2015年2月26日木曜日

花とアリス殺人事件(2015)



~事件~ 

〇はじめに 
 勘違いやすれ違いから生まれる拡大解釈や誇大妄想(被害妄想?)。それらにより膨れ上がった波紋に干渉してくる他人(ひと)の優しさが何とも心地良い。それも主人公アリスから始まる喜劇のおかげか。二人のやり取りが何とも言えないおもしろさを醸し出し、中学生特有のあの(人それぞれではあろう)雰囲気に浸らせてくれる。 

〇想起する作品 
 「Another」 
 「花咲くいろは」 
 「黄昏乙女×アムネジア」 
 「ソロモンの偽証」

〇こんな話 
 「花とアリス」の前日譚だそうな・・・後日譚見なきゃ。

〇事件 
 人はなぜ事件を起こすのだろうか。いや事件にしたがるのだろうか。それは人の行動に理由や動機を見出したがるからである。人の行動には必ず理由や動機が伴う。という前提の下人間は生活している。そして人間が関わることで、追求しようとする姿勢はより大きなものとなる。簡単に言えば人の生き死に関することか。 

 普段命を摘んでいることを意識して食事などしているだろうか。食卓に並ぶ肉や魚、米や野菜。それらはいったい何だ。ただの食糧だ。腹を満たすための糧でしかないだろう。そんな者たちが身近に、そして報道で人の死を目の当たりにしたらどのようにものを考えるのだろうか。死因や責任問題、予防策、なぜ殺されなければならなかったのかという犯行の動機云々ひたすらに説かれる、知りたがるではないか。


・・・とまぁ別にそんなことどうでもいいのだが、何が言いたいのかというと、この中学生という特殊な時代に、我々は打算的にものを考え行動していたのだろうかと。将来的にこのような答えが見つかるはずだから、答えがそこにあるからと、計画的だったかと。アリスのお転婆な姿がそんな中学生という時代ならではの雰囲気を見事に漂わせてくれる。

 まず行動なのである。行動してはじめて問題にぶち当たる。そして主とする問題がありながら、計画を立てていながら、いざ行動してみると本来の意図を見失う。周りが、置かれている状況が見えなくなる。「あれ、何してたんだっけ?」と。要は「馬鹿だな~」と笑わせてくれるわけです

 例えばであるが、母親が頼りなく見え(感覚がズレてる)、家庭的である演出は為されるも、引っ越してきた家が以前ユダが住んでいたもので、自分の部屋がユダが使っていたものと知るや否や気が動転してしまい、そんな母親でも泣き縋る。その後すぐに我を取り戻し去っていくアリス、ってな場面がある。母親との関係性を見せる・深めるとともに、考えより先に行動してしまうといった演出でもあったのだろう。


 そして肝心の殺人事件はというと・・・

 ある者が事件を起こしたのには理由があった。そしてそれの原因となる行動をとった者にも理由があった。しかしその者の理由は明かされることなく終わる。そして答えを自己完結、自己解釈するある者がいるのである。

 転校初日、有栖川徹子が黒板に名前を書くとき、最初の文字を「黒」と書こうとする。そんなところからもふと疑問を感じさせるような、当人の事情や理由を気にさせるような演出をするのだが、その後、黒ちゃんと呼ぶ過去の友人の登場で、その友人に離婚や何や聞くななどと詮索を嫌がる主人公がいるのである。(いや、知りたがる友達がいる方をピックアップすべきか)

 そして石ノ森殺人事件に伴うユダの亡霊云々といった余波。それには事件と関係ないところに理由があったわけで。クラス全員を巻き込んでいる現象ではあるが、その真相を知る者はとある二人だけと。後に三人になる。

 出来上がってしまった事実に理由を求めるも、その根本原因はというと誰にもわからない。どこからともなく伝わってくる噂のようなもの。学校の七不思議などがいい例か。根拠は? それを証明するデータは? 無いでしょと。しかし信じたがるのである。信じたくなるのである。正確には疑うべき事象であるが故に、反対の信じるという行為が際立つのか・・・。そしてそれと反対に(自分に関係する人の行動には)、信じる前にその行動に理由を見出したくなるのもまた事実なのである。受け止めて、納得してから信じたいのである。というより、いつになってもあるだろうが、理解できる感情と理解できない感情というものがありまして。ここでは理由や動機と書いていたか。その個人の理解の範疇を超えるものと越えないもので、理解と信仰という境界線が存在するわけで。そしてその範囲が人それぞれで異なってくると・・・。

 この作品における、事件の真相・核心の部分がその両者を考えさせてくれる。なぜそのような事件が起こったのかという一番の部分。さらになぜ事件を起こさせてしまうような行動に出たのかと。ここで戻る。中学生の頃の行動に明確な意味を見出すことができるのかと。ヒントと言えば、ユダのテストの点数が壊滅的に悪かったことくらいだろう。しかしそこから我々に何を推理しろというのか。幼馴染、想い人であったというのも花の情報に過ぎない。さらに花の気にすべきところはユダの気持ちではなく、生死であった(いや、逆だったのかもしれない)。おそらくこれらに明確な意図は無かったのだろう。あの独特な、特有の世界観に浸らせようとせんがためのトリックというか何と言うか・・・。

 花を基に考えれば、ユダの生死が気になりその答えを求めていた。で、生死に関する結論が出たところで、ユダが一言ズドンと。パニ~ック、パニ~ックとなるわけで、心の整理がつかない状況に陥り、都合の良い解釈と。勝手な恋愛要素ですわ。そもそも生徒一人が死んでたらもっと大事になっていたはずでしょと。そして死んだ息子の幼馴染である花に、笑顔でしかも自ら手を振る父親って相当にレアだと思うぞと。でも花は気になってしまっていたわけです。ひたすらに気にして引きこもってしまったわけで。そんな事でひたすらに悩んでしまう時期なのだと。さらにそのドアを開け放ったのがアリスなわけで。「アリスと花」はまだ観ていないが、この二人の関係性を決定づける、形作るにはこの作品は見事と言わんばかりのものとなっていると、そう感じるわけで。

結論:アリスと花、二人のやり取りがミソなのである。いや、アリスからはじまる関係性
    とした方が良いのかもしれない・・・

〇余談
 「BAKADA」って何??
あ、これ漫画家云々関係してるのか。

 バレエや走りのフォーム、ちょっとした仕草や動きをよく観せたかったんだろうな~。無駄に動く感と言うか、気にする感というか。入りやすかったな~。

〇最後に
 今では厨二病と呼ばれる現象。訳のわからない言葉でも、響きのかっこよさでそれっぽく使ってしまう。そして知ったかぶり。理解の前に、理解をしようと行動する前に、即座に信仰を選択する、誰かが言う愚かな者たちの存在。これが答えだと提示されればすぐに飛びつく。公式や方程式という答えまでの思考を排除する、ショートカットさせるものの存在。それがそうあるべき証明などいらんと。そんなんばっかの時代だったなと要は雰囲気で生きてるんですよ。明確な動機や理由など持たず。周りに流されるとか、逃避するとか言っても良いと思う。逆もあるか、人と違う存在であることを実感したいと。そんな経験をした人たち。そして今何かしらに思考をめぐらせている人たち。おもしろいと思います。ではでは・・・。


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