~利便性~
〇はじめに
最初にこの作品を観たときはこのシーンからでコメディ映画だと勘違いし、すぐにチャンネルを変えた良い思い出。
そして再び鑑賞してからはよくエレベーターの夢を見るようになった悪い思い出。
〇こんな話
便利さを追求した世界における弊害。
〇利便性
便利さを成り立たせる上で必ずどこかしらで不便が生じている。普段当たり前のように使用・利用しているものの数々。例えば24時間営業のコンビニはどうだろうか・・・。
この作品のエレベーターなんてのも高層ビルが乱立したことによる雇用形態や雇用機会が拡大したことによる弊害の解消といいましょうか・・・。同じ座標で何人も蠢いているわけですからね。それをさらに円滑に回す手段として機能している。エレベーターの油がどうと話が為されている場面があるが、エレベーターが当にその潤滑油なわけである。
展望台を兼ね様々な施設が入っている高層ビル。従業員やお客(観光客)が目まぐるしく移動している。どんな方たちが恩恵を受けているのかを始めに映し出している。
足の不自由な者、
ご老人、
大きな荷物を持っている者・・・
妊婦・・・
今や生活に当たり前に浸透したエレベーター。警備員たちの日常的な悪ふざけや地下に伸びる立体駐車場を見せたのもこれだ。曜日を意識させたり、全てが日常炒飯事だという意識づけ。
ではそのエレベーターとやらに関して我々はどこまでのことを知っているだろうか?
大半の人がボタンと乗る箱についてだけではなかろうか。どういった構造でその箱は上に下に移動するのかそんなことはまず知らない。知ろうともしない。そもそも知る必要が無い。ボタンを押せばエレベーターはやってくるし、それに乗り押した階数に辿りつきただ降りれば良い。何とも便利である。この深く知る必要が無いシステム。この割り切りこそがシステムを円滑に回す手段でもあるわけで、しかし危険性の認識を怠らせることにも繋がるという代償も伴う。
この作品はそんな便利さの裏側を見せているから怖いのである。日常で気にもとめたことが無い事象が、体感したことのあるリアルな日常に降りてくる。イメージができてしまうのである。
他に普段何気なく使用している物はどうだろうか。一番に思い浮かぶのはPCや携帯電話だろうか。なぜそれは動いているのか、ネットに繋がるのか、音楽が聴けるのか、通話できるのか・・・etc スマホ、爆発しませんか?
我々は日常的に理解できないものを使用している。構造を知らない物を、修理できない物を使いこなしてしまっているわけである。ここを一旦考える、恐怖する上ではこの作品は中々に秀逸である。
〇最後に
階段、エスカレーター、エレベーターとあったら階段は避けがちになる今日この頃。普段から足を動かすようにしよう。・・・明日から。
ではでは・・・
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