理が涼子とつながるのである。列車に轢かれるシーンとだ。
大出が神原君を罵るのだが、後に柏木君が同じように罵っていたことが明かされる。
樹理の容姿の変化は、松子の死に伴い変化させたのだろう。容姿コンプレックスにおいての関係においてだ。
・・・などなど多くあるのだが、前篇の方でこの描写・演出のすばらしさは勝手に力説したと思うので、後篇ではこれぐらいに。
・・・と思ったが少し気になるところがあったので取り上げる。
最後の最後で樹理と柏木卓也を照らし合わせたところである。正確には樹理と松子の関係と、柏木卓也と神原の関係と言った方が良いのか。涼子が言うのである。松子ちゃんがいたから樹理ちゃんは柏木君のように自殺しなかったのだろうと。ここが何ともつながらないのである。仲の良い二人という関係と、男と女という対比。いざ比べてみるとしっくり来たりするのだが、劇中でそのようなつながりや対比が為されていたのかと。今までの話を想い返すのである。樹理と柏木卓也をつなげる。柏木卓也は、樹理は、それぞれ誰とつなげていたのかと。樹理のように真実から目を背けていた人物。そして柏木卓也と・・・
劇中、柏木卓也ともう一人実は自殺を試みようとする人物がいた。誰だったか、藤野涼子である。この話すげえわ、と素直に感心する。天才かよ。
神原と松子の方から考えた方が早かったのか。樹理への理解を示すところだ。そして自らの過ちを誰かに知ってほしかった。そして裁いてほしかったというところだ。理解を示された樹理は健在であり、理解を示されなかった柏木君は自殺している。
あと森内先生が黒の服を着ていたというのは意味があったのだろうか。前篇において藤野涼子と関連付けたであろうことを書いた。そして今回、「申し訳ありませんでした」と両者同じように謝罪するのである。そして外で彼女が泣き崩れる様は、「何で私がこんなことに」「上手くいっていたはずなのに」ってな責任転嫁をしているような感情に見えてしまう。どんな真実でも受け入れるという藤野涼子と対立するのである。
〇口
~口先だけの偽善者~
に対して、
「真実を語るのもまた口なり」
そして、
「死人に口なし」
ってな言葉もある。観終わって正直な感想もっと欲しかった。もっとぶち込んで欲しかった。しかしこれぐらいに留まらせるのが、ベストなのだろう。ソロモンとは、裁定者とは誰であったのかというところなのか。
神原君は柏木君に口先だけの偽善者と罵られるわけであるが、神原君の口から柏木君の死に関する真実が語られることになる。そして公衆電話の人物に関して、柏木説を唱えた時、証人と弁護人という構図でやり取りが行われるわけであるが、そこでは真実を述べるという誓いを立てていないのだ。裁判においては証言のはじめにはっきりと誓いが立てられていた。
そして樹理が真実を語らず、死んだ松子に聴けと言ったのは、語る術を持たない者のお話で、前者と合わせて、ひとつの真実が出来上がっていく様を描いている。
〇真実
複数の人物による証言や証拠から真実を明らかにする場である裁判。どんな真実であろうと明らかにするということが強調されている。前篇の最後にも書いたが、その真実へと至る道を、大人になり出身校へ赴任してくることになった藤野涼子1人の口から語られるというのがミソなのである。
証言において真実を述べると誓いを立てるも、偽証する者がいた。これは明らかに嘘であるとわかるように描かれるわけだが、そこを基点に裁判における真実の追求を眺めてみると、全ての事実確認は証言に限られることがわかる。そして藤野涼子という1人の語り部の姿を最後確認することで、そもそもどれが真実だったかなんてのが、聞き手には判断できないことを再確認するのである。しかし何かしらの真実を受け入れなければならないのである。
実はその前にも疑うべきところがある。疑問に思った人は割と多くいたことだろう。裁判において決着を見た真実は、いったい誰からどのように語られたのかと。その真偽は如何様に確かめられるのかと。その人物の人柄か、経緯か、・・・。おそらくこれが現在の藤野涼子との対比になっている。
彼らの裁判は14歳だからできたであろうことが最後藤野涼子の口から語られることになる。今の自分は大人になり、心がタフになり、自分をごまかせるようになったと。「嘘つきは大人のはじまり」というキャッチコピーは意図してか、意図せずか。
裁判に関わった人物で大人になった姿は彼女しか描かれない。柏木君から神原君へ、君は父親と同じ殺人を犯すことになるというようなことが語られ、運命といった未来を意識させながら、彼らがどうなったのかはわからないままなのである。ただ、友達になった、とだけ。しかし藤野涼子はお母さんになったと言っている。子を持つ年頃であると意識させているのだ。これが神原君が父親と同じ道を辿るのか否かという時期であるとする暗示だったのだろう。そしていったい誰と結婚したのか。中学の同級生の誰かだったのかと想いをめぐらせることも狙っていたりするのかもしれない。
校長は学校内裁判という伝説を創り上げた藤野涼子がスーパーマンだと思っていたと大げさであろうが、そのような表現を使っている。今までの伝説から修正しなければと。伝言ゲームと同じだ。どこかで改変され、独り歩きを始める。伝説のおかげで、いじめや自殺が起きていないとも言っていた。藤野涼子の語る真実とは多少のズレがあるお話でだ。そしてそれはおそらく彼女が把握している場所では、と付け足した方が良いだろうが、それはここではやめておこう。
過去話がだんだんと美談になるのは必然だろう。マイナスの面がカットされていく。それが歴代校長の伝承で証明されていた。それが藤野涼子自身の中でも実は起きているのだ。当時は怖かったということが語られる。そんな恐怖にどう立ち向かうのか。大人になれば心がタフになるといったようなことを言っていたが、それは少し言い換えることができる。自分の心が耐えられるレベルにその事実の解釈を落とす、ということだ。震災における被害者で、それをタネに飯を食っているなんてのが最近ネットで騒がれていた。証言が変わっていると。どこまでが真実でどこまでが嘘なのか。この話の真偽は定かではないし、知りようがないので深くは抉らないが、ひとつ言えることは、ウソってのは故意によるものだけではないということ。本人が自覚していない場合があるということだ。さらにはそれこそが真実であると信じている場合すらある。そんなことに想いをめぐらし、劇中一番に自覚無く嘘をつけたのは誰なのかとソロモンについて考える。いや、そもそも劇中で嘘をついていない人物を探す方が手っ取り早いわけだが、ソロモンはいったい誰だったのだろうかと。裁定者とは誰なのだろうかと。
〇不可視
この話で一番に見えてこないのは、柏木卓也がなぜ死ななければならなかったのか。死ぬことを選択したのかというところだろう。ここの闇の部分、動機となる部分の説明が描かれていない。
仮に描かれていたとしよう。それを観て理解できるのかと。共感できるのかと。年間3万人の自殺者がいる中、どれだけの者たちに目を向けてきたのだ。わたしゃ一人も知らないね。周辺の人物が自殺したとしよう。なぜあなたは止められなかったのかと。私を含めそんな者たちがどうのこうのと結果論で判断し、死ぬに至る経緯を知ったかぶって語ることをしてしまっては、この作品の意味が無くなってしまう。なぜなのだと、疑問を呈することを否定しているわけではない。むしろそちらは推奨する。答えを1つに、簡単に決めつけてしまっては困るのだと。
藤野涼子が最後神原君に語る。誰もあなたを裁けないと。罪は背負っていくしかないと。いつか乗り越えなければと。
なぜ劇中に起こる出来事を、それぞれの人物において、別の場所・時間において照らし合わせられるように描写したのか。最後陪審員がなぜ「皆を信じよう」という言葉を使ったのか。柏木君が神原君に対して、「口先だけの偽善者の言葉がどうして心を動かすのか」と訴えたのは。神原君が辛い過去を受け入れ、これから待ち受けるだろう過酷な未来を展望して尚「それでも生きていく」と言ったのはなぜなのか。是非考えてみてほしい。
・・・と知ったかぶる口先だけの偽善者である私が言ってみる。
〇大人
裁判の開廷と閉廷において収拾がつかなくなる。そこに松子の父親、裁判の開廷を許した教師が支えていたりする。そこがまたいい味を出している。
〇最後に
平祐奈はこの後篇に出ていたのですか。最後に名前が流れました。しかしこの後編の劇中では発見できなかったんですよ。それだけが心残りだ。次は内容ではなく、平祐奈を探しに行きます。そこで、真実をはっきりさせましょう。
P.S.
二回目鑑賞するも発見できず・・・
後篇だから、前後篇合わせてのものだろうな。
0 件のコメント:
コメントを投稿