~贋作~
〇はじめに
ジョン・トラボルタ良い味出すよね~。あとじいちゃんクリストファー・プラマーか。この人もさすがだよね。
〇こんな話
父と子の物語。
〇贋作
家族のために、息子のために、レイモンドは取引をし悪事に手を染める。贋作画家であり精巧な偽物を作るために本物を再現するために本物を見つめ、細部まで目を凝らしてきた。その目的は誰かしらを偽ることにあり、彼の腕は確かなものだ。
贋作が本物と評価されるという事に関して少し見方を変えると、贋作が本物よりも評価されるということになる。本物よりも本物らしく見せるということ。そのためには絵を真似るのでなく、その画家(モネ)の当時の感情を分かち合うのだとか。
こんなところを踏まえ、レイモンドが、本物を知り尽くした男が、息子と向き合おうとする様を見つめる。残り少ない命の息子のためを想い、時に息子への病状説明をごまかし、母親を取り繕い、自分を偽る。贋作と向き合わせようとしていたわけだ。正確には息子に見せたいとする世界か。独房にてまず自分と向かい合っていたわけだが、鏡に映る彼はどこか歪んでいるようにも見えた。
祖父もまた同業者であることを匂わせ、血は争えない息子は父親のそんな嘘を容易に見抜いてしまう。さらには父親の意図しないところで息子は感動を覚えていく。ここでやっとレイモンドは残りの人生をただ綺麗に飾るためだけではなく、結果はどうあれ息子の本心と向き合っていく覚悟を決める。誰かを真似た事による、皆がやっていることを準えることで真っ当だとする人生ではなく、彼ら自身で描き出したとする人生である。他者(鑑定家)からの評価を真に受ける、真に受けるしかできない連中が良き対比になっている。
ラスト彼らに伴うしがらみが取っ払われた状態で、まっさらな状態で父と子が向かい合うことになる。父が息子に向き合ったように、息子もまた父の本心に向き合っていたんだ。息子は父親に何を見たのか、父は子に何を見たのか。
いや違うのかもしれない。他の誰も経験したことのないような時間を彼らは過ごしていた。本当に向き合わなければならなくなるのはこれからなのだ。やっと真に向かい合わなければならないときが来てしまったのだ。息子は問う、願い事が叶えられるとしたら?と。その問いに答えられないレイモンド。彼は独り何を想うのか。
〇最後に
いや~よかったな~。「サタデー・ナイト・フィーバー」すら観てない人間だけど最近のジョン・トラボルタ好きですね。渋みって言うのかな?? キツさが緩んできてる感じが。
ではでは・・・
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