~立ち位置~
〇はじめに
平祐奈出とるやないか~い!!
完成披露試写会にて鑑賞。出演者の面々が登壇したわけだが、尾野真千子綺麗だったな~・・・って、遠すぎて何も見えんかったわ!! そしてあんなにスクリーンを見下ろしたのは初めてだった。どうやったら一階席に座れたのやら・・・。
公務員(教員や警察官)の不祥事が目立つ今のご時世、無責任な対応や隠ぺい、事なかれ主義が横行する学校と言う教育現場に焦点を当て、真実を解き明かそうとする子どもたちの姿勢を力強く映し出すこの作品は心に突き刺さる。
シーエイチアイビーエー大学の某教授なんて、教師を育てる身でありながら教え子にセクハラ、盗撮、個人情報漏洩で懲戒免職、まったくどうなってるんすか!!
〇想起する作品
「ゴーン・ガール」(2014)
〇こんな話
これから学校内裁判をはじめよう、ってなるまでのお話。
〇立ち位置
主人公藤野涼子を中心としたそれぞれの人物への対比が何ともすばらしい。
まずは担任の森内先生だ。
涼子がいじめを傍観するだけの場面で、柏木卓也に「口先だけの偽善者」と罵られる場面。これが森内先生が記者に詰め寄られる場面とダブる。自分は無関係だと装う態度がだ。そして保健室で樹理に何かを囁かれる場面が、お隣さんの夫婦喧嘩に干渉してしまう先生にダブる。死体(事件)の発見者であることが、夫婦喧嘩を目撃することと同義か。そして意図せず関係を持ってしまうところもだろう。要は勝手に巻き込まれると。さらにおそらくわざとであろう、二人のビジュアルは似ている。事無かれ主義を貫いていたであろう涼子の未来像としての、1人の大人の演出であったのではないだろうか。
次に柏木卓也だ。
いじめを傍観していた涼子に止めの台詞を吐いていくわけだが、この時に彼女はある場所へと向かう。ここで自殺を試みたか、その後なんやかんやあって自殺を試みたかは忘れたが(おそらく後者)、とりあえず主人公を黒い制服と白い制服の二者で映し出すのである。そして黒い制服を着ている彼女は電車に轢かれて死亡する。この黒い制服を着ていた者の象徴がおそらく柏木卓也であったのだろう。もちのろん柏木卓也は学ランを着ており、黒色だった。担任の先生が柏木卓也死後も彼の呪いだなんだと錯乱している。この辺からも精神的な何かを描き出そうとすることは勝手に想像できる。そして誰もが思ったのではないだろうか。口先だけの偽善者は柏木卓也、てめぇもだろと。当にこれである。主人公と柏木卓也がつながるのだ。しかし常に綺麗事や善意を振りまいていた分、実際には行動に移さず、見て見ぬ振りをした涼子には、ぐさりと来るものがあっただろう。
おそらくは彼女が行動に移す上で、決意を固める、迷いを断ち切るという演出なのだろう。いじめを前に、藤野涼子と柏木卓也という肉体的な対立が、彼の死後、自分の行いを恥じ悔やむ、そして何かをしなければと行動に移そうとする自分と、ただ揚げ足を取ったり言い訳などの口出ししかできない自分という精神的な対立に変わっている。そして黒い存在である両者の死が、彼女にある決意をさせることになる。心の部分(精神的)ではわかっていても、行動(肉体的)に移せないことがないだろうか。心と体の両方必要なのである。
彼女の行おうとしていることに関して、確固たるものであると観せるために、決意し行動に移すまでの年月の変遷として時間に限りのある映画において、この流れはうまいと感じる。
そして神原和彦だ。
大きくは検事と弁護人という裁判における対立が大きな意味を為してくる。柏木卓也という存在から受けるある言葉において、藤野涼子と同じ境遇にある存在ということが後々明かされ、それが真相を明らかにするべく、事件に対して全く別のアプローチをすることになる。
さらには他校の生徒ということで、裁判における馴れ合いを避けるといった意味でも良いスパイスになっている。判事との確執も見ものだ。彼とここは特におもしろかった。
・先生は藤野涼子の未来
・柏木卓也は藤野涼子の過去
・神原和彦は藤野涼子の現在
というような対比というか対立をもたらしていたのではなかろうかと。未来、過去、現在と比べてみて、最大の敵は誰かと。犯人は・・・お前だ!!
・・・と綺麗に収まるのかと思いきや、もう一度よく考えてみる。そういえばと。黒い制服の藤野涼子が電車に轢かれる場面と、浅井松子が車に轢かれる場面が被るのである。これは真実から目を背けた者の死の象徴だったはずだ。故に彼女のある決意へと繋がる。となるとだ、三宅樹理がいじめられている場面において他の対立がもっとあったのではないかと。
同じクラスの子がいじめられているのをクラス委員でありながら見て見ぬ振りをする涼子と、樹理の友達として助けに入る松子。ここにもあったぞと。これの前か後か、樹理と松子の会話に割って入る涼子の姿も描かれるのである。そこには柏木卓也の存在も見られる。少々口の悪い樹理に寛容に接し、彼女を信用している松子。そんな彼女も保護者会後の親の話を耳にすることで樹理に疑いの目を向ける。その後・・・。さらに容姿へのコンプレックスにおいてもこの二者は対立関係にある。食事への気遣いや受けるいじめへの姿勢もだ。
そしていじめられる樹理と、いじめる大出。これが告発状の差出人云々のところでも活きてくる。前提としてあった真実に対して、過去にある事実が描かれ付随していくことで、まるで違った対立構造が見えてくる。登場人物の立場や立ち位置が様々に変化するのだ。これが誰が正義で悪なのかというところを混乱させ、真実を明らかにすべく行われる裁判というところと掛けているのだろう。そして樹理が声を発せなくなるところも、裁判における証言といったものと掛けており、いずれその場面で活きてくるのか。
さらには大出と神原和彦にも両親に関する問題で対立が見られたりもする。
大人と子供の対立をウリにしている感じを受けるが、決してそれだけでないところがこの作品の妙なところだろう。
陪審制を取り扱ったことも含め、この辺の情報量の変化に伴う心象操作といった演出が、過去や現在における経験や記憶としてあるだろう学校を舞台としているために、「ゴーン・ガール」よりも非常に見やすくなっているのではないだろうか。さらに日本語ですしね。
〇余談
尾野真千子さん壇上から引く時、一礼するもんな~。
〇最後に
この事件は伝説として代々校長先生が語り継いでいるのだとか。これもミソですよね。藤野涼子自身が校長先生に概要を説明しているわけだけれども、この作品を通してわかるように、受け取り手によって印象ってのは大分変わってきますから・・・。事実(真実)がどこまで歪められているのかわかったもんじゃないと。さらに言うなれば、藤野涼子一人に語らせるというのもまたおかしなもので。裁判を題材とし、心象の変化を感じさせることをモットーとしている作品において、最大のトリックがここにあるのではないかと。思ってみたり・・・。
いや~、おもしろかった。後編が楽しみである。
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