~覗き見~
〇はじめに
監視カメラが売り物であること、売るのも商売だということで観せた入りはうまかった。謳い文句宣伝文句から何を想像できてしまうのか。
〇想起する作品
「388」(2011)
「ハングマン」(2015)
〇こんな話
大家が覗き魔らしい。
〇覗き見
最初から顔バレしていることもあり、大家(管理人)がお客の家庭を覗き見る気持ち悪さの演出は秀逸である。間取りを理解している状況で監視カメラを取り付けるわけだが、その間取りをどう活用しようかというのは入居者の裁量に委ねられる。それ故に望んだように見えてこない(覗けない)もどかしさや悶々というのを最初に印象付けている。そしてその微調整と補填のためという夫婦の生活への介入の動機もスムーズだった。
そんな大家と対比される存在の配置も割かしうまい。まずは家主。自分の家であるわけだから当然と言っちゃ当然なのだが、鍵というもので家の中に入る。そして家の中を自由に使うことができる。
次に引っ越し祝いに始まる友人との付き合いである。彼らはチャイムやノック等において家主の了解を得て家の中に入ることができる。入ることを許される。そしてある程度の遠慮というものがある。
そして不倫相手。これがうまかった。最初いきなりプールの場面が描かれ家に入り込んでいるわけだが、後日別の理由において家に招かれることになる。本来誰かにとっては招かれざる客なわけだが、別の理由においては歓迎されると逆転させて観せているのである。夫婦にとって(いや夫にとって)、大家にとって(覗きにとって)共通の邪魔な存在としても観せた利害もこれだ。そして無断侵入(及び監禁)。
そもそも夫婦という関係も夫と妻の間だけで完結しているわけではなくできるわけもなく、最初に賃貸であるが故に大家との関わりを観せているわけだが、そういった付き合いというものにおいて友人関係に不倫関係に夫婦外の人間を許容するべく歪であるとしている。他者が介入する余地を残しているのである。それを覗き見るということは如何に監視カメラが見つかりにくいとはいっても物理的な干渉は必要不可欠で、覗き見たいとする者たちと平行線を辿ることは不可能。確実に何かしらの干渉が必要となる。その綻びや隙間というところを家の間取りに始まりその夫婦のイザコザにて暗示しているのである。
必ず夫婦及び夫婦のどちらかが介在した関係を観せられての大家なのである。ちぐはぐ凸凹な関係を観せられた中での大家なのである。1日中家にいるわけではない。1日中夫婦でいるわけでもない。彼はその隙間を埋めているとしている。夫婦の綻びを埋めることで、主としては妻の方が目当てだったわけだが覗きライフを楽しむことができる。夫のシャワーシーンにおいて大家は離籍している。空き部屋となっているところを活用した物理的な監禁もこの図式を意図してのものだろう。しかしここで夫婦と大家の関係において綻びが生じる。干渉するはずではなかった関係性にリンクが生まれてしまう。ここから見えてくるもの、この綻びを埋める者は誰なのかというのがおそらくは今作の見どころ。
妊娠に引っ越しによる環境の変化とその夫婦に訪れている何かしらの時期があるとして、新居における生活がこれまでもあった一連の夫婦生活の一部であるというのと、大家が覗き見ているのがその家におけるさらにその夫婦の生活の一部であるという切り取り方も練られたものだった。
ただ監視されている夫婦がフィーチャーされてはいるものの、監視されているということ自体は特殊な演出によりこだわっているわけでもなく、これにより大家が象徴するナニカが我々の生活に介入してくるという嫌悪感よりも、我々鑑賞者が彼の生活を覗き見るという逆に作用しているととれる。
如何にカメラを設置したところで24時間体制での監視は不可能。大家の眠りこける様は描かれており、つまり彼にも監視だけではない生活があるわけだ。
最後笑顔なんだよね。ここに彼の狂気を観るのと、意外な一面というか劇中彼に観たものはまた一部でしかなかったという、彼という存在の一連を垣間見ることになる。ジェラルドっていう名前が呼ばれるのもラストが初めてだよね。
こっちがメインなんじゃないかな。覗き見られているということよりも、我々鑑賞者が彼らを覗き見ていたのだという。ちゃんと確認してはいないのだが、原題の「13Cameras」ってのは我々鑑賞者が見たこの作品というのが1つのカメラもカウントされてるんじゃないのかな・・・どうだろ。
ディスプレイには9個なんだよね。これに玄関と車庫とプール内部で12個・・・かな? あれ地下室(クローゼットって言ってたか)もあったな。13個になったか。いや玄関のはバレて途中で外すからやはり・・・
〇最後に
まぁおもしろいもんではないよね・・・
ではでは・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿