~強さ~
〇はじめに
ヘイムダルに惚れるよね。
〇こんな話
鉄郎!!
・・・あ、え~っと・・・、ホットケーキとかにかけるとおいしいですよね・・・
・・・なんでもないです。
〇強さ
元々世界は闇だった。そのときに生まれた闇の軍団(ダークエルフ)の1人であるマレキスとやらがエーテルなるものを使い光が栄えた世界を再び闇に染めようとした。9つの惑星直列によりその力を最大限に引き出せるそうな。オーディンの父ボーが既のところで阻止。それから5千年、今再びマレキスが立ち上がる。
アズガルドによりもたらされた平和。各世界にソーの力を知らしめたことによる。強さを示したことで敵に脅威だと感じさせ逆らう力を起こさせない。民はその力により守られているという安心を得る。「アベンジャーズ」における抑止力の議論と対比になっているのかどうなのか・・・
この対峙に全てが込められている。単純なパワーVSパワー。でかさと強さが比例するという思考。一番強い奴が勝てないのならば勝てねえわという力による反抗心の抑圧。しかしそれを示すまでに多くの犠牲が伴っている。「次は最初にでかいのを倒そう」という仲間の皮肉が冴える。
そしてこんな描写。重力異常により地球における重さ(質量?)、大きさという概念を突き崩す。
こんなのも。通常であれば人間が車を持ち上げるなんてことはまず有り得ない。
で、ラストのこれに対しての・・・
これね。
人間と人間大の装置で立ち向かう。ここにオトしたかったのだろうな。
そして・・・
力に潰される者。
力を示すことによる世界の統治。強き者が世界を支配する危うさ。強さ=正義ではないことが前作の流刑で示された。下手すれば独裁。王の力量裁量に委ねられる平和という概念。アズガルドの歴代の王も犠牲の上に平和を築いてきたとされる。
統治者を越える力を持つ者が現れたら? 統治者が耄碌したら?
復讐により目が曇ったオーディン。相手の力を侮り全滅してでも戦うのだという無謀。闇雲に力を振るえば良いというもんでもない。
そして協力というところか。今回は一番にソーとロキを描きたかったと見える。2人が手を組んだのならば。2人だからこそできたことがあったと見せる。いがみ合っていた2人がだ。
惑星直列による外的要因による定期的な戦争の示唆も意図してか。時に人は道を踏み外す。意図せずに、そして正しき事と思っていたことでだ。その修正に一番機能するのが罪の意識である。過ちを犯すこと。危機感や脅威を実感することで平和を定義しているのである。維持しようとしているのである。
ソーの場合は自らの力(身)の振り方の誤り。ロキとの諍いとそれに伴う犠牲。それらを受けてソーは軌道修正したのである。しているのである。
その関係性を保つ上で、つまり均衡した状態を作り出す上で、他者という者が必要なのである。その支えが仲間であり、家族であり、恋人だったり・・・ それを印象付けるための母上の死なんだよね。
〇ロキ良い奴説
こいつの懐の読めなさが堪らないよね。もう彼あっての作品だよこのシリーズは。
上のは「アベンジャーズ」の登場シーンなんだけどね、見てよこの悪い貌。
それがなんだい今作は、茶目っ気とどこか寂しそうな陰りが見えてくる。何だい何だいどうしたんだい。キャプテン・アメリカにだって変身さ~。
〇スタン・リー
〇余談
氷の巨人はソーの父親のオーディンだろ。今回のダークエルフはオーディンの父(ソーの祖父)が戦ったようだが、いったい何なんだ。スノーボールアースより前の時代で闇の世界ってのは何だ? 地球ではなく宇宙規模の話なのか。エーテルがダークマターとかなんとか言ってたしな。
エーテルを地下深くに埋めるってのはオンカロを勝手に想わせるな。どうなんだろ。
テーマソングかわからんが、「ハンガー・ゲーム」に聞こえるのよね。
〇最後に
なんか必殺技が欲しいのよね。グラビトンハンマーとかガイアクラッシャーとか。ガオガイガーでは「光になれぇ~!!」とかあるじゃない。なんというかこう「きたああああああああああああ」ってやつがないのよねこのシリーズ。
ではでは・・・
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