2017年4月14日金曜日

インフェルノ(2016)

インフェルノ


~答え~


〇はじめに
 ロケーションがすごいね、ホント。



こんなところあるんやね~



〇こんな話
 動機と理由付けが巧みなただの名所巡り・・・、としても楽しめる。



〇答え
 私のような無教養な人間だからというのはあるかもしれないが、サスペンスというジャンルで作品を捉えると、どうも都合の良いキャラが目立つ。その都度決定打となるひらめきと知識を有している人間に違和感を覚えてしまう。それ故にこの違和感の解消に時系列を入り乱れさせた描き方で煙に巻こうとしているのではというマイナスな感情が先行してしまう。

 しかしこの違和感には意味があり、むしろそれを狙ってとある地点から逆に作用させるという仕掛けが施されているのだが、ここで先ほどのマイナスな感情を振り払えるかどうかと、ラストに活きているかどうかは極端に評価が分かれるところだと感じる・・・





 ラングトンが記憶喪失という設定、ラングトン自身が判断がつかない状況に晒されるというのは、ラングトンこそが正しいとする思考を先行させないため、シリーズ化の弊害も考慮に入れたものであり、鑑賞者をフラットな状態から歩ませるという意味合いが強い。しかしその仕掛けすらも容易に超えてくる人間たちのために仕掛けが用意されている。

 まず状況が呑み込めない中で一方的に襲われる様を見せつける。そしてその際に一緒に巻き込まれたとする人間を描いている。ラングトンが記憶喪失だという理由付けによりその補佐的な立場を確立させ、追手側が追うべき対象を2人だと認識している様を植え付けているのである。巻き込まれた人間がどちら側に属しているのかというのを無意識に浸透させようとしているわけである。ここで対立するは追う側と追われる側なのだと。追う側に様々な思惑が渦巻いていると観せるのも2人を一括りで判断させるための後押しである。

 記憶喪失前にラングトンには何かしらの意志があったわけだが、記憶喪失によりそれが取っ払われた状態で過去回想が行われていく。フラットな状態からどちらかに傾いていくわけだが、転換点からはシエナの過去回想が行われていくことになる。複数の立場から2人を一緒くたに捉えていた状態からの分岐。敵と想われていた者たちが実は味方で、寄り添ってきた味方と想われていた者たちが実は敵対する者で・・・

 さらにそれすらも簡単に撥ね退けてしまう私のようなひねくれものに対しても予防線が張られている。実はそういうシナリオが描かれていたのだと。全て想定内、我々鑑賞者が辿り着いたのではなく、彼らによってただ導かれただけなのだと。


 これを踏まえとある転換点を迎えると、題材とされている事象に関してより意見の対立と相違が促されるのである。双方の見解が捉えやすくなるというかね。

 語弊があるかな。個々の鑑賞者に絶対的な主柱が立つというよりも、ラングトンという存在によりゾブリストが提示した究極の二者択一に橋渡しが為される。それにより見えてくるのが一長一短具合というか、どうすればいいのだろうかという疑問なんだよね。いや問いかけか。答えを出すというか、探り続けようよってな話なわけで。

 そんな中1つ指針としてあるのが歴史というもので。じゃあその解釈(歴史認識)はってのがまた難しいところなのだが、謎解きと共に歴史的な名所を辿り且つ過去回想ってな演出でこの作品はそこのところを想起させようとしている。






 地球にとって人間こそが疫病(癌細胞)。この思考に行き着いた人間はごまんといるはずだ。人口爆発に伴う弊害、広がる環境破壊。資源を貪り尽くし、別の種に執拗に干渉している。人間がいなければ失われずに済んだモノがどれだけあることか。

 でもこれを考えられるのって人間(人類)だけなんだよね。調整する力を有しているかどうかは別として、そもそも調整した方が良いんじゃないのという考えが起こるというのがさ。これが肝心なんだよ、きっと。

 いや、これすらも我々の傲りなのかな・・・




〇最後に
 ラングトンシリーズ見直そうかな。


 ではでは・・・


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