~起伏に乏しい~
〇はじめに
逐一挿まれるパーリナイがやかましいのと、それが別段エロティックでもないので困る。このやかましさは凄惨なシーンとの対比になっているのだろうが、エロティックでないおかげで殺られていく連中に特に名残惜しさも感じられない。まぁこれはそれぞれの感性に依存するものだけどね。
〇想起する作品
「ラストサマー」
・・・どちらかというと2の方かな。
〇こんな話
パーリナイ時々殺人事件。
〇起伏(ライン)
話がおもしろいとかおもしろくないとかの前に、全体的に見映えがよくないんだよね。起伏が乏しい。映し出すべき身体のラインがまず描けてないのよ。アングルの問題もあるんだろうけど。
⇩これももうちょっとはみ出てほしいというかさ・・・ それにもうちょい引きがベストだよね。
お尻!!というものを映し出すよりも、そのお尻が太ももにふくらはぎに(こっちはできてるのかな?)・・・、いや腰に腹に胸にと繋がっていくだろうラインに興奮するんだわさ。想像を促されるわけさ。1つのパーツの強調よりも、そのパーツを眺めてみてのパーツの連結部分が重要なのさ。
単純に何にも隠されていない胸を映し出されるよりも、突起部分がビキニなり手なりで隠されていた方が想像を促されより興奮を覚えたりしませんかと。見えるものから見えないものをという想像の幅を刺激されているわけで。
この作品はこういった細かいところから、話の繋ぎという部分がほんとに雑で、ぶつ切り感覚を終始覚える。
折角他作品と違いを作れただろうセーリング(ヨットレース?)のシーンでもっと際どく観せることをしておけばよかったのに。
舟を操作する上でやらなければならないことってのは男女で同じわけでしょ。力の使い方は同じだろうと絶対的に埋められない差ってのは存在する。片手で済むことが両手で。両手で済むことが上半身で。上半身で済むことが下半身も使わなければといった具合に。両足を揃えて踏ん張るより、ちょっと足を広げた方が踏ん張れるし、内股よりも(がに股とは言わないまでも)外を向いていた方が力が入るじゃない。一歩で届くところが二歩必要になったりとかさ。男女差として女性の際どさを描いてしまえば良かったんだよ。男との差を埋めるべく必然的な動作に漏れ出てしまうエロスとして描いてしまえば。
ビンの蓋が開かないとかで男を頼るとか常套句があるけど要はあれと一緒よ。蓋を開けるのに男は手だけを映し出せばいいとした場合に、女性は腕で抱え込むように開けようとすれば胸元が必然的に映し出されるじゃない。こういうところで単なる男と女の差だけでなく、男と女の繋がり(関係性)といったところにも頭が行ったりするんだよ。
下心から言えば、何ら彼女らは意識していないのにも関わらず、そこに何かしら邪な感情を覚えてしまう鑑賞者の欲求というものを刺激してくれないと。それはカメラのアングルでどうにかなる部分もあるだろうし、何よりその場面場面で彼女らの何を見てもらいたかったってことなんだよ。
足を閉じていたらこれでも構わないんだけど、開いていたらもっと足を開脚していますよと魅せられるアングルがあるでしょうよと。まぁこのシーンは別段踏ん張ってるシーンではないのだけれども。
こういうシーンもさ・・・
男に握らせるのではなく女に握らせるんだよ。男のを描きたかったのなら、この後に女が両手で握るのを観せるんだよ。
はじめにも書いたが、え~この娘も殺られちゃうのぉ~??という感情が沸かない。名残惜しさが。若者たちのとある一面に魅せられたからこその、襲われる際に表出する別の一面。このギャップにゾクゾクするのである。興奮を覚えるのである。究極的に繋がるは性的な興奮だ。行き過ぎは限度が必要だろうが。このギャップが描けてなんぼの世界。この作品はその詰めが甘い。
〇最後に
魅せられる場面は多々あったのに見せてこないじれったさよね。個人的にそうじゃないんだよな~という感情が先行して中々集中して観られなかった。
ではでは・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿